読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

小説十八史略(二) 陳舜臣 講談社文庫

2007-01-14 20:07:47 | 読んだ
第1巻は、張良が秦の始皇帝暗殺に失敗し逃亡したところで終了した。
第2巻は、その張良が項羽の叔父である項伯に出会うところから始まり、秦が滅亡し劉邦と項羽が天下を争い、劉邦が勝ち「漢」を建国、そして漢の武帝が権力を得るところまで、である。

中国の物語は春秋戦国時代も面白いが、なにしろ登場人物が多すぎて、それに多くの国の王の名前が同じであったりしてなかなか大変であるが、この劉邦と項羽の争いから始まる「漢」の建国の物語と、三国志は<主人公>を特定できる(自分なりに)ので、のめりこみやすいのである。
従って、私はこのあたりを読もうとするときは十分な時間があるときにしている。
なにしろ、面白すぎてやめられなくなってしまうのである。

ときに話は変わるが・・・
何回読んでも面白くてのめりこむ読物、それから何回見ても新鮮な気持ちで見ることのできる映画やドラマというものがある。
映画だと「スターウォーズ」「ローマの休日」「サウンドオブミュージック」や「仁義なき戦い」「同胞」などがそうである。
読物であると、この「小説十八史略」である。(他にもあるが掲げると長くなるので)
この『面白い』という感覚はどうにも説明できないものなのだが・・・
そして「1回見ればいいじゃん」という人の気持ちもよくわからないのである・・・

というわけで―

秦は始皇帝が死ぬと、いわば悪貨が良貨を駆逐するカンジで、腐敗が進む。
そのなかで、陳勝・呉広の乱がおこり、これを契機に全土に秦への反乱が始まる。
この、陳勝がいった言葉というのが印象的である。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
「王候将相、なんぞ種あらん」
このあたりが陳勝の最も輝いているところであったと思う。

<人は一瞬でも輝くときがあるのだなあ>
というのが、歴史を読んでいると思うことなのである。
その輝きが一瞬だけで終わるか続くのかそれとも堕落するのかによって、どのように歴史に評価されるのかが違うのである。
で、私は一瞬の輝きで終わってしまう人物がわりとすきなのである。

劉邦と項羽の争いは、いろいろとエピソードが多くて、またその一つ一つが面白いのであるが、劉邦のエピソードは微笑ましいというか暖かいのに比べて、項羽のものは「ついていけない」冷たいものである。
後世、そのように作られたのではないか、とも思うが『天下をとる』というものの『形』或いは『リーダーの条件』のようなものがが示されているようである。

さて、漢の建国後、漢の功臣たちが次々と粛清される。
<狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて、良弓は蔵さる>
<敵国破れて、謀臣亡ぶ>
である。
このことも歴史では繰り返される。
人というものは何かを創ろうとするときは協力するが、創りあげるとだめになるのだろうか?

第2巻の後半は、呂后が漢の王朝を引っかきまわし、その死後も内紛が起きるのであるが、それは民には関係のないところであり、内紛は国が安定していることの証拠とも言え、漢は富んでいくのである。
そして「武帝」が登場する。
第3巻は、漢の最盛期、の話である。
コメント
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