1.愛はかげろう/雅夢 1980年9月
この歌は好きである。
前回第25巻の「東京」「20歳のめぐり合い」と並ぶ私にとっては「軟弱ソングベスト3」であろうか。
「軟弱ソング」というかたもなんなので「青春の叙情歌ベスト3」ということにしよう。
1980年に私は結婚した。
青春という言葉の中に「独身」という意味が含まれているとしたら、この年が青春の終わり、ということになる。
自分の中では、ひとつの青春が終わった、とおもっている。
この「愛はかげろう」はその青春の掉尾を飾る歌といってもいい。
といっても、この歌に心底から感情移入をして涙を流すほどのことはなかったのである。ただひとつの物語としてこの歌がよかったのである。それは結婚をするという喜びの中で聴いた自分とはかけ離れた世界の物語であった、と思う。
詩と曲がいかにマッチしているか、というのも名曲の条件であるが、そのときにどちらかが「平凡」であったとしてもうまくマッチしているあるいは溶け込んでいるといい曲になる。
この歌の場合「愛はかげろう」という部分がメインでそれを飾る前後の詩と曲がうまくいっている、そして歌声にマッチしている、ということが「いい」のだと思う。つまり詩と曲と歌声がすべて掛け算になっている。
それと、ラスト部分<人の心をゆらして>の<人の>の<の>の部分にかかるコード「Bm7♭5」がいい終わり方に導いていると一人うなづいているのである。
とまあ、理屈を並べてみたが、いい歌はリクツ抜きで心を揺さぶるのである。
2.シルエット・ロマンス/大橋純子 1981年11月
私の中で1980年代以降の歌は「思い入れ」という部分ではそれ以前に比べて格段に劣ってきている。
それは前項にも書いたとおり「結婚」によって生活環境が大きく変わったことによると思われ、いわゆるひとつの青春が終わったと感じていることにもよると思われる。
このシルエット・ロマンスはしっとりとしたいい歌であるとは思っていたが、このいい歌をしっとりとした環境で聴くことはほとんどなかったのである。
当時はすでに長子が生まれ、生活の環境は「わがまま気まま」を許さない状況にあったし、その環境に充分満足をしていたので「音楽を聴く」ということは<ついで>もしくは<ひと時の息抜き>ということでよかったのである。
そしてこの歌は歌うのに「難しい」という印象もありチョイと敬遠気味でもあった。
3.夢の途中/来生たかお 1981年11月
1980年代以前は、歌の「ジャンル」みたいなものが厳然としてあったように思える。そしてそれぞれの棲み分けがあったような気がする。
具体的にいえば「歌謡曲」と「ニューミュージック」「フォーク」「ロック」などとはテレビに出る出ないとか交流をするしないとかで、こちら側からは(表向き)判別できたと思う。
しかし、1980年ころからそのあたりの判別が難しくなった。融合したといえばカッコイイがグチャグチャになってきたんだと思う。
社会も<男と女><大人とこども><既婚者と未婚者>などの間にあった「差」とか「区別」が薄まってきていた。
この「夢の途中」は薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」の主題歌であって、男の詩でありながら女の子が歌い、女の子が歌ったために女の歌のようであり、それが今度は作曲者の来生たかおが歌うことで女の歌が男も歌っていいんだ、みたいな移り変わりになってきたと、私は感じていて、なんだか「変な」気持ちになったのであった。
そして、薬師丸ひろ子が歌っていたときにはあまり「いい」とは思えなかったこの歌を、来生たかおで聞いて以来「いい」と思うようになったのである。
そして誰かに提供した歌を提供した側も歌うことによって、それ以前にあった「誰の歌」という区分も薄くなってきたように思えるのである。
それから「来生たかお・来生えつこ」のコンビの歌では中森明菜の「セカンドラブ」が好きなのである。
4.完全無欠のロックンローラー/アラジン 1981年11月
第26巻はしっとりとした歌5曲にこの歌が入っている。
この選曲は緻密に計算されたものなのか偶然なのか気になるところである。
この歌は当時テレビでよく見かけた。
ふざけた歌だなあ、という思いとずいぶん多くのメンバーがいるなあという印象がある。
「ロック命」みたいな人々をいいように茶化しているのが、ロック命ではなかった私には面白かった。
5.SHADOW CITY/寺尾聡 1980年8月
寺尾聡といえば「ルビーの指環」であるが、この歌も当時流行した、という実感はあまりないのである。
こういう歌があることは知っていたが、あまり真剣に聞いたことがなかった。
それほどに「ルビーの指環」の印象と威力が強かったのである。
今回解説を読んで、この歌がルビーの指環より先にだされ大ヒットした、ことを知ったが、大ヒット?と思ったのである。
いい歌、ではあるが、私好みではない、というカンジだ。
6.夏をあきらめて/研ナオコ 1982年9月
桑田佳祐(サザンオールスターズ)が「勝手にシンドバット」でデビューし、2曲目「気分しだいで責めないで」をヒットさせたとき、これで終わりだなあ、と思ったのである。
しかし3曲目「いとしのエリー」を聴いたとき、初めて「スゴイ!!!」とびっくりマーク3つぐらい思った。
つまり「幅が広い」ということを感じたのである。
しかし、世間はそれほどに評価していなかったのではないだろうか。
あの歌い方が大人たちには大きな違和感であったと思う。
それが、桑田以外の人が歌うと「いい曲」であるというとこを世間に認識させたのがこの曲あたりではなかったかと思う。
この歌は好きである。
前回第25巻の「東京」「20歳のめぐり合い」と並ぶ私にとっては「軟弱ソングベスト3」であろうか。
「軟弱ソング」というかたもなんなので「青春の叙情歌ベスト3」ということにしよう。
1980年に私は結婚した。
青春という言葉の中に「独身」という意味が含まれているとしたら、この年が青春の終わり、ということになる。
自分の中では、ひとつの青春が終わった、とおもっている。
この「愛はかげろう」はその青春の掉尾を飾る歌といってもいい。
といっても、この歌に心底から感情移入をして涙を流すほどのことはなかったのである。ただひとつの物語としてこの歌がよかったのである。それは結婚をするという喜びの中で聴いた自分とはかけ離れた世界の物語であった、と思う。
詩と曲がいかにマッチしているか、というのも名曲の条件であるが、そのときにどちらかが「平凡」であったとしてもうまくマッチしているあるいは溶け込んでいるといい曲になる。
この歌の場合「愛はかげろう」という部分がメインでそれを飾る前後の詩と曲がうまくいっている、そして歌声にマッチしている、ということが「いい」のだと思う。つまり詩と曲と歌声がすべて掛け算になっている。
それと、ラスト部分<人の心をゆらして>の<人の>の<の>の部分にかかるコード「Bm7♭5」がいい終わり方に導いていると一人うなづいているのである。
とまあ、理屈を並べてみたが、いい歌はリクツ抜きで心を揺さぶるのである。
2.シルエット・ロマンス/大橋純子 1981年11月
私の中で1980年代以降の歌は「思い入れ」という部分ではそれ以前に比べて格段に劣ってきている。
それは前項にも書いたとおり「結婚」によって生活環境が大きく変わったことによると思われ、いわゆるひとつの青春が終わったと感じていることにもよると思われる。
このシルエット・ロマンスはしっとりとしたいい歌であるとは思っていたが、このいい歌をしっとりとした環境で聴くことはほとんどなかったのである。
当時はすでに長子が生まれ、生活の環境は「わがまま気まま」を許さない状況にあったし、その環境に充分満足をしていたので「音楽を聴く」ということは<ついで>もしくは<ひと時の息抜き>ということでよかったのである。
そしてこの歌は歌うのに「難しい」という印象もありチョイと敬遠気味でもあった。
3.夢の途中/来生たかお 1981年11月
1980年代以前は、歌の「ジャンル」みたいなものが厳然としてあったように思える。そしてそれぞれの棲み分けがあったような気がする。
具体的にいえば「歌謡曲」と「ニューミュージック」「フォーク」「ロック」などとはテレビに出る出ないとか交流をするしないとかで、こちら側からは(表向き)判別できたと思う。
しかし、1980年ころからそのあたりの判別が難しくなった。融合したといえばカッコイイがグチャグチャになってきたんだと思う。
社会も<男と女><大人とこども><既婚者と未婚者>などの間にあった「差」とか「区別」が薄まってきていた。
この「夢の途中」は薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」の主題歌であって、男の詩でありながら女の子が歌い、女の子が歌ったために女の歌のようであり、それが今度は作曲者の来生たかおが歌うことで女の歌が男も歌っていいんだ、みたいな移り変わりになってきたと、私は感じていて、なんだか「変な」気持ちになったのであった。
そして、薬師丸ひろ子が歌っていたときにはあまり「いい」とは思えなかったこの歌を、来生たかおで聞いて以来「いい」と思うようになったのである。
そして誰かに提供した歌を提供した側も歌うことによって、それ以前にあった「誰の歌」という区分も薄くなってきたように思えるのである。
それから「来生たかお・来生えつこ」のコンビの歌では中森明菜の「セカンドラブ」が好きなのである。
4.完全無欠のロックンローラー/アラジン 1981年11月
第26巻はしっとりとした歌5曲にこの歌が入っている。
この選曲は緻密に計算されたものなのか偶然なのか気になるところである。
この歌は当時テレビでよく見かけた。
ふざけた歌だなあ、という思いとずいぶん多くのメンバーがいるなあという印象がある。
「ロック命」みたいな人々をいいように茶化しているのが、ロック命ではなかった私には面白かった。
5.SHADOW CITY/寺尾聡 1980年8月
寺尾聡といえば「ルビーの指環」であるが、この歌も当時流行した、という実感はあまりないのである。
こういう歌があることは知っていたが、あまり真剣に聞いたことがなかった。
それほどに「ルビーの指環」の印象と威力が強かったのである。
今回解説を読んで、この歌がルビーの指環より先にだされ大ヒットした、ことを知ったが、大ヒット?と思ったのである。
いい歌、ではあるが、私好みではない、というカンジだ。
6.夏をあきらめて/研ナオコ 1982年9月
桑田佳祐(サザンオールスターズ)が「勝手にシンドバット」でデビューし、2曲目「気分しだいで責めないで」をヒットさせたとき、これで終わりだなあ、と思ったのである。
しかし3曲目「いとしのエリー」を聴いたとき、初めて「スゴイ!!!」とびっくりマーク3つぐらい思った。
つまり「幅が広い」ということを感じたのである。
しかし、世間はそれほどに評価していなかったのではないだろうか。
あの歌い方が大人たちには大きな違和感であったと思う。
それが、桑田以外の人が歌うと「いい曲」であるというとこを世間に認識させたのがこの曲あたりではなかったかと思う。