舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

後輩@『鹿男』

2008-02-15 03:43:13 | Memoirs of 東京女子大
『鹿男あをによし』ドラマとして進展の遅さがどうよと思いつつも、毎回欠かさず見ております。

それもひとえに鹿がマミちゃん(←トナカイ)の親戚だからに他ならないのですが、思いがけず私との共通点も見つかりました。
出演者の一人・多部未華子さんは東京女子大の後輩です。

多部さんが演じるのは堀田さんという女子高生で、剣道の達人という設定。
主人公・鹿男が担任するクラスの生徒ですが、初回から異彩を放つ生徒で、今日の放送では学校対抗の剣道の試合で一人勝ちを重ねて弱小剣道部を優勝に導きました。

驚くべきことに多部さんは学部まで同じ現代文化学部だそうです!!!
ウチの学部はもう一つの文理学部に比べ少人数なので、これはそうとう近しい後輩といえます。
学科は何だろう。言語文化学科だったら、もうビックリだな。ファンレター書いちゃうな(笑)。

ただ年齢は若干違っていて6年後輩なので、現在一年生だとか。
ってちょっと待て、東京女子大の一年次はそらもう忙しいぞ!?

私なんか他の人よりきょくたんに取ってる授業が少なかったけれど、それでも一年次は忙しかったです。
必修と趣味の領域(笑)しか取ってないのに月曜日とかほとんど一日中授業受けてるか課題やってるかだったものなあ。
そうそう、課題も多いと思いますよ。多部さんも「撮影の合間に大学の課題をやったことがある」とおっしゃってましたが、当然そうなると思います。でないと片付きません。

私は部屋が片付いてなくても平気なくせに課題は徹底的に片付けないと気が済まない性分で、そのせいで取れる授業の数がとても少なかったのです。そのかわり取った授業の単位は絶対に落としませんが。
そういう人間にとっては、東京女子大の授業の課題はやりがいがあってすごく楽しいと思います。大変だけど、嫌ではないのですね。

多部さんは芸能活動の傍らこの女子大に行ってるんですから、ほんとに大変なことでしょう。
私もウチの発表会のあった大学二年の夏はあまりの忙しさにぶっ倒れました(笑)。
どうかそのようにはならないでいただきたいですね。くれぐれも無理はなさらぬよう...。

でも「大学に行ったー!!」って充実感の点で、東京女子大は最高だと思います。
多忙な人にとっては大変ですが、大学の醍醐味はやっぱり高度な学問に触れられる喜び、そして自分の知識や能力を心ゆくまで研鑽する快感、これに尽きます!!
自分の頭の容量が広がって深みが増したと実感することは、刹那的に青春を謳歌するより遥かに楽しいです。
私はキャリアのためとかそういうことはあまり考えてませんでしたね。何かの手段としてではなく、ただただ知識の幅と深みを極めるのが楽しいのです。

多部さんが何ゆえ東京女子大を選んでくださったのかは分かりませんが、どうか彼女なりに楽しんで、そして卒業までこぎ着けてほしいものです。
でもって欲を言うなら東京女子大の良さをメディアを通じてさり気なく(いや、大っぴらにでもいいですよもちろん)世に知らしめていただけたら最高です♪

学長懇話会

2007-11-17 23:23:33 | Memoirs of 東京女子大
今日、東京女子大学現学長・湊 晶子先生を囲んでの懇話会がおこなわれました。

湊先生はちょうど私が入学した年に学長に就任され、卒業の際は壇上で先生から直接卒業証書をいただく栄誉に浴することができました。
その学長先生が今回、わざわざ宇都宮までお越しくださると伺い、それ以来数カ月間ずっとこの日を心待ちにしていたのです。

会場は宇都宮グランドホテルの2階で、おりしも美しく色づきはじめた庭園が一望に見渡せる素晴らしいお部屋でした。
先日の同窓会支部会でお会いした先輩方とご挨拶しつつ、籤で決まった席に行ってみるとなんと!!!一番前でしかも学長先生の正面の場所です!!!
学生時代もカブリツキが好きだった私ですが、こ、これはいくらなんでも緊張する~~~

お隣は本部からいらした理事の方でこれまたドキドキです。
しかし、そのさらにお隣は2003年卒業の方で、今回の出席者の中ではかなり近い先輩です。
というより21世紀に入ってからの卒業生が私含め3人しかいません。
'90年代の卒業生にいたっては、一人もお見えでありません。きっとそのあたりの年代の方は、仕事にしろ家庭にしろ忙しかったり、郷里を離れていたりすることが多いでしょうからねえ。

なにしろうちの大学の就職率は98%で、女子学生の就職氷河期といわれていた時代さえこの水準を保っていたそうですから、20~30代の卒業生が皆さんお忙しかったとしても不思議はありません。
かくいう私も、本当はレッスンがあったところを、生徒さんに平謝りしてこの懇話会に出席させていただいたのです。だから前半のクラスに母マミちゃんしか参上できなかったのでした。ごめんなさい~~。この埋め合わせは来週必ず!!!

時間になり、鮮やかなエメラルドグリーンのジャケットがお似合いの学長先生がご到着になりました。
うわあ、懐かしい!!!それに全然お変わりない!!!と喜んでいるうちに会が始まり、まずは校歌斉唱から始まりました。

...って、ええっ!?校歌!?!?
ど、どどどどうしましょう。ワタクシ、校歌なんてウロ覚えです。なのに司会進行の方は「じゃ、アカペラで」などとおっしゃるし、両隣の先輩方は確固とした声で歌っておられるし、冷や汗をかく思いがしました。
去年卒業式をやったばかりで一番最近歌ったはずの私なのに、なんでこんなに覚えてないんでしょう。そりは曲が難しいからです。
あの山田耕筰氏が作曲したという東京女子大学校歌は、特に前半部分は唖然とするほど難しく、私ごときの楽譜読解力では到底太刀打ちできぬ代物です。いつも必死にオタマジャクシを追ってるうちに曲が終わってしまい、覚える領域に届かないまま、大学の4年間が終わってしまったのでした。
しかし私にとって東京女子大に限っては愛着ある母校ゆえ、今後も同窓会などに出席すると思われ、今からでも真面目に覚えた方がよさそうです。

続いて、湊先生のスピーチが始まりました。
先生のお話は在学中から何度も聞いておりますが、いつも先生の高い志とそれを実現できる行動力の持ち主でいらっしゃることがうかがえるスピーチです。

その一端がわかるエピソードが、一年次のカンファレンスでうかがった「肌色」のお話です。
湊先生はかつて、クレヨンか色鉛筆などを使いながら日本語でどの色を何と呼ぶか黒人女性にご説明なさったことがあるそうです。
そして「skin color=肌色」とおっしゃったとき、その色とご自分の肌の色を見比べる黒人女性の姿をご覧になり、この名前の問題に即座に気づかれた先生は、すぐ絵具の会社にそれを訴えられました。
先生の再三の訴えの甲斐あって、いまではほとんどのクレヨンや色鉛筆で「肌色」ではなく「ペールオレンジ」あるいは「うすだいだい」の名前が定着していますね。

私はこの件をだいぶ昔にニュースで耳にしてとても印象に残っていたので、それが自分の大学の学長先生だと知ったときは心底驚いて、こんな縁もあるものかと思ったものです。
なぜなら私も子供の頃ハワイの人と一緒に絵を描いていて、日本から持参した色鉛筆ではハワイの人の肌を塗る色がなくて困ったことがあるからです。
しかし私は、困っただけで終わってしまいました。そこから一歩先に進んで「はだいろ」という名前の持つ矛盾に気づくことができなかった。
そういうわけで、私は湊先生をいたく尊敬しているのです。
この方が史上初の「東京女子大出身の学長先生」だというのですから、いいかげん自分の母校に愛着も湧くというものです。

だから、そんな学長先生がスピーチの最中に私の名前をお呼びになり「'06年卒業の福田さん...あぁ、総代の!!覚えてますよ」とおっしゃったときは、あまりの光栄に悶えました。
お隣の理事の方もこれには驚いて、「印象深いお顔なのかしらねえ」とおっしゃいました(※ちなみにその時も背中からコウモリの羽を生やしていました)が、たぶん違います。理由はほかにあります。


覚えていていただけたのが嬉しくて、そのあと一人ずつ自己紹介した際に、私が東京女子大に入った経緯を告白することにいたしました。

ダンス屋一家に生まれながら、どういうわけか小さい頃から「私は大学に行く!!それも4年制大学に!!!」という謎の確信を持っていた私。
ではどの大学に?となると不思議とピンと来ないまま高校生になったある日、教室の後ろの壁に貼ってあったポスターに書かれた「東京女子大学」の文字を見た瞬間、「あーーーーっ!!!」とインスピレーションが降ったのです。

...というくだりをお話ししたら、皆さんから「おお~~~」という声が出てうれしかったですね(笑)。

その後、滑り止めも受けずに(だってここしかあり得ないという大学を見つけたのになぜ滑り止めを受けなければならないのでしょう)受験して合格し、4年間は好きなことばかり学ばせてもらえてひたすら楽しかったという話の後、総代になってインドの民族衣装で壇上にあがったというオチで終わりました。
学長先生が覚えていてくださったのは、ひとえにこの人騒がせな扮装のせいではないかと思われます。

こういった趣旨の話をしたら、少なからぬ先輩方から「パワーを貰いましたよ」「パンチのあるお話だった」というご感想をいただきました。

先輩方を見渡しても、自分はこの大学の卒業生としてそうとう異色なキャラクターだという気がヒシヒシして参りますが(つーか実は在学中からそうだった)、中学の頃のような居心地の悪さは感じません。むしろお話を伺っていると興味の対象などに共通する部分がたくさんあって、私も見てくれはこんなですが、うれしいことに本質においては近しいものがあるようです。

そういえば、大先輩の瀬戸内寂聴さんも在学中に「私とはちょっと違う」と思ったとおっしゃってましたっけ。それでも『源氏物語』の解説などを読めば、やっぱりこの方も東女生だよなあ、と感じられます。

ということで謝恩会

2006-03-21 23:54:34 | Memoirs of 東京女子大
さて、話が前後しましたが、ウェスティンでの謝恩会です。

ちなみに謝恩会用ハワイアンファッションの全貌はこちらです。
見覚えのある方も多いかもしれません。そう、宇都宮教室のドレスなのです
このドレスをあまりにも気に入ってしまった私は、先月の読売文化祭で着られなかったぶん、どうしてもここでお披露目したかったのですね。
こないだのイベントと違うのは髪飾りとレイですが、4月に使うレイはこれの色違いです♪

ところで、どなたも気付いていないとは思いますが、式のインドドレスも謝恩会のこのカッコウもグリーンなのは、私が緑好きだからというだけではなく、この日がSt. パトリックスデーだったからです。
3月17日はアイルランドの聖人セント・パトリックの祝日で、欧米では必ずシャムロック(クローバーみたいな草:ハリポタにも出てきますね)やグリーンのものを身に付けることになっています。

ともかく、パーティー会場はホテル地下の「楓の間」。
ウェスティンのイメージどおり、ここにも格調高い調度品が溢れ、上品な雰囲気です。
受付を済ませると、ステージかぶりつきの位置に先生方のテーブルがあり、私たちは立食形式です。

ゼミ仲間やほかの授業で知り合ったお友達と最後のおしゃべりや記念撮影をしているうちに、先生方がいらっしゃる時間になりました。
お世話になった学科の先生方がお見えになり、学科長の先生のご挨拶の後乾杯しました。
すっかりのどの乾いていた私は、先生の乾杯の音頭を聞くや否や嬉々としてシャンパンを飲み干しました...がッ、私がグラスをスッカラカンにすると同時に、まだ全員にグラスがいきわたってなかったことが発覚。
こっそりグラスをその辺の棚に載せ、新たなグラスを受け取って、乾杯と同時に何事もなかったかのように飲み干しました。

乾杯が終わると食事の準備が整い、先ほどと同様思う存分食べたいのはやまやまでしたが、今回ばかりはそうは参りません。
というのも、この後ゼミごとの出し物で出番が待っているのです。
実を申しますと、私たちのN先生ゼミではフラを踊ることになり、昨日の予行の後一夜漬けレッスンを行い、ほとんどぶっつけ本番で披露することになったのです
曲目は、最近CMで普通の人にも知名度が上がったと思われるケアリイ・レイシェル「カノホナピリカイ」
矢板で運良くこのCDを使っていたマミちゃんに急遽持ってこさせ、ゼミの皆さんは当日の本番で初めて曲に合わせて踊るという状況に...!!
ということで不安もありましたが、ふたを開けてみれば、皆さんかなりいい感じに踊れていたようです
前日の練習の時点でちょっと驚くほど覚えられてたので、こりゃあイケるかなあと思っていたのですが、写真を見る限り本番もフラ初体験の人たちとは思えないほど踊れていた模様です♪
N先生はもちろん、運良くいらっしゃっていた学長先生も「おお、フラ!!」と仰って喜んで下さり、踊ったかいがありました
フラが終わると、カノホナをBGMにメンバーがN先生へのお礼のメッセージを読み上げ、プレゼントを渡して私たちの出し物が無事終わりました。

2年間お世話になったN先生は、最後の最後にthe biggest surprise を下さいました。
なんと、私たちゼミ生一人一人に直筆の直筆メッセージを手渡して下さったのです...!!
これには一同大感動。私もあまりの嬉しさに待ちきれず、思わずその場でこっそり読んでしまいました。
その後の写真には必ずこの封筒を持って写っていた人もいましたよ

ゼミごとの出し物が一通り終わると、今年退職される先生(先ほど「総代 福田良奈」と呼んで下さった先生です)への出し物があり、先生方からのお言葉もいただいて、会はいよいよ佳境に。
この頃になるともう泣いている参加者が続出。尤も、先日お話ししたように卒業となると悲しみより喜びが先立っちゃう私は、どちらかというとニコニコしながら皆さんを見守っておりました。この時はまだ。

さて、いよいよプログラムの最後、先生方に一同が森山さんの「さくら(独唱)」を贈るところまできました。
照明が落とされると、我々学生は手に手に夜のディズニーリゾートで活躍しそうな光る棒を持ち、それを振りながら歌います。
2番になるとたしょう歌詞が怪しい部分もありますが、もはやそんなことを気にしてられる余裕はありません。
私もすっかり感動ムードに浸ってしまい、再び明るくなる頃には周りのみんなは泣いていました

しかし、この頃はまだ良かったのです。N先生を囲んで最後の記念撮影をし、感謝の言葉を述べ、他にも先生方や友達と挨拶していたときもまだ大丈夫でした。
そんな私の涙腺がいよいよ緩んでしまったのは、恩師にして大学の先輩でもあるT先生が挨拶に見えたときでした。
「いやぁ~先生にはほんとにお世話になって」等といつもの軽妙な調子で挨拶しはじめたはずだったのですが、どういうわけか声が震えちゃってもうダメ。最終的にはT先生と抱き合って号泣してしまいました

卒業式(補足)

2006-03-20 23:40:25 | Memoirs of 東京女子大
さて、感動の卒業式&記念撮影終了後は、いよいよお楽しみのティーパーティーです♪

なんたって式前は大役が控えてましたので存分に食べていなかったため、お役目を果たし終えた安堵もあいまって、ただでさえ大食いの私の空腹は絶頂に達していました。
私たちのゼミの撮影が終わった頃には既にほとんどの人が撮影を終えてティーパーティー会場に向かっていたので、「まだ食べ物残ってるかしら」と心配しつつ会場に駆け付けました。

果たして、嫌な予感的中。人々のお皿にはサンドイッチやらお稲荷さんやらが載っているのに、大皿にはオレンジの欠片くらいしかありません。

ズォーン(※テンションが下がる音)
ズガアァーン(※怒りが爆発する音)

フォントを見ていただければ分かるように、ショックを怒りが上回っています
そう、食い意地の張った私にとって、食べられなかったときの怒りレベルたるや半端じゃありません。
もちろんこの瞬間もランチタイムのオーダーストップ前に行ったのに「準備中」の札がかかっていた時レベル、つまりもし私が火の女神ペレだったら会場丸焼けレベルにまで達し、眉間にしわが寄り、目つきが悪くなり、あたかもリチャード三世のごとくこの世のすべてを憎むかのような顔つきに...

...なるところでしたが、そこで太平洋学会でお世話になったO先生の救いの手が差し伸べられました。
O先生は会場の衝立の裏に回ってまだ食べ物が隠されていることを発見し、係の人たちに出すようおっしゃって下さったのです
先生の機転のおかげで、私はペレに変身して凶行におよぶことを免れ、ごちそうにありつくことができたのでした
そのO先生のお話によれば、例年は食べ物をいちどきに出してしまっていたので後から来た人の分が残っていなかったため、今年からはちょっとずつ出すことにしたようです。

というわけで、喜び勇んでむさぼっているのがこの画像です。
一度「食べられないかも」という不安に襲われたせいで、私の食欲はさらに増大し、山盛りのお皿を3~4枚平らげる勢いでした。

この頃には既に会場のほとんどの人たちはあらかた食べ終えており、歓談しながら椅子に掛けていたので、けばいインドドレスで目の色変えてむさぼる総代を引きながらご覧になっていたのでは...。

ヒデさんの髪飾り

2006-03-20 01:56:46 | Memoirs of 東京女子大
6時からは、会場を恵比寿のウェスティンホテルに移して学科別の謝恩会です。
ウェスティンホテルは格調高い素敵なホテルです。ちょっと遠くて車だと東京女子大から1時間以上かかってしまったのが大変でしたが...。

さて、ようやくたどり着いた私とマミちゃんはチェックインを済ませ、自室で謝恩会用フルモデルチェンジ。
先ほどの卒業式はインドドレスでしたが、今度の装いはハワイアンでございます♪

そして髪飾りはなんと生花です。
しかもッ、その髪飾りをコハラカンパニーのヒデ・カラニモクさんが御自ら作ってくだすったのです...!!

フラダンサーやハワイに詳しい方ならすでにご存知かと思いますが、ヒデさんといえばプロのレイ・メイカーにして、かのクムフラ、ロバート・カジメロの愛弟子という方です。
前々から某フラ雑誌などでヒデさんの作品にウットリしていた私は、今回思いがけずヒデさんに髪飾りを作っていただけるという幸運に恵まれ、えっらく感激した次第です

そんなわけで、後ろ姿・お花のアップを掲載しました。
着るドレスの画像(しかも携帯で撮った画質の悪いシロモノ)をお見せしただけなのに、色彩もイメージもドレスにぴったり

パーティーの間も大勢の人と写真を撮ったのですが、このさい私の顔なんぞどうでもいいから後ろ姿を写してと言いたい衝動にかられましたが、まさかそういうわけにもいきませんし。
そんな葛藤から、このときの私はどの写真を見ても不自然に横顔を見せようとしています

脱皮(マイナーチェンジ)

2006-03-19 02:55:15 | Memoirs of 東京女子大
てなわけで脱皮です。

控え室に戻り、成績表や記念品などを頂いたり説明を聞いたりしているスキに、世を忍ぶ仮のジャケットを脱いで額飾りとブレスレットを装着しました。

どうもゼミ担任のN先生は私がこのフル装備で総代をやるつもりなのではないかと案じていらっしゃったようです...ううう、最後まで要らぬご心配をおかけしてしまって、私ってなんつー不良学生

とにかく、N先生はわざわざ学長先生に予め「総代がどんなカッコで出現しても驚かれぬよう」という旨をメールしてくださったのだそうです。
ぎゃああ、知らないうちに学長先生まで巻き込んだ騒ぎになっていたとは...つ、罪深すぎる。
しかしそんなN先生に恩を仇で返すような真似はしたくなかったため、式本番中は世を忍ぶ仮のジャケットを着ていたわけです。

おかげさまで、壇上に出てきた時の服装は先生方や学科の助手さんにもご好評を頂きました。
もっとも、助手の方は髪飾りまでグリーンでコーディネイトされていて良いと思っていたのによく見たら髪飾りがカエルなので引いたとおっしゃっていましたが...

で、外での写真撮影の時は幸い天気も良かったので、このカッコで参りました。
最初に学部生全員を上から撮影したのですが、何しろ数百人が一堂に会しているので人込みにまぎれてしまっては後で分からなくなると思い、あえて後ろの方の空いているところに一人たたずみました。

しかし先生方はもっとずっと賢く、「いつも自分を探すだけで一苦労なのよね」「でもインドコスプレの人のそばにいれば探しやすいでしょう」等とおっしゃいつつ、皆さんで私の周りを取り囲みました。
そのため、おそらくこの全体写真が出来上がったあかつきには、後方のきんきらコスプレイヤーの周りに黒スーツの人だかりという謎めきすぎている光景が見られることでしょう。

その後も学科やゼミ単位で撮影しましたが、その合間に同級生の皆さんと個人的な写真も撮りました。
インドコスプレで良かったことは、いろんな人が一緒に写真を撮ろうと誘ってくれたことです。私は自分からそういうことを頼めないタチなので、コスプレのおかげでたくさんの人と写真を撮っておくことができて嬉しかったっす
ゼミが違う人とはもちろん、他学科の人たちとも何枚か撮りました

卒業式!!

2006-03-18 23:50:49 | Memoirs of 東京女子大
昨日、3月17日は東京女子大学現代文化学部卒業式でございました。
これをもって私もいよいよお世話になった大学を卒業したわけです
ということで、このときまで大切に大切にとっておいたベイリーズ様(大瓶)を堪能しつつ、昨日の顛末をプレイバックいたします


式当日の集合時間は朝9時15分。
どう考えても朝に今市から出てきて間に合うわけないので(というよりコレに間に合う時間に起きる可能性は絶望的なので)、こないだもちょっと触れましたが、前日のうちから吉祥寺の「東急イン」に泊まりました。

せっかく朝食バイキング付きのお得なプランで泊まったのですが、総代が食べ過ぎで式中に腹痛などというおぞましい事態は避けなければいけませんので、食べたいものが山のようにあってもひたすら我慢。
式の間お腹が鳴らないで済む程度の量しか食べられませんでした

というわけで、腹痛の心配もなく大学に到着。
その瞬間がこちらの画像です。これから大役が待っているとあって、顔がかなりカタイです。
ちなみに、このジャケットは世を忍ぶ仮の姿と呼ばれておりますが、後ろから見るとキンキラ刺繍布が首から垂れ下がっていてあんまり世を忍んでません。

着くと皆が校門や本館前で写真を撮ってましたので、私もマミちゃんに撮らせました。
この日のマミちゃんは自称黒子に徹しているとのことでしたが、相変わらず風にはためくロングコートなどを着ており、いつもながら親子揃って浮きまくりです。

集合時間が迫ってきたので、マミちゃんは一足先に講堂に入り、卒業生である私は控え室に行きました。
しかし、予想できたことではありましたが、皆さん見事に袴です。99%近く袴です。
つまり成人式における着物の割合とほぼ同じ。
それなのにウチの学科の場合、壇上にあがる役を務める3人に限ってどういうわけか袴ではありません。
スピーチするAちゃんと成績優秀者の賞をもらうSさんはスーツ。
そして、総代にいたってはインドドレスです。
どういうわけか偶然はもう一つあり、この3人は揃って同じN先生ゼミです。
ですので、ズレている私にとって、ほかの2人がよく知っている顔ぶれ(しかも2人とも私と違ってしっかり者)だったため、一人だけ変な方向に彷徨ってって迷子にならずに済んで助かりました。
そうでなかったら他学科の列に紛れ込むくらいのことは平気でやらかしていたはずです。


そして10時、卒業生入場です。
もうここから先はすっ転ぶことは許されませんので、たしょう見てくれを犠牲にすることも厭わずインドスカートをウェストでひと折りしておきました。
履いてる靴はHush Puppies。これまた見てくれよりも安定性を求め、2時間費やして選び抜いた代物です。既に昨日の予行で歩行練習済み。
しかし、入場時に非常に深刻な問題が...この大学の講堂の通路ときたら、なぜかツルッツル滑る坂になっているのです。
なんなんだこのある意味心臓やぶりの坂は。じっさい、ピンヒールなぞ履いてきてしまった気の毒な卒業生は、ガクガク揺れちゃってかなり歩きづらそうだったそうです。

入場が無事済むと、礼拝形式の卒業式がスタートします。
途中で賛美歌を歌ったり進行役のE先生が聖書を読み上げたりしましたが、私の場合大役が刻一刻と迫っておりますので、しんみり4年間の想い出に浸ってる場合じゃござんせん。

そしてついに卒業生の名前が呼ばれはじめました。
こうなると私の緊張も最高潮。自分の心臓の音まで聞こえてくる始末です。
いよいよ「総代 福田良奈」と呼ばれ、早足になりそうになるのを押さえつつ階段の前へ到着し、いざ左足を一段目にかけました。

ガクッ。

うわわわわわわ!!マジ!?なんと私、ヒールを階段に乗せ損ねてしまったのです。
おもわず「ひッ」とか叫びそうになるのをこらえ、こけそうになるのを踏ん張って押しとどめ、なんとか上まで登り詰めました。
しかし動揺が続いていたため、学長の湊先生に先に礼をしていただいてしまいました。ご、ごめんなさい。

学長先生が証書を読み上げてくださっている間も、私の耳には心臓の音ばかりこだましていました。
しかし取り敢えず手を震わせずに証書を受け取ることができ、さっさか降りてしまったことを除けば、だいたい練習どおりこなすことができました。

私の次は隣のSさんの出番です。Sさんも流石にいくぶん緊張した面持ちでしたが、落ち着いた足取りで無事務めを果たしておられました。
そしてAちゃんのスピーチで締めくくりです。
以前、中学の時だったかやはり代表者スピーチをした卒業生には、全員を代表するつもりからかあまりにも漠然とした内容に終始していた人もいましたが、これに対しAちゃんのスピーチでは彼女自身の大学での体験や率直な思いが語られていて、だからこそものすごく感動的でした。
おもわずもらい泣きしていた人が多かったのも頷けるスピーチでしたよ

というわけで、N先生ゼミの3人は一番怪しい総代も含めて全員つつがなくお役目をこなしました

ホッとしたところで退場です。
再びあの恐怖の坂を上っていかなければならないわけですが、一応下りよりは恐ろしくなく、しかも大役を果たしおおせた後とあってニコニコしながら上っていけました(先ほどのスピーチの名残か泣いてる人もかなり多かったそうですが)。


ハァ~終わった♪
というわけで、ぼちぼち世を忍ぶ仮の姿から脱皮します

感涙のフィナーレ

2006-03-17 22:10:26 | Memoirs of 東京女子大
先程ウェスティンホテルでの謝恩会が終了しました!!
卒業式(幸い、転びませんでした)は予告通りインドドレスでしたが、謝恩会はハワイアンドレスに生のお花を飾りました。余興でカノホナピリカイを踊りましたよ♪

卒業式予行

2006-03-16 23:21:57 | Memoirs of 東京女子大
結局昨夜は明け方まで準備に追われて、更新できませんでした(泣)

始発で東京に行き、卒業礼拝に出てから予行で晒し者(注:数百人の視線に耐えつつ壇上で練習)になりました。
その後、矢板のレッスンから直行したマミちゃんと吉祥寺で合流し、駅ビルの韓国料理店でプルコギビビンバとトッポッキを堪能し、ホテルの部屋に引っ込みました。

ほんとはこれからさらに早い明日のための準備にかからなければいけないのですが、如何せん我々二人にとって早起きしすぎた一日であったため、クタクタになってベッドに撃沈しております…。

総代だそうだい大変そうだぃ(撃沈)

2006-03-13 23:57:07 | Memoirs of 東京女子大
と、総代を剥奪されかねないギャグをブチかましつつ、今日一日かけて卒業式の装いを考えました。

で、関係者各位(とくにゼミ担任のN先生)にご心配ご迷惑をおかけしつつも、ようやくらしきモノが定まったのでした。


結論。やっぱりインドドレス貫きます。(...大騒ぎしてやっぱりそれかい


とはいえ、ボリウッドダンサーばりに半袖ハラ出しラメ刺繍ではやはりどうかと思いますので、上に黒のジャケットを着ることにいたしました。
その襟からドレスと共布のスカーフを出して後ろに垂らします。
で、もしャケット脱ぐときはこのスカーフでお腹を隠すのですね。


大騒ぎした末、結局もとのインドドレスに落ち着いたのには、それなりに深刻な訳がありました。
すなわち、日本で売ってる服は私の肩幅および胸囲を許さないという.....
ちょっとフォーマルなジャケットなぞ着ようものなら、もう腕がかためられてロボット状態。とてもじゃないですが卒業証書受け取ることなんてできません。
前も胃の辺りで留めるボタンなら辛うじて留まるのですが、胸の辺で留めるものはもう絶望的に駄目でした...。
日本人女性がこぞって痩せようとするワケ、よおぉぉぉぉぉ~~~く分かりました...

でも私の場合、スポーツもやってないくせにガタイがおそろしくいいので、今より痩せてた中学時代さえも女の子っぽい華奢な服を着ると女装のかほりプンプンになってしまったものでした。
悲しいですが、女の子的な服は諦めといた方が賢明なようです。
かといって身長がイヤンというほど低いですから、私の永遠の憧れである男装の麗人ファッションもできませんし...。


ああ、着たい服と着られる服は違うんですねえ。とほほ。

ブログランキング参加してみました。クリックして頂けると幸甚の至りです。