舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

喜びの再会

2015-05-20 04:33:00 | ぼくはこんな本を読んできた
ブログをお読み下さっている方からときどき「どうしてああいう言い回しが思いつくんですか」と言われることがあります(私は良い意味だと勝手に解釈しています)。
私は小学1年生くらいからワープロやノートで好き勝手に文章を書いていたんで、その中で徐々にこういうふざけた芸風(?)が出来上がっていったんだと思いますが、やっぱり私も本好きの端くれである以上、読んだ本の著者の方々から受ける影響も決して少なくありません。


じゃあ誰から最も影響を受けたか、といえば、躊躇無く真っ先に思い浮かぶ方がいらっしゃいます。

それは堀井憲一郎さんです。


もし堀井さんの記事や著作をお読みになったことのある方なら膝を打つのではないでしょうか。
私、あの方が大好きなのでございます。
ですから、受けている影響もたぶん相当多い。申し訳ないくらい多いです(笑)。


私は『東京ディズニーリゾート便利帖』というガイドブックで初めて堀井さんの文章を読みまして、これですっかりファンになりました。
ディズニーに行っても一日3つくらいしかアトラクションに乗らない私のような人間にとって、徹底した調査によってとことんまでに効率の良い回り方を解説するこの本が実用面で必要かどうかはさておき、とにかく文章の書き方が素晴らしいので、本がボロボロになるまで持ち歩いて読んだものです。
続けて出た第2版、ポケット版ももれなくゲットしました。


で、このたび待望の第3版が出版されたということですかさず買ったところ、著者略歴欄に見慣れない作品タイトルを発見。
早速探し出してゲットしたのが見出し画像の『ディズニーから勝手に学んだ51の教訓』でした。

いやはや、読み出すと止まらなくなってしまい、もうこんな時間ですよ。
キリが無いんで流石に中断しました。あと1章残ってます。でも楽しみはあんまり早く終わらせない方がいい。明日まではガマンだ、ガマンだ自分。


具体的に何が好きって、凄まじいまでの話題の脱線っぷり!!!(爆)
しかしその脱線が面白いんですわ。行き先が落語だったり花火だったり野球の話題だったりするんですが(過半数は落語ネタだと思う)、本当に博識でいらっしゃるんだなあ、と思います。
私は落語も花火も野球も詳しくないけれど、そんな私にも分りやすく、楽しく脱線してくださる。
まさに脱線の師です。(どんな慕い方だよ)
いえ冗談抜きで、私も脱線が大好きな以上(笑)、堀井さんを見習ってハイレベルに脱線したいものです。


なお、前述の『ディズニーリゾート便利帖』は効率よく回りたいと思っている方にとってはガチのハウツー本ですので是非のおススメです。
私は本屋さんで堀井さんの全作品をリストアップしてもらったところ、なんとキャリア20年余に及ぶ方だということが判明しましたので、過去にさかのぼって貪り読みたいと思います。
子供が生まれてからこっち、読書量が著しく減ってるのが物凄いストレスだったんですけれど、これからは幼稚園のお陰でもう少し本が読めそうですし。
過去の本も電子版とかで再発売されればいいのになぁ。





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本好きによる読書案内<伊勢編>

2013-09-08 00:59:50 | ぼくはこんな本を読んできた
今年は伊勢神宮の式年遷宮の年です。
「式年遷宮」とは、20年に一度新しいお社を建て、ご神体をお遷しするという儀式の事。
遥か昔から行われて来た重要な儀式なのだそうです。


…とか偉そうに言っとりますが、元々私の不得手な分野ゆえ、ほとんど読んだ本の丸パクでございます(笑)。
このたび縁あって伊勢に行く機会を得た為、不得手な分野とか言ってないできちんと予習しとこうってことで、改めて本を揃えて付け焼き刃の知識を吸収しているところでございます。


そんなわけで、今日は本好きの私が選んだ伊勢旅行にピッタリの本のご紹介です。」




まず一冊目。最もベタなところから行きましょう。
るるぶ情報版・近畿21『お伊勢まいり』(2013年、JTBパブリッシング)です。


薄くて写真が多く、本の虫でなくとも気軽に旅先の情報をゲットできる「るるぶ」シリーズだけに、「イセジングウってなにそれおいしいの」状態の人には最適のビギナーズガイドです。
私の縄張りであるハワイを例にすれば、「ハワイでは英語が通じる!」とか「アラモアナは最強ショッピングセンター!」みたいな、わかっている人なら「今更そんな事聞くなよ」と突っ込みたくなるレベルのトピックを無邪気な驚きをもって紹介してくれる事が、初心者に大変親切なのです。


たとえば3ページ目で早速「伊勢神宮に祀られているのは天照大神!」と、ここから入ってくれる訳ですよ。親切な事この上ありません。
わかっている人からすれば「どっちがミッキーでどっちがミニーなんですか」という質問と同じくらいズッコケそうなレベルだと思いますが、初心者とはそういうものなのです。
私だってこの3・4ページ目を見て「ははぁ~」「ほほぉ~」の連続でしたもん(笑)。


このガイドブックはこのページ以降もそういうビギナーさん向け記述が続きます。
伊勢の歴史や、伊勢に祀られている天照大神をはじめとした多くの神々の概説と関係、お参りガイダンス(外宮→内宮の順に回る事、鳥居の中央をくぐっちゃダメって事とか手水→お参りの作法)まで懇切丁寧に説明されています。
どれもおそらく、わかっている人には当り前レベルの事だと思いますので、現地に行っても誰も説明してくれないでしょうし、知らない人ってのはとんでもない事をやらかすものですから(例:旅番組の影響でバスタオル巻いたまま温泉入っちゃう女子)、こういう「ビギナーオブビギナーズガイド」が絶対に必要だと私は思います。


さて、ビギナーズガイドで知らなきゃ恥ずかしいレベルの基礎知識をひととおり頭に入れたところで、もうちょっと読み物らしい本に参りましょう。



『伊勢神宮参宮ガイドブック 癸巳版』(2013年、小学館)です。
この本の特に前半は読み物&写真集の色合いが強く、伊勢研究の第一線で活動する方の寄稿や、伊勢専門カメラマンの方が撮影した美しい風景の数々など、ビジュアル・イメージ重視のガイドブックとなっています。
それだけに、るるぶガイドより「伊勢に行きたい」という気持をそそられるページばかりですね。
流石は「参宮事業推進協議会公認」です(笑)。


この本もこれから参宮しようという人向けですから、基礎知識に関する事も親切に紹介されていますが、それでも流石にるるぶの「祀られているのは天照大神!」レベルの知識は既知という前提で(笑)、より踏み込んだ内容が語られています。
これなら、すでに1回や2回程度訪れた事がある人も楽しめる内容なのではないでしょうか。


ただ、この本は機能よりイメージを重視しているだけに広告が広告っぽくないという事には注意せねばなりません。
本文と統一感のある感じのレイアウトで、続きかと思って読み進めていったら気づくとレストランやホテルの説明にドップリ入ってる、というページがとても多いですね。

この書き方、どこかで見た事あるな。アレだ。フラ界の3匹目のドジョウ雑誌、フラヘヴンだ(笑)。
かの雑誌はフラ雑誌というより「フラ雑誌の皮を被ったフラ関連広告集」なので、店名にしろ教室名にしろ固有名詞が出て来たら全て広告という事を念頭に入れた上で読む必要があります。

まあ、そういう意味ではこの業界だと2匹目のドジョウ(と言えばわかりますね、素敵なあの雑誌です)なんてもっとあからさまで、教室向けの取材先募集のお知らせにハッキリ「掲載は広告を出している教室様を優先します」とモロに書いてあるからね。
広告を載せてやるんだからという事で、寄稿した物の原稿料を減らされたという話も聞いてます。その方はとても優秀なスペシャリストなのに。酷い話だぜ。
あの素敵な雑誌を読む時は、いくらおすすめの店とか良い教室とか優秀な先生紹介という感じで書いてあっても、巻末の広告と照らし合わせながら読んだ方がいいですよ。


うぉわ。またもや話が横道にそれたわね。
ともあれ、広告や記事を何でもかんでも鵜呑みにするんでなく、客観的に・多角的に調べた方がいいよね、というお話でありました。


2冊のガイドブックで伊勢や神々の基礎知識をひととおり知ったところで、フィクションに参りましょう。


荻原規子『空色勾玉』(2005年、徳間書店)です。


異世界ファンタジーの少女小説を書かせたら、この作家さんの右に出る方はいないと言ってもいいでしょう。
小野不由美主上の十二国記が好きと言ってる時点でバレバレなように、私は異世界モノが大好きです。現代のこの世界から遠く離れれば離れるほど好きです。
そして荻原さんは、遥か遠く離れたところを舞台としながら、息遣いまで身近に感じられるほどリアルな人間ドラマを描き出す名手なのです。


この小説の舞台は数千年前の日本。
なんと、伊勢神宮に祀られている神々が登場人(?)物として出てきます。
彼らが古代日本を闊歩し、戦いを繰り広げたり、人間達と心を通わせたりする物語です。

もちろん神様ですので、並外れた能力も外見も充分に超人的な存在として描かれていますが、それでもときに苦悩し、我を失い、過ちさえおかす姿は、下手な人間より人間らしいリアリティに溢れています。

たとえば天照大神(照日王)。
たぐいまれなる麗質をもちながら不屈の将でもあり、鎧兜に身を包んで日本古来の神々を滅ぼして征服せんとし、その目的の為ならヒロインや自分の弟を殺める事にも一瞬も躊躇わない、ペレよりおっかない姉ちゃんです。

彼女の行いには迷いが無く、ひたすら突っ走るのみですが、それもひとえに父である輝の大御神(自分の目から照日王を産み落とした神)を一途に慕うゆえの事。
天上におわします父に早く会いたい、父の望みに沿いたいと強く思うあまり、他の事が見えなくなってしまっています。

そんな彼女と対をなすのが月讀尊(月代王)、父神の反対の目から産まれた、照日王の双子の弟君です。
姉君と瓜二つの美貌を持ち、将として無敵の力も持ちながら、姉の激しい気性とは対照的な憂いがあります。
彼に翻弄されるヒロインを見ていると、実はペレよりおっかない姉ちゃんよりもっとタチが悪いんじゃないかという気がしてきます(笑)。


このように、たとえお詣りに行こうと遠くて漠然とした存在でしかない神々に生き生きとした人間味を与え、おそろしくも抗いがたい魅力をもったキャラクターとして描き出す荻原さんの筆力にはただただ感嘆する他ありません。
この作品を読んでから神宮をたずねれば、神々の存在をぐっと身近に感じられるでしょう。

それに、彼らの織りなす壮大なストーリーが非常に速いテンポで展開し、一気にラストまで駆け抜ける疾走感は、この作品を一作目とする「勾玉シリーズ」の中でも群を抜いています。
伊勢のお供に限らず、小説としておすすめの作品の一つです。


以上、現時点で読破済みの本だけ3冊ご紹介してみました。
今後も伊勢にゆかりある良作に出会えたらまた載せたいと思います。

"DARTH VADER and son"

2013-01-30 03:36:13 | ぼくはこんな本を読んできた
"DARTH VADER and son"
Jeffrey Brown
Chronicle Books, 2012



今日は絵本のご紹介です。
と言ってもコレ、絵はめちゃくちゃカワイイけど、完全に子供向けじゃないよね。


タイトルを一目見れば分るとおり、この絵本の元ネタはスター・ウォーズです。
っつーかタイトル一目見ちゃうとモロ究極のネタバレなんですがいいんですかね。
訳題は『ダース・ヴェイダーとルーク(4才)』…って、こっちはもっとネタバレじゃん。いいのかホントに。


……と、ともあれ、スターウォーズ旧三部作の表向きの主人公であるルーク君と、おそらく真の主役であろうダース・ヴェイダー卿のあまりにも、あまりにもほほえましい親子の物語が描かれているのが当作です。
そんな素晴らしい絵本が刊行されたというのを聞いた時からずっとゲットしたいと願っていたのですが、このたびようやく原書を入手する事が出来ました。ありがとう丸善。


この絵本、ルーカスフィルム公認ではありますが、元ネタのスターウォーズを知らなくても、普通の親子のお話として充分に楽しいです。
4歳の男の子に振り回され、泣かせちゃマズい状況でギャン泣きされて肩身の狭い思いをし、何とか親の望む方向に育って欲しくて涙ぐましい努力をし、悪い影響を与える「お友達」とは何とか引き離そうとし、添い寝で腕がシビレ、いつも付いて回られてプライバシーの欠片も無くなり、ほとほと困らされる事も多いけれど、それでも憎めぬ我が子のために心を砕く、そんな微笑ましい(そして経験者にはあるあるネタ満載の)親の姿が実にリアルに描かれてます。

ただ普通の親子と違うのは、その親がヴェイダー卿だって事ですね。

ヴェイダー卿は悪の支配者。多くの配下を従えて君臨しているわけですが、自分が君臨している職場に思いっきり息子を同伴してます
いいのかオイ。そりゃー私だって自分の子供を職場に連れて行ってるが、ヴェイダー卿ともあろうお方がそんなコトしたら、職場の士気に関わるんじゃないでしょうか。
緊張感も悪のムードも台無し。ダークサイド感ゼロです。

しかしながら、そこがこの絵本の魅力でもあります。
可愛い我が子に対して不器用ながらも一生懸命な親ぶりを発揮するヴェイダー卿という図が、ミスマッチなようでいてものすごくハマっているのです。
もちろんずっとあの黒仮面を被っている訳ですが、彼が息子の一挙手一投足にいちいちハラハラしたり喜んだりする姿を見ていると、黒仮面が表情豊かにすら見えてくるんですから不思議です。
まあ、ヴェイダー卿が元々非常に魅力的なキャラクターだからこそ成立した作品といえましょう。


この本、スターウォーズ好きの方には是非ご覧いただきたい。
もう最初の1ページ目でかなりグッと来る事間違い無し。
あと、スカイウォーカー父子の他にもいろんなキャラが出てくるのですが、本編を知る方ならその顔ぶれにニヤリとさせられるはずです。
会話の中だけに出てくるヨーダも、子連れヴェイダーを前にして全然暗黒じゃなくなってるマスターも、登場の仕方が素晴らしすぎるレイアもハンソロもみんな素敵。もちろんもっと脇役の人々(…人?)も登場します。
背景に描かれている景色も、「コレあの場所じゃん」的な発見があって楽しめます。


この絵本は断然英語の原書を読む事をおススメします。元ネタの映画だって英語だものね。
なんたって4才の男の子が中心の作品ですし、ストーリーの連続性も無い(1ページずつ別のシーンが展開される)ので、言葉の壁は殆ど無いと思います。たぶん。

読書感想文:悪の教典

2013-01-15 01:17:02 | ぼくはこんな本を読んできた
『悪の教典(Lesson of the evil)』上・下
貴志祐介 著
文春文庫、2012年



ウッカリ記事のタイトルを「読書感想文」とかしちゃいましたけど、こんな本を夏休みの読書感想文に使ったら三者面談強制執行確定でしょうね。

本日ご紹介いたしますのは、そんくらいヤバい(けど私が現役学生だったらマジで感想文書きそうな)ステキな作品でございます。


つい最近映画化もされましたので、この作品をご存知の方も多いかもしれません。
私は映画では観ていないのですが、幾つか相違点もあるようですので、一応あらすじを載せておきます。
ああ、たとえネタバレしてもこの作品の面白さはまったく損なわれませんからご安心を


主人公の「ハスミン」こと蓮実聖司は高校の英語教師。
才色兼備で担任するクラスに親衛隊があるほどの人気の持主です。
しかし、これはあくまでも表の顔。
実はこの男、これまでの人生で自分にとって邪魔な人間を躊躇いなく殺してきた、とんでもないヤツなのです。
おそろしく頭が切れるため、自らの犯した罪を巧妙に隠蔽しており、なんだかやたら周囲に死人が出ているにも関わらず、不幸な事故とか集団自殺とかで片付けられており、警察もまったく尻尾をつかめません。

ハスミンが高校教師になったのも、実は自分が意のままに支配出来る王国を作るため。
彼が今赴任している高校にも、教師・生徒・保護者などに目障りな人間がいればバッサバッサと殺し、あるいは失脚させ、理想の王国を建設なうなハスミンなのです。
もちろん、お色気たっぷりな保健室の先生や、自分にピュアな好意を寄せる教え子など、いろんな意味で利用出来るものはしっかり味方につけてゆきます。
色仕掛けはもちろん、弱みを握って脅して無理やり味方に付けるのだって、ハスミンにかかれば朝飯前です。

とはいえ、これだけ大量の悪事を重ねていれば、誰にも気づかれない訳がない。
中にはひょんな事をきっかけに、あるいは持ち前の直感で、ハスミンの怪しさに気づく人も出てきます。
そんな彼らをいつものように軽快な口笛を吹きながら殺っていくハスミンでしたが、彼の恐ろしい事実がクラスの教え子全員にバレる危険性が生じたその時、ついに血塗られた一夜が幕を明けるのでした………。


いやぁ、こんな面白い小説、久しぶりに読みましたよ。
何が面白いって、この主人公ハスミンが底抜けに面白いキャラクターなのです。
文庫版の解説を書いている三池崇史監督もハスミンの虜になった読者の一人だったようで、「私は蓮実聖司の奴隷として映画の監督を務めた」と書いていらっしゃいますが、その気持、ものすごくよくわかる。
そういう、人を惹き付けてやまない力を、このキャラクターは持っているのです。

殺人鬼が人を惹き付ける?そんなわけない!と思う方も多いでしょう。
しかしこのハスミン、「裏の顔が」「正体が」とは言ってるけど、じつはこれほど裏表のない人間はいないと私は思います。


たとえば、他人に対して「こいつさえいなければ」と思ったり、他人が不幸になってでも自分が幸せになりたいとか、自分さえ良ければ他人の苦しみなど構わないと思っている人間は非常に多い事でしょう(この作品にもゴマンと出てきます)。
ところが、これらの感情は醜い…というより「世間で醜いとされているので、周りから醜いと思われたくないために」、殆どの人間はこういった感情を巧妙に隠します。
世間体はもちろん、自分自身に対してでさえ、自分が醜いと認めるのは堪え難いからという事で、そういう感情がある事を気づかぬフリしてる人、きっとそうとう多いんじゃないですか?


でもね。私の個人的な意見を言わせていただくなら、「他人の不幸なんか知るもんか、アタシが幸せならいいんだよ」と思う人それ自身よりも、それを隠して善人ちゃんの仮面を被り、アロハ・スピリ…おっと失礼、平和だの博愛だのと上っ面の綺麗事を並べ立てる事の方が余程醜いと思う訳ですよ。
そういう人見ると、もうサブイボ立っちゃってダメなんだよ、私ゃ。無駄にイイ印象残そうとするのやめろよと思うね、マジで。
正直に「私は自分さえ良きゃ他人なんざどうでもいいです」と言ってもらった方が、余程スッキリします(笑)。


その点、ハスミンは自分の感情に実に正直。
気に入らなきゃヤっちゃいます。
「気に入らない」のレベルも実に様々で、自らの生命や生活を脅かすMAXレベルの敵は必殺なのは言うまでもなく、「オレと人気者キャラが被りそうでウザイ」程度の人にもけっこう酷いコトしちゃいます。

しかも、自分の野望を成し遂げるためのプロセスが、実に痛快です。
何しろ頭の良さがハンパないですからね。計画の立て方といい、実行の仕方といい、万一の時のトラブルシューティングといい、ひたすら巧みで見事としか言いようがありません。
そして、よからぬ目的で習得した知識や技術を、ちゃっかり平然と日常生活で活用しているところがものすごく笑える!
特に上巻は、道徳とか倫理とかそういうのをとりあえず脇に置いといて読むと、声上げて笑えるくらい愉快なところが大変多く、年末年始で絶望的に混雑している中でこれを読んだ私は、この本のおかげでだいぶ精神的に救われました(笑)。


ま、流石に下巻は息もつかせぬシリアスな展開ですし、内容的にもハスミンヤッホーな気分にはなりにくいですけどね。
個人的には、上巻~下巻の序盤くらいまでに留めておいてあの高校からは姿を消し、全国各地を渡り歩く逆水戸黄門(ってオイ)みたいなシリーズ物にしてもらいたいくらい、前半の軽やかでユーモラスな作風が好きでした。
教師だけでなく、そうとうな種類の仕事が出来そうだからねこの人は。いろんな職業やいろんな偽名に身をやつしつつ、各地に出没していただきたいものです。

ホッとするひと言

2010-02-18 00:59:36 | ぼくはこんな本を読んできた
昨日のろまんちっく村イベントが終わった記念に、デルフィニア戦記を第2部から再開しようとしたところ、第1巻が売り切れていました
そんな時に手に取ったのが、デルフィニアシリーズのお隣にあった角田光代さんの『愛してるなんていうわけないだろ』というエッセイでした。
デルフィニアの作者は茅田砂胡さん。作者名五十音順なのでたまたまお隣になっていたのですね。

でも、きっとお隣だったのも運命だと思います。
なぜなら、思いつきで買ったこの本に、私の求めていたひと言があったからです。


「私は今この人の隣で心地よいと感じている。だったら、相手もそう感じているはずだ。心地よくない人と自分が一緒に過ごそうと思わないように、この人だって心地よくない相手と過ごそうとは思わないだろう。では私が心地よいと感じているかぎり、この人の隣にいましょう。」(38ページ)


自分でそう考えたいと思っていても、本当にそう考えてしまっていいのか分らない時に、他の誰かからまさにその言葉を言ってもらえるときほど、心安らぐときはありません。
言いようの無い安堵が私を包み、開始38ページ目で不覚にも目頭が熱くなりました。


この本はページ数が少ないにも関わらず、珠玉の言葉が詰まっています。
もう一つのお気に入りは、こちら。


「自分を傷つけるのも人で、こんなに落ち込む原因も人だったくせに、自分を救ってくれるのもやっぱり人なんでした」(32ページ)


どんな人だって、今は誰かに傷つけられていても、他のどこかでは救われたことがあったはず。
人間関係に行き詰まった時に、是非とも思い出したいひと言ですね。


以上の言葉は個人的には恋愛とはほとんど無関係な意味で受け止めたものでしたが、じれじれな恋愛に美を見出す私がニッコリするような記述も49ページあたりにあります。
どうも作者の角田さんという方は、恋愛の好き嫌い(もちろん当事者としてではなく傍観者としての)が、私とかなり近いようです。

ページ数のごく少ない本なので、私のように自由時間が細切れな人間でなければ、例えば待ち時間や通勤中などにさくっと完読できるような本です。
その短い中に、素敵な言葉がたくさん詰まっている『愛してるなんていうわけないだろ』、なかなかおすすめでございますよ

落照の獄

2009-09-29 18:42:16 | ぼくはこんな本を読んできた
ヨムヨムで発表された小野不由美さんの人気シリーズ「十二国記」最新作『落照の獄』は、なんと予想を痛快に裏切り、初登場の国「柳」の話でした!!

十二国記という名称通り、このシリーズの舞台となっている世界には12の国があるのですが、そのすべてが描かれている訳ではありません。
登場人物達の話題に上ることはあっても、直接語られたことはなく、王や麒麟の名すらわからない国も僅かにあります。
そんな国の一つが、今回描かれた柳だったのです。

描かれた事はないと言っても、柳は幾度となく間接的に片鱗を覗かせていました。
一つは、長く続いた法治国家として。もう一つは、今や傾国の兆しを見せている国として。
その不気味な様子は、最新の(現時点で最後の)短編集でも触れられています。

今回の短編では、そんな柳の傾国の象徴とも言うべき事件が、法曹界に身を置く主人公の視点から語られます。

柳は、賢帝の下で百年以上にわたって繁栄を維持してきました(以前も触れたように、この世界では善政を敷いていれば王様は何百年でも生き続けられます)。
その根幹となっていたのが良く整備された法制度です。特に死刑は名目のみで実際には適用しないと王によって定められており、良い治安を保ってきました。

ところが、これまでに類を見ない凶悪殺人犯が出現。あまりの悪逆非道に、民は死罪でなければ納得できぬと叫び始めました。
確かにこの罪人は万死に値するほどの男です。しかし、死罪を持ち出せば長年の慣習を破る事になり、そうすれば今後も死罪の濫用が起こるのではないか…? 主人公や周囲の人々は深く苦悩します。

そして、彼らの苦悩をさらに深めているのは、他ならぬ王の態度です。
名君だったはずの王が、この罪人に対しては丸投げとしか思えないような見解しか示さない。のみならず、政全般に対して、もはや王はまともに対応する気がないのでは…?

どうやら、柳を徐々に蝕みつつある荒廃は、王に原因があるとしか思えません。
しかし物語では王自身の登場は一切なし。我々読者も、主人公達と同じように不安を抱かずにはいられません。
王のような傑物でもないのに出しゃばろうとする公子ばかりが目につき、余計不安を煽ります。

おそらく、今回の物語は序章に過ぎず、これから柳全体の様子も王の人物像も明らかにされてゆくと思われます。

小野不由美様、じらすじらす~~!!
あんまり勿体ぶらないで、数年ぶりの文庫新作を出して頂きたいと、無責任なファンとしては願ってしまいますわ。

ひぐらしのなく頃に

2009-06-07 23:43:11 | ぼくはこんな本を読んできた
『ひぐらしのなく頃に』
竜騎士07 著
講談社



さて、本日は久々に本の話題です。
この『ひぐらしのなく頃に』は、大人気の同名サウンドノベルを小説化したものです。
...って、偉そうに説明してるけど私自身が一番「サウンドノベル」が何なのかよく分ってません(笑)。
何でもゲームの1ジャンルらしいです。ゲームと言っても、どうやら自分で操作して展開や結末が変わるタイプではないらしいのだな。ゲーム型小説とでも言うべきか。

とにかく、『ひぐらしのなく頃に』は私の畏友に勧められたのがきっかけで読み始めました。
正確には勧めてくれたのはゲームの方だったのですが、Macでウィンドウズ用のゲームをやるにはなんだかよくわからない装置を入れなくちゃいけないと聞いておとなしく諦め、身の丈に合った(?)紙製の本で読むことにしたのでした。

にしても。『ひぐらし』で初めて知ったんですが、講談社は「講談社BOX」といういっぷう変ったシリーズを出版していたんですねぇ。
サイズは新書くらいで、本屋さんで探してみると茅田砂胡さんや荻原規子さんのノベルスを出してる新書シリーズなんかと同じようなエリアにありました。

しかし装丁が非常に特徴的です。
講談社BOXシリーズはすべて銀色のカバーに入っており、表紙や背表紙の代わりにステッカーが斜めに貼られ、帯の代わりに丸いシールがついています。
その分、中身の本の表紙は非常にシンプル。無地の赤(または緑)で右上にタイトルや著者名が書かれているのみです。

私個人的には、本とは本来職人のプロの技でもって精緻な装飾が施された一種の芸術品であるべきものであり、現代の本はあまりにも廉価化・軽装化しすぎてチャチいと思っているので、この仰々しい装丁もけっこういい感じです。

とはいえ、肝心なのはやっぱり中身ですよね。
本屋さんで一目見るなり長大なシリーズであることに気づいて軽い目眩を覚えましたが、それを無視して一巻目のみゲット。
あ、私のジンクスとして、面白いことが保証されている作品であっても、分冊されている場合はかならず一巻ずつ買うことにしています。
そうすれば万一面白くなかった時に痛手を最小限にすませられますので。というより、なぜか思い切ってまとめ買いしたのに限って面白くなくて上巻しか読まなかったりする.......。

この作品の主人公は前原圭一という少年です。
彼は東京から雛見沢というのどかな村に転校してきたばかりですが、非常に気の合う仲間達に恵まれ、村への愛着も早々に芽生え、充実した日々を送っています。
それなのに、その充実した日々は些細なところでつまずき、そこからどんどん綻びが生じ、最終的には惨劇の渦中に飲み込まれてしまうのです......。

つまりこの小説、前半(おもに上巻)のひたすら楽しい情景と後半(上巻ラストから下巻いっぱい)の惨劇が見事なコントラストをなし、このエピソードだけ読んでも十分に面白い作品です。
これだけで一個のホラー?ミステリー?作品になっているのですね。舞台がちょっと昔(昭和58年6月)の日本の村というのも、怪談っぽさを際立たせています(時代考証に対しては言いたいことが多々ありますが)。

しかし、「あぁ面白かった」と終わらせてしまうにはあまりにも謎めいた部分が多すぎる。そこで次の作品、つまり3巻目にあたる本を手に取ります。

すると、何とも奇妙な感覚に囚われることになる。
なんと物語は同じ雛見沢という舞台で、同じ主人公と同じ登場人物によって前話の惨劇など無かったかのように再び語られるのです。
ご丁寧に「昭和58年6月」という時代設定までまったく同じ。これはどうしたことでしょう。

といっても細部は微妙に異なります。起こる出来事が微妙に違い、それによって展開が変ってきます...が、幕切れはやはり惨劇。前回と違うとはいえ、救いようの無い悲劇であることに変わりはありません。

こうなれば想像がつくとおり、3話目(つまり5巻目と6巻目)も同じ構成です。前半は前原圭一君と彼を取り巻く楽しい日常が描かれ、中盤に物語が暗転し、惨劇で幕を閉じる。
そして4話目も同じ。いえ、これだけは少し前の時代が描かれていますが、やはり「昭和58年6月」に雛見沢で惨劇が起きることは同じです。

ここまで読んだだけだと正直、若干凹みます(笑)。
だってどのエンディングも救いが無いんだもの。謎は相変わらず謎のままですし。物語の随所に謎があるけれど、とりわけ大きな謎、「なぜ雛見沢の惨劇が繰り返し起きるのか」が一切分らないというのは、短気な人なら挫折しそうな状況です。

しかし、4話目のラストあたりから謎の片鱗が垣間見られ始めます。このへんの答え(あるいはヒント)をチラつかせるタイミングがうまいね。いや、伏線は実は1話目からずっとあったわけですが。

さて、濃霧の中を手探り状態だったのが少し晴れてきた4話目までが「出題編」であり、それ以降は「解答編」と位置づけられます。
つまり、いよいよ謎が明らかになってゆくのが5話目(=解答編の第1話)以降なんですね。

もちろん5話目でいきなり真相には直結してくれません。じらすじらす~。
では5話は読んでも仕方ないかといえばそうではなく、物語の核となる「謎」とは違うけれど、前原圭一君の視点で語られていた第2話をある別の人物の視点から語り直すことにより、今まで隠されていた真実が明らかになります。

そしていよいよ、6話目から核心的な謎がベールを脱ぎます。
我々読者はそこで初めて、物語のキーパーソンが出題編の語り手であった前原圭一君ではなく、第5話で語り手となった重要な人物ですら無く、今まで物語の要所要所で意味深に関わりながらも決して主人公にはならなかった人物であることを知るのです。
さらに7話目になるに至って、惨劇の黒幕(これまた思いもよらない人です)も発覚します。

しかし、これで終わらないところが『ひぐらし』の白眉です。
謎は解けた。黒幕は分った。「では、どうすれば惨劇を克服できるのか」に、主要登場人物達が闘いを挑むのです。
この惨劇と闘うプロセスこそ、『ひぐらし』の最も面白い部分です。具体的には7話と8話ですね。
普通のミステリーなら、謎が解けたところで犠牲者は生き返らないし、犯人の罪は贖われません。
そこに登場人物達の努力と運で立ち向かい、(結果を敢えてバラしてしまえば)勝利するまでの話が加わっているところが、今までのミステリーには無く、また既存のミステリーより優れている点だと私は思います。

尤も、『ひぐらし』はミステリーとして論じるにはたしょう無理があります。
ミステリーで一般に禁じ手といわれていることをボコボコやってしまっているため、謎解きとして読んでしまうと後出しジャンケンをされたような「そりゃないぜ」感が漂ってしまい、この作品独自の面白さを味わうことは出来ないでしょう。

だからどちらかというと荻原規子さんの「西の善き魔女」シリーズの「ベタなファンタジーとばかり思っていたら実はコテコテのSFだった感じ」を思い出しながら読むと、アレに一番近い気がします。
どうも世の中にはこの手の小説があんがい沢山転がっているな。「見た目はケーキ・味はステーキ小説」とでも呼ぼうかしら。...長いか。
でもまあまあ的を射ているネーミングな気もします。だって、ケーキと思って食べるから「エッ!?!?」となるのであって、冷静に考えればケーキもステーキも美味しいのに変わりはないのですから。

7話目と8話目の痛快さを思うと、最後の第9話は蛇足だったかなという気もします。
でもまぁ、著者さんとしては、8話までの冒険で得た勝利は物語の「キーパーソン」が最も望むものであり、他の何物にも代え難いのだということを重ねて強調したかったのでしょうな。

そういえばフィリップ・プルマンさんの「ライラの冒険シリーズ」あたりもそうだったけど、著者があまりにも強い思い入れをもって描いた作品の場合、最後の方でついその愛情が深まり過ぎ、作品との別れを名残惜しんでいるとしか思えない蛇足が加わることがしばしばある気がします。
そりゃ、終わる頃にはもう著者の頭が次回作でいっぱいになっていてナオザリにされている結末(※実はこっちの方が多い)よりかはずっといいけどね。


さてさて。ここからは『ひぐらし』をすでに知っている方への私信です。未読の方には訳が分からない上、ネタバレにも繋がるのでお気をつけ下さい。

私は登場人物の中で詩音さんが一番好きですね。外見と性格の総合点で(笑)。
そもそも長い髪と大人な体型の女性が好きですし、あのチャラけた敬語遣いも、ひねくれてるくせに内面はまっすぐな性格も大好きです。それが災いしてあんな展開になっちゃったんだろうけど...。
しかし彼女について何より好きなのは悟史君への恋心!!
何が好きって、彼女の恋路はありとあらゆる点で不幸なのに、「そもそも彼女の恋は片思い」だってことを一切悲観してないとこが大好きです。
片思いイコール不幸ではないことを体現している人ですね。
最も幸せな恋とは、相思相愛の関係ではなく、相手が存在しているだけで幸せを感じられる関係です。
物語ラストにおける詩音さんは究極的にその状態ですね。どうか彼女の幸せが長く続きますように。

この物語に出てくる女性はみんな好き(詩音さんの母上もたまりません)ですが、一方で男性陣はどうかと申しますと、まぁ前原君は明らかに私の範囲(だから何のだ)より若すぎるからなぁ(笑)。
口先の魔術師な人は大好きなんだけど。
赤坂さんはカッコいいですが、私ゃああいうストレートなヒーロー像はどうも...。なんせスーパーマンには目もくれずクラーク・ケントに熱を上げた女だからなぁ。
「本当は実力があるのに、ほとんどそれに気づかれてない人」がツボらしいです。
あと妻帯者には一切手を出さないことにしてますので(笑)。

そんななかでダントツの好みなのは葛西様ですね。うっとり。
私が惚れたのはもちろん8巻の「散弾銃の辰・再臨のくだり」です。丁寧な口調で物騒なことを口走っている時も素晴らしかったですが、堪忍袋の緒が切れてからの彼、最高です。
ただキレてる男はブザマのひと言につきますが、「築いてきた屍の高さが違う」方のマジ切れはむしろ惚れ惚れいたしますわね。ゾクゾク。

つまり、詩音さんと葛西さんコンビの話(※これは妄想カップリングとかではなく本当の組合せです、しかも二人は主従関係にあり、詩音さんの方が主人なのが激ツボです)だけで私ゃご飯10杯いけるってことです。
炭水化物の摂り過ぎには要注意。

十二国記が書評に!!

2009-03-15 23:57:26 | ぼくはこんな本を読んできた
私が世界一好きと言って憚らない小説「十二国記」シリーズが、今日の読売新聞の書評「ライブラリー」欄に載りました!!うれし~

この素敵すぎる作品をご紹介くださったのは井辻朱美さんです。いやはや、お目が高い。
私が以前拙ブログでやらかした解説とは違い、この特殊な世界観を限られた行数でキッチリ説明してくださってまして、伝道師としては有難い限りです。

十二国記を『三国志』になぞらえてお話しされているのも重要なポイントですね。
そうなのです、三国志(演義の方)がお好きなあたりの方こそ、私が新たな十二国記ファンに洗脳したいと思っている層なのです(笑)。
あと『水滸伝』とか。中国風異世界ファンタジーだけど文章も格調高いし設定も確りしてて、目の肥えた人でも十分お楽しみいただけるはず。

そして、何より嬉しかったのは、「十二国記の成功点は恋愛を除外したこと」と、私の意見とまったく同じ指摘をされている事です
初めて通読した時から私もそう思ってました。原作に恋愛描写が無い方が二次創作で果てしなく妄想でき..............ぇっへんぉっほん、もとい、色恋沙汰を完全に排除した事によって、この壮大な世界観が広がったのだと思います。
まさしく「何かを外してみることで、初めて見えてくるものもある」(本文引用)のですね。

更に井辻さんは、これによって生じた効果を具体的に二つ挙げています。
ひとつめは「少女の自己実現の足を引っ張る最大の要因であろう恋愛を除外することで、壮年男性と同じフィールドでの活躍が可能になった」こと。
そしてもうひとつが「肉体的恋愛がないからこそ、(中略)むしろ純粋な愛をかいまみせてくれる」ことです。

ひとつめはおもに第一作『月の影 影の海』のヒロイン・陽子の話でしょうね。
(だから挿絵も陽子なのでしょう。それにしてもこの挿絵描いた人絶対原作読んでないですよね。景麒がロバにしか見えん!! あと陽子の剣、それじゃ中世ヨーロッパだろ!?)
恋愛こそ自己実現だと無邪気に信じる女子もいますが、とんでもありません。実際はその逆です。
そう考えると、この本は(まったくそう見えないけど)フェミニズムの観点から読んでも示唆に富んだ作品と言えるかもしれません。
新しい生命はすべて樹に宿る=女性に子供を産む責が与えられていないという設定によって、この世界の男女はまったく平等な土俵にたつことができます。
それなのに、ある国では短命(=無能)な女王が続いているために「女王はダメだ」と人々に思い込まれていたりして、これはまさに「性差なんてものは元々存在しているのではなく、人間が勝手に作り上げている偏見に過ぎないのだ」という含蓄が込められたエピソードだと感じるのは、私の考え過ぎでしょうか?

そしてふたつめ、この作品にはおよそ男女の恋愛以外の様々な絆の形が描かれていて、皆いたく共感できます。
どれもがそうとうな艱難辛苦を経て築いた関係だってことも、彼らの絆を説得力あるものにしていますね。
私が個人的に好きなのはなんたって氾王と氾麟の関係ですが(笑)、井辻さんが「二作目が一番捨てがたい」とおっしゃっているのには驚きました。
お、おもいっきし恋愛話じゃん!!

私が思うに、あれはシリーズ中唯一の恋愛譚デスよ。
少年麒麟と青年王の(ヲイ)。
っつーか、完全に少年の片思いの感があるけど。行間読まなくたってあれは完全に片思いの症状です。
眩しそうに見上げていたり、反抗して突き放してみたり、かの片思いのバイブル『袋小路の男』なんかと比べると二人の間にだいぶ距離を感じます。片思いというより、憧れに近い感じですね。
それは少年の感じている距離(年齢だったり身長だったり)なんだろうけど。青いねえ。
ま、青年王がいろんな意味でそうとういい男(イメージは金城たけぴょん)だからしょうがないんですけどねー。
たけぴょんの方も懐かれて悪い気はしてないようですし。

井辻さんも「もっともういういしい初恋物語の趣」とハッキリ認めちゃってるし、えー、色恋がないことを評価しといてオチはそれー!?...という気がしないでもないですが(笑)、そんなとこにこの方が十二国記に抱いていらっしゃる好意の本気度を見ることができ、同好の士としては却って嬉しいです。

ちなみに私は第二作は...う~ん、たけぴょん(だから青年王=尚隆さまだってば)好きとしてはハズせない巻だと思うんだけど、前述の二人の距離感が見ていてたまらなくて、いまいち不得手なんですよね。
こういう一方的に憧れている関係はどうも...。かといって、あと少しで恋愛に発展するとこまで行っちゃってるのも好きじゃないです。恋愛に発展したらあとはもう終わりに向かってまっさかさまだもん。
いくら頂上に行けても、あとは下山するだけですものね。そんなのつまりません。私の理想は永遠の上り坂。それも勾配がなさ過ぎて、最早のぼってる本人さえ平地のような気がしている位のがいいです。
やっぱり片思いモノ(どんなジャンルだ)は『袋小路の男』に限るな(笑)。

だから恋愛はそっちに任せ、十二国記においては恋愛感情の介在しない豊かな物語世界を楽しみましょう。

燃えよ剣

2008-12-11 01:55:19 | ぼくはこんな本を読んできた
今更ながら司馬遼太郎『燃えよ剣』を読んでおります。
って、ほんとに今更だなオイ。新選組ものといえば『燃えよ剣』じゃないのさ。よく今までコレ読まないで新選組が好きとかのたまってたものです。
聖書読まないで「キリスト教の教えには共感できる」とか言ってるようなものですぜ。

しかも私のハワイ語の先生・フセボ先生は司馬遼太郎をこよなく敬愛していらっしゃるというのに今まで読もうとしなかったなんて弟子失格です。
じつはこれまでも読もうかと思ったんですが、あまりの著作の多さにどこから手をつけたらいいものやら分らず、先延ばしにしていたのです。
いや、新選組好きとして『燃えよ剣』から手をつけりゃ良かったんだよなあ、最初から素直に。
「読み始めましたよ」と先生にご報告したら、いたく喜んでおいででした。

自分の取っ掛かりの遅さに後悔しきりなのは、ひとえにこの小説が前代未聞に面白いからです。
天下の司馬遼太郎に向かって面白いっちゃないんだけどさ(笑)。
それにしてもここまで面白いとは思わなかった。私がこれを読んでると「趣味が渋い」とか「コムスメの読むタイプじゃない」なんて言われるけど、とんでもないです。活字が好きな人なら誰が読んでも面白いですよこりゃ。
歴史が苦手な人も間違いなく楽しめるはずです。
まあ人物が大量に出てくると覚えられない私としては、もともと好きな新選組の物語だったおかげで苦労なく読めるというのもあるんですがね。
土方さんと沖田さんだけじゃなくて、新見さんとか山南さんとかたしょうマニアックなキャラクターまで知っているからこそ途中で「だ、だ、誰この人」とならずに読み進められるのかもしれません。
そういう意味では、ある程度予備知識を得てからこの小説に入って良かったのかも。


ところで本来私が好きなのは本来斉藤一さんです。主に浅田次郎さんの描いた人物像に影響されてですが。
なのに、なのにどうしましょう。
『燃えよ剣』読んだら土方さんに惚れてまうやろ~~~!!!!!

ヤバいです。なかば予想はしておりましたが、これを読んでしまったらもはや土方さんに惚れずにはいられません。
それも真っ直ぐな志とか侠気溢れるとことか喧嘩に強いとことか冷酷無比の統率能力とかではなく、土方さんの可愛さにやられてしまったから質が悪いです(笑)。

クラークケント(スーパーマンの世を忍ぶ仮の姿)が好きなことからもおわかりのとおり、私は完全無欠の(ように見える)人が持ってるダメ要素に弱い(笑)。
土方さんときたら、向かうところ敵なしの鬼の副長であってくれりゃあいいものを、私のドツボにはまるとこにガチでダメ要素が満載なんですわ。
特に俳句の才能。(爆)

土方さんがむっつりと自室にこもっていると隊士たちは怯えるわけですが、実はこの人、こっそり隠れて俳句を苦吟してるんです。
しかも才能の方はぶっちゃけからっきしで(←なにしろダメ要素に弱いから、土方さんに俳句の才があるんじゃ嫌なのだ)、特に恋の句など中学生レベルです(笑)。
か、かわいい。かわいすぎる。中学生レベルの恋の句に比例して、色恋沙汰に関してとことん不器用なところもたまりません。
新撰組副長としての顔とのギャップが、ギャップが.........!!!(←悶絶)
激しく身悶えしながら池田屋事件決行の辺まで読み進んだところです。

しかし残念ながら、もともと新選組好きである私は彼が今後どのような末路をたどるか、悲しいくらい知ってます。
だからこそ今まであまり深入りし過ぎないようにしてたというのはありますな(その点斉藤一さんは維新後も生き延び、ちゃんとした職を得てけっこう長生きしましたからね)。

悲惨な運命に見舞われた人の多い新選組の中でも、この人の最期はとりわけ壮絶です。
ああ、最後まで読むのが辛い。しかし惚れてしまった以上、最後まで突き進まぬわけにはいきますまいな。


知れば迷ひ知らねば迷はぬ恋の道。
(※注:これぞ土方さんの恋の句。も、も、も、萌え~~~~~!!!)

ミッキーマウスの憂鬱

2008-09-02 02:33:22 | ぼくはこんな本を読んできた
『ミッキーマウスの憂鬱』
松岡圭祐 著
新潮文庫、2008年



あまりにもすごいタイトルに衝動買いしました。
いえ、最初は『ブラックジャックによろしく』て漫画に本物のブラックジャックが出てこないと同じたぐいのネーミングかな...と話半分に手に取ったのですが、どっこいこの本は本当にミッキーマウスが出てきます。しかも舞台裏の。

この作品の舞台は某舞浜の超有名テーマパーク...って、感想書く私が自粛しても空しくなるくらいおもいっきし「東京ディズニーランド」て明言しとります。
そもそも出だしの第一語からして「ジャングルクルーズ」...いいのかオイ。

そもそもディズニーというのは版権にうるさいことで有名なところです。
ハロウィーンの仮装準備を進めるべくオーダーメイドのコスプレ専門店に問い合わせたところ、「ディズニーキャラは版権がうるさいので作れないんです」と言われてしまったくらい。
う~、たとえたった2日間のためであろうと、この私が手作り感丸出しの素人コスプレ着るなんて死んでもプライドが許せない...って今日はその話題じゃないんだってば(笑)。

ただでさえ版権問題にシビアなディズニーだというのに、あろう事かこの作品はディズニーランドで働くバイト君が主人公で、バックステージの描写がもりもりと出てきます。
うわわわ、ホントにいいのかオイ。「オリエンタルランド」を「オリエンタルワールド」と言ったり、ショーやパレードの名を申し訳程度に変えたりしたところで、私にゃ「焼け石に水」という諺しか思い浮かびませんぞ。

そりゃ描写がどこまで本当かは分りません。じっさい、私が一部筋から聞いた情報と少なからず異なっているあたりを見ても、ここに描かれていること(の多く)はフィクションなのでしょうね。
しかしそんなことはどうでもよい。重要なのはこの作品がべらぼうに面白いという、その一点に尽きます!!!


主人公の後藤青年は今日からめでたくディズニーランドの準社員になったバイト君です。
しかしこの後藤君、あ~、ぶっちゃけそうとうイタめです。
でもこういうタイプ、確かにディズニー就職志望の若者の中に紛れ込んでそうなキャラではあるな(笑)。
一見同じ「ゲストに夢を与えたい!」って理想に燃えて就職したように見えても、後藤青年みたいな若者は純粋にディズニーを愛する人々とは明らかに違いますね。

じつは私もそういう人をディズニーの従業員の中に見出したことが何度かあります。
爽やかな笑顔を浮かべているし親切なんだろうけど、どうも笑顔も親切も押し付けがましい。子供を見ると「ボク/ワタシは○○なのカナァァ~~???」なんて口調になってしまうタイプの人々です。
う~むぅ、純粋なディズニー愛と何かが違う...と思っていたら、後藤青年を見てよく分りました。こういう人たちってディズニーそのものではなく「夢を与える自分」に酔っちゃってるタイプなんでしょうな。
この後藤青年もランドに遊びに来た経験はたったの一回だそうです(笑)。

後藤君はそのイタさ故、何度も空気を読まない口出しを繰り返して状況を引っ掻き回したりムダな叱責を食らったりしています。
しかしこの口出し体質が思わぬ活躍につながるんですから世の中分りません。

後藤君に限らず、ディズニーの表・裏に登場する人物像がものすごくカリカチュア的で面白いですね。
第一にオリエンタル「ワールド」正社員の面々。それも重役ではなく、大したことない下っ端の方が偉そうに振舞ってるというアリガチな人物像を、やり過ぎなくらい皮肉たっぷりに描いてます。
こういう人間は世の中のどんな集団にもいると思うんだけど、ディズニーの正社員のキャラクター、リアリティありすぎです。あすこの社員にはマジでこういうキャラいるんじゃないかしら。もう彼等を色眼鏡抜きでは見られなくなりそう(笑)。

もう一組、小説前半のシンデレラ城のシーンに出てくる子供!!というより親子!!!
いるいるいる~~~。てか、ディズニーランドで見たことある~~(笑)。
こういう人達はディズニーへの愛がないからマナーが守れなくなっちゃうのかなあ(※愛の有無に関わらずマナーを守るのは人間として常識では?ほかのゲスト、特に礼儀正しい親子連れに対してとても失礼だ)。
ディズニーに行って何が辛いって、こういう人たちを見るのが一番辛いです。
多分作者の方もそういうゲストをいろいろ目撃されたんでしょうね。親が注意しないのをいいことに横暴さを増す子供の描き方も容赦ないけど、それに対する父親のリアクションに含蓄を感じます(笑)。あえてモンスターペアレントに描いてないところがいいですねえ。ほとんどイソップ寓話のようです。

これだけ登場人物を含みタップリに描いていながら、ミッキーは裏でもちゃんとヒーローです。
詳しくは書けない(「ネタバレになる」のと「禁句に触れなくちゃならなくなる」ため)けれど、オンステージのミッキーだけ見ているよりさらに惚れそうなくらいカッコよすぎます。
まさかディズニー側との協定で「好き勝手書いてもいいけどミッキーだけはカッコ良く書いてね」とか取り決められてるんじゃないかと勘ぐりたくなる勢いです。

まず私がポリネシアンテラスや朝練で注目した「ミッキーのプロ意識の高さ」がしっかり描かれ、それだけで私のような職人好き・プロ好きは充分グッときます。
そのうえ、中盤以降ディズニーリゾートを揺るがしかねない大事件(の内容はやはりネタバレと禁句の使用を避けるため自粛)が起こると、ミッキーはやはり骨の髄まで(※婉曲表現)ヒーローだったということが明らかに!!!
ひたすら保身に走り醜いエゴをさらす正社員たちを後目に、誰の指示もうけずに正義感溢れる行動を取り、主人公・後藤青年と一緒にディズニーを危機から救うのです。

最初この作品は私のような黒いディズニーファン向けの作品であり、純粋なファンの人にはお勧めできないかな~と思って読んでいたのですが、衝撃的な(というより身も蓋もない)描写にめげずに読み進んでいけば、カッコいいミッキーやキャストたちの頑張りに触れ、よりいっそう「ディズニーはいい!!」と思える感動の大団円を見ることができます。

ストーリーを紹介するのが難しいほど身も蓋もない禁句で溢れかえっているので(なんせストーリーの鍵を握るのがミッキーの着ぐ..........いや、やはり禁句に手を出すのはやめておこう)、この感動を味わいたい方はぜひご自分の目でお確かめください。
「あり得んッ!!」と絶叫しつつも「バックステージが本当にこんなんだったらいいな、少なくともミッキーは骨の髄まで(※婉曲表現)ヒーローに違いない」と考えれば、読書も次回のディズニー行きも数倍楽しくなりそうです。

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