舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

ハワイ カルチュラル コンファレンス<おもて>

2009-07-31 22:37:23 | ダンス話&スタジオM
私をハワイ語担当としてお招きいただいている来月のイベント、『ハワイ カルチュラル コンファレンス』のチラシが手元に届きましたので、ご紹介いたします。

たぶんブログに載せた画像だと解像度が低くて文字が読めないと思いますので、こちらに書かれている文章も一緒に掲載しますね。


Hawai'i Cultural Conference 2009
ハワイ カルチュラル コンファレンス 2009


特別企画 ハワイ トップ クムフラによる特別レッスン


昨年、御好評を頂いた「ハワイ カルチュラルコンファレンス」。
今年もハワイの有名クムフラの御協力により企画を催す運びとなりました。
「メリー モナーク フラ フェスティバル」や「キング カメハメハ コンペティション」で優勝・入賞しているハラウである各クムより直伝で『フラ』の講義が受けられる<ハワイ文化のまるごと体験>。
また、コンテンポラリーハワイアンの大御所「ザ ブラザーズ カジメロ」のディナーショーを同時開催。フラをたしなむ方なら愛してやまない彼らのサウンド、日本最後の公演をお楽しみ下さい。



●会期:2009年8月27日(木)
●時間:8am受付/9amより講座開始
●会場:ザ・リッツ・カールトン大阪



なお、チラシ表側には書いてありませんが、参加するハワイのクムフラは下記の方々です。

ナニ・リム・ヤップ
ヘアラニ・ユン
スノーバード・ベント
ロバート・ウルヴェヒ・カジメロ



フラを少しでも学んでいる方なら、この4人の先生方のお名前はきっと耳にした事があるはずです。
4人中3人は非常に長いキャリアをお持ちですし、唯一若手のスノーバード・ベントさんも、とても若い頃からクムフラになるべく教育を受けてこられた方で、その若さからは想像出来ないほどの知識と経験の持ち主です。

更に特筆すべきは、4人とも正統なフラ・ツリーに属するハワイ屈指のクムフラという事です。
これだけブームになりますと、たとえ血筋や出身がハワイの方と言ってもすべての先生が本当の意味で「クム」と呼ぶに相応しいキャリアや技術を持っているとは限らないのが実情です。
そんな中、この4人の先生方はどなたもクムフラとして尊敬し信頼出来る実力を具えた方ばかりで、その先生方が一堂に会するのは、まことに稀有な機会と言っていいでしょう。

この先生方のレッスンが同じ日に受けられるなら、是非是非私だって参加したい。朝から晩までレッスンし尽くしたい。
あぁしかし、今回ばかりはそういうわけに参りません。
だって私も同じチラシに名を連ねているんですもの。

4人のそうそうたるクムフラのお名前に、不肖福田良奈の名が紛れ込んでいるという衝撃のチラシ裏面は、次の記事でご紹介します(笑)。

衝撃のシューマッハ

2009-07-30 23:04:12 | 徒然話
今日、衝撃的なニュースが発表されました。

F1ハンガリーGPにて重傷を負ったマッサに代わり、3年前に引退していたミハエル・シューマッハがドライバーに復帰するそうです。

もう顎が落ちて目玉が飛び出しましたよ。
シューマッハといえば、セナ亡き後のF1界に「皇帝」として長らく君臨し、アロンソなどの次世代チャンピオンが出るまでの間、とんでもない数の勝利をモノにした伝説のドライバーです。
F1雑誌の歴代ドライバーランキングでも、セナに次いで堂々の2位でしたからね。

そのシューマッハが引退してから早3年。
引退したとはいえ、シューマッハはフェラーリ様に残り、主要GPの際はサーキットにも顔を出していました。
皇帝の跡を継いだライコネンとマッサにとって、シューマッハがバックについている事はどれほど心強かったでしょう(すげえプレッシャーになったんじゃって説もあるケド)。

そんな矢先のマッサ大怪我。フェラーリ様を見守るシューマッハとしては、一肌脱がずにはいられなかったに違いありません。
様々な事情によりシーズン中にドライバーが代わる事は、実を言えばしばしば行われている事です。
しかし、それは普通そんなに上位でないチームの中での話であり、天下のフェラーリ様に限ってそれはありません。
なぜなら、優秀なドライバーはすでにどこかのチームに在籍しているわけで、もちろんそれをシーズン中に引き抜く事は出来ませんし、かといってどのチームにも席を持っていないようなドライバーでは、フェラーリ様に相応しいとはいえません。

F1の各チームから出場するドライバーは2名のみで、補欠はいません(テストドライバーとかはいるけど)。
この辺が野球やサッカーと違いますよね。各チームの手持ちのカードの数がきょくたんに少ないのです。
2枚のカードが凄まじい力を持っている代わりに、予備のカードは取っておけない...う~ん、やっぱりF1ってそうとうリスキーでスリリングなゲームだわ。そういうとこがたまらないねぇ。
そのゲームでフェラーリ様はまさかの3枚目のカード、伝家の宝刀を抜いたわけです。いやぁもう、フェラーリ様じゃなきゃ使えない手ですよ。

40歳という年齢と3年のブランクがシューマッハ氏の懸念材料でしょうが、あのシューマッハに限っては、年齢やブランクなんて些末な事柄はどうでも良い事です。
ただでさえ、一般的なドライバーより遥かに長い期間(しかも凄い成績で)F1界に君臨し続けたシューマッハさん、むしろそのくらいのハンデがあった方が、現役若手ドライバーのためと言っても過言ではないかも。

マッサの容態は心配だけれど、シューマッハの活躍もまた非常に楽しみです。
あの走りがもう一度観られると思っただけでドキドキですよ。
ただ、ルノーが1試合出場停止処分を受けているんで、アロンソとの因縁の対決を観られるのは暫くお預けなのがちょっと欲求不満です。

祝・携帯復活

2009-07-29 23:23:14 | 徒然話
ブログにもちょっと書きましたが、先日、私の携帯がいきなり画像を表示出来なくなってしまいました。

あるはずの画像フォルダも見当たらず、新しいフォルダは作成出来ないし、なのにメモリ状況を見れば画像データがちゃんと残っているらしいし、どうすればいいのかわからずドコモショップに駆け込みました。

私が行くのはいつも宇都宮北道路の宇都宮側入口にあるお店です。今回の携帯を買ったのも、じつはここでした。
とてもサービスが良くて、来店するとヤクルトやお茶などをくださいます。以前は、我々のような餓えた人間が来襲すると、本来は子供向けのスナックも恵んでくださいました(笑)。

更に素晴らしい事に、このドコモショップにはかなり大勢のちょこちゃん(毛糸肌のかえる)たちがいます。
デスクというデスク、棚という棚に座ったりぶら下がったりしており、平和を満喫する彼らを見ただけで幸せになれます。

ちょこちゃんたちに声をかけつつ修理をお願いすると、程なくして原因が分りました。
どうやら、この機種がもともと持っていた不具合らしく、充電が切れると画像フォルダがおかしくなってしまうことがあるそうです。
「おかしくなる」と言っても、表示が変になるだけで中のデータが壊れるわけではありません。

これらの欠陥は既に改良が施され、バージョンアップすればおかしくならなくなるとのこと。
実に便利な事に、携帯はどこかに修理に出さなくても自動でソフトウェアを書き換えてくれます(今更そんなん有難がってるのは平安人な私くらいかも...)。

しかし、書き換え中はすべての通話やメールができなくなるので、夜中にやると良いでしょうとのアドバイスを頂き、ホッとして帰宅しました。

もっと便利な事に、書き換えは手動で行うのではなく、あらかじめ希望する時刻に予約を入れておく事が出来ます。
おかげで私がお風呂に入っている間に書き換えが始まり、フト気づいたら画像フォルダがちゃんと元通りになっていました。

あな嬉しや。撮り貯めた生かえる達の画像も、友人と撮った貴重な一枚も、方々のおいしそうな食事の画像も、懐かしいハワイの景色もすっかり元通り。
一度はそれらとお別れかと危惧していたものですから、無事再会出来て感慨もひとしおでした。

感慨ついでに、表の生かえる達の画像コレクションを更に増やしました。
梅雨が終わったくせに降り続いている雨のおかげで、かえるたちにとって快適な環境であるらしく、雨の夜に外を出歩けば実に大勢の子達と会う事が出来ます。

この日は2階の表玄関に小さな小さな子を見つけました。
実は昨年、小指の爪ほどのこどもたちをずいぶん見かけまして、今年はその子たちより一回り大きく、でもやはりまだまだ小さいサイズの子がかなりいるようです。
きっと、昨年かえるになりたてだった子が、一年無事に育ってまた来てくれたのでしょう。頼もしいねえ。

ただ、やはりまだ幼いので我々に慣れてないらしく、迂闊に近づくと怖がって後ずさってしまうので、今はむやみに近づかず優しく声をかけるだけにしています。
これが大きなかえるたちになると、どんなに近づいても興奮が過ぎて彼らの耳元でハァハァしてもまったく動じません。流石肝が据わっているというべきか、あるいはこのピンクの建物に住んでる変態人間には慣れっこなのか...。

ともあれ、無事カメラがつカエルようになった記念に、ついに写真を撮らせてくれたおちびさんの画像を掲載します。
こんなにあっぷでとっても動じないなんて、大人になったねえハァハァハァ

二代目一人っ子論

2009-07-28 23:08:25 | 徒然話
多くの方がご存知のとおり、私は一人っ子です。
ついでに母も一人っ子です。ご存知でなかった方もいらっしゃるでしょうが、言われてみれば「やっぱり」感が漂うのではないでしょうか(笑)。
つまり、私は二代続いた一人っ子ということですね。

少子化の世の中とはいえ、一人っ子はあんがい少ない。私の周囲を見渡しても、大抵一人二人は兄弟姉妹のいる方が多いです。
ましてや、二世代続いているとなると、最早稀少と言っても良いでしょう。

そこで私はハタと或る考えに至りました。
一人っ子が二代続くと、どうも二代目一人っ子独特のパーソナリティが生まれるように思えるのです。(一人っ子でも、イトコなど近しい関係の親戚がそばにいれば別です...って、そもそも親が一人っ子ならイトコもいないわけですよね)
しかし、いかんせんサンプルがきょくたんに少ないので検証が困難であり、自分の変人気質を曲解しているだけかもしれません。
とりあえず、今日は私が「これってもしかして二代目一人っ子...?」と思う諸症状(症状ってオイ)を挙げてみようと思います。


(1) 一人っ子なのを寂しいとは思わない。全然。

よく一人っ子と聞いて「それじゃあ寂しいでしょう」と言う人がありますが、本人はそのように感じた事はただの一度もありません。
特に身近(親など)にも兄弟姉妹がいないとなると、一人っ子なのが当り前であるため、寂しい云々以前にそもそも一人っ子でない状態を想像する方が難しいのです。
仲の良い兄弟姉妹を見たり、兄弟姉妹がいるおかげで趣味の幅が広がったなんて話を聞くと「素敵だなぁ」と思いますが、それは普通に凄く仲の良い親友や幼馴染と同じような感覚で思うだけに過ぎません。


(2) 友達と一緒にいる事に、必ずしも必要性を感じない。

これは「友達がいない」のとはまったく異なる話です。もちろん意気投合する人がいれば友誼を結びますが、さほど気が合うと思う人がいないのに、無襟にでも誰かと仲良くしておかないと落ち着かないってことは、決してあり得ません。



(3) 人と仲良くなるのがいまいち苦手。

他者とどのように関係を保ったら良いのか分らず、しかも(2)のように「ツルむ必要性」を感じていないものですから、コミュニケーション能力がなかなか磨かれません。
それでもまだ初代一人っ子だと他の人と仲良くなろうという努力をするため改善の余地がありますが、二代目一人っ子はそんな風に苦労するくらいなら、喜んで一人でいる事を選びます。


(4) そもそも一人でいる事に抵抗が無い。

友人関係のみならず、基本的に「おひとりさま」を非常に心地よく感じる向きがあります。
一人外食なんてもちろんオッケー。お店さえ嫌がらないでくれたら、鍋だって焼肉だってフレンチだって一人で行けます。
皆でワイワイ食べるのも楽しいと思うけれど、時には一人で食べたいと思ったりします。
同様に、買い物も旅行もおひとりさま上等と思っています。


(5) 家族で行動する傾向がある。

二代目という事は親も一人っ子な訳で、そのせいかどうかいつでもどこでも家族で行動しています。
家族との密度はどうやら見る人によっては気持悪いとすら感じるらしいです(笑)。じっさい、うちは母の代から家族がベッタリで、親戚から本当にそう言われたんだとか。


(5) でもやっぱり人間は基本的に個人単位だと思っている。

しじゅう家族で一緒にいるものだからベタベタに仲が良いと思われがちですが、そうでもありません。
というより、親も子もよく見ると個人主義者です。
だからあんがい性格とか考え方とかは違っていて、しかも普段はその違いをべつに問題とは思っていません(違いゆえに喧嘩する事はありますが)。


我々はバスルームとかに入るとき以外は完全に一緒に行動しています。うちは仕事まで一緒にやっていますから、よけい激しいですね。
一方、兄弟のいる友達の様子などを見聞きすると、一見みんなバラバラに生活を送っているように見えるのですが、要所要所で一緒に過ごしている様子を漏れ聞く限り、じっさいには我々母娘などより遥かに家族間の仲が良いんじゃないかと思う事があります。

でもさっき言ったとおり、そんな家族の関係を「素敵だなぁ」と思う事と、自分自身の事とは別です。
ひとはひと、うちはうち。その辺の考え方が完全に個人主義ですね。


ひとつ非常に重要な事があります。
骨の髄まで個人主義のしみ込んだ二代目一人っ子に対し、性格を矯正しようなどとは決して思わないでください。
特に学校の先生方ですね。

二代目一人っ子が一人でいる場合、それは「本当は人の輪に加わりたいのに加われない」状態とは決定的に異なります(少なくとも、異なる場合が多いです)。
彼らは本当に加わりたければそうします。一人でいるのは、現状においてはその方が快適だからなのです。
「それじゃ将来の対人関係に支障が」なんて野暮はおっしゃらないでください。
寒がりの人に対し、寒さへの耐性を付けるためにわざと薄着をさせてクーラーをガンガンに効かせたりするでしょうか?
そんなことをすれば、寒さに強くなるどころか風邪やもっと深刻な病気にかかってしまいます。
寒さに弱いのであれば、完璧な防寒対策を施して、自分の身体を冷やさないですむようにすべきです。

その点私は...いえ、己のひねくれ変態気質を、教育のせいにする気はまったくありません。
少なくとも家族は私の何かを矯正しようとした事は無い感じです。「ダンスを踊らないと捨てられる」という無言のプレッシャーを除けば、自由にさせてくれた方でしょう。

幼稚園や学校では明らかに私を集団に溶け込ませようとする努力を行っていた先生が何人かいらっしゃいました。
といっても、そういう先生によって私の性格がねじ曲げられてしまったとは全然思いません。先生方はきっと、このままではこの子供はマジでヤバいと本気で心配してくださったのでしょうし。
ただ、年を食った今になって思うのは、あの時もっと自分のやりたくない事には抵抗を貫けば良かったなという事です。

理想を言えば、二代目一人っ子に限らずこういうアクの強い子供は、個性を尊重する教育方針のもと、他人に迷惑をかけない範囲内で自由に育てられた方が、将来のために有益であると思います。

悲劇のハンガリーGP

2009-07-27 23:04:07 | 徒然話
日曜夜、ハンガリーのハンガロリンクにて、F1ハンガリーGPが行われました。

フジテレビの26時間テレビ(総合司会の人の他局番組の都合上いつもより1時間短いらしい)のおかげで土曜の予選が午前5時過ぎからという莫迦みたいな放映時間になってしまい、直に目にする事は出来なかったのですが、予選は実に素晴らしい結果でした。

なんと、愛するフェルナンド・アロンソが久々のポールポジションをゲットしたのです!!!

アロンソ...卓越した(そう、ハミルトンなどよりずっと)テクニックを持ちながら、本人以外の様々な要因のせいで勝利から遠ざかって久しいマイ・フェイバリット・ドライバー氏です。
マクラーレン在籍時代はハミルトンのせいで煮え湯を飲まされ、古巣ルノーにカムバックしたと思ったら、ルノーまさかの不調(ってかマシンの格差は前もって承知の上だったそうですが)。
くわえて、今季に入ったらいきなりブラウンGPとレッドブルの大躍進が始まり、ルノーどころかマクラーレンもあのフェラーリ様までも苦戦を強いられている波乱の展開です。
ああ、こんなんじゃアロンソの状況はますます逆境に...。

と思いきや、アロンソは持ち前の素晴らしい技量を発揮し、思いがけないメンバーが上位にひしめく今季において、なかなかの活躍を見せてくれております。
だから私も若手のフェテル君だかベッテル君だか(どうでもいいけどそろそろ表記を統一して欲しい)に乗り換えたりせず(笑)、一途にアロンソを応援しているのです。
私ゃ意外と一途なんですよ。アロンソ、ちっちゃくて可愛いし(と言ったらマミちゃんは「F1ドライバーでもなかったらちっちゃい男はマジ勘弁」とのたまいました。あの人と違い、私は男性の身長にこだわりがないもんで...って、こんなとこでそんな戯言いってもしょうがないな)。

しかしながら、アロンソのポールポジション獲得に喜んでばかりもいられません。
なんと、レース中のトラブルにより他マシンの破片がフェラーリ様のマッサの頭部を直撃、脳震盪を起こして一時的に意識を失い、そのままコースサイドのタイヤの壁に突っ込んだのです。

マッサはすぐさま救急車で搬送され、頭蓋骨骨折が判明。緊急手術が行われました。
ただただ幸いな事に命に別状はないとの事ですが、それでもいつレースに復帰出来るかはまったく分りません。
もちろん日曜の決勝など絶対に無理です。マッサ抜きでの決勝となりました。

マッサの容態に不安を感じながら、アロンソの行方を見守って決勝がスタートしました。
流石はアロンソ、スタートから危なげなく前に飛び出て、安定したトップの座をキープ。
その後ろではスタートダッシュ恒例の激しい攻防が行われ、いつも無茶に飛び込んで来るハミルトンがまたまた無理をやらかし、フェテル君(ベッテル君?)もとばっちりを食らいました。

でもハミルトン的には抜いたモン勝ちです(だから、そういうとこが好きじゃないんですってば)。
着々と抜きまくり、ついに2番手=アロンソの後ろまでのし上がってきました。その上じりじりと差を詰めてきます。

ああもう、なんて○○○○いハミルトン!! この○○○が、さっさと○○○っておしまい!!...と、とても公の場では口に出来ないようなネガティヴキャンペーン(※嘘か本当かはご想像にお任せします)を張りながら戦況を見守っているうちに、アロンソのピットストップの時間がやってきました。
アロンソはもともとガソリン搭載量が少なかったため、最初から早くピットインする手はずだったのです。

6秒台というそこそこ速いタイムでピットから出たアロンソは、すぐさま激走を再開...したわけなんですが、どうも様子が変です。
何かおかしい...と思ったら、ああッ!!!右のフロントタイヤが外れちゃった!!!

念のためご説明しますと、ピットイン時は給油と同時にタイヤ交換も行います(あっという間に摩耗してしまいますので途中2度ほどの交換が必要不可欠な上、必ず2種類のタイヤを使う事が決められています)。
タイヤ交換はいうまでもなくスピード勝負です。とはいえ、だからといってテキトーなつけ方でいいわけがありません。

もちろんピットクルーとしてはテキトーだったつもりは毛頭にないでしょう。と信じたい。
きっと、久々のポールポジションだった上、あの○○○○いハミルトンが間近に迫ってるし、かなりのプレッシャーの中で仕事をこなさなければならなかった事は、容易に想像ができます。

でもやっぱりピットクルーもプロです。プロである限り、失敗は許されません。
レースでの過失は人命を左右しかねない事故に繋がる事もあり得ますから、自分のチームの成績のため以前に、すべての人の安全のためにベストを尽くす義務があるのですね。

特に今回は、タイヤの付け方が不適切だったばかりでなく、それをアロンソに無線で伝える事もしなかったため、タイヤの外れた場所に誰のマシンも無く事故に繋がらなかったとはいえ、ルノー側の重大な過失と見なされました。

そして最大の悲劇はコース上に出た早々にタイヤが外れてしまったアロンソです。
アロンソは右前のタイヤを欠いたまま、這々の体でピットまで戻りましたが、繊細なF1のマシンがそんな無茶な走りをした後に無事でいられるはずもなく。
そのままレース序盤にリタイヤとなりました...。

ルノーは今回の過失によって次回欧州GPの出場権を剥奪されましたから、次回でのリベンジも叶いません。
久々のポールポジション獲得から、まさかの悲劇。これぞ天国と地獄、一体誰が想像出来たでしょうか。

しかし、アロンソのリタイヤ後のレース展開の方は誰でも想像出来ます。
あのハミルトンが自動的に1位に躍り出て、チェッカーフラッグを受けてレースは終了しました。
中嶋カズキ君もすんでのところでポイント獲得ならず、良い所の無いハンガリーグランプリでした。がっくり。

その上、次のF1は8月23日、すなわちいかんべ祭の翌日です。なんて先なんだ......。
私がアロンソの勇姿を観られるのは、いったいいつになるのやら...。

桃のパニエ・ウィズ・ラム

2009-07-26 22:38:35 | 美食礼讃
いつも餓えている我々母娘のために、生徒さんが夏の風物詩・Kojimaの「桃のパニエ」を恵んでくださいました

「桃のパニエ」とは、カスタードの入った食べごろの桃が丸ごと一個サックリした生地の台の上に乗っているという、存在だけで充分犯罪レベルのデザートです。
あまりに罪深いその美味しさを思えば、桃のベストシーズンすなわち今しか堪能出来ないことにむしろホッとすべきかもしれません。

なのに我々と来たら,既に十分美味しい「桃のパニエ」の美味しさをさらににまで高める禁断の方法を発見してしまいました。


その方法は非常に簡単です。
ラム酒をたっぷり掛けるだけです。


もちろん、こんなおそろしい事を発案したのはマミちゃんです。そんな事をしたら絶対に美味しいのは試すまでもなく分り切っています。
それなのに、実際に試してみたら想像を遥かに絶する美味しさでありました。

マミちゃんは普通に上からラム酒をかけただけですが、私はまず桃を4分割し(桃太郎が入ってなくて良かった)、それぞれの桃および台部分にふんだんにかけました。
量としてはショットグラス一杯分くらいでしょうか。最初かけ過ぎかと思ったら、そのくらいで丁度良かったです。

ラム酒のたっぷりしみ込んだ「桃のパニエ」の美味しさと来たらそらもう格別で、言葉もなく貪ってしまいました。いえ、一瞬で夢と消えては悲しいので、貪りたいのをグッとこらえ、勿体ぶって少しずつ頂きました(笑)。

「桃のパニエ」は普通にお酒を飲みながら頂いても合うと思いますが、最初から融合させてしまった方が更に美味しいかもしれません。
しかし、こんな神な食べ方に気づいてしまい、冷蔵庫に桃のパニエを切らす事が出来なくなったらなんとしょう...。

今日も大活躍

2009-07-25 23:04:19 | カエル偏愛
いや~、今日も暑いですねぇ!!
私はマミちゃんと違って寒さに強い代わりに暑いのが不得手で、特に今日みたいに湿度が高いと、心身共にボドボドになってしまいます。
この辺がかえるに生まれ損ねて人間になっちゃった理由でしょうねぇ。

専ら私の尊敬と愛の対象になっているかえる達は、今まさに活躍シーズンです。
毎日、階下にいけば誰かしらに出会えます。みんな、壁の隅でくつろいでいたり、日中からどこかに移動している真っ最中だったりします。
中には、慣れていないのか私達を見たとたんに慌てる子もいます。そういう時は、なるたけ優しい声で「大丈夫だよ、危害を加えたりしないよ」と言えば、大抵の子は落ち着いてくれます。

我らが住いに安住の地を見つけてくれた子もだいぶ増えました。
そういう子達は、日中はそこでのんびりしていて、夜になるとどこかに「出勤」しているようですが、やがてまた戻ってきます。

面白いのは、どうやらかえるにとっての一日は人間の24時間とはちょっと違うらしい事です。
だから夜になっても昼と同じ場所でお休みモードの時もあるし、逆に明るいうちから出払っている事も少なくありません。
是非とも彼らの動きを逐一見守り、観察日記の一つも付けたいところですが、とてもとても暇のない人生を送っている上、かえる達もそんな事をされていては落ち着かないでしょうから、折に触れて彼らを見守り優しい声をかけるだけにとどめております。

今夜は二人のかえるさんが玄関先に来てくれまして、しかも一人は生徒さん達にもよく見えるところにいてくれました。
その子の今日の肌の色は鮮やかなグリーンだったため、皆さんが「綺麗な緑~」と褒めそやしてくださいましたよ。

問題は、レッスン終了後にもう一人の子が家の中に入ってしまったことです。
それも、玄関のカーテンの裏側に掴まっていたので、最初気づかずに無神経にカーテンを開けてしまったら、この子があわてて飛び出してきたのです。

しかし私はもっと慌てました。
本人を(肉体的にも精神的にも)傷つけないよう、丁重に「ここにはいない方が良い」という事を説得し、しきりに謝りながら外へ誘導しました。
もちろん身体を掴んで無理やり移動させたりはしません。時間をかけても、声で誘導しながら本人のペースで出てもらう方が良いのです。

賢いかえるさんは聞き分け良く外に出てくれて、特に傷ついたふうもなく元気に壁をよじ登り、先ほど生徒さんたちに姿を見せていた子の横まで行きました。

今は二人並んで壁で捕物の真っ最中です。
心ゆくまでゆっくりしていてね。

大役接近中

2009-07-24 03:13:37 | ダンス話&スタジオM
こないだちらっとお話しした「ピンでのお役目」の詳細が決まり、主催者の方からFAXを頂きました。
開催日は8月、場所は大阪です。

この催しは、フラを始めとしたさまざまなハワイ文化を総合的に学べる、非常に稀有な企画です。
これだけフラがブームになったとはいえ、日本ではどうも「自分が踊ること」がメインのイベントが多く、「観る」とか「学ぶ」といった機会がきょくたんに少ないと感じていました。
ですからこのイベント、ハッキリ言って私にとっても非常に魅力的です。私だって是非参加して、あらゆるクラスを受けてみたいところです。

しかぁし、今回はそう呑気なことを言ってはいられません。
何たって他ならぬ私が講師の一人なのですから。

送っていただいた資料を一読して、私は卒倒しました。
燦然と輝くハワイの著名なクムフラやプロダンサーの皆さんの名前に混じって、ふ、ふ、福田良奈って...。ほんとにいいのでしょうか。

いやいや、「いいのでしょうか」なんて言ってちゃいかんぜよ(←ああ、動揺して言葉が変だ...)。
よくしなくちゃ。自力で。
でなきゃ、何のために四半世紀(しつこいようですが四世紀半じゃないよ、私ゃ450年も生きてないですって)もフラをやってきたのか分らないじゃないですか。
私の四半世紀のキャリアが、8月のこの日のためにあったと考えれば、出来ないことはないはずです。

私がこの大役をそこまで重く捉えるのには訳があります。
私の四半世紀のキャリアは、そのまま母の指導を見てきた年数でもあります。
だから私の脳髄にも全身にも、人に教えることの難しさと責任の重さが、あたかもハリー・ポッターの額の傷跡のごとく刻み込まれているのです。

世の中には、人に物を教えることで優越感を抱いたり、『先生』と呼ばれることに快感を覚えたりする人がいますが、私にはそういう神経がどうしても信じられません。
最近私を「ラナちゃん」ではなく「先生」と呼ぶ生徒さんが増えていますが、そう呼ばれるたびに私が「で、アンタは本当に『先生』たることをなし得ているのか、どうなんだ!?」と閻魔大王に詰問される気分を味わっていることに、一体どれだけの人が気づいているでしょう。

しかしながら、矛盾して聞こえるかもしれないけれど、この閻魔様の声が聞こえなくなったら、私はもうお終いだと思っています。
「先生」呼ばわりされることに慣れてしまったり、まして快感まで覚えるようになってしまったら、それは己の実力に胡座をかいたということであり、向上の終焉を意味します。
向上しなくなった人間は、学ぶ価値がない以上に、教える価値のない人間です。

だから私は敢えて「先生」と呼ばれるたびに自分の実力を問い続けていたいといつも思っています。
じっさい私は不完全で未完成の人間だけれど、不完全だからこそ、人に教えるに足るよう精進し続けるのです。

特に今回はダンスじゃなくハワイ語の分野ですから、プレッシャーもひとしおです。
でも、ファントムハイヴ家の執事たる者(※ウソです)、プレッシャーにくらい打ち克てなくてどうします?

そういえば母がスタジオMを開いたのもちょうど今の私くらいの年齢の時でした(もちろん、もっと若いうちから祖母のバレエ教室を手伝ったりもしていたわけですが)。
だったら私だって、もはや「福田真澄の娘」の枠内でしか活動出来ないようじゃダメダメなのです。
ダンス畑の母とは違う事をピンで成し遂げられるようでなければッッ!


ああ~、書けば書くほど自分がMになったような気がする...。
本来のドSの私は何処へ......。

携帯の怪現象

2009-07-23 02:03:44 | 徒然話
私の携帯に、奇妙なことが起きています。

日中出掛けている最中に充電が切れてしまい、夜に帰宅してからコンセントに繋いで電源を入れ直したところ、待受の壁紙にしている風景写真が消えていました。

設定し直そうと思って画像フォルダを見ようとしたら、なんと画像フォルダが一つも開けない...というより、一つ残らず姿を消しているのです。

まさか画像データがすべて消えてしまったのか、と慌ててメモリ使用状況を見たところ、使用容量も空き容量もまったく変っていません。
画像データが今までどおり入っていることが分り、データ完全消失という最悪の事態は避けられたことに、ひとまずホッとしました。

電話帳も発着信履歴もメールも、すべて無事でした。
ダウンロードした着メロも傷一つありません。
なのに、メモリを見れば明らかに携帯内に入っているはずの画像データだけが、一切見られないという状況なのです。
まるで、中に何かが入っているのは分っているのに窓も扉もなくて取り出すことが出来ない箱のようです。

私は充電切れのまま放置することをわりかししょっちゅうやってるんですが、今まで一度たりともこんなことになった経験はありません。
第一、数時間程度充電が切れているだけでそんな状態になってしまうなんて、どう考えても面妖です。

大抵のことは取扱説明書で何とか出来る私も、こればっかりは完全にお手上げです。
こりゃ、ドコモショップ行って助けを求めるしかなさそうです。
参ったなぁ...。

しかしもっと参ったことに、明日は朝9時から夜9時まで予定がびっしりで、ドコモショップとか行ってる暇がありません(笑)。
まして、ドコモショップに行くとヤクルトとかおやつ(お菓子はふつう子供用だが、我々があまりに餓えているのでいつも恵んでくださる)とか頂けて楽しいんですが、そんなの夢のまた夢です。

って、こんな深刻な時に食い意地発揮してる場合じゃないな。

スキも大切です

2009-07-22 01:34:12 | ダンス話&スタジオM
連日、今年のミスアロハフラになったチェリッサさんを褒め讃えておりますが、彼女の踊りは自然で力が抜けているように見えながら、実は意識の行き届いた繊細な踊りである事は留意すべき事柄です。

踊りには粗や隙がない方が良い。これは紛う事なき事実です。
しかしながら、その「隙のなさ」が見る者にモロバレなようでは、まだ完璧な状態とは言えません。
フラであれば、チェリッサさんのようにあくまでも自然に踊る(少なくとも、そのように見せる)事が大切ですし、ましてこれが色っぽさを重視するベリーダンスであれば尚更のことです。

ベリーダンスは色気があってナンボ。
日本でもだいぶベリーダンスがブームになり、いろんな種類が踊られるようになった今も、私は声を大にしてこう主張させていただきたい。
私がいう「色気」とは、ただ脚や腹や胸を露出しているだけで一部の人が感じる色気のことではありません。それだけで満足する人のことなどどうでもいいのです。
私の理想とする女性、ディータ・ヴォン・ティース様は、パリコレでエレガントなドレスを着ていても、自身のショウでほとんど一糸まとわぬ姿になっていても、まったく同じにセクシーです。
つまり色気は着ているものの種類や露出度によって決まるのではない。ひとえにその人自身の力によるものです。

そして、色気を醸し出すためにはある程度の隙がなくてはなりません。
一般的に、カッと見開いた目よりトロンとした目が、引き結ばれた口より半開き程度の口(エルヴィス様の顔は最良の例です)の方が色っぽいと感じられることからも、それは明白ですね。
踊りだってそうです。どこかに隙がある(ように見せる)ところに、人は色っぽさを感じるのです。

約10年前、私の好きだったアメリカのベリーダンサーがいらっしゃいました。
彼女のレッスンを受けたことがありますが、時間のほとんどをストレッチに費やし、残りはすべて基本動作の練習に終始するという、極めて求道的なものでした。
彼女の踊りもそれを反映し、とにかく基本に忠実で、音への反応の仕方もまるで教科書のお手本のように「こう来たらこう来るな」という想像を見事なほど裏切らないダンスを踊ります。
そして、決めポーズもすべてソツがなく、指先まで神経が行き届いているのが傍目でもよく分ります。

10年前の私は彼女のダンスに惚れ込み、ほとんど形態模写するくらい研究していた時期がありました。
なぜならば、当時の自分のダンスは非常にガサツで、隙の無さこそ自分に最も必要な要素だと思っていたのです。
彼女が私に与えた影響は非常に大きく、彼女のおかげで私のベリーダンスがだいぶ細やかになり、同時にフラも昔より繊細に踊れるようになりました。

面白いのは、フラとベリーダンスはまったく異なる踊りであるにも関わらず、お互いの特徴を直接取り入れることをせずして、上達段階において相乗効果がある事です。
一方の違いを知ることによって、むしろ他方の特徴を客観的に捉えられると申しましょうか。

しかし、さんざん「隙のない踊り」を研究した果てに、私は「隙がないだけじゃダメなんだ」という現実にぶち当たりました。
本当に隙をなくしてしまったら、色気もなくなってしまいます。これはベリーダンサーとして非常に由々しき事態です。

だからといって、マジで隙だらけの踊りを踊ったら単なるヘタな人になってしまうというのが、難しいところです。
素敵なベリーダンサーの中には、どこにも気合いを入れず自然体で踊っている(ように見せる)ことに成功している人も多く、それを誤解した人が、ただくにゃくにゃへろへろしている残念な姿をいろいろ観てきました(笑)。

実はさっきからカッコ書きしている「(ように見せる)」ってとここそ、踊りにおいてとても重要なのです。
これは、ベリーダンスだけでなくフラでも必要なことです。
例えば去年のミス、スガヌマさんは、単独で観ると基礎に忠実な良い踊りを踊っているという印象でしたが、今回のミスのチェリッサさんのあまりにも自然な演技と続けて観たところ、スガヌマさんの踊りに見え隠れする「力み」や「故意な感じ」の存在に気づいてしまいました。

とはいえ、虚仮威しでなく本当に優れたダンサーになるためには、どうしてもスガヌマさんの段階も経なければなりません。
誰でもまずは隙のない基礎の踊りを身につけるところから始めなければならず、ショートカットは出来ないのです。

自分の理想の踊りに到達するためには、違う道に迷い込んではいけないのと同様に、近道も出来ないのですね。
しかし、私ってやたら踊りを道にたとえたがるな。私こそ求道者だったりして。
傍からはそう見てもらえないようですが。ま、私の踊りを良いと思っていただけるなら、ニートと思われてたって構わないさ。

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