金・土は私の出身校、「宇短大附属高校」の学校祭でした。
生徒さんで私の後輩でもあるAちゃんが実行委員だったので是非是非行きたかったのに、お莫迦な私ったら土日だと思い込んでいたせいで行けず...私の私のバカバカバカ。&Aちゃん、せっかくお誘い下さったのにごめんなさい
と、今回4年ぶりの帰還がかなわなかった高校ですが、今日は高校時代の思い出をちょっとばかし。
うたんふは巨大私立高校で、私の学年はな~んと25クラスありました。
これらが有名な音楽科をはじめいくつかの科に分かれています。だから、ハッキリ言って他の科の人と知り合える機会はほとんどありません。
って、同じクラスの男子生徒の名前を一人も覚えてない私が言うこっちゃないですが(笑)。いや、さすがに女の子は半分以上覚えてたけど、友人(こんな私にもいたんですってば)には「アンタ今の人の名前知らないでしょ」と突っ込まれどおしでした。う、図星。
私は「普通科」にいたわけですが、普通というだけあって一番多いので、さらに特進・進学・英進(英語進学の略。作新の英進とは違うらしい)という3コースの区分がありました。
ま、この区分はテキトーだったと思います。だって世代によって区分がコロコロ変わるんだもん。私の後には「医歯薬特進」なんて謎のコースも出来ましたが、戦国時代の中国の如く、いろんなコースが勃興しては消えてゆくらしいです。今はどうなってるか全然知りません。
さて、うたんふを受けるときはどうするか。科ごとに受けなければならないのかしらん。
いえいえ、心配ご無用です。一回の受験ですべての科を志望できるんです。
一度うたんふに受験に行けば、出願書にズラズラ書き連ねておいた科すべてについて合否を判断してくれるんですよ。
つまり、成績が第一志望に届かなくても、次のに入れてくれるんです。それも一回分の受験料で!!お得な制度ですねえ。
中学3年当時の私の第一希望は宇都宮K高校でした。
英語に力を入れている共学の高校です。見学にいってもイイ感じだったし、先輩も楽しそうに行ってましたし、何より当時私は英語が得意だと思い込んでいたのです。
私がアラビア語やスペイン語やハワイ語に巡り会って、私が得意なのは「語学」であり、その「語学」の中で英語は不得手な方に属するということが分かるのは、ずっと先のことです。
第二希望は宇都宮J高校、栃木県で唯一私服通学の高校です。
しかし、何としてでも地元に進学したくなかったんですな。むしろなるべく私を知る人が一人もいないとこに離れたかったんで。
どちらも捨てがたかったものの、ただこの2校には「通学がめんどくさい」という致命的問題がありました。
特にK高校の先輩は私と同じ方面から通うために5時台の電車に乗っていたとか。ぎゃひぃ、この「脳の開店時刻は午後1時になります」人間がそんなことしたら精神衛生上深刻な事態を引き起こしかねないッ。
そんなふうに迷っていた12月、私立高校の受験日がやって参りました。
「やだよう、めんどくさいよう」とぐずる私を、学年主任のK先生は「おまえ、県立落ちたらどうすんだ」と一喝(※当然である)。
しかたなくうたんふを選び、まさかこれだけたくさん科があればどっかには引っかかるだろうということで、一回ですむならとここだけ受けに行くことに。
果たして、学校をひとめ見た私は冷暖房完備の教室と須賀栄子記念講堂にあっさり陥落しました。
試験も受けないうちから、美しい講堂に入って日本に数台というピアノ(たぶん連弾兄弟と同じもの)を目にした瞬間、「私はここにする」と宣言しました。
クッ、今になって思えばあれも須賀学園の作戦か。そこにこの単純人間がまんまと乗せられたわけね。やるなあっちゃん(注:須賀淳校長)。
そのうえ、ここならたった一本のバスが自宅と学校をつないでいるのです。歩く距離にして15分。それだけで宇都宮まで通えてしまうんですから、長距離通学者にとってこれほどありがたいことはありません。
しかしどうしましょう。私ったら先生にせっつかれていやいや受けにきたもんだから、前の日知り合いにお印程度に数学を習っただけだわ。
その上、もちろん単願(受かったら絶対入るという約束のもと、点数を上げ底してくれる制度)でもないし。こんなんでどっかに受かるんでしょうか。
そんな心配が脳裏をよぎりましたが、運の要素が強いマークシート方式(しかもたった3教科のみ)だったことが幸いし、無事特進に拾われました。
こうなっちゃうともう県立受けて冷暖房完備の教室を捨てることができなくなってしまった私。
いやいや、冷暖房完備はそれほど重要だったんです。私はとにかく極端な暑がりで、夏場の中学では授業中にオーバーヒートし、しょっちゅう危ないことになってたんですから。いつも一人だけサウナに入ってるみたいな顔してましたっけ。
もし県立を受けて受かってしまうと辞退できなくなると聞き、私はけっきょく県立受験をやめました。
と、入学までの経緯を書いただけでずいぶん長くなってしまったなあ(笑)。
でも、栃木県にはなぜか「第一志望は県立で、私立は落ちた人が入るところ」という先入観が強いようですが、そんなことはないです。
いろんな条件が合うならば、私立が第一志望だっていいじゃないですか。それを伝えたかったんですな。
生徒さんで私の後輩でもあるAちゃんが実行委員だったので是非是非行きたかったのに、お莫迦な私ったら土日だと思い込んでいたせいで行けず...私の私のバカバカバカ。&Aちゃん、せっかくお誘い下さったのにごめんなさい
と、今回4年ぶりの帰還がかなわなかった高校ですが、今日は高校時代の思い出をちょっとばかし。
うたんふは巨大私立高校で、私の学年はな~んと25クラスありました。
これらが有名な音楽科をはじめいくつかの科に分かれています。だから、ハッキリ言って他の科の人と知り合える機会はほとんどありません。
って、同じクラスの男子生徒の名前を一人も覚えてない私が言うこっちゃないですが(笑)。いや、さすがに女の子は半分以上覚えてたけど、友人(こんな私にもいたんですってば)には「アンタ今の人の名前知らないでしょ」と突っ込まれどおしでした。う、図星。
私は「普通科」にいたわけですが、普通というだけあって一番多いので、さらに特進・進学・英進(英語進学の略。作新の英進とは違うらしい)という3コースの区分がありました。
ま、この区分はテキトーだったと思います。だって世代によって区分がコロコロ変わるんだもん。私の後には「医歯薬特進」なんて謎のコースも出来ましたが、戦国時代の中国の如く、いろんなコースが勃興しては消えてゆくらしいです。今はどうなってるか全然知りません。
さて、うたんふを受けるときはどうするか。科ごとに受けなければならないのかしらん。
いえいえ、心配ご無用です。一回の受験ですべての科を志望できるんです。
一度うたんふに受験に行けば、出願書にズラズラ書き連ねておいた科すべてについて合否を判断してくれるんですよ。
つまり、成績が第一志望に届かなくても、次のに入れてくれるんです。それも一回分の受験料で!!お得な制度ですねえ。
中学3年当時の私の第一希望は宇都宮K高校でした。
英語に力を入れている共学の高校です。見学にいってもイイ感じだったし、先輩も楽しそうに行ってましたし、何より当時私は英語が得意だと思い込んでいたのです。
私がアラビア語やスペイン語やハワイ語に巡り会って、私が得意なのは「語学」であり、その「語学」の中で英語は不得手な方に属するということが分かるのは、ずっと先のことです。
第二希望は宇都宮J高校、栃木県で唯一私服通学の高校です。
しかし、何としてでも地元に進学したくなかったんですな。むしろなるべく私を知る人が一人もいないとこに離れたかったんで。
どちらも捨てがたかったものの、ただこの2校には「通学がめんどくさい」という致命的問題がありました。
特にK高校の先輩は私と同じ方面から通うために5時台の電車に乗っていたとか。ぎゃひぃ、この「脳の開店時刻は午後1時になります」人間がそんなことしたら精神衛生上深刻な事態を引き起こしかねないッ。
そんなふうに迷っていた12月、私立高校の受験日がやって参りました。
「やだよう、めんどくさいよう」とぐずる私を、学年主任のK先生は「おまえ、県立落ちたらどうすんだ」と一喝(※当然である)。
しかたなくうたんふを選び、まさかこれだけたくさん科があればどっかには引っかかるだろうということで、一回ですむならとここだけ受けに行くことに。
果たして、学校をひとめ見た私は冷暖房完備の教室と須賀栄子記念講堂にあっさり陥落しました。
試験も受けないうちから、美しい講堂に入って日本に数台というピアノ(たぶん連弾兄弟と同じもの)を目にした瞬間、「私はここにする」と宣言しました。
クッ、今になって思えばあれも須賀学園の作戦か。そこにこの単純人間がまんまと乗せられたわけね。やるなあっちゃん(注:須賀淳校長)。
そのうえ、ここならたった一本のバスが自宅と学校をつないでいるのです。歩く距離にして15分。それだけで宇都宮まで通えてしまうんですから、長距離通学者にとってこれほどありがたいことはありません。
しかしどうしましょう。私ったら先生にせっつかれていやいや受けにきたもんだから、前の日知り合いにお印程度に数学を習っただけだわ。
その上、もちろん単願(受かったら絶対入るという約束のもと、点数を上げ底してくれる制度)でもないし。こんなんでどっかに受かるんでしょうか。
そんな心配が脳裏をよぎりましたが、運の要素が強いマークシート方式(しかもたった3教科のみ)だったことが幸いし、無事特進に拾われました。
こうなっちゃうともう県立受けて冷暖房完備の教室を捨てることができなくなってしまった私。
いやいや、冷暖房完備はそれほど重要だったんです。私はとにかく極端な暑がりで、夏場の中学では授業中にオーバーヒートし、しょっちゅう危ないことになってたんですから。いつも一人だけサウナに入ってるみたいな顔してましたっけ。
もし県立を受けて受かってしまうと辞退できなくなると聞き、私はけっきょく県立受験をやめました。
と、入学までの経緯を書いただけでずいぶん長くなってしまったなあ(笑)。
でも、栃木県にはなぜか「第一志望は県立で、私立は落ちた人が入るところ」という先入観が強いようですが、そんなことはないです。
いろんな条件が合うならば、私立が第一志望だっていいじゃないですか。それを伝えたかったんですな。
文化祭といえばですねえ!!!聞いてくださいなドロドロ(←背後に怨念渦巻いてます)
私のいた特進なんて、展示をやらせてくれないどころか、よりによって文化祭の開催日時に模試をぶつけてきよるんですよ!!!!!(怒怒怒)
い、いいい、いったい何の怨みがあってそんなこと...ッ!!
そうそう、舞台裏ですれ違ったんですねえ。気付かず失礼いたしました(汗)。
あと、あのエレベーターは照明がつかないんですよ(少なくとも私が乗ったときはそうでした)。
到着まで辺りは真の闇でした。怖かったよう。
エレベーターは、部活の都合上よく利用してたんですが、電気はついてましたよ。lanaranaオーラで切れたのでは…。何より突然ガクン!!となって到着するので毎回恐かったです。例のエレベーター会社じゃないといいんですけどね。
文化祭すれ違い事件ですが、あのとき生教は数十\人屯してたので気付くはずないっすよ。なので一方的運命です。ちなみにマミさまもいらっしゃいました。
あの学校にはなんだかんだで金をとられましたが、ニュージーランドとか行けたのでよかったです。