おとといぐらいからかな・・・・
微妙な声の感じ(肉感ではなく明らかにあっちの声)で・・・
「お経・・仏教の・・・本・・・」と聞こえているので、
どの本???と思いながら仕事をこなして、数日過ぎ・・・
で、今日は
「読まないとマズイ・・・(空気・・・)」というところまで来ています
・・・で、何の意味かな???と○感で解いて行って・・・
でたどり着いた回答が
「普通で言う運が良くなる方法」であり、修行の身の人なら
「○○し、○○を得る方法・・それはつまり○○と○○○○と・・・・・(以下説明あり)をしなさい」ということでして、
え?「カッコ内のことをしたら・・人生が変わるの?」と思うでしょう?
・・なんですよ。
ふるらんは
「そうなんだ~」とストレートのタイプの人でして。
ほかの人でいろんなことを深く○うタイプの人は
「そんなのありえない」と思うと思う。
ただ・・・人生を変えて、幸せにしたいのであれば・・・という話の最初に戻るけれど、仏教とは○くなった人ためのだけにあるわけではないというのを前提に置いていただきたい。
たぶん・・・日本に伝来してきたときは元々に近かったと思うけれど、今、なぜか・・・○くなった時に呼ばれるお坊様になってしまいまして。
お経のお勉強をしたことのある人ならわかっているけれど・・・
お釈迦様は
『教えを説いている(究極は○○する)』のであって、○くなった人のために作ったものではないということで・・・
・・とあんまりこの部分をひも解いていると長文になるで・・・ここで省略になりますが・・・
確かにもう一つの部分。
あの世に行くときの導き・・という部分である外国では日本の遥か昔のお坊様みたいなお仕事の人もいます。
昔、あの世に行くときに・・お医者様もいない地域では、阿弥陀如来様の屏風から七色のヒモを出して病人さんに握ってもらい、楽にあの世に行くように・・ということもされていたので。
時代も・・考え方も・・地域も・・多種多様ですので
「うちは違う」と言われても、ごもっともです。
ふるらんも北海道から来たときに大阪のことを見てびっくりしたのと同時に、
「もともとはこうだったのかな~~」とたくさん思いました
今、お洗濯が終わり、このパソコンを閉じたら・・・お風呂に入り、そしてそのあとにお経の本の解説本がありますのでそれを読む予定です。
「難しいでしょう?」と思うでしょ?
けっこう優しく書かれているものがたくさんあります。
本当に難しいのは・・・
教えの通りの心と行動ができないこと。
だから・・こんな人間になっちゃうんですけれどね・・・
今までに出会ってきた素晴らしい人たちに比べたらなんて小さくて・・・小さくて・・・
つまらないことで震えたりしているんだろう・・とか思って。
だいぶ改善してきたと思うし、度胸はある、と年配の人に言われて、自分でよくやったと思ったとしても・・・
まだまだ
70・80歳の人から比べたら、子供、子供・・・
考え方も行動も、もっとそぎ取られないとならないわ~~と。
そぎ取って、そぎとって・・・服が数枚、下着が数枚・・・
靴が数足と、茶わんが一つとお箸が一膳。
ぞんな生活になれ、と言われても、
今現在、やれ、保険だの、保障だの・・・お金かかるのだの・・・
雑念と一緒に生きていかなきゃならないと思うと当時に、誰にも面倒をかけたくないから貯金しておかきゃとか・・・思ったり。
・・・って考えたら、しなきゃならないこととしてはいけないことの交差を常にしている気がしています
で、一番都合のいい言葉。
「まっ、いっか」
スタートと、反省と、リセットを繰り返し・・・日々人間臭さをかもしだしながら、仏様の教えの実践のほんの爪の先ぐらいをちょこちょことして・・・
そしていつも思い出すとっても修行者の人の言葉。
「あなたは一日何分仏様に時間を捧げていますか?」。
今夜はきちんとお勉強をします
はい、必ず読みます。
仏様の本を