電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

梁小龍のフィルモグラフィー研究

2011-08-07 00:00:00 | その他・研究

ブルース・リャンのフィルモグラフィーを研究してみると、
武侠片エキストラ(70~71)
武術指導&端役時代(72~73)
「帰ってきたドラゴン」以降の倉田保昭とともに歩んだスター時代(74~76)
思遠影業以降のカンフー作品出演時代(77~83)
ホラー作品出演時代(80年代後半)
カンフーハッスル以降(2000年代)
現在に至る

例えば大きくこんな感じの分類が出来ますね。

但し空白の時期があって、その時はテレビの方の仕事をしていたり
90年代など、どうしていたのか不明な長期のブランクがあったりします。
ブルース・リャンのクラスになると出演作品総数も50本を超え、
整理するのはかなり大変ですね。

こちらのウィキペディアによれば、ブルース・リャンは1948年4月8日生まれ。本名:梁財生。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%B0%8F%E9%BE%8D
(通説では武術指導家として邵氏に入ったと言われている。ここではその記述は見られない。また、69年には空手選手権でチャンピオンになっているらしい。)

彼のデビュー作を是非とも知りたいのですが、毎度のことながら公称のデビュー作もハッキリしませんので非公式に一番古い出演作品を探し出さなければならなくなってしまっているのが難点というか、そもそもプロフィ-ルが曖昧ですね。

60年代の武侠片が見当たらないが、梁小松の動きを追っていけば見つかる可能性もあるでしょうね。(もしかしたら『天劍絶刀』(67)あたりがそうなのかも知れない)

上記のサイトでとりあえず筆頭に挙がるのが、70年の『斷魂刀』と『神劍游龍』
となっており、『神劍游龍』をまずは確認してみる。

うーん、これは確認できないな。
(でも収穫はコレ) 

 『神劍游龍』右端にいるのはサモハン?

いまのところ邵氏の『鍾馗娘子』(70)が確認済みですが、これが最古の作品となるのではないでしょうか。(『鍾馗娘子』は70年のはじめ頃より製作)
シーズーに斬りかかる梁小龍

つづく

 

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ブルース・リャンとラリー・リーの共通項

2011-08-06 00:00:00 | その他・研究

ブルース・リャンとラリー・リーは『黒帯空手道』の他に同じ映画で共演したことがあるのでしょうか?

正解は思い浮かばなくてNoだと思ったらYesでした。。。

早速kungfu‐sionシステムでチェックしてみましょう。

結果はこちら。

未公開ばかりですが、『黒帯空手道』と併せて4本のカンフー作品がヒットしました。いまのところは(爆)。

見たことない作品ばかりですが、共演した時期はある期間に集中しているようです。この時期(実質1年くらい?)だけ一緒に仕事をしていた様に見える。しかも会社はバラバラで(笑)。

単なる偶然なのか、気が合つてしまってしばらく共演して一年後にまた分かれたのか、ホントのところどうしてなのか気になりますが、実際に2人の様子を確かめてみたくなります。

当サークルの巨大ストレージに眠るファイルをサーチしてみると幸運にもすべて見つかりました。残念ながらオンラインじゃありませんが(涙)、瞬時に再生できるので超便利です。(見たいものがすぐに再生できると便利だと思います)

まず興味をひくのが『過江龍獨闖虎穴』(78)ですが
ノラミャオが77年頃にかかわったということでどうしても『蛇鶴八拳』と比較してしまうが、これはアクションシーンがあって良かった(笑)。まったくアクションなしのもあるからね。

 ほらこの通り。


ラリー氏は空手じゃありませんけど(髪型がやっぱり『黒帯空手道』のときに似てますね)

  ノラさんとのツーショット
残念ながらリャンはやられちゃうんですが。

つぎの『黄飛鴻四大弟子』(77)です。これが一番古く多少地味ですが、ただの映画でないところがさすがのブルースリャンですね。
林世栄ということでお約束の肉屋が登場。
 必ず肉屋なんだよね(笑


ラリー氏のカンフーは赤いトンファーなんかも使ってなかなかのカンフーアクションを披露。
 トンファーが冴える!!

これは、ぜいたくな絵ですね(笑)。

黄飛鴻4大弟子の面々。これなら最強か!?

参考までに、劉家勇が77年と比較的早い時期に洪拳道場の門下生として登場してます。これも見逃せないポイントですね。


最後の『廣東十虎』は78年後半の作品だけあってなかなかのクオリティで
リャンが蹴って蹴って蹴りまくる気分爽快の楽しい作品です!
監督は『黄飛鴻四大弟子』に引き続き魏海峰でブルースリャン主演でもう1本撮ってたんですね。(出演者も近いものがあります。)
時代劇カンフーでちょっとカツラがアレですが(笑)、前作と随分イメージが変わってます。

広東十虎の一人である蘇乞兒役の韓國材が酔拳を見せてました。

 この時期、ホント酔拳が流行っていました!

次回はブルース・リャン周辺に注目してみようかなと思います。

 

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台湾ニューシネマ『光陰的故事』

2011-07-31 07:00:00 | その他・研究

80年代に入ってとある映画が製作されました。香港のショウブラザースと
台湾の中影が共同製作した『辛亥雙十』(81)です(監督は丁善璽)。


実はこの映画は豪華キャストを使ったにもかかわらず台湾で全く受けず興収的にも大失敗に終わっています。
なぜ失敗してしまったのか。
簡単に言ってしまえばこんな話ではないだろうか。
ニクソンショックで世界が揺れた71年頃、諸事情により台湾では反日感情が高まった。政策映画、戦争映画などが量産されるようになり香港でも人気のあった
カンフー映画も大量に作られた。
70年代は台湾でこのような映画、それを真似た作品が長く続いていた事で
観客が飽きてしまったことが、80年代に入ってからの台湾での映画離れを生じさせた1つの要因ではないかと思います。(でもそんな悲運の映画でも、ティ・ロンやチェン・カンタイなどかなり豪華キャストであるのでどんな映画なのか見てみたくなりますよね)

そして『辛亥雙十』の失敗でどん底に落ちてしまった台湾映画界で、新しい監督・脚本家を起用し、財政難となっていた中影が低予算で打ち出したのが『光陰的故事』In our time(82)でした。一般人、子供を多数出演させた台湾ニューシネマの幕開けとなった作品です。

2007年に開かれた第20回東京国際映画祭でもしっかり上映されているのに
シルビア・チャンがこの4話からなるオムニバス作品に出演していた事はあまり
知られていません。(台湾ニューシネマなので大きく言ってしまうと矛盾してしまうということもあったのかも知れないですが)

ちなみにですが、『光陰的故事』のhkfaでの英語名は"IN OUT TIME"と誤表記となっており、ここから流用したHKMDBでも同様の誤りがありました。

構成は下記に書いておきます。実際の中身は2話目が御存知エドワード・ヤンが監督をしています。

1話『小龍頭』(監督:陶徳辰)
2話『指望』(監督:エドワード・ヤン)
3話『跳蛙』(監督:柯一正)
4話『報上名來』(監督:張毅)

全編を通してみると、小学生~大学、社会人と各エピソードで描写時期を分け、
台湾の人々が子供から大人へ成長していく過程での心理を描いていることになります。

1話のあらすじはこんなものでした。
小学生の小毛は恐竜が大好き。書くのは恐竜の絵ばかり。
いつしか小龍頭というあだ名で呼ばれるようになっていた。
内気な性格で友達からも仲良くされず、両親から怒られてばかりであった。ある時好きな女の子が出来たときも小毛は馬鹿にされてしまう。
しかしその女の子とは気が合い、ある夜その子とある物を探しに冒険に出る。

第2話。
エドワードヤンが最初に描いたのは
女子中学生と自転車の少年でした。
ヤン最初の作品に『指望』(=希望)という題名を与え
このエピソードでは1人の女の子の希望が描かれています。

父親のいない家庭の末っ子の中学生の女の子。
姉はわがままな大学生。
母親は子供を育てるため仕事をしながら
忙しい毎日を送っている。
夕飯を3人で食べたあと、中学生の娘には食器を洗うように、姉にはしっかり勉強しなさいときびしく言い仕事へ向かう。
(このきびしい母親を演じるのが『新精武門』でスリの爺さんの妹だった劉明であった。久々に彼女を見たっすよ!)
この女の子は自転車に乗る少年と仲良くしながら生きていくこととは何かを学んでゆく。

第4話。シルビア・チャンが「悪漢探偵」と同じく気の強い女性を演じています。


「山中傳奇」を見てすぐにこの『報上名來』を見たりすると強い違和感を覚えてしまうけれども(笑)、それが女優さんですからね。それにしても80年代のシルビア・チャンは面白い動きをしてます。(香港で「悪漢探偵」シリーズで引っ張りダコになっている一方、台湾ニューシネマなどの映画にも出演して、86年には『最愛』で香港と台湾の最優秀主演女優賞を獲得していますしね。)

全4話の中では4話目が一番面白いでしょうか。
シルビアチャンの夫が全編を通してB.V.Dのパンツ1丁かバスタオル一枚で
登場していて彼はどうしてそんな格好でいるのか。まぁ何も考えなくても笑えてきます。
よく吠えるのが隣の部屋のワンちゃんなのです

82年に台湾の新人監督たちが作り出した『光陰的故事』は、台湾の人々に受け入れられ興収も成功して”台湾ニューシネマ”は新しい台湾映画の潮流になっていきました。

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Jumping Ash ソフト集

2011-07-13 00:00:00 | その他・研究

前回記事の嘉倫さんの映画ですが
香港新浪潮の出発点言われている『跳灰』(76)が、あるではありませんか!

ちなみに台湾にも”台湾ニューシネマ”ってのもあって(笑)、四話オムニバスの『光陰的故事』が出発点になりますね。(またこの辺りは今後のネタにでもしたいと思います)

で、『跳灰』の過去のソフトを探してみると、いろいろあったみたいですね。

キーワードは"Jumping Ash"

たとえば海岸のVHSなんかは当然の如くあり、(んー、なんか面白そう)

陳星の頭の毛も気になる(笑)

その後、VCDもしっかりリリースされてました。(当然、廃盤。)

VCDもかなり入手困難・・・。

 

そして、コレ。Greek VersionのVHS。

 ギリシャ語のVHSだ!

ギリシャだとPALになるから、安くゲット出来てもPALのデッキも無いしどうにもならないけど。

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赤膽好漢

2011-07-05 00:37:38 | その他・研究

 「孫文の義士団」(以下、『十月圍城』)のパンフには面白い記述がいくつかあります。その中で『赤膽好漢』という作品が「孫文の義士団」の原案となった映画であると書かれていましたが、これがどんな映画だったのかちょっと気になりますね。

そして、その映画を監督したのが『十月圍城』プロデューサー、ピーター・チャンの父・チャン・タンマン(以下、陳銅民)であるという記述がありました。今をときめくピーター・チャンの父親も映画監督だったんですね。そういえば私が中学生の頃の夢は映画監督になることだったっけ。子供の頃、父に連れられて映画館に行ったのがきっかけだったのかも知れない。(とっくに夢は破れましたが。。)その頃父はアメリカ映画が好きだったけど記憶に残っているのは「戦艦ポチョムキン」と「惑星ソラリス」だ(爆)。

さて、『十月圍城』にありました要人を守って船に乗せるというプロットは「ワンチャイ天地大乱」や『上海灘十三太保』(84年の張徹作品。これもティ・ロン演じる教頭が刺客から江明扮する高先生を守り抜き船に乗せる)などがありますが、『赤膽好漢』も実際に観てみると同様のプロットがありました。今回はこの台湾で一週間だけ公開されたという作品『赤膽好漢』The Bodyguard (74)について見ていきます。

まず監督の陳銅民は息子のピーター・チャンを尽く自ら監督した映画に出演させており、小さな役が多いですが息子に機会を与えていましたね。

・73年『奪命客』killer in the Dark 

カンフーを演じるチャン少年

タイロケの『大地雙英』も可能性がありますが、こちらは未確認。

・77年「激殺!邪道拳」

千葉真一と共演するチャン少年

勿論、『赤膽好漢』においても登場させています。

 ラーメンを買っているチャン少年

 ということで完全に映画の世界に引き込んでいます!これが無ければ『十月圍城』もあの『武侠』も、『金枝玉葉』だって見れなかったかも知れないのでこれは許しちゃいましょうか!(嘘)。

さて、『赤膽好漢』で主演するのは『火燒紅蓮寺』(76)でしか確認できないというマイナー俳優・揚子江。

 揚子江

ちなみに脱線しますが『火燒紅蓮寺』ですが、正確には『呂萱良火燒紅蓮寺』という題名が正式なタイトルであったようで海報にはとても小さくさらっと人名の”呂萱良”が書かれていますね(苦笑)。

 これでは誰も気がつかない・・・。

ジュディ・リーもとても人気がありますが、少しずつですが興味を持っていろいろ調べていければいいかなと思います。 ついでに未見ながら『新火燒紅蓮寺』という作品も製作されていますね。(ただしジュディ・リーは出演していないようですが。)紅蓮寺が燃える・・・とは何なのか気になりますね。
 どこが”新”なのでしょう。

あと、もう一人の主役である李錦坤について。かなりの実力者だと思っていたのですが、グーグル先生で調べてみると李錦坤は剛柔流空手8段の腕前で香港での剛柔流代表者なのでした。(現在は橋治会の館長を務めています。)http://kugekai.org/

こんな本まで書いてます。著書『館長親傳空手道』より

映画は、この李錦坤と上述の揚子江がアサシン部隊から孫文を守り抜くという設定になっています。

共演するスターたちも『十月圍城』ではレオン・カーファイの演じた陳少白(ちんしょうはく)には重鎮の唐菁が。(これは比較は出来ないですけどね(笑))
孫文も『十月圍城』同様、あまり顔を見せない設定にしています。(孫文を演じたのは劉家勇の父・何寶星ではないでしょうか? )
まだまだ、この映画には長江電影で魯俊谷との共演が多かった胡茵茵が出演していたり、武術指導ラウ・カーウィンなど邵氏にいた武師たちが多数出てきますのも見逃せないポイントであります。
あと、南宮勲はどうして出演?と思ってしまうのですが、これは同時期の『一網打盡』にも出演していたことが考えられますね(一応、納得)。 


映画の冒頭で孫文が船でやって来ます。

 
反政府派の揚子江の父は牢屋に入れられ拷問にかけられてしまいます。そして、もうここから外に出ることは叶わないと最後に血文を書き残し、そのまま自ら命を絶ってしまうのです。
血で書いたメッセージを息子に託す…なんて今では全く有り得ず想像できませんがそれだけ魂を込めた必死の思いでメッセージを残したシーンがとても印象的でした。(また更にその父を房勉が演じていたというのも心に残ったと思います。)

毒牙のような南宮勲と朱鐵和の二人が凄い!

頭突きが強烈!

アサシン部隊が迫っている・・・。

決戦を前に誓い合う3人

李錦坤と揚子江の二人が孫文を擁護して無事に船に乗ることが出来ればいいのですが、まだ主人公たちが激しいバトルを続けてるというのにさっさと船に乗ってしまう孫文…。

まぁでも最後にはちゃんと見送っていましたけど。(良かった、良かった!)

見届ける主人公の2人

映画を製作した独立プロ・歐亞公司の創業作でもあった『赤膽好漢』でしたが、やはり『十月圍城』の原案だったということで脚本家に注目されると思います。脚本を書いたのは邵氏でいくつかの作品を書き、「スカイホーク鷹拳」や私の好きだった「燃えよ!ジャガー」を書いたペンネーム・易方こと葉逸芳であり(邵氏の『悪虎村』や徐増宏の『大羅剣侠』も彼によるもの)この70年代に、ボディーガードたちのストーリーを書いてます。監督・陳銅民や70年代の脚本家たちを尊敬しつつ、30年以上も経って『十月圍城』という素晴らしい作品に生まれ変わったということで新しい映画を作った男たちにも感謝したい気持ちでいっぱいです。終

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下記は文字の色を見えなくしてあります。
Result:
○揚子江 VS 黄哈●
○伍元勳 VS 田豊●
●伍元勳 VS 南宮勳○
○李錦坤 VS 楊斯●
●伍元勳 VS 朱鐵和○
○揚子江 VS 南宮勳、朱鐵和●

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ロケ地へ行こう! 韓国編その2

2011-06-24 00:07:37 | その他・研究

「ジャッキーチェンの醒拳」のロケ地であった南漢山城道立公園は
よく映画やドラマなどで撮影が行われる場所であります。

http://www.panoramio.com/photo/15347641?source=wapi&referrer=kh.google.com

民族村から北へ25kmほど移動した場所に南漢山城があります。展望台などもあり、ソウルが見渡せる高い土地です。

南漢山城・守御將台

守御將台は文化財として指定されており、木造建築で歴史的価値が高い建物です。
南漢山城が出来たとき東西南北に4つあった將台の中で唯一現存するものだそうです。(注:將台=司令官が指揮を執る場所)


78年頃、撮影に南漢山城を訪れたジャッキーはこの守御將台の前などで
映画の一部を撮影しています。こんな広くて見晴らしの良い土地での映画撮影は気分も良かったんでしょうね。


『龍騰虎躍』より

この数々の文化財を残す南漢山城が世界文化遺産に登録される日も近い(?)。


Google Earth 守御將台目印
http://maps.google.co.jp/maps?q=http://milano.cafe.coocan.jp/map/west.kmz
または下のファイルをダウンロードしてダブルクリック
http://milano.cafe.coocan.jp/map/west.kmz

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宋家の三姉妹

2011-06-22 00:00:01 | その他・研究

「宋家の三姉妹」原題:『宋家皇朝』
(1997年 日中合作)
監督:メイベル・チャン
出演:マギー・チャン/ミシェール・ヨー
   ヴィヴィアン・ウー

20世紀初頭の中国で波乱の人生を送った三姉妹の姿を描いた大河ドラマ。
神保町にある岩波ホールの冊子を読み返してみると、金像奨6部門受賞って、97年に香港でそんな沢山の賞を取ってたのかと思ってしまう。(活字の量も多くて勉強になる…。)
これに書いてある衣装担当のワダ・エミのぼやきが面白い(笑)。
今ならツイッターで「レイン・オブ・アサシン」の衣装をつぶやいてくれないだろうか。

孫文は、ウィンストン・チャオである。
最新作「1911」でも孫文役をやるそうで(もう1本『夜・明』にも孫文役で出演)孫文俳優として何本もの映画に出演するなんて彼はどんな性格で、どんな俳優なのだろう。

三姉妹は、長女の靄齢(あいれい)は財閥と結婚、次女・宋慶齢は孫文と結婚。三女・美齢は蒋介石と結婚と、中国にとってこの姉妹はとてつもなく大きな存在なんですね。

日本人も絡んだりするような伝記物というか歴史を描いた映画というのはこんな時代だからいま観るのが面白いと思う。(だから映画館なんかで上映されれば客の入りも凄いことになるのだ・・と思う。)

ウィンストン・チャオが子供の頃の三姉妹に会う。こんな小さいのに将来結婚することになるなんてね。
この子たちの母親がどっかで見たことあるなと思ったらエレイン・ジンじゃないの。(「野獣たちの掟」がとてもなつかしい・・。)
まぁそれにしても父親・チャーリー宋という人はまだ子供の姉妹をアメリカへ子供たちだけで行かせるなんて危険なことをしたのだろう。でも、チャーリーさん。孫文以上に熱演してる!

やがて辛亥革命が成立してチャーリーさんがはさみを持って弁髪を切るシーンが出てきます。髪を切り落とした人々がすごい事になってましたが(時代が変わるんだぞという象徴的な場面。でも『少林門』の譚道良を思い出したりして^^。)、こんなシーンは映画じゃないと見れないですね。

私が見たのは字幕版でしたけど、日本語吹替のビデオも存在してたというかあったのね。(マギー・チャンとかミシェール・ヨーを誰がアテたのだろうか?ちょっとだけ興味が・・。)
とにかくマギー・チャンが孫文を”おじさま”って呼ぶんですよ。
この映画の孫文を中国のリンカーンなんて呼び方あってユニークですが、この映画では素敵なおじさまを演じているウィンストン・チャオが良く映ると思います。
3人の女優たちが熱演しているのですが、男3人(孫文・蒋介石・孔祥煕)がどんな計画を立て何をやろうとしていたのか。女優3人の持ち味を活かしてそれぞれの役(革命に燃える男たちを支えるという存在)を演じることが出来ていたのはとてもよかったなと思います。

映画公開から6年。美齢は2003年10月23日、ニューヨーク自宅で106歳で亡くなりました。映画では美齢の最後は描かれませんでしたけど、姉妹が引き裂かれてしまう運命を描いた映画でした。監督のメイベル・チャンは香港返還のときに自分自身を見つめ直してこの「宋家の三姉妹」を作ったのです。そうすることによりまだ知らなかった中国を理解したそうです。日本人には理解しがたい部分がありますが、こういったドラマも必要なのではないかと思います。

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孫文と辛亥革命 その2

2011-06-03 23:59:16 | その他・研究

先週は「カンフーパンダ2」がアメリカ本土など世界各国で公開され、あちらの公式サイトを見るとfacebookのいいね!数が400万超とものすごい数字になっているみたいですね。(これは1+2の数字?)http://www.kungfupanda.com/
日本は少し遅れて今年の夏休みに公開予定ですが、アニメって事で日本語版も用意されると思います。
http://www.kungfupandainternational.com/intl/jp/
そうなるときっとジャッキーのボイスアクター石丸さんの出番になりますね。アニメだからって軽視は勿論しませんけど有名スターも起用したりとかアニメ大国日本にも負けてはいられないというアメリカ・ドリームワークスの意地も感じますね。石丸さんにはジャッキー同様、いつまでも現役でいてもらいたいです。

さて、今回書きたかったのは前回の孫文&辛亥革命の続き、その2です。

今回は映画「1911」の背景などについて考察してみます。ジャッキーが歴史上の人物を演じるということでどうしても演技力に期待しちゃいますが、ピーター・チャンの「孫文の義士団」という映画がかなり良かっただけに「1911」の方もどんなテーマを秘めてるとか、どこまで迫力のある映画に出来ているかなどにも注目したくなる今日この頃であります。

ではここでほんのちょっとだけその歴史、史実の方の確認をしておきますね。
映画がどんな風になっているのかについては実際に目にするまで無論分かりませんが、史実の要点を簡単に解説してみますので映画の参考にでもなれば・・・。(注意:映画を見てから知りたいという人は↓を読まないでください)

ジャッキーが今回の映画で演じるのは黄興(こうこう)という人。この人物に少し目を向けてみましょうか。
辛亥革命の本を読んでいると普段あまり使わない聞き慣れないちょっと難しい言葉とか沢山出てきますね。ではその用語の中から少々解説を。
まず、蜂起という言葉が頻出すると思います。これは反乱とか叛乱の意味ですが革命運動を表すときによく使われるようです。つぎは“武昌蜂起”。武装蜂起なら何となくわかります。でも突然出てくる、武昌蜂起って何なんだよって頭の中を駆けめぐりますが(苦笑)、これは武昌という土地で起こった蜂起の意味でした。わかってしまえば、なーんだってな感じになっちゃいますがこれで少し飲み込みも早くなったと思います。
黄興という人は辛亥革命のリーダーの一人でした。辛亥革命という名前は清朝が滅亡した1911年の干支が辛亥だったので辛亥革命と呼ばれます。
革命を起こしたグループは3つあり、孫文の興中会、黄興の率いる華興会、章炳麟(しょうへいりん)の光複会の3つからなります。ちなみにこれらのグループは地下組織であり秘密結社の要素が強いのですがいまだその詳細はわかっていない部分が多いとされています。
まず最初に動いたのは孫文で、1905年には日本へも来日して様々な活動していました。いざ革命をするにはどうしても1つのグループでは困難なので3つの会派が結集する必要があったのです。そこで新しい同盟組織”中国同盟会”が結成されますが、やはり孫文が頭領になるには第2の人物、即ち黄興の協力が必要だったのです。黄興は日本で孫文と会い、孫文をリーダーとして認めたのです。彼がいなかったら革命はどうなっていのか分からなかったでしょう。

1874年、湖南省長沙で生まれた黄興は本名を黄軫(こうしん)と言いました。革命活動をするにあたり名前を黄興と変えたそうです。彼は5人兄弟の末っ子で、面白いことにカンフーの練習にとても熱心だったと言います。(まるでジャッキーみたいですね!)彼は18歳で結婚してその後、2児をもうけていました。武昌にあった最高学府・両湖書院で学びながら日本へも留学して、この留学を期に革命家として開眼するのです。黄興の出身地・湖南には情熱的な人が多かったそうです。(あの『截拳鷹爪功』で唐炎燦が演じた人物・左宗棠も湖南出身でした。史実では彼も激情家だったのです。映画でも左宗棠の性格が巧く表現されていたと思います)ここの土地の人間とはケンカをするなと言われるほどでした。義和団の乱の頃、清はロシアから七ヶ条の要求をされます。これは一部の省をロシアの勢力圏とする条項でした。そして1903年、日本への留学生だった黄興は反ロシアの集会に参加したのち、上海に移動します。日本より自国で運動すべきだと悟ったのです。上海で教員となった黄興は革命運動をしながら名前を広めていきました。留学生と秘密結社との間に亀裂が生じないよう配慮したりして誠実な人柄で人々から尊敬されていた黄興は秘密組織・華興会のリーダーになったのでした。
しかし、清政府から逮捕命令が下り、日本に亡命しました。1905年7月、横浜に来航した黄興は宮崎滔天を介してようやく孫文と初めて会うことになります。この時、同盟を結んだのです。その後、孫文が革命資金調達を諸外国で展開している頃、一切の軍事を託された黄興は蜂起準備などのため香港へ向います。広州での武装蜂起失敗などを経て、1911年10月10日、武昌蜂起が起こりました。これにより300年続いた清はついに滅亡する事となったのです。

史実をみる限り孫文たちは革命運動、資金集めなどに奔走し、日本や東南アジアを何度も渡航して(孫文はマレーシア、サイゴン、シンガポールそしてヨーロッパなど諸外国へも)目まぐるしく見えますが映画という限られた短い時間の中でこれらを事細かく再現するのは無理がありますし、悠長にそんな細部までの描写は必要ないと思います。しかし、映画では史実も踏襲しつつ、ジャッキーをはじめとするアクター諸氏がどんな工夫をしてみせているのかとてもワクワクさせられます。

黄興はクリスチャンだった孫文と衝突したりして内紛もあったそうなんですが、リーダー3人の人間模様はどんな風に描かれるのでしょうか。辛亥革命は、孫文が現場から遠く離れていようともその指揮官としての指導力が発揮され成し遂げられたのですがそのリーダー孫文にしてもケンカ番長・安部氏が著書で論述していますようにその実体はいわゆる洪門の人でもあり、他にもバツイチ、短気な性格、そして収賄容疑と人間臭さ、多様さが当然ながらあったりする訳なのでドラマなんかももっと作られるかも知れないですね。(作られるにしても日本への輸入はいつも遅いんですが・・・) ほかにも浅井三姉妹じゃなかった(笑)、あの「宋家の三姉妹」も孫文に大いに絡むストーリーでありますし(そういえばこれってミシェール・ヨー、マギー・チャンという豪華なキャストでしたね。これは探さねば!)「1911」も今からとっても楽しみなのですが、まだ間がしばらくあるのでそういった関連作品なども見ながら秋のロードショーを迎えたいと思います。終

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孫文と辛亥革命 その1

2011-05-28 01:15:04 | その他・研究

ジャッキー&ジェイシーの『辛亥革命』ですが、11月5日に世界同時公開で日本でも「1911」として劇場公開が決まりまったようですね。
まだ配給先の東映のサイトにも記事がありますが、ジャッキーが歴史上の人物を演じるということで期待しちゃいますね。東映配給ってのもなんかうれしいのですが(笑)、下記サイトから情報みると近所の映画館でも見れる様なのでうれしい~。上映館を要チェックです!
http://www.toei.co.jp/movie/details/1195729_951.html

それから、やっと見れました「孫文の義士団」。いやぁ素晴らしかったですね。セットも凄いのですが、とにかく香港のスターたち一人一人が見せた演技がとても良かったのでまだ見ていないという方には是非鑑賞をおすすめしたい作品です。この「孫文の義士団」で皆が(というかレオン・カーファイが、かな?)あそこまでして守ろうとした人物。そして、ラストエンペラーの栄光にとどめを刺した男・孫文とは一体どんな人物だったのか。ちょっとばかり気になりますよね。映画「ラストエンペラー」ではまだ誰も知らなかった最後の皇帝(ジョン・ローン)溥儀を世に知らしめました。今度は孫文の番になり、今年は孫文とその周辺の人物が脚光を浴びる年になるのだと思います。まだまだ他にも関連作品の公開やDVDがリリースされる可能性だってあるんじゃないでしょうか。

とはいえ80年代にも孫文の映画はありました。このときは孫文が最初からしっかり出てくる描写であったんです。なので現在は当時よりもっと崇高な人物として描かれているようにも思えます。86年に日本で劇場公開もした「孫文」(原題『孫中山』)は、中国・珠江電影制片公司の製作。これは80年代に既にビデオ、随分と遅れて2006年にはDVDも発売されています。(オリジナルは2時間半バージョンですがDVD、ビデオとも113分にカットされています)こちらは劉文治なる俳優が孫文を演じ、ヒゲの宮崎滔天役に大和田伸也とかその妻・中野良子など日本人も多数参加してました。これが劇場公開されてたとは知らなかったですね。

あともう一本、ビデオでの発売のみになりますが香港版の「孫文」もあります。紛らわしいのでちょっと解説しておきますが、この香港版「孫文」は86年11月12日に香港で公開され香港でのタイトルは『國父孫中山與開國英雄』(台湾では『國父傳』のタイトル)でした。孫文はあちらでは孫中山と呼ばれてます。(蒋介石もそうですがなぜ日本とはこれ程呼び名が違うのか??)実はこの作品は上記の中国映画『孫中山』の香港での公開日と同じ日にわざわざ持っていったのです。競争だったかも知れないですが観客は混乱したりしなかったのだろうかと思っちゃいますね。(いや、きっと両方見てるね(笑)。香港版の方が先に閉幕しちゃってますけど。)なので日本で言うところの「孫文」という映画は86年には2本あったことになります。

この香港版「孫文」は孫文の生涯を描いたスタンダードな伝記作品であるのに「孫文の義士団」と同様キャストが凄いのです。孫文役こそ林偉生とかいう人ですが、体中を泥だらけにして必死に地下道を掘って総督府を爆破させた革命派・史堅如を立派に演じてみせた「少林寺三十六房」の劉家輝を筆頭に、アレックス・マン、ワン・ダオ(王道)なんかも顔を出しています。女優ではムーン・リーに「霊幻道士」ポーリン・ウォン、そしてベティ・ウェイも!あと目立っていたのは何と言ってもヒゲが印象的な広東省長にメルビン・ウォン。86年といえば「検事Mr.ハー 俺が法律だ」なんかと丁度同じ時期になりますね。(どうして彼らが台湾に呼ばれたのかわかりませんけど) 他にも張沖や梁家仁とまぁ挙げればきりがないくらいです。コレ、黄卓漢作品であり監督も丁善璽、助監督が李作楠という思いっきり台湾色が強いメンツですが、こんな意外な映画ビデオが日本語字幕版(約103分)で国内リリースされていたことに今更ながらビックリします。中国版の方は映画賞を取ったりしている様ですが、やはり香港版の方が顔ぶれも慣れ親しんでいますし、いつもの感じで楽しめますね。 つづく

 

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ある特定の時期に製作された映画を調べる方法

2011-05-15 00:15:38 | その他・研究

今回は表題について私なりの手段、方法論を書いています。
調べる方法が既に分かっている、または知っている
という方は今回の記事は参考にはなりません。
どうか読まれませんように。

それではここから私の手段について書いてみます。
ネットの普及以前、香港映画ファン必携のバイブル(資料)としては、過去国内で発売された書籍では例えば「香港電影百科」「香港電影スペシャル」などがありました。この2冊は私はいまだに手に取って眺めています。

最近はあまり古い映画の本も出版されることもなく記憶にあたらしい本では
中華電影データブックもありましたがこちらは量が半端ではありませんが
基本的には邦題のない未公開作品は含まれていませんでしたね。

「香港電影百科」には劇場公開済みの85作品を紹介したページ(本文)と
配収ベスト10などその他資料が続いていてその中に未公開22作品のポスター集がありますね。

「香港電影スペシャル」も巻末には「大福星」までの公開済み81作品の紹介と
未公開作品が大半をしめる(未公開の56本が含まれる)全部で81本のオリジナル・ポスター集が載っています。

これらの資料にある映画をコレクションとしてビデオやDVDなどを集めていく人も多いと思いますが、私の個人的な趣味でもありますね。電影百科のほうの85作品はなんとか集まりました(苦笑)。スペシャルの方も殆ど集まったのですがあと1本だけ協利の『出錯綽頭發錯財』が見つからないですね~。(まぁこれは見なくてもいいか・・。)

特にいま調べている1970年代の時期とか30年前以上の古い映画になると、実際に見ることも困難となるケースが多くなりますが、近所のショップとか通販で購入可能な字幕つきの映像ソフトを探してみるのが手っ取り早い手段になります。DVDをレンタル店で借りてくるのもいいですね。年代別に整理されているお店もあります。そんなところがあれば効率よく探せますね。

私の場合は、まず全体としてどの位あって全体的にどんな映画があるのかを知って、そしてその中のどれがめずらしいものなのかとか知らないので1本1本時間をかけてどのようにしたら購入できるのかを調べていきます。なのでどんなものがあるのか把握するのが先になります。

最初にすることはこの全体に当たる資料を探すことになります。
私が見つけた参考書は『七十年代香港電影研究』という香港で出版された本でした。この本、香港で公開された香港の映画の網羅性は完全に近い状態ですばらしいです。ただし香港で公開されたものだけしか分からず香港で未公開の台湾作品や
香港で公開された台湾映画については巻末のリストにも無いので把握できません。
そこで私は、台湾の資料を探してみました。
『台灣電影百年史話』という上/下巻の書籍です。
これの上巻の方に製作会社別に台湾で70年代に公開された作品が公開日付きで掲載されているのでその全体が把握できると思っています。(他にもっと良い資料があるかと思いますが・・。)

あとはネットにある香港や台湾のデータベースサイトを利用してその全体の補完をします。これがなかなか大変なのです(苦笑)。


例えば香港なら香港電影資料館がいいですね。

URL

注意点としては上映時間の記載があまりなかったり、香港で公開されていない映画も含まれていますがその場合、正確でない可能性があります。

台湾なら台湾電影網がいいと思います。

検索ページURL

注意点として上映時間は記載がありますが、ところどころ抜けている箇所があります。また、こちらは年度=公開した年度(リバイバル、再映含む)になっており、1973年以降が対象になっております。(例えば1972年に台湾で公開された映画は検索できません)

通常は70年代は検索できませんが下記の方法で可能になります。
(1)URLを加工する。

www.taiwancinema.com/lp.asp?CtNode=38&CtUnit=60&BaseDSD=41&htx_ProductYearS=19●●
●●に73を入れれば1973年になります

<73~79年のリンク先>


以上、分かりづらいかと思いますが調べる方法の一例でした。ご参考まで。

 

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