電影フリークス ~映画のブログ~

電影とは、映画のこと。その映画を一緒に楽しみましょう。

「伊賀忍法帖」の疑惑

2012-03-01 00:00:00 | その他・研究

今回は、ジャッキー・チェンがカメオ出演しているとの噂のあった"Ninja Wars"(1982)についてです。

 

この件に関して、ネット上ではいろいろな説があるようですね。

ここでは、どこに出ているか?を検証するのではなくて、この情報がどこから出て、なぜ生まれたのか?を今一度、考えてみてみる・・・。そんな意味を込めて書いてみたいと思います。

とは言っても、当時絶大な人気を誇っていたジャッキー・チェンがNinja Wars、つまり東映の「伊賀忍法帖」に出演していたなんて話はものすごくスケールの大きな話で夢があると思います。(何も疑いの余地が無ければ・・ですけどね(笑。)

例えばどんな説があるのかまずは確認してみようと思います。

その1。馬に乗る群衆の中の一人説。

すると、これかな?
 


続いてその2。笠を被っている人物説。

これが、そうかな!?
強そう!

 

例によって顔を隠していることが条件です(笑。誰が演じているのか、もちろん分かりません。

ただ、これら諸説があるのは分かりましたが、具体的にここのシーンのこの人物がそうだと言えるのか、不思議ですよね。

正直な話、これを証明するのは難しいです。(情報をほとんど聞かないですし、とにかく顔が見えないんですから。)
この映画を隅から隅まで、いくら時間をかけてじっくりみようと、この方法ではきっと答えは出て来ないでしょう。(そういえば、この件に関してわざわざ千葉ちゃん本人に公開質問した人がいたのですが過去にはそんなこともありましたっけ。)

ということで、検証は終わり・・・いやいや、そうじゃなくて(苦笑。


これだと出演が前提となってしまうので、ちょっと視点を変えてみます。

そもそも何をきっかけにこの情報が世に出てきたのか?

私が思うに日本ではなくて実はアメリカからではないかと。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、最初に「伊賀忍法帖」ではなくて"Ninja Wars"と書いていたのはそういう意味でした。(私が以前まとめた仮説を以下に披露しておきます。)

その前に、この噂をどのくらい信じていましたか?どちらとも言えず半信半疑でだいたい50%くらいでしょうか?私は当然ながらゼロ…と言いたいところなのですが5%としておきましょう。

そもそも「伊賀忍法帖」についての疑念を払拭できないのは、ジャッキーの自伝本にはっきりと”カメオで出ている”と書いてあるのに、どこにいるかそれをまったく確認できない・・というのが実情ではないでしょうか。

そのジャッキーの自伝と呼ばれている"I AM JACKIE CHAN"(1998刊)ですが、分厚くてとても詳しく書いてあるのでファンの間では重宝している本だと思います。
私はこの自伝本に関して、ある予測をし(特に巻末の部分)、現在も変わらない認識でいます。

この本にはジャッキー以外の著者としてもう1人の名があります。自伝であるのにです(笑。(Jeff Yang と共著となっている。)

ジェフ・ヤンって誰なのか?
そうです。彼が何を担当したか。それは公になっていないのでわかりませんが、彼が巻末のフィルモグラフィーの編集をしているのは後述しますが、明白であるのです。彼は経歴をみるとわかりますがアジアのポップカルチャーに精通したエリートのようですね。また、どうしてジャッキーがもう1人の著者を付けているのかファンであればたぶん分かると思います。
たまたまアメリカのハーバードを出た優れた編集者に縁があり彼の協力もあって自伝を出版できたのではないでしょうか。

ここでもう1冊。
自伝の刊行される1年前の97年に出版された"The Essential Jackie Chan Sourcebook"(以下、ソースブック)という洋書があります。
実は、この本には自伝の「伊賀忍法帖」に関してある事実が隠されていたのです。

参考までにもう1冊、ソースブックと同じ年に出た"Dying for action"という書籍は、自伝、ソースブックと同じように jackie chan film checklist という各作品のフィルモ解説がありますが、初期の解説部分は自伝とは大きく異なり、"Ninja Wars"も載っておらず独自の内容となっています。(ちなみにここに挙げた自伝本以外の2冊の出版にはジャッキーは何ら関係していません。)

前置きが長くなりました。では、いよいよここから本題に迫ります。
まずは2冊の記述を引用しますので見てください。

自伝 :
「僕はカメオで出ているだけだが、そういう形でも出たのは、1970年代人気のあった「殺人拳」シリーズの日本のマーシャル・アーティスト、ソニー・チバと一緒に仕事したかったからだ。」
キャスト:真田広之、渡辺典子、千葉真一、ジャッキー・チェン
監督:斉藤光正
プロデューサー:佐藤雅夫
ライター:小川英

ソースブック(原語):
「Jackie chose to make a cameo in this film in order to work with Sonny Chiba,a well-known martial artist from Japan and the star of the popular Street Fighter films of the 1970s.」
CAST:Henry Sanada, Noriko Watanabe, Sonny Chiba, Jacie Chan(cameo)
DIRECTOR:Mitsumasa Saito
PRODUCER:Masao Sato
WRITER:Ed Ogawa

和文、英文の違いはありますが、"Street Fighter"(=殺人拳)とか"Martial artist"とか、酷似していることに気付きます。というかそっくりそのままですね。(キャスト、監督、プロデューサー、ライターもまったく同じ!!)これは、参考にするものが他になくて書くべき内容が無かった結果、そのまま引用するしかなかったと思うのです。

つまりこれは、ジャッキーが書いた自伝の出版以前に「伊賀忍法帖」に関して既に書かれていた書物があったということになります。要するに自伝の巻末は、この本を参考に書かれているのが一目瞭然なのです。

もしジャッキーがカメオ出演したと書いている部分を本人が書いたのであればソースブックを参考にすることなく自伝にしかない内容を書くはずです。逆に言えば自伝にしか載っていない内容(自伝とソースブックの差分)こそがジャッキーが語った真実だと言えるのではないでしょうか。
なので、Ninja Warsを含め、ソースブックとまったく同じ文章になっている部分はジェフ・ヤンによって編集されたものだと思います。
結局のところ私の考えは、自伝にある「伊賀忍法帖」のカメオ出演は本人の弁ではなく編集者によって作られた虚構だということです。

ではいつから出たか?
自伝が出る以前(98年以前)にはこんな噂(または"Ninja Wars"がフィルモに載っている状態)があったでしょうか?自伝が出元であるので私はおそらく無かったと思っています。

・・・以上ですが、真相はこんなところではないでしょうか。これで疑問がスッキリとなれば幸いです。

最後に、今回の記事はカメオ出演、非出演のどちらかを証明するものではなく、自伝より前に「伊賀忍法帖」に関して自伝と同じ記述のある書籍が存在していたという事実があった・・・というだけの内容であるということをおことわりしておきます。

 

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今日の電影バージョン・アップしました。

2012-02-03 00:00:00 | その他・研究

昨年末に公開しました”今日の電影”ですが、本日よりバージョン・アップして2.0になりました。

変更点は、いままでの公開作品1本セレクトとは別に、未公開作品を含む電影の中からジャンルをしぼって
セレクトするボタンを追加しました。

とりあえず、選べるジャンルは10個に限定して、武侠、カンフー、現代劇・アクションもの、キョンシー映画、少林寺、刑事もの、ホラー、コメディー、ドラマ、その他の中から1つ選べます。

こちらからどうぞ。

 

Let's Enjoy!

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今日の電影

2011-12-23 00:00:00 | その他・研究

Twitterをやっていると、診断メーカーで、いろいろな診断を日替わりでやってくれたりしますね。どのような仕組みであるかわかりませんが一定の法則の下、今日の診断ということで自動的に選んでいるように思います。

これをヒントに私も作ってみました。題して、“今日の電影”です。


操作はとてもシンプルです。名前を入れてボタンをクリックするだけ。これで誰でも簡単に今日の電影を占えます。(結果もツイートできます!)

用途としては、例えば、好きな映画が出てくるかどうか試しに占ってみたくなったときや、純粋に何か映画を見たくなったときに参考にしたいときなどにクリックします。(他にも面白い活用方法とかあればカキコお願いしますmOm)
すると、あっという間に今日のあなたに相応しい作品を日替わりで教えてくれます。(詳細データへのリンクつき。準備中。。)

いまのところ未公開作品は登場しませんが、今後、公開/未公開を選択したり、ジャンルや様々な条件を選べるように改良したりするかも・・!?

Let's Enjoy.

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武状元

2011-12-03 00:00:00 | その他・研究

ビリー・チョン主演の『武状元』(1980)です。
恒生影業による、とても良質なカンフー作品と思います。

冒頭、武状元の説明が入ります。

 

清朝末期のある晩、満州人の一人の男が、羅漢拳、北少林拳、自然拳、形意拳、八卦掌の各流派を招待し円卓を囲んでいた。
やがて誰が武状元に相応しいかとの話題になると険悪なムードになり武状元を巡る争いへと発展。
これはパーティの招待主である西嶽馬面拳高手・崗世民(ホウ・チャオシェン)が仕掛けたワナだった。皇帝に仕えていた崗世民の父の復讐のため招待した流派を壊滅させるのが目的だった・・・。

自然拳のビリー・チョンとウォン・チーミン(黄志明)のコンビネーションはとてもスピーディーな動きで見ていて気持ちが良いですね。ウォン・チーミン(「蛇拳」で鼻にハシを入れられた(笑。)はココではめずらしく師匠役のようですが、こんな姿は初めて見ましたね!(南北の鷹爪拳を取り混ぜた型などを教えています。)こんなに出来る人だったとは。

 

ビリー・チョンとの共演作(5本だったか?)も割と多い江島さん(今回は大ボスではありません)。もっと活躍してワルの中のワルでも演じて欲しかったなぁ。

 ムムッ

それにしても馬面拳(うまづら・・拳ですからね(爆。)ってどんな拳法なのかと思ってしましましたが、いろんな種類の拳法が登場して面白い作品と思いました。平日に見るには十分過ぎる楽しい1本でした!

 

 

 

 

 

 

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カンフー・エグゼキューショナー『生死邊縁』

2011-09-28 00:00:00 | その他・研究

ビリー・チョン主演のバイオレンス・アクションムービー。当時はアメリカでも評判が良かったみたいですが香港でのタイトルは『手指拗出』と、ちょっとなじみの無い響きになっています(下の記事参照)。実際の タイトル『生死〜』の方が断然馴染みがありますね。

ところで、ビリー・チョンの恒生(エターナル・フィルム)作品はどれもクオリティが高くて良質のカンフー映画が揃っています。(ビリーだけでよくもこれだけの作品を次々と制作できたなぁと思います)これらの作品を一気に流して見るととても見応えがあります。『生死~』もいきなりのっけから共演者のカール・スコットの演舞も格好いいですね。 これはどうしてなのかと考えると、邵氏で助監督として育った林展偉が『武状元』で監督デビューを果たし、この人も詳細不明ながら70年代後半には実力を発揮して来ていたんですね。

本編は陳星が刑務所から脱走するシーンからはじまります。陳星が逃走するシーンだと初期の『蕩寇灘』なども思い出されますね。
その陳星も76年頃の『跳灰』などではイメージがかなり変わっていました。
ただこのカンフーエグゼの陳星を見ているとちょうど『蕩寇灘』のころのイメージにまた戻っています。ちょっと不思議な感覚に見舞われてしまいました。これはどうしてなんでしょうね。
江島のおっさんはビリー主演の恒生作品にはなくてはならない(?)存在で大方レギュラー出演、しっかり『生死邊縁』にも参加しています。江島の登場でより楽しくなってきます。いろいろなところで楽しませてくれますね、彼は(笑。


当時の記事

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ぴあ最終号

2011-09-11 00:00:00 | その他・研究

やっと手にしてみました、ぴあ最終号。最終?と聞いて書店に行ってみると置いてなかったのであきらめてたんですけど、たまたま別の書店にあったんです。

また雑誌の廃刊か。って当たり前みたいになっているのが、どうしてなのか(?)自然のなりゆきとしか言えませんが、いまさら驚くも何もありません。
とはいっても昔はこの雑誌だけを頼りにしていた映画少年でしたのでかなり役に立っていた情報誌でした。表紙の絵がやはり特徴のあるもので、今週はこの人なんだぁとその時に少しは話題になっている人物が誰であったのか把握できたりして楽しみにしていた部分もありました。

香港スターが表紙を飾ることは非常に少なかったと思いますが、例えばジャッキーもそんな表紙の顔をかざった時がありましたね。
これがそのときの物。

 1057号

終わってしまえばその殆どが古い情報になってしまうのですぐに処分するという運命の雑誌なのでありますが、しっかり捨てずにまだ取ってありました(よく残ってたねー)。まぁいつなくなっても分からないような状態ですのでいまのうちにパラパラと読み返してみようかと。

 
このときは「メダリオン」が公開された頃で巷で流行っていた時期だったんでしょうね。 イラストの絵は今見ると鼻は大きいとしても、ちょっとふっくらしすぎちゃってるなぁ(笑)。でもちょっと面白い絵だなと思います。

他にも表紙を飾ったスターもいたと思いました。
歴史はこの最終号を見れば分かる内容になっているように思います。
長い間どうもお疲れ様でした。

 

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江島

2011-08-30 00:00:00 | その他・研究

江島の部屋へようこそ(笑

少し前に『少林英雄榜』(79)を観て以来チャン・タオが面白いなと思って、その時の彼を思い出すたびクスクスとひとりで笑ってます。

 

邵氏作品にも多数出場、じゃなかった出演しているチャンタオですが、独立プロのカンフー映画にも、うれしい事にしょっちゅう登場してましたね。
さて、彼は70年代後半『少林英雄榜』などに登場してあのキャラを作り上げるまでにどんな経験をしてきたのでしょう。
主役を張れるような人物ではなかったようですが、役者としての才能もきっとありますよね。

70年頃に俳優をスタートした台湾出身の彼は1942年生まれ。(現在は69歳になっていると思います。)最近『七十二家房客』でも元気な姿を見せていたのでホッとしていました。また例によって彼の作品を洗ってみようと思います。

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七十年代倉田作品のすべて

2011-08-28 00:00:00 | その他・研究

香港そして台湾で活躍した数少ない日本人の倉田さん。
倉田さんはなぜ邵氏にはいったのでしょうか?入ったというと語弊がありますがつまり契約のことです。
70年のとある日、帝国ホテルに来ていた邵氏のランランショウが若手の俳優を探していた。そして東映にいた倉田保昭はオーディションを受ける。

自伝には何も書かれていなかったけど、倉田さんは最善を尽くしたに違いない。結果は見事オーディションをパスして香港でのデビュー作『悪客』に出演するのである。
その後、南海影業の二本を経て、韓国ロケした『四騎士』へ出演。これも邵氏の作品です。 その国内盤DVDが発売されたと聞いたときはとても嬉しくなりました。(私はこの四騎士がリリースされたのは倉田さんの出演作だからこそできたのだなぁと確信しています。)ここで倉田さんはしばらく邵氏から離れることになります。

呉思遠関連については以前記事を書きました。
それにしても73年頃が一番多忙な時期だったんじゃないでしょうか。

ここに一枚の写真があります。

呉思遠と契約する倉田さん


この時、富国影業と契約して、呉思遠が熱望した『餓虎狂龍』に出演しました。
この契約が倉田さんの映画人生でとても大きな出来事だったんじゃないかなと思っています。倉田さんが過去共演したスターを振り返ってみると本当に凄いメンツなのです。その共演スターを再確認にしながら70年代の凄さを総まくりしてみたいと思います。

『悪客』(1971) いきなりデビッド・チャンとティ・ロンと共演。チェン・チェ監督とも共演できましたね。  

   これが倉田さんの香港映画初出演シーンだ!

『小拳王』(1971) メンフェイ、ラウ・コンと共演。

     倉田さんのヌンチャク・アクション!!

『四騎士』(1972) チェン・カンタイと共演。

四騎士劇中でテレビに映った倉田さん


『方世玉』(1972) メンフェイ、王青と共演。子供のころ見たこの倉田さんの悪役は強烈だった。

      古いファンはやっぱりコレですね。


『餓虎狂龍』(1972)   陳星とはじめて共演。

   まだやっぱり若いね。


『猛虎下山』(1972)     続いて陳星と共演。

 白の衣装がビシッと決まった倉田さん。この頃眼光が鋭くなる

『麒麟掌』(1972) ユニコーン・チャン共演

 麒麟掌で倒される倉田さん


『爬山虎』(1972)   「子連れドラゴン女人拳」の孫嘉林と共演。  
両手両足で壁のぼりしちゃう倉田さんが登場

『英雄本色』(1973) そして、台湾でついにジミーさんと共演!!! 

   濃い3人(笑)。薄い、濃い、中くらいの順。

『[走旱]盡殺絶』(1973)  陳星、上官霊鳳、エディー・コー共演。

   銀行のトップの倉田さん

『死對頭』(1973)金剛と共演

この金剛との作品、結構好きかなぁ。

 

『女英雄飛車奪寶』(1973)上官霊鳳と共演。
この時の上官霊鳳とってもかわいらしいので一番好き。    


『怒髮衝冠』(1973) アラン・タン共演

 先日亡くなったアランタンとも。

『大小通吃』(1973)これは豪華。 黄元申、フーチン、シー・フォン共演。(黄元申の”申”は甲羅の甲によく勘違いされます。)

     黄元申とのバトルがインパクト大。 

『黒豹』(1973) 陳星と共演

 港で陳星とバトル

    
『除暴』(1973)  江彬共演。 出番殆ど無し。  
多忙だったんでしょうねぇ。スーツでチラッと出演。

『強中手』(1973)  マニアックな田野と共演

    自伝に貴重なカラー写真が載ってましたね。


『飛虎小霸王』(1973)王冠雄、シルビア・チャン共演作。
シルビア・チャンのデビュー作。

川原を投げる、投げまくる倉田さん。

『雙面女殺星』(1973)  上官霊鳳と金剛と共演

 この組み合わせも多いですね。

    
『虎拳』(1973)   陳星との共演。   出演シーンは少ないけど龍飛を魯平と一緒にブンなぐっていました。
 ちょっと笑顔の倉田さん

『両虎悪鬥』(1973) 金剛と共演。

   Tシャツ姿が印象的でした。

 
『大小游龍』(1973) 上官霊鳳、金剛と共演。おなじみの鄭富雄なんかも。

最近、知野さんもブログを書いてましたね。

『狼對狼』(1973) 陳強と共演。

  倉田さんの出番少ない。陳強と戦う。

  
『神龍小虎闖江湖』(1973)  ブルース・リャン共演。この「帰って来たドラゴン」のブルース・リャンがやっぱり有名ですねぇ。   
 黄韻詩さんとツーショット

『金三角龍虎門』(1974) チャンリーと共演。フィリピンでの撮影。

     ナイトショーのぼよよーんにうっとり


『香港小教父』(1974)  またまたブルース・リャン

    大舞台・ローマでの格闘!!

『大追蹤』(1974)   ハン・インチェと共演。これはうれしかったのかな。

長い顔のチョイ・ホンさんとも。

『神拳飛龍』(1974)   もちろん、ブルース・リャン。(あと、ヤン・スエなど) 

得意の素早い蹴り。これが好き!!  

『方世玉大破梅花椿』(1977) メンフェイとラウ・カーウィンと共演。

日本人らしい日本人役


『旋風方世玉』(1977) メンフェイ、譚道良と共演。クレジットはしっかりあるけど、冒頭だけチラッと出演

 挿入だから共演とは言えないかも。

『傳奇方世玉』(1977)  同じくメンフェイ、譚道良と共演。

 これも復讐のドラゴンからの流用     

『中華丈夫』(1978) 劉家輝、そして劉家良とも共演。劉家輝の話は確か倉田さんの著書・交友録にも無かったね。

  カニ拳を見せた倉田さん

   
『撈家撈女撈上撈』(1978)  ブルース・ライと共演。カンロク出てきた高遠も目立ってましたけど。

   龍方と対決する倉田さん(右:龍方)

『猛男』(1978) チャーリー・チャンと共演。at インドネシア

  この頃もなかなかかっこいい。

以上、80年代以降も倉田さんの活躍は続きますが、とりあえず70年代までをざっと書いてみました。

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跳灰

2011-08-22 00:00:00 | その他・研究

『跳灰』JUMPING ASHは1976年、「ザ・ポップマン」の監督であるレオン・ポーチがイギリスで映画を勉強した経験から放った第1弾である。(広東語音声)
香港新浪潮(香港ニューウェーブ)の先駆けとして知られている本作だが、こちらのウィキペディアを読むと、イムホーのところに『夜車』なんてものあって驚いた。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E6%96%B0%E6%B5%AA%E6%BD%AE

主題曲は当時流行っており”大丈夫”や”問我”といった曲もyoutubeなどでは現在視聴可能となっている。
【参考】こちらは海外のブログより
http://suling213.blogspot.com/2010/05/blog-post.html

刑事物も流行していた香港で、社会問題になっていた麻薬をテーマに主役の刑事(嘉倫)が組織と対決する。
本作ではオランダロケを敢行。リアルな映画作りで、当然アメリカの刑事ものを意識している。陳星とチャーリー・チャンが出演しているが、やはり注目は嘉倫か。

オランダと言えばコレ

また、共同で監督そして製作や脚本にも関与したジョセフィーン・シャオが花を添えている。


競馬場のシーン。これは香港かな?
そうだ、そうだ。これを見て思い出した。邵氏などのカメラマンだった西本正さんが、競馬場のシーンを「MrBOO!ギャンブル大将」と何かの映画と掛け持ちで撮影したとかって話を思い出した。確かハーベストの映画を撮っていてその映画のタイトルを思い出せなかったとか。(あれはなんだったっけ?)

スラムの九龍寨城の嘉倫さん

冒頭、キャストは3人だけクレジットされていた。陳星とチャーリー、ジョセフィーンの3人だ。
なのでこの2人の対決はやはりこの映画では一番の見所になっている。

いいねぇ、この2人。


ラストのクレジット。こんなのもいいね。

執行製片にはあのロニー・ユーが。

武術顧問がチャーリーになってる。

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ブルースリャンの初武術指導

2011-08-11 00:00:00 | その他・研究

ブルースリャンは、70年代はじめ、ある映画ではじめて武術指導という役目をつとめることになります。

ちょっと、その前に先日の『達摩五形拳』ですが、その方面に詳しい方々からメールをもらいまして詳細不明でした『達摩五形拳』の詳細が判明しました!(メールを送って頂いた皆様。どうもありがとうございました。)
結論としては、ブルースリャンは出演していないという事。そして『達摩鐵指功』とは一応別映画であるということです。
これらの貴重な情報はすべてデータベース上に登録、蓄積させておきたいと思います。(これが皆さんのための共有資源になりますので。)英語版のトレジャーオブブルースリーも海外ショップなどで是非購入してみたいと思います。(まだ買えるかな?)

ではここから本題に。ブルースがはじめて武術指導をした作品とは何か?陳星vs倉田の『餓虎狂龍』?それともパイ・インの『黄色殺手』? いえいえ違うんです。

ブルースリャンにもこの時期はこの会社というその時々の遷移、移り変わりというものがあると思うのですが、呉思遠の目に止まる前、つまり邵氏での作品が最初であるはずですよね。武術指導をするからには、まして邵氏のような大会社であれば必ずクレジットされると思います。

私の考えでは72年の『林冲夜奔』がそうではないかと。72年といっても実際は72年の早い段階で撮影してますのでこの『林冲夜奔』の武術指導が最も早いという考えです。
 これがおそらく初のクレジット
この映画の冒頭で、ルイス・ファンのお父様ファン・メイサン(水滸伝で有名な魯智深の役)が大暴れして目立ってますが、その場面で見せるリャンのとても地味〜な出演場面です。 
 一番右:リャン

表情もぽか〜んとしてどっかに行っちゃっているような感じです(笑)。空手のチャンピオンなのにね。
いやいや、でもこのリャンが魅せるギャップが最高ではないですか。実力を隠して、武術指導は叔父さんと共同作業、おまけに出演まで。(で、そのうち呉思遠の目に止まる)

面白いのでリャンについてもう少し続きますが、最近続いているネタであります香港カンフースター濃い人物編。つぎに登場する濃いスターはやはり陳星がいいですかね(爆。

 

 

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