袁和平監督の「霍元甲」です。
今まで数多くの映画、ドラマで取り上げられて来ました武術家”霍元甲”。
この”霍元甲”の呼び方ですが、皆さん何と呼んでいるのでしょうか?
ブルース・リー「ドラゴン怒りの鉄拳」では”ホ・ユアンチア”、国内版ビデオの「激突!キング・オブ・カンフー」では”フォ・ユイカン”、先頃の「SPIRIT」では”フォ・ユァンジャ”(HUO YUAN JIA表記をそのままカナ変換、発音を無視した例)
・・・と、様々で今ひとつ日本での呼び方がFIXしていないのが残念です。
音読みで”カク・ゲンコウ”でもいいですし、今後もまだまだ話題になったり新作が出て来ると思いますので早く統一、定着する方向にむかって欲しいものですね。
この有名な武術家の少年期~青年時代を描いた物語が80年代はじめ、呉思遠の会社(思遠影業)で袁和平が監督、映画化しました。
原題もズバリ「霍元甲」で81年の黄元申のTVシリーズ「大侠霍元甲」よりも早く製作開始されました。
当初はこちらも「大侠霍元甲」として80年秋頃からスタートし、途中、袁和平側の事情(袁小田の逝去、「ツーフィンガー鷹」撮影等)や思遠影業の資金繰り悪化の噂など様々なトラブル、スケジュールの関係で撮影期間は長期化してしまったようです。
結局約1年かかって82年の早い時期に香港で公開されています。
この映画の助監督3人の中のひとりには趙鷺江の名も挙がっています。
同じ袁和平監督の「奇門遁甲」でも助監督を務めているようですが、彼は、邵氏⇒富國ほか独立系⇒羅維影業⇒袁和平作品という経路を辿っていてとても興味深い人物です。
また、前述の国内版ビデオですが調べてみますと80年代後半に発売となっていました。
東北新社が作って東映から出たこのビデオはブームからやや遅れての発売となりましたが、その後、東北新社から日本語吹替版が製作されオンエアされました。(これは日本においては埋もれてはならない事実ですのでここに記しておきます。)
この時のタイトルが「拳王伝説・燃えよファイター」で霍元甲が”拳王”として登場したこともあったのです(おそらく漫画「北斗の拳」の影響と思われます)。
”燃えよファイター”というサブタイトルもなかなかだと思いますし、主人公も確かに燃えてましたので納得のタイトルでした。この吹替版では霍元甲を”ホン・ヤンチャ”とまた違った呼称となっていました。
この映画では霍家の四男であった主人公・霍元甲の少年時代を袁日初が演じ、そして青年時代は”癲螳螂”梁家仁が熱演しています。
また、倉田保昭が主人公の家庭教師(コウハオサン=江厚山。字は十郎)を演じています。倉田は「中華丈夫」に続いて中国功夫と日本武道との対決をテーマにした映画に出演しました。日本と中国を繋ぐ壮大なこのテーマには最も相応しい俳優であったと思います。
倉田が家庭教師になりすましてこっそり秘伝の霍家拳法を修得する側ら霍元甲にも拳法を教える倉田先生。得意の空手のような鍛錬を披露するシーンはかなりの見せ場ですね。
また、自分の正体を明かす場面で名刺をサッとナイフのように投げ、高飛の帽子に突き刺すシーンもユーモアに富んだ素晴らしい場面と思います。(この名刺の山口江十郎の名前に"ふりがな"が振ってあるのもご愛敬!)
時が経ちドラマは結末を迎えます。霍元甲はひょんなことから師匠の倉田と対決することになってしまいます。
このラストの梁家仁と倉田の顔の表情を見ていると別人のように変貌しており映画と言えども真剣勝負ということが伝わってきます。
二人を除いて誰もいない道場で、ついに生か死かの選択を強いられた師弟対決が始まりました。
長い激闘の末、道場から出てきたのは・・・、これはもう明白ですね。
ここでスローモーションとなり、以下のナレーションが入ります。
「つらい恩師との勝負は終わった。元甲にとって人生の転機となる戦いだった。人が無闇に無用な闘いをして血を流すのは武道の真の精神を理解していないからである。せめて中国に心身を鍛える善なる拳法を広めよう。元甲はこう決心し、流派を超えた拳法を提唱、精武道場を設立した。そして全国各地に道場を建立し、精武拳法を広く普及させたのである。英雄霍元甲は永遠に多くの人に愛されるだろう。」
伝説のファイター誕生の瞬間。それは悲しい結末でもあったのです。
(8/15修正)
今まで数多くの映画、ドラマで取り上げられて来ました武術家”霍元甲”。
この”霍元甲”の呼び方ですが、皆さん何と呼んでいるのでしょうか?
ブルース・リー「ドラゴン怒りの鉄拳」では”ホ・ユアンチア”、国内版ビデオの「激突!キング・オブ・カンフー」では”フォ・ユイカン”、先頃の「SPIRIT」では”フォ・ユァンジャ”(HUO YUAN JIA表記をそのままカナ変換、発音を無視した例)
・・・と、様々で今ひとつ日本での呼び方がFIXしていないのが残念です。
音読みで”カク・ゲンコウ”でもいいですし、今後もまだまだ話題になったり新作が出て来ると思いますので早く統一、定着する方向にむかって欲しいものですね。
この有名な武術家の少年期~青年時代を描いた物語が80年代はじめ、呉思遠の会社(思遠影業)で袁和平が監督、映画化しました。
原題もズバリ「霍元甲」で81年の黄元申のTVシリーズ「大侠霍元甲」よりも早く製作開始されました。
当初はこちらも「大侠霍元甲」として80年秋頃からスタートし、途中、袁和平側の事情(袁小田の逝去、「ツーフィンガー鷹」撮影等)や思遠影業の資金繰り悪化の噂など様々なトラブル、スケジュールの関係で撮影期間は長期化してしまったようです。
結局約1年かかって82年の早い時期に香港で公開されています。
この映画の助監督3人の中のひとりには趙鷺江の名も挙がっています。
同じ袁和平監督の「奇門遁甲」でも助監督を務めているようですが、彼は、邵氏⇒富國ほか独立系⇒羅維影業⇒袁和平作品という経路を辿っていてとても興味深い人物です。
また、前述の国内版ビデオですが調べてみますと80年代後半に発売となっていました。
東北新社が作って東映から出たこのビデオはブームからやや遅れての発売となりましたが、その後、東北新社から日本語吹替版が製作されオンエアされました。(これは日本においては埋もれてはならない事実ですのでここに記しておきます。)
この時のタイトルが「拳王伝説・燃えよファイター」で霍元甲が”拳王”として登場したこともあったのです(おそらく漫画「北斗の拳」の影響と思われます)。
”燃えよファイター”というサブタイトルもなかなかだと思いますし、主人公も確かに燃えてましたので納得のタイトルでした。この吹替版では霍元甲を”ホン・ヤンチャ”とまた違った呼称となっていました。
この映画では霍家の四男であった主人公・霍元甲の少年時代を袁日初が演じ、そして青年時代は”癲螳螂”梁家仁が熱演しています。
また、倉田保昭が主人公の家庭教師(コウハオサン=江厚山。字は十郎)を演じています。倉田は「中華丈夫」に続いて中国功夫と日本武道との対決をテーマにした映画に出演しました。日本と中国を繋ぐ壮大なこのテーマには最も相応しい俳優であったと思います。
倉田が家庭教師になりすましてこっそり秘伝の霍家拳法を修得する側ら霍元甲にも拳法を教える倉田先生。得意の空手のような鍛錬を披露するシーンはかなりの見せ場ですね。
また、自分の正体を明かす場面で名刺をサッとナイフのように投げ、高飛の帽子に突き刺すシーンもユーモアに富んだ素晴らしい場面と思います。(この名刺の山口江十郎の名前に"ふりがな"が振ってあるのもご愛敬!)
時が経ちドラマは結末を迎えます。霍元甲はひょんなことから師匠の倉田と対決することになってしまいます。
このラストの梁家仁と倉田の顔の表情を見ていると別人のように変貌しており映画と言えども真剣勝負ということが伝わってきます。
二人を除いて誰もいない道場で、ついに生か死かの選択を強いられた師弟対決が始まりました。
長い激闘の末、道場から出てきたのは・・・、これはもう明白ですね。
ここでスローモーションとなり、以下のナレーションが入ります。
「つらい恩師との勝負は終わった。元甲にとって人生の転機となる戦いだった。人が無闇に無用な闘いをして血を流すのは武道の真の精神を理解していないからである。せめて中国に心身を鍛える善なる拳法を広めよう。元甲はこう決心し、流派を超えた拳法を提唱、精武道場を設立した。そして全国各地に道場を建立し、精武拳法を広く普及させたのである。英雄霍元甲は永遠に多くの人に愛されるだろう。」
伝説のファイター誕生の瞬間。それは悲しい結末でもあったのです。
(8/15修正)
哪吒や無名英雄、師妹出馬に插翅虎と、本作を合わせて私は5作品で確認しています。
おっ、あの曲ですね。ピンクの服を着た倉田さんが出てきたときは思わず笑ってしまいました。それにしてもこんなに沢山の映画で使われていたなんて…。残念ながら曲は分かりませんが、一番古いのが1970年なのでそれ以前の洋画が手がかりになるかも知れません。