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(3)少林倚天拳について
パート2では、映画の内容にはあまり触れられませんでした。最後の3つ目ではまったく別の視点で映画の内容、ジョン・ウー(以下、JW)その人についても書いてみます。
まず、この「少林門」(以下、秘竜拳)の製作前、JWは『女子跆拳群英會』の次回作として本作を考えていたと思われます。
JWは、自分でシナリオを書ける映画人です。自分の書いたシナリオを読み、感動して涙するような人間でもあります。
JWは、子供の頃から映画を見るのが大好きだったそうです。子供の頃にタダで映画をみようと元気な子供たちと一緒に大人に混ざって映画館の中へ潜り込んで映画を観たんだそうですね。いまも昔も子供にとってはお金がなく料金は高いのです。係員に見つかったら、トイレに隠れたり、子供なのでひょこひょこ逃げ回るんだそうです(笑)。
中学生になると、昔ながらの広東語映画をこっそりみるのをやめ、外国映画を観るために毎日貯金をしていたそうです。学校をサボるのも当たり前、勉強より映画館で過ごす方が楽しかったのです。映画好きの母親が厳しかったそうで、帰りが遅くなると鞭で叩かれたりもしてたそうなんですね。学業の方は数学はニガテで美術や文学の成績は良かったらしいですね。それから、JWの母親がヴィヴィアン・リーの『風と共に去りぬ』や『哀愁』が好きなのだそうです。うちの母親にそっくり(笑)。
やがて18歳ぐらいになると、映画を作ってみたくなり、自分でガラスに絵を描いてみたり、演劇で小さなドラマに自ら役者として演技してみたりしたそうです。その時の一部観客がJWの演技に感動して涙したそうで、この時の小さな体験がJWにとっては大きかったようですね。
そんなJWが数々の現場経験を経て立派な映画監督に就任して、なぜ題材としてこのタイミングで少林拳を選んだのか。台湾では75年あたりから郭南宏先生の「少林寺への道(オリジナル75年版)」を皮切りに続く「少林少子」など、台湾から少林寺映画ブームが起きていたかと思います。(この辺りは今後の研究課題です)
その影響かどうかは分かりませんけれども、秘竜拳もその仲間入りした形ですね。
映画の撮影自体は終わっていたと思いますが、75年末にはある作曲家を投入して映画に磨きをかけます。いまから数年前に惜しくも亡くなってしまいましたけど、主題曲や映画で使われた音楽に顧嘉輝(ジョセフ・クー)をこのタイミングで起用したのです。当時の香港でレコードが発売されていたか不明ですけど、映画を盛り上げる音楽として最高でした。この音楽を入れなければ映画は完成にはならなかったんですね。
クーの音楽も好きですので、たまにカーステレオでCDながして世界にひたって例えば『當年情』なんかを聴いたり、カラオケを歌ったりするのもいいですよね。
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さて、JWは映画を自分で撮る時に昔からスタントマン起用を嫌がっていた監督と思いますけど、この秘竜拳でも出演者に強く代役を使わないようお願いをしたという事です。
つまり、嘘をつきたくない、可能な限り自分自身で役を演じてリアルな役者をそのまま撮って観客にみせたい、そういう主義でやっている監督だと思います。他の俳優や、ジャッキーにしても迫力のある槍アクション、演技を秘竜拳で十分見せていたと思います。
そういえば以前に香港の俳優でした梁少華さん(現在は梁明華さんに改名)から、JWについて貴重な証言をお聞きする機会がありました。
この記事を書いていて、ふとJWの映画作りに影響を与えたかも知れないという古い映画を明華さんから教えていただいた事を思い出しました。JWがショウブラを抜けてハーベストの映画を撮るようになる前の話です。
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以前こちらの記事に少しだけ書きました。
https://blog.goo.ne.jp/leecoo/e/0a33bf2f854333a18e20de6bb305cef8
もうちょっと補足しますと、『除霸』のJW関与についてだけでなく、その映画のタイトルが『扑不滅的火焰』であると教えていただいたのです。うまいこと観られるとよいのですが、まだ未見の映画ですので是非チェックしてみたいと思います。
梁明華さんから私、醒龍へのメッセージ
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話を秘竜拳に戻します。香港電影資料館によりますと、秘竜拳は当初『少林倚天拳』という題名でしたが、実際には少林寺に倚天拳という名前の拳法や、倚天拳譜というような書物も存在していないため、後に映画のタイトルを『少林門』に改名したのだそうです。
(少林倚天拳譜という名前は後に、とあるハーベスト作品に登場します)JWは当初どんなシナリオを考えていたのでしょうか。
JWは拳經という書物から功夫の真意を悟り『少林倚天拳』のテーマにしたんだそうです。理論だけでは映画は作れないとは言っていますけど、その精神を映画に反映させているという事です。
ここに最初のシナリオ、『少林倚天拳』(嘉禾電影公司)があります。
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『奪命金劍』の薄い20ページのセリフ台本に対して、『少林倚天拳』の方は全65シーン、150ページあります。
まず最初に登場人物の一覧表がありますが、これにまず驚きました。あとから手書きでメモが書いてありましたが、主人公の雲飛、ボスの石少峯(長刀)、江南浪士ことゾロ(剣)、そして譚風(霸王槍)、譚雄、ゾロの愛人・秋月の6名が最初のページに記載されています。当初の設定では、譚風の年齢が50歳、20歳の譚雄がその息子の設定になっているのがポイントです。最初のシナリオはこうだったんですね。
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場所: 留置場
時間: 夕暮れ
登場人物: ユンフェイ、タン爺、看守2人
(彼は縛られて吊るされ、服は引き裂かれ、体中傷だらけで、明らかに拷問 を受けていた)
(看守2が緊張しながら答える)
(突然ドアをノックする音が聞こえる)
(看守Aは小さな鉄扉と窓を見る)
(外には看守のふりをするタン爺がいる)
看守A: どうしたんですか?
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映画のラストシーンですが、これもしっかりシナリオに書かれた通りのシーンとなっておりました。馬に乗ったユンフェイが現れて、最後に剣と槍を映し出してましたね(涙)。
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