福岡市は3月に入って寒さが急に和らいで来ました。1、2月の朝の、身を切るような寒さがいつの間にか消えて、春の訪れを感じる穏やかさが漂ってきました。皆様の所は如何でしょうか。
書店で「2011年(新書ノンフィクション)年間ベストセラー第1位 (100万部突破)」との帯が巻いてある、曽野綾子さんの『老いの才覚』が積み上げられているのを見つけ、買って来ました。
曽野綾子さんは私の好きな作家の一人で、若い時から彼女の小説、エッセーをよく読みました。彼女は約40年ほど前に、老いについて書いた『戒老録』、更にその10年後に増補新版『戒老録』を出版されていて、増補新版の方は私も読み、今でもその本は本棚にあります。
今回の『老いの才覚』も同じ著者の老いについてのエッセーですが、この2つのエッセーは、ひとりの作家が老いをどんな風に考えるか、 自分はどんなふうに老いることを望むか、 40年ほど隔てた 二つの時間軸で「老い」を眺めた文章で、重複する部分が多いながらも、興味深いです。
『老いの才覚』にも以前からの彼女らしい歯に衣着せぬ表現で、老人の甘えを諌める言葉が多く出てきます。その主張はかなり手厳しいですが正論だと思います。
「高齢化社会を迎えているが、年を重ねても自立した老人になる方法を知らない人が増えている。この年のとり方を知らない、わがままな老人が増えている事こそ大問題である。老いの基本は『自立』と『自律』、他人に依存しないで自分の才覚で生きるべきだ。そして、気負うことなく自分のできる範囲で生きていけばいいのだ」というのが本書の主張でしょうが、まったく同感です。
が、しかし、自分が著者と同じ様に、もし80歳まで生きたとしても、その時も同じ気持ちでやっていけるかどうか、まったく自信がありません。これから老いを迎えるにあたって、周りに依存した老人にだけはなりたくないと、いつも思ってはいるのですけどね~...。「年のとり方を知らないわがままな老人」にならない為にも、今からしっかりこころの準備、覚悟が必要な様ですね。
【その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で「会ったか」によって、はかられるように私は感じています。人間にだけではなく、自然や出来事や、もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。何も見ず、だれにも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は、人間として生きてなかったことになるのではないか、という気がします。(114ページ)】
上の様な文章を見つけると、思わずドキッとしますね~。ただただ時間に流されて過ごしている今の自分に、冷や水を浴びせられた様な、又、焦りにも似た気持ちが湧いてきます。
この本は今まで何となくイメージしていた自分のこれからに、一つのヒントを与えてくれる、そして、しっかりしなさいと叱咤激励してくれる本で、老いを迎える元気(?)が湧いて来る不思議な本です。