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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

祖原公園(元寇遺跡)

2012年03月12日 | お出かけ

めっきり春らしくなって来た昨日、福岡市西新の南にある祖原公園に登ってみました。この公園は小高い丘の上(標高約35m)にあり、松ぼっくりやどんぐりが拾える雑木林は付近の子供達の格好の遊び場になっています。

ここは又、今から738年前の1274年の文永の役の際、蒙古軍(元軍)が博多湾に上陸して本陣を構えた場所です。百道浜の海岸線から約3Kmの所にあり、ここまで攻め込まれていたのですね~。

Photo_2 <元寇遺跡碑>

元軍は室見川河口から上陸し、祖原山に本陣を構え、日本軍は鳥飼、赤坂一帯で迎え撃ったと言われています。公園の中には「元寇租原戦跡」の石碑が建っています。

Photo_3 <「元寇租原戦跡」の石碑>

日本軍と元軍とでは合戦の作法がまったく異なっていたのだそうです。日本の武士達の戦いは一騎打ちでお互いが名乗り合い、相手を確認してからの合戦で、元軍の戦いは大将の指揮による集団戦だったといわれています。

日本軍はいまだ経験したことがない戦い方にとまどい、多くの武士が討たれ、鳥飼、赤坂辺りで激しい戦闘を繰り広げました。日本の武士達の活躍にもかかわらず、元軍が優勢で日本軍は太宰府の水城まで退却したのだそうです。

ところが翌日の朝、元軍が上陸した海の方を見渡したところ、元の船は皆いなくなっていました。神風は1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度起こったと広く信じられていましたが、確実に起こったの1281年の弘安の役の時のみで、文永の役の際には補給の不備などから元軍が自ら撤退したものであり、暴風は起こらなかったとする説が今では有力なのだそうです。

今から3、40年前までは、祖原公園から蒙古軍が上陸した百道浜方面がよく見えましたが、今は手前のビル群にさえぎられて、海岸線はまったく見えなくなりました。

Photo_5 <ビル群にさえぎられた百道浜方面>

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