宇佐神宮の5句で『ホトトギス』巻頭を得、虚子から褒められて久女はどんなに嬉しかった事でしょう。この年、昭和8(1933)年に彼女は次々に代表作といわれる句を生み出しています。
久女年譜によると、昭和8年の8月末に筑前大島ほしの宮、七夕祭りに詣でています。この時に下の句が生まれました。
筑前大島十二句として
「大島の 港はくらし 夜光虫」
「濤(なみ)青く 藻に打上げし 夜光虫」
「足もとに 走(は)せよる潮も 夜光虫」
「夜光虫 古鏡のごとく 漂えり」
「海松かけし 蟹の戸ぼそも 星祭り」
大島星の宮吟咏
「下りたちて 天の河原に 櫛梳(けず)り」
「彦星の 祠は愛(かな)し なの木陰」
「口すゝぐ 天の真名井(まない)は 葛がくれ」
玄界灘一望の中にあり
「荒れ初めし 社前の灘や 星祀る」
「大波の うねりもやみぬ 沖膾(なます)」
「星の衣(きぬ) 吊るすもあわれ 島の娘(こ)ら」
星の衣は七夕の五色の紙を衣の形に切り、願い事をしるして笹
に吊るすもの
「乗りすゝむ 舳(へ)にこそ騒げ 月の潮」
夜光虫を詠った4句は写実句ですが、4句目の海中の夜光虫の群がりを古鏡の様だというところに共感を覚えます。それはずっと以前に海に夜光虫が小さく群がっているのを見た時のことを思い出し、うまい例えだな~と思うものですから。
大島星の宮吟咏の「下りたちて...」の句は、久女のナルシズムが極まった句などと言われているようですが、妖艶な感じのする句ですね~。
「彦星の...」の句の、なの木陰の「な」とは「何」のことでしょう、おそらく。彦星の祠には心惹かれるが、これは何の木陰かしらと詠っているのでしょう。何かの木陰に彦星の祠があるんでしょうね~、きっと。
玄海灘一望のなかにあり、ではそれまでと一転して、眼前のうねる玄界灘をよんでいます。「荒れ初めし...」の句は、「星祭り」の様な名詞止にしないで「星祀る」と動詞止めにしたので、古くから伝わるこの祭りに人々が集まって来ている感じがよく出ていると思います。
「沖膾」とは沖で捕獲した魚を直ちに船中で膾(なます)にしたものをいうそうです。
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