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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~虚子に序文を懇願するも...~ (53)

2016年03月23日 | 俳人杉田久女(考)

昭和6(1931)年に帝国風景院金賞を受賞し昭和7年俳誌『花衣』創刊、そして昭和7年、8年、9年には毎年『ホトトギス』巻頭5句を得ていた久女は、はたから見ると才能が大きく花開き順風満帆に見えますが、彼女自身の中では苦悩、焦りを感じながら過ごしていた時期でもあったはずと前回の記事(52)で書きました。

ここに池上不二子著『俳句に魅せられた六人のをんな』という本があります。本の内容は6人の女性俳人のことと、
走り書き女流俳句史で構成されています。久女のことは〈焔の女ー杉田久女ー〉という項目に出てきます。


この本は昭和32年に出版された本で、私は平成19年に古書店サイトで手に入れました。稀少本でなかなかネット上にも出ず、ずっと探していましたが、この時やっとネット上に出ているのを見つけ、初版本で結構値が張るにも関わらず買ってしまいました。

著者の池上不二子は、ホトトギスの俳人であり重要文化財の修復や装幀を手掛けていた和綴本製本家の池上浩山人の夫人で、彼女自身もホトトギスの俳人であった女性です。

この本は久女関連の研究書の中でよく引き合いに出される本ですが、それは久女が句集出版の願いを胸に、それに向かって懸命になっていた昭和8、9年頃のことが書かれている為です。

筆まめな久女のことですから、昭和8年に上京する前から、句集を出したい旨、またその時は序文をお願いしたい旨の自分の気持ちを手紙に託して、虚子に出していたと思われます。

しかし、虚子はそれに対していい返事をしなかったようです。久女年譜をみると昭和7(1932)年の終わりに既に、〈句集出版の志を持ち、序文を虚子に願うも承諾されなかった〉という記述があります。それで昭和8年の久女の上京になったのだと思います。

この上京の時に久女は、この本の著者の池上不二子の家に滞在しました。本の中に〈久女さんから上京するという知らせを受け取ったのは、昭和8年の初夏の頃と思う〉とあるので、昭和8(1933)年の5~6月頃に久女は上京したのでしょう。

〈久女さんが今度上京されるのは、自分の句集出版の用が大部分であった。主人は前年その父である『蛇湖句集』を出版してから、久女さんとはとくに親しくなった。今度久女さんが主人に会うのも、世に出る『久女句集』の装幀を夫に頼むためであった。〉と著者は述べています。

そして久女の滞在中、だんだん
彼女が天才にありがちな常識外れの癖のある人であることに、気づき始めたとも書いています。

〈久女さんは時々表へ行っては帰って来たり、又出たり、家にいる時は主人の書斎で手紙を書いたりしていた。句集のことは巧く行かぬらしかった。二番目のお嬢さんも訪ねて来られた。〉などと、句集出版にむけて懸命になっている久女の様子を描写しています。

また、池上不二子は神田生まれの江戸っ子だそうですが、彼女から見ても久女の言葉にはまったく訛りがなかった。雄弁家ではあったが、その言葉使いは少しも騒がしくはなかった。人々はこれを「静かなる雄弁」と評したなどと記しています。

昭和8年のこの上京時にも虚子は序文を承諾せず、句集出版という運びにはなりませんでした。


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