久女の箱根丸見送り風景については、北九州市在住の増田連さんが、著書「杉田久女ノート」の中で詳しく検証されています。この本は杉田久女研究書として、久女の長女、石昌子さんの書かれたものとともによくまとまった労作で、足を使って調査研究した本であるとの評価を今日受けています。
<増田連著『杉田久女ノート』>
著者の増田氏は虚子の『渡仏日記』、日原方舟が俳誌『無花果』4月号に載せた「舟・人・梅」という文章、矢上蛍雪の書いた「門司の虚子先生」、久女の弟子で、久女が指導していた俳句サークル小倉白菊会々員の縫野いく代さんを直接取材した話から、この時の久女の行動を追っておられます。
綿密に調べた結果、箱根丸見送り時の久女の行動は(63)の記事にある通りでした(私は(63)の記事を『杉田久女ノート』を参考に書いています)。
◎ 久女一行が小舟で出帆を見送ったという事実はない。出航時間が来たので皆で岸壁から見送ったと、この時一緒だった久女の弟子の縫野いく代さんがそれを証明している。
◎ 帰路は虚子の『渡仏日記』から、門司に寄港していないことを突き止めた。虚子の文章は全くの虚構である。
◎ 虚子が「一字も読めなかった」という色紙については、矢上蛍雪が「虚子たのし 花の巴里へ 膝栗毛」という短冊(虚子は色紙と言っているが)の存在を彼自身の文章の中で認めている。何故虚子だけが一字も読めなかったのか。
と結論付けておられます。この様に虚子が「墓に詣りたいと思ってをる」で述べている内容は、事実と大きく違っています。なのでこの一文の箱根丸見送り事件に関する部分は、今日、高浜虚子の虚構文であると指摘されています。
私は久女が異常な行動をしたかの如く読者に印象付けるために、虚子は嘘を書いてまで、こんな文章を発表したのだと思います。
その目的は(76)の記事でも書いた様に、虚子自身が勧めて俳誌『玉藻』を主宰させた愛娘の星野立子が、実力ある俳人杉田久女の影に隠れてしまうのを恐れた為に除名したという、虚子の胸の内だけにある久女除名の本当の理由を、彼は公言できないのは当然でしょう。ですから同人除名処置を、久女の異常性格、狂気にからめて正当化しようとする意図があったのではないでしようか。
この「墓に詣り度いと思ってをる」という文章は、発表された当時は虚子のねらい通り、久女の側に一方的に非があるように思われていましたが、時が経つに従って、それが事実ではないことを示す証言や資料が現れると、逆に高浜虚子側の問題点を浮き彫りにするようになりました。
高浜虚子が久女を同人から除名した理由を最後まで明らかにしていない為、増田連さんの『杉田久女ノート』が出版されるまでは、箱根丸見送り時の久女の行動が、虚子の癇に障り、同人除名という処置になったのだろう、という推測がなされていました。
がしかし、『杉田久女ノート』にあるように、事実が大きく歪められているため、この箱根丸見送りにおける久女の行動が同人除名の真の理由ではないことは明らかです。
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