英彦山高住神社(豊前坊)の参道脇にある杉田久女の句碑をはじめて見て以来、40年以上の年月が過ぎました。句碑に出会って数年後に、久女が、当時私が住んでいた北九州市の旧制小倉中学(現小倉高校)の美術教師の妻であったことを知り、以来彼女を身近に感じ、新聞、雑誌などで彼女の記事が出ると切り抜いたり、久女関係の本を読んだりしてきました。
同世代の方々の書かれたブログを読むのが好きな私は、読ませていただいているうちに、自分も好きな旅行やそれまでに調べていた杉田久女についてのブログを、書いてみたいと思う様になりました。旅行ブログは旅行に行きさえすれば書けましたが、久女についてはそんなに簡単にはいきませんでした。
久女という俳人の人生を辿るなどということが、筆力、考察力が無い私に果たして出来るのか。又久女について書くとなれば、彼女の師、高浜虚子との確執にふれない訳にはいかず、それは高浜虚子批判になるのはわかっていましたので、そこに踏み込むにはためらいがありました。その様なわけで、ブログを始めて数年経つのに久女についてのブログは書き出せないままでした。
ですが私自身もだいぶ歳をとり、これまでに久女について私が感じたことを、素直な気持ちで自分なりにまとめてみたいという思いが再び強く湧いて来て、無謀にも俳人杉田久女(考)を書き始めることにしました。
始めると色々な意味で後悔することしきりでしたが、曲がりなりにもよく最後まで辿り着けたなぁというのが正直な気持ちです。
続けられたのは久女の俳句がますます好きになり、また他の俳人達の俳句作品を鑑賞するのが楽しくなって来たからかもしれません。これは久女が私にくれた贈り物だという思いがします。
本当に拙い道端の小石の様なブログカテゴリーの俳人杉田久女(考)ですが、天上の杉田久女の御霊に、謹んでこれを捧げさせて頂きたいと思います。
(平成28年12月20日 記)
【完】
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このカテゴリー「俳人杉田久女(考)」を「谺して山ほととぎすほしいまゝ(久女ブログ)http://blog.goo.ne.jp/lilas0526」として独立させました。内容は同じですが、よろしければ覗いてみて下さい。