ベンゾジアゼピン系安定剤からの離脱 〜鬱から社会復帰〜

薬、全部やめました。重度の鬱病から社会復帰後の軌跡。

親友へTEL

2009-11-10 18:10:06 | 日々のこと
彼女も同じような病気で、頑張っている子です。

でも主婦で子供もいて、大変。無理をしていろいろやらなくちゃいけないもの。

でも一応安定した生活をしているのだからそういう意味ではすごく羨ましい。

私には仕事も家族もない。
いるのは親だけ。
まぁ、いるだけまだいいか。
助かっているから。
親には頭が上がらないね。

何とかしなくちゃな、って思う。
でも焦りも禁物。
焦って無理して活動して休職を繰り返したり、何度も退職繰り返したりしている人たちは
たくさんいる。

だから、どうしたらいいのかわからない。

今の私には彼をつくるのもちょっと億劫。
すぐに疲れるし、彼のために何かをしてあげることなんて、無理無理。
自分の世話だけでいっぱいいっぱい。


なんだか私、間違っていたみたい

2009-11-09 23:54:13 | 日々のこと
私はすごくプライドが高かったんだと思う。
それが奈落の底に突き落とされるようなことがあってから全て人生の歯車が狂いだした。

必死だった。
知られたくなかった。だから、職場から逃げ出した。あんないい職場だったのに退職してしまった。

一年親元で遊んでから、強く生きようと思って他の所へ再就職した。
でも私の我が儘と同僚の酷さに、心の弱い私は耐え切れなくなりある日突然
身体に異変を生じた。

時期を見て辞めた。

次の逃避場所は男の所だった。
結婚すればいいと思った。
遠くにお嫁に行けばいい。そうすればもう傷ついたプライドを忘れられると思った。

でも、これもまた失敗だった。
彼は精神を病んでいた。
1年半。限界だった。5回ほど殺される!とおもった瞬間があった。
週に3日の仕事ももう出来なくなっていた。
今度こそ本当に私は倒れてしまっていた。

実家に戻り静養を始め、症状は良くなるどころかひたすら悪化していった。

同棲中、私は強迫性障害の症状が続き、実家に戻って彼との関係を終わらせた後は、
うつ病へとその病名を変えていっていた。

4年間治療後、主治医を替え、現在5年目になる。
随分と良くなってきているのかもしれないが、
なんかまだまだ、いまひとつでいる。

過去の栄光捨て、プライドかなぐり捨てて、病気の私さらけ出して生きていかなきゃならないんだってことに気付いてきた。

私は恵まれすぎていた。

いい家に生まれ、たまたまいい学校に受かってしまい、たまたまいい就職が出来てしまい、でもそんなの親のお陰で出来たんだから。
私に運を掴む力があったのも確かだけれど、その前にやっぱり親にありきだったこと、思い出さなくては。

ごめん、ママ、パパ。