ベンゾジアゼピン系安定剤からの離脱 〜鬱から社会復帰〜

薬、全部やめました。重度の鬱病から社会復帰後の軌跡。

長い年月をかけて体力を戻す

2012-05-10 17:56:08 | 鬱の治し方
私は、何年もの間、鬱で寝込んだ。

人との社会的接触のない長い月日を過ごしてきた。

精神の薬も山ほど飲み続けてきた。



だから、もう、心も体も神経も脳もボロボロになった。


歳相応の成長の機会を逃した。
歳相応の人生経験も逃した。


トラウマも今だにすごい。

劣等感もすごい。
自信のなさから来ている。

何かを笑い飛ばす心の余裕も失っている。

自信が無いから、真面目に受け取り
馬鹿にされたと感じ取ってしまう。


切り返し方がダメで
自己嫌悪にも陥る。


でも、これが私だから。


人を許す心も失った。

許したくても、許せないのは
なぜなのか、自分でもわからない。

やっぱり、病気と療養生活の後遺症なんだ。

色濃く残っているんだ。


自分はおかしいんじゃないかと不安になる。

おかしくても・・・・
これが私。

こういう運命をたどった。


生きる道を選んだ。


薬に支配される人生を捨て
医療に染まる人生を捨て

自分の足で立って生きていく人生を選んだ。


しばらくのうちは、茨の道かもしれない。


あれもこれも、うまくいかないかもしれない。

でも、薬で廃人同然の生活を送ることを
私は捨てた。

働かず、人とかかわらず
精神障害者として生きる道を捨てた。


普通の人だって、こんな世の中、大変だ。

ましてやリハビリ中の私など、
大変すぎて、
しんどいのも当然だ。



薬で、頭がぼーっとした状態での生活を選べばよかったのか。


毎日、食べて寝るだけの生活。

社会の荒波などとは無縁に過ごす生活。

たまに受ける偏見の目くらいかね、辛いのは。



社会に戻っていく大変さを肌身で感じているが

これを選んだのは私だ。

人に愚痴って、励まされて、努力を認めてもらって・・・・

そんなのは、ほんの一部に過ぎない。


結局、自分で乗り越えて
自分で耐えて
自分で悟っていくしかないんだ。



それでも私は生きていく。






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頑張りすぎないで

2012-05-03 09:55:37 | 幸せの作り方
引用してみました。
私はいつも、これで苦しくなる。
だから、とても心に響いた。


残しておきたい言葉だった。




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ヒーリング・メッセージ♪


変わらなければいけないという義務はない。

変わる権利があるだけだ。

それをいつ行使してもかまわない。

行使しなくてもかまわない。

そこには義務はないのだからね。

変わることを義務にしてしまうから、苦しくなるんだ。


(セアロ108の言葉)


 * * *


わたしたちは、変化を強いる世界に生まれ、

「もっと何かを得るように」

「もっと何かになるように」

社会的に条件付けられてきたと思いませんか?


そして、わたしたちの思考も絶えず欲望(理想)を作りだし、

いま現実にはない「夢の世界」を追いかけるように仕向けてきます。


たとえば、


もっと良い家に住みたい。

もっと貯金を増やしたい。

もっと愛がほしい。


といった具合にです。


世間の多くの人が、

「もっと」というゲームに巻き込まれているように見えます。


ただ僕は、このような欲を持つこと自体は、

人間としての体験の一部で、正邪・善悪でジャッジすることだとは思いません。


問題は、「もっと」にいつも焦点が合い、

「もっと」に執着することだと思います。


このように「変化を起こそう」と「やっき」になっているとき、

わたしたちの身体の中では何が生じていると思いますか?


そのとき、わたしたちのハートには、不安や緊張や堅さがあります。

そして、それが日常的に続くと、筋肉の慢性的な緊張を生みます。


欲望や理想に対する「こだわり」や「執着」、

またそれが得られないことに対する「怒り」は、

身体のある部分に緊張と生命エネルギーのブロックとして現れ、

最終的に「病気」を作り出すことさえあるのです。


そのような意味での、

思考レベルの「一生懸命」や「頑張る」は必要ありません。


今を生きることを忘れ、未来に先回りしてしまうと、

体(内面)の生命力は分裂してしまうのです。


わたしたちは自分にも他の人にも、

「変化しないという自由もある」

という事実を認めてあげることができるかもしれませんね。


「そのまま、このまま」のいまの自分をまずは十分に認めてあげましょう。


そして、「いまここ」の生を丁寧にひたむきに生きるとき、

わたしたちのハートには、気楽さや平安、充実感、やすらぎ、愛があります。


そのような自然な状態の時に、わたしたちの心の奥の願いに宇宙が味方し、

「いつの間にか」自然に変化が生じていたことに気がつくのだと思います。


変化そのものを目的視するのではなく、

日常の何気ない営み、目の前のプロセスをもっと楽しめたらいいですね。



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以上、引用。