いそがばまわれ

回り道な人生は豊かだと思う。大人からはじめたバレエ、ヴァイオリン、編み物、英語を愛して忙しくも楽しく生きてます。

意味を見つけること

2011年06月21日 19時28分03秒 | 日記
  がんばれ、日本
    がんばれ、東北





震災支援の報告会を終えました


震災支援は
なにか大変だったけど
でも実は
自分の中にやりきったという感じは無くて
1か月疲れが残っていました。


何がこの疲れを引っ張っているのか
それも自分の中でまとまらず
もやもやしていました。


やっと1か月以上経って
元の自分に戻ってきて
そして
気が付いたこと。


それは「意味」でした。
自分にとっての支援の「意味」が分からなかったのでした。







「もしドラ」のドラッガーの言葉にヒントがありました。


「組織の定義づけ」です。

「われわれの事業はなにか?との問いは、
 ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。
 わかりきった答えが正しいことはほとんどない。」

「もしドラ」の中から引用しましたが
この本の中で「野球部の意味」を探していたのと同じです。
この本の中で主人公は
野球部の定義づけを「感動を与えること」としますが、
そこに至るまで時間がかかりました。





私も「震災支援」の意味を探し続けていたのだと思います。

それが
支援に行く前でなく
支援をして帰ってきてから
考えることになったというのが
疲れなのだと思います




行く前に「顧客」のニーズをつかむための
マーケティングはできなかったし
目の前の作業をこなしはしたけど

本当の「意味」はなんだったのか
それを1か月探し続けて
疲れていたのだなと思いました。



「震災支援」の「意味」
それは「支援」なんだけど
では
何をすることをが
「支援」だったのか?
私のしたことは「支援」になったのか?


何を悩んでいるのだと思われるかもしれませんが
ここに悩んでいました。



自分のしたことの「意味」を見つけようにも
フィードバックが得られていないから
「意味」を規定できなかったようにも思いました。

やったことに対して
結果が無いからです。

誰からも何も言われていない。
一緒に頑張った仲間同志で
「よくやったよ」とはいうものの
それでよかったのかのフィードバックは無いからです。



なぜなら


そう



まだ支援中なのです





もっともっと
時間が経ったときに
すべての支援が終了してはじめて
私の支援の「意味」が明らかにされるのかもしれません。





こう考えると
震災をめぐって
私のような一人の人間から
政府や国家という大きなものまでもが
「震災からの復興」という「意味」を
考えようと模索しながら
まだわからないでいるのかもしれません。
というより
そんなに簡単に答えが出ないほどの
大きな出来事なのだと
今は思っています。



私のもやもやは
もうしばらく私の中から整理されないみたいです










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コメント (2)
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