小学4年生の時の出来事
以前にもブログで書いたような気もするし
書かなかったかもしれないので
覚えている人がおられたら2回目ですね
詳しくは忘れたけど
体育館の掃除でモップをかけていたけど
自分の掃除の仕方と
他のの生徒の掃除のやり方が違って
結局最後全員先生に怒られたんだったと思う
自分の掃除の仕方が正しいのに
それが他の人に伝わらず
違うやり方をした生徒と一緒に先生に怒られた事が悔しくて
それを家に帰った後で
泣きながら母に言ったら
「あなたの掃除の仕方が正しかったのかしら?」
衝撃的な一言だった
だって
私の掃除の仕方は
先生がこのようにやりなさいと言った方法だったから
間違ってるはずは無かった
私にとって
先生の言ったようにやってる私は正しくて
他の生徒は間違いだった
母はただの私がちゃんと言われたように掃除をしたのか
確認だったかもしれないけど
この一言で
「正しいって何?」と頭がぐるぐるした私がいた
先生が言った方法が学校の体育館の掃除のルールとしては正しいけど
これが違う体育館で
違う掃除の仕方があったとすれば
そこでは私の掃除の仕方は間違いで
他の生徒の方が正しいかもしれない
正しいってひとつじゃ無いし
状況が変われば私は間違いになる
自分が正しいと思っていた事も
他の人から見れば
正しく無いと見えるかもしれない事
それを絶対正しいと思うのは違うという事
衝撃だった
自分に見えてる世界
自分の価値観とは全く違う価値観で生きてる人がいる事
先生が正しいと言っている事も
そう思わない人がいるのかもしれない事
というか
そう思ってない人がいるから
先生が口酸っぱく繰り返しているのかもしれない
じゃあ
世の中の全ての人が
全員正しいと思うことはあるのか?
もしかしたら999人は正しいと思っても
1人は正しいと思わない事もあるのか?
なら正しいって何
盗んではいけない
なら
戦争で食べるものが無く
飢死しそうな時に
目の前の畑の野菜をひとつ取るのも間違いで
餓死する事が正しいの?
子供の私にとって
「正しい」という意味が何を指すのか
世の中が正しい事と間違いだけに分けられない事
だったら
何を基準に生きていくのか
何を頼りに自分を成り立たせるのか
わけがわからなくなりかけながら
自分はそれが正しいと思っていても良くて
でも
他人をそうで無いからと言って間違っていると言ってはいけないのだろう
そんな感じのことを感じた出来事だった
この出来事で
その瞬間全部そう考えたというより
この衝撃をずっと考え続けていたという方が正しいけど
10歳の子供にとってものすごく大きな価値観の変換であり
ものの見え方が変わった瞬間だった
この後今度は
正しい事がわかりたい
そのために心を強くするってところに進むのだけど
その話はまた次に
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