ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか ー24ー カミカゼ(下)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
菊田が美容師の和ちゃんを初めて見たのはバイトを初めて2ヶ月程経った頃、
2階にある美容室に行く和ちゃんに、階段横にある従業員更衣室から出たときぶつかりそうになったときだった。
 「あっ済みません!」
 と頭を下げる菊田に、彼女はにこりと微笑むと、
 「新しいボーイさんね」
 「いえ、もう2ヶ月になります」
 「あら、ご免なさい。でも初めてよね、よろしく。美容室の山下和美です」
 「へ~、ここって美容室があるんですか。あっ済みません、僕はボーイの菊田翔平です」  
 「学生さん?」
 「はい、K大学の5年生です」
 「大学は4年生までじゃないの?」
 「学費さえ払えば、8年生までは在学できますから。山下さんはここ長いんですか?」
 「フフッ、山下さんなんて呼ばれたの久しぶりよ。ここでは皆『和ちゃん』て呼んでるから、それでいいわよ」
 「和ちゃんさんですか・・・」
 「ぷっ、ちゃんにさんは付けないんじゃない」
 「そうでした、済みません」
 「謝ることはないわ。じゃあ頑張ってね菊田くん」
 和ちゃんの頑張れは、ボーイとしてなのか、学生としてなのか、考えている間に、彼女の姿は階段の上に消えていった。



 彼女の第一印象は、飾り気のない気さくな人柄だということもあるが、何よりも女性にしては大柄でスタイルも良く、ともかく綺麗な人だった。
 その出会いのせいか、その日の菊田は仕事中にも、そこはかとない甘やかな気持ちで過ごした。自分には関係ない人だと言い聞かせてはいたものの・・・。
 その後、店で半年になり、最も古株の一人に至るまで、和ちゃんとは何度か言葉を交わすようになったが、プライベートなことは殆ど話題にならず、せいぜい菊田が属している大学のサークルの話程度だし、和ちゃんはホステスの噂話に出てくるボーイやガイド(客を玄関から席まで案内する係)の差し障りのない話をするくらいだった。
 それも仕事前の僅かな時間や、お互いに暇な時間が重なって休憩しているときだったので、仲を深めるようなことにはならなかった。
 和ちゃんとの会話では、彼女は店の個々のホステスについては決して口にしない人で、そういったけじめのはっきりした所がママに可愛がられている理由だったろう。
 その日は少し早出で、午後5時前に店に入ると、まだホステスの姿もなく、支配人も来ていなかった。
 従業員更衣室に向かおうとすると、フロントのカウンターにいたママが、
 「翔平くん!ちょっと頼みがあるけどいいかな?」
 「はあ、いいですが、何でしょうか」
 「実は和ちゃんが具合が悪くて休むと連絡があったのよ」
 「珍しいですね、和ちゃんが休むなんて」
 「だからちょっと心配でね、翔平くんに様子を見てきて欲しいんです」
 「僕がですか!和ちゃんの住まいを知りませんけど」
 「それは私が教えるから大丈夫よ。どうやら熱があるらしいから薬を買って、それに食事も心配だから、そこのデパートの地下で弁当も買って、ほかにも飲み物やらもお願いね」
 と言って私の時給の5,6倍の札を渡された。
 私はママから渡された住所と、そこへ行く大まかな方法が書かれた紙を持って外に出た。
 まずは薬をと、アーケード街にある薬局で解熱剤を買う。次にその先の市電の通りに面したデパートの地下に行き、弁当を物色する。
 和ちゃんの好みがよく分からない。ただいつか肉はあまり食べないと言っていたような気がしたので、サラダのパックと白身魚の入った弁当を買った、
 次は飲み物かと思ったが、飲み物くらい家にあるだろうと思って、市電を降りて彼女のアパートへ行く途中にあるスーパーに寄ってカップアイスを2つ買ってアパートの部屋を訪ねた。
 ノックの音に応える和ちゃんの声は、気のせいか弱々しく聞こえた。
 「和ちゃん、菊田です。ママの使いできました」
 ドアを開けた和ちゃんはパジャマ姿で熱があるのか、少し顔が赤っぽく、辛そうだったが、それでも。
 「ありがとう、菊田くんには申し訳なかったわね」
 と詫びを言った。
 「いえいえ、たいしたことないです。こちらが解熱剤で、こっちは弁当とサラダです。ママからは飲み物を何かと言われましたが、熱があるならアイスクリームの方がいいかと思って、勝手にアイスにしました。2個あるので冷凍庫に入れておきますね」
 「嬉しい!」アイスを食べたかったのよ。やっぱり菊田くんを指名して良かった」
 「はあ、指名って何ですか?」
 「ママに電話したらね、従業員に薬やらを届けさせるからと言うので、じゃあ菊田くんに持たせて下さい、っていう指名よ」
 「ふ~ん、でもなんで僕なんですか?」
 「だってホステスさん以外で親しいのは菊田くんだけだし」
 「そうなんですか、和ちゃんはボーイ仲間では憧れの君で、結構誰とも話をしているのかと思っていました。でも、親しいって言ってくれて嬉しいです」
 「ママも知っているから、菊田くんに頼むのに抵抗がなかったのじゃない。それに菊田くんが真面目で、ホステスとの噂一つないのも信頼されているのよ」
 「それって男としてはちょっと寂しいような」
 「お客さんの殆どは女目当ての中で、菊田くんみたいに女性をあまり気にしない人は新鮮なのよ。だからホステスの中には、菊田くんに好意を持っている子もいるみたいよ」
 「まさか、そんな気配は微塵もないです」
 「フフ、鈍いのよねぇ菊田くんは。女の気持ちは分からないでしょう」
 「厨房の桝山さんみたいなことを言いますね。いいんです鈍くて。じゃあ、少しでも食べて薬を飲んで、しっかり休んで下さい。僕は仕事に行きます」
 「ありがとう、ママによろしく言っておいてね。今度お礼に何かご馳走するわ」

 「和ちゃんの部屋での話はこんなものだったような気がします」
 「それ以上のことは何もなく?」
 私が問うと、
 「ええ、ただのお使いでしたから」
 「菊田さん、やっぱり随分女性に疎かったようですね、その頃」
 
 その後、菊田さんと和ちゃんはどうなったかですって?もちろん私は聞いておりますよ。
 お知りになりたければ、名も知らぬ駅に来ませんか。
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名も知らぬ駅に来ませんか -23ー カミカゼ(上)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
「彼女の部屋に上がったことは確かなんですけどね。その後のことはあまり記憶にないんですよね」
 「本当ですか?若い男が若い女性の部屋に上がって、その後の記憶が曖昧なんて、ウ~ン信じられないなぁ」
 「本当ですって!」
 「で、彼女の部屋に行った経緯はどういうことだったんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼを一口含んで当時のことを話し始めた。
 カミカゼというカクテルはいかにも日本生まれのようだが、どうやらアメリカで考案されたようだ。

     

 ベースはウオッカで、これにホワイトキュラソーとライムを1:1:1の割合で入れてシェイクする。
 辛口且つシャープな口当たりのため、戦時の日本の空挺攻撃隊の名前を付けたと言われている。
 「その頃私は学生でね。当時流行っていたキャバレーでアルバイトをしていたんです」
 「キャバレーとは懐かしい。私がこの世界に入った頃にはもう廃れていましたが」
 「そうね、1960~1970年代が一番盛んだったかな。ホステスを侍らせて派手な遊びをする人種が少なくなるに連れて客足が減って次々と店が姿を消したようです」
 「栄枯盛衰はどんな商売にもありますからね。私の所のように小さい商売だっていつ怪しくなるかも知れません」
 「この店は心配ないよ、と私のような門外漢が気楽に言って良いことではないな」
 「いえいえ、そんなことはないです」
 「そのキャバレーは県都で一番大きな店でね。ちょっとしたステージもあって、ホステスは常時100人以上は居たかな。その店でボーイをやっていたんです。今はウェイターと呼ぶけど、当時はボーイという呼称が普通だったね。」
 「あれでしょう、ホステスさんが『ボーイさんお願い』と言って呼ぶんでしょう」
 「そうそう!声で呼ばれるのは近くにいるときだけで、広い店ではほとんどホステスが合図するマッチやライターの灯りで呼ばれていました。だからホステスから名前や顔を覚えられることは少なかったですね。謂わば、ホステスが舞台の上の役者なら、ボーイは黒子です。そこに居るけど居ない者として扱われる。別にそれが不満ではないですよ、そういうもんだと割り切って仕事をしていますから」
 「イケメンのボーイでもホステスさんにはモテなかったんですか?」
 「いやいや、イケメンどころか野暮ったい学生アルバイトですから。それに金があるわけでもないし、金銭にシビアなホステスにモテる要素は全くありませんでした」
 「じゃあ部屋に行った相手はホステスさんではなかったんですね」
 「ええ、実はそのキャバレーには美容室があって、そこの美容師なんです」
 「キャバレーに美容室を併設していたんですか。そりゃあ凄い!」
 「100人を超えるホステスがいましたからね。そこの美容室は美容院より安くて、若いホステスの利用が結構ありましたね」
 「で、あるとき・・・・・」
 と言って件の経緯を菊田さんは話し始めた。

  菊田はキャバレー「夢夜会」でアルバイトを始めて半年以上になる。最初は当座の小遣い稼ぎ程度に考え、ふた月くらいの気持ちでいたが、初めて見る夜の世界というか、キャバレーに集うホステスや客の生態とも言うべき人間模様が妙に面白くなって、それに仕事に慣れてくると特に難しくも辛くもないので、ずるずるとここまで来た気がする。
 ボーイはほとんど短期で辞めていくものが多く、3ヶ月くらいで交代するのが常態だった。その仕事は注文を訊いて、それを厨房や飲み物がある場所からテーブルへ運ぶだけの単純作業だから、出勤初日からスタッフに入ることができる。 半年以上続いているのは、12,3人いるボーイの中で菊田ともう一人だった。そういうわけで、店のママや支配人からはそれなりに頼りにされていた。
 あるとき、開店前に支配人に呼ばれた菊田は、
 「菊田くん、実は今日渋井組の組長の出所祝いをうちの店でやることになっていてね、そのテーブルを君に担当して欲しいんです」
 支配人はボーイに対してもいつものように丁寧な口調で言った。
 「えっ、渋井組ってヤーさんですよね」
 「そう、だから慣れないボーイに任せるわけにはいかないんです。お客さんは全員で10人くらいの人数になるようだけど」 
 「組長の出所祝いというと、客というのは皆ヤーさんなんでしょう」
 「菊田くん、くれぐれもヤーさんとは口にしないで下さい」
 「ええ、勿論それは分かっていますが、でも嫌だなぁ。桝山さんにやってもらえないんですか。桝山さんの方がこの店長いし」
 「それが、桝山くんは風邪を引いたみたいで、2,3日休むと連絡があったんです」
 「ウ~ン、しょうがないなぁ。分かりました。で、何時頃来るんですか、渋井組長は」
 「8時頃という話です。くれぐれも粗相がないようお願いします」
 「イチャモンをつけられないよう用心しますよ」
 その返事に支配人は苦笑して離れて行った。
 当夜の出所祝いに席は特に問題なく終わり、その様子を厨房責任者の桑原に話すと、
 「そんなもんだよ。組長を囲んだ飲み会なら、参加者はほとんど幹部連中だから無茶はしないさ。何かとイチャモンつけるのは下っ端のチンピラだけだよ」
 「桑原さんってヤーさんの世界の話に詳しいですよね。もしかして以前はその世界に・・・?」
 「ばーか、夜の世界にいると自然と詳しくなるさ。ここのママさんだって、本当はあんな連中との付き合いは御免と思っているけど、なかなか周りが許してくれないんで仕方なく今日も受け入れたんだ」
 「そうなんですね、そうですよね。ママが若いホステスに、あんなのと付き合っちゃいけないって言っていた男はいかにもチンピラ風でしたもん」
 「チンピラはまだ仕事に慣れないホステスを狙って店に来ることが多いんだ。連中の手口を知ってるか?」
 「いいえ、教えて下さい」
 「あいつらはこの店で初めてホステスになったような、謂わば初(うぶ)な女の子を狙って、ほとんど毎日のように店に来ては、そのホステスを指名して、いわゆる恩に着せるのだ。そうやってそいつの言うことを聞かざるを得ない状況に追い込むんだ。ホステスにとっては指名をもらうというのは給料にも反映するし、店での格も上がるからね」
 「汚いやり口ですね」
 「ヤーさんのやり口はそんなもんさ。そうやってホステスを自分のものにすると態度は一変。店には来ずにそのホステスのひもになって、店に来るのはその子に小遣いをせびるときだけになる」
 「可哀想に。ホステスは着飾って見栄えのいい外見だけど、見かけだけで判断してはなりませんね」
 「そうさ、菊田はボーイだけど店には長いんだから、若いホステスには気をつけてやれよ」
 「ええ、分かりました。でもボーイの言葉に耳を傾けるホステスなんていますかね」
 「菊田、おまえは気づいていないかも知れんが、おまえの名前はママや支配人からよく聞くし、ホステスもよく噂しているぞ。結構店の皆から頼りにされてんだ」
 「嘘でしょう、そんな気配は少しもありませんよ」
 「おまえが鈍いだけだよ」
 そう言い残して桑原はオーダーの入った唐揚げの揚がり具合を見に行った。

 「菊田さんとその美容師さんの馴れ初めはどうなんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼをまた一口含んだ。
 「彼女の名前は和ちゃんと言ってね。歳は20代前半かな、背が高くてほとんどのホステスの誰よりもきれいな女(ひと)でした」
 と先の話を続けた
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