ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

旅の日記-7-

2009年04月12日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年9月21日  フェズ(モロッコ)

朝、駅にカサブランカ行きの列車を確認に行く。
翌朝8:50発の列車にしよう。
しばらく散歩するが、ホテルの近くには何もない。本当に何もない。
仕方なく、水だけ買って帰り、朝食はホテルで摂る。

9:30メディナの旧市街に向けて出発。
まずは、王宮を見る。  
結構な観光客がいるが、ほとんど欧米人だ。
そこからユダヤ人街をゆっくりと回って、メディナに着く。


 ↑メディナの中、まるで迷路だ。

狭い路地が縦横無尽に張り巡らされ、
ある標識を頼りに歩けば自分一人でも回れるが、結構歩くことになる。
子供がガイドを買って出るが、丁寧にお断りし、ぶらぶらする。
マラケシュのフナ広場のような食べたり飲んだりする場所はなく、
ただいろんな商品の店があるだけだ。


 ↑メディナ内にあるモスクの中庭

結局昼食を摂る店がなく、口にしたのは、メディナから帰る途中の屋台の生オレンジジュースだけだった。
宿で休憩し、4:00再度宿を出て食いモン探しに出る。
しかし店が開いていない。現地の人並みに、ラマダン突入か。
とその時、人だかりのある店がある。

パンケーキのようなものを売っている。
これを買わねばラマダン突入は避けられない。
2枚買って、近くの果物屋でブドウを一房買って、これが遅い昼食。
帰り道で小雨に遭い、ネット屋もなく、なんて町だといいながら宿に帰る。

7:30昨日夕食を摂った、宿近くの店に行き、サンドイッチを頼む。
昨日の鶏モモのグリルは美味しかったが、ご飯はチョー不味かったので、
無難なサンドイッチにしたがこれは当たりだった。
相変わらず、ビ-ルを売っている店はなく、アルコールなしの清廉な日々。

ラマダンのど真ん中にモロッコを旅行する不幸を呪いながら、
フェズの第2夜はふけるのだった。
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旅の日記-6-

2009年04月10日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年10月11日  オタバロ(エクアドル)

今日は、首都のキトから90㎞くらいのところにあるオタバロを目指す。
朝食は、ガラパゴスに行くという日本人夫婦と屋上のテラスで摂り、
8時過ぎ、タクシ-でバスターミナルへ行く。
オタバロ行きのバスは、誰彼となく教えてくれて、無事乗車。2$なり。
エクアドルの通貨は、なぜか米ドルである。

8:45バスは発車し、結構な山越えをしながら、11:20オタバロに着く。
この日は土曜市の日で、人でも多く、出店も多いらしい。
しばし中心の市場を起点に町を散策し、宿を探す。
GHやミニホテルから3軒断られ、いささか焦った4軒目の「ホスタルALY」でOKが出る。


 ↑土曜市で民芸品や衣類を路上で販売している

この宿は、シングル8$で、ホットシャワー、トイレ、テレビ付き。
場所もメイン広場近く、スタッフも可愛いはにかみ王女。
ただ、英語は全く通じない。スペイン語オンリーだ。
日本人は珍しいようで、多くは、キトから日帰りで土曜市にくるらしい。

チェックイン後、広場の屋台で昼食にする。
テラピアという魚を丸ごと素揚げにしたものに、タマネギの千切りを加え、
ライムの絞ったのを掛け、調味料は塩のみ。これにいささかゴッチンのご飯。
魚が旨い。ムイビエン。これにコーラ付きで、2.5$也。


 ↑既に食べかけているテラピアの皿。

テーブルに向かい合わせた男の子2人と父親らしき男性。
見事な魚の食べっぷり。1匹のテラピアを3人で、
骨まで洗ったように、完全に食べ尽くしている。
負けるものかと、対抗心を燃やして、手はべとべとになりながら、テラピアを食べ尽くした。

市場のなかを、インディオの民族衣装のお姉さんやおばさんに客引きされながら回ってみる。
客引きといっても強引でも、しつこくもなく、どこかはにかんだ様子もあり、
インディオの人々の素朴な人柄を漂わせて好ましい。
ビールとつまみを買って宿に帰ると、雨が降り出した。

夕方には雨も上がり、夕食もやはり市場の屋台で済ませた。
鶏とジャガイモをさっぱり煮込んだスープで、なんといってもジャガイモが旨い。
さすが原産地のアンデスのジャガイモだと妙な感心をしてしまった。
このスープ、1$。
明日は再びキトに帰る。

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旅の日記-5-

2009年04月09日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年9月4日  ビエンチャン(ラオス)


 ↑ビエンチャンの中学生。制服がラオス風でいい。

6:30起床。7:30マリナンプGHの中庭で朝食(宿泊費17$に含む)。
9:30宿を出て、タラートサオ(市場)に向かう。
途中で、「地球の歩き方」を見ながらこちらに来る青年(スギハラ君)に出会う。
話をすると、GHを探しているらしい。

タラートサオにはショッピングモールなどできていて、えらい変わり様だ。
途中の道も、数年前に来たときは水溜まりが至るところにあって、
これが首都?というのが実感だった。
それが、ともあれきれいになって、途中の店もなかなか洒落た感じで昔の面影はない。

11:40、マリナンプGHをチェックアウトする。
実は、昨日チェックインするとき、一晩だけ空いているので、翌日はチェックアウトするよういわれていたのだ。
そのため、昨日のうちに次のGHを決めていたのだが、
フロントのお兄ちゃんが、「急に部屋が空いたので、今夜も泊まっていいよ」という。
今更それはないよ。もう別の宿決めちゃってるし、予定通りバイバイ。

そこから2ブロックほど離れたパヤコーンホテル(朝食なし15$)にチェックインし、
カンボジア行きの飛行機で会った、ビエンチャン在住のモリさんに電話する。
その後昼食に出ると、偶然に朝会ったスギハラ君に再会する。
彼も昼食に行くというので、一緒に行こうということになり、ARUKIKATA情報の麺屋に行く。


 ↑昼食の麺。ラオス人の客で昼食時は満員。毎日昼はここだった。

麺屋でスギハラ君と別れ、ぶらぶらと散策するも暑い。
ナンプ(噴水)の近くの、コプチャイドゥ・レストランで生ビールを一杯(8,000キップ=1$)
その後、道向かいのスーパーで、ヨーグルト他を購入。
ネット屋に寄って宿に帰り、シャワーを浴びお昼寝タイム。

夕方5:30夕食に出る。近くのレンタサイクル屋の場所を確認してから夕食に向かう。
今夜もナンプカフェへ。
チャーハンにポーククリスピーとビアラオ。これで36,000(4.5$)キップ。
ラオスは安くていいなぁ。1日25$で十分な贅沢だもんね。

さあもう寝ようかという9:30、フロントから電話。下りていくと、スギハラ君がいる。
何事かと聞くと、ちょっと出ませんかと言う。
開いている店に行って、ビールを飲みながら話すと、どうやら一人で寂しくなったらしい。
しばし話して別れる。この店の70,000キップがビエンチャン最大の出費だった。
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旅の日記-4-

2009年04月07日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年10月4日 グラナダ(スペイン)

バルセロナからの寝台列車は定刻5分過ぎ、8:35にグラナダ駅に着く。
列車は個室寝台の超豪華版。なんと、シャワー付き、アメニティーグッズサービス。
次第に明けゆく空の色の変化は列車の旅の趣か。

町の中心部まで歩いて行く。
ホテルのチェックインは12時過ぎなので、荷物を預けて外出。
近くで朝食を摂り、32番バスでアルバイシンのサンニコラス展望台へ行く。
バスの運転手に地図で示すと、バス停で合図をしてくれ、降ろしてもらった。


 ↑アルバイシンのサンニコラス広場から見たアルハンブラ宮殿。

目の前にアルハンブラ宮殿が見え、眼下にはグラナダの町が一望できる。
昼過ぎまでゆっくりして、再びバスで町へ下る。
昼食をした後、チェックインし、洗濯をしてしばし部屋でゆっくりする。

夕方外出し、スーパーを探して、安い赤ワインと、ハム、サンドイッチを買って帰る。
今日の夕食は面倒なので部屋食にしよう。
それにスペインは結構物価高なのだ。

10月5日 グラナダ

7:30ホテルで朝食の後、8時にホテルを出る。
あっという間にバス(1.1ユーロ)はアルハンブラ宮殿に着き、9時前に中に入る。
ナスル宮をはじめ、宮殿内も素晴らしいが、そこから見る眺望がまた絶景である。
途中、バルセロナに住む息子を訪ねてきた夫婦の旅行者と会い、しばし歓談する。


 ↑アルハンブラからアルバイシン方向の町を見る

13:00過ぎにホテルに帰り、昼食は中華料理店へ。
昼のランチメニューで、スープ、チャーハン、チキン野菜炒めとビール。
美味くて安くて、でもいささか量が多かった。これがスペイン人の適量なのだろうが。
夜もここにしよう。
午後は何をするでもなく過ごす。
一人旅だとこんなもんだ。
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旅の日記-3-

2009年04月06日 | 世界一周日記Ⅱ(写真つき)2008
2008年9月18日 セルチュク(トルコ)

朝食はホテルのアメリカン風で済ませる。
9時過ぎ、オトガル(バスターミナル)の公衆電話から自宅と旧職場に電話。
テレフォンカードだと、3分50円くらい話せる。かなり安い。
その後ネットでイスタンブールの空港付近のホテルを検索するが高すぎる。

一昨日同宿だった(自分は昨日ホテルを変わった)ヤタ君がパムッカレに出発するのを見かける。
彼も世界一周旅行中。手を降って別れる。
10:30チェックアウトし、荷物を昨日予約したバスの事務所に預かってもらう。
11時のミニバスでシュリンジ村へ出発。


↑シュリンジ村、ワインの店が非常に多い。貸し切りバスでも観光客が来ていた。

25分ほどでシュリンジ村に着く。
山間の小さい村で、一周40分くらいの広さである。
近年観光客が多いらしく、ワインや土産物の店が多い。
しかし、客引きもなく、至ってのんびりしている。
こういうところが旅行者を引きつけるのかもしれない。

バス停近くの食堂で、暑さに耐えかねてビールを飲んでいると、一人旅の日本人女性が、
「一緒にいいですか」と声を掛けてくる。
昨日エフェスの遺跡で見かけた女性である。
向こうもそのことを覚えていて、しばらく話し、2時のバスで一緒にセルチュクに帰る。

セルチュクの食堂でケバブの昼食。
夜のバスまでたっぷり時間があるので、ジャーミーと町中の遺跡を見に行く。
ジャーミーの入り口付近で、トルコの陶器を土産に売っている女性がいて、
彼女は自分で作っているらしく、絵付けの実演もやっていた。
お互い拙い英語で話してみると、作陶の学校を卒業したらしい。
しばしそこで時間を潰した後、公園で本を読んだりで過ごした。

公園では、高校生という若者と、知恵の輪で遊んでいたら、
すっかり盛り上がって、隣のベンチの家族も一緒になって知恵の輪遊びになった。

7時にサラミサンドの夕食を摂って、
それでもイスタンブール行き夜行バスの出発までは3時間あまり。
夜行バスは、ホテルの節約にはなるが、チェックアウトからの待ち時間が長くてまいる。
東南アジアのように、日本語ネット環境が安くてあるなら退屈しないのだが、
トルコではカッパドキアのあるギョレメ以外ではなかなか難しい。

仕方ないのでオトガルで時間を過ごす。
シュリンジで一緒だった女性は、午後8時過ぎに別なところへ行くバスで出発した。
孤高の雰囲気を漂わせている旅人という印象だった。
ボンボヤージ。
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