チェンマイを夕方の便でルアンパバーンに飛ぶ。
午前中は暇、ということで郊外のドイステープに観光。
私と上さんは一度来たことがあるが、Nさん夫婦は初めてということで、
ソンテウを交渉して、小雨けぶる中をドイステープへ。
↑ ドイステープ。寺への階段。
午前中に観光を終え、帰宿。
チェックアウトしたあと、荷物をホテルに預けて、昼食に。
チェンマイプラザ・ホテル前の食堂で麺を食べる。
その後しばしホテルのロビーで休憩し、
2時前に、先のソンテウの運ちゃんが、空港までの迎えに来る。
ラオス航空のプロペラ機は、メーホーソン行きのタイ航空のものより一回り小さい。
定員、60名くらいか。
かって、ラオス航空の飛行機にはできるだけ乗らないようにという、
外務省の危険情報が出ていた。
飛行機に関する危険情報は非常に希で、それだけ危ない機材だったのだろう。
これは、数年前に機材を一新したことで既に撤回されている。
↑ ラオス航空の機材。ジェット機は保有していないらしい。
約1時間のフライトで、これも結構安定していた。
ルアンパバーン空港は相変わらずのローカルで、
外に出るとタクシーカウンターがあり、そこで市内までのタクシーが7万キップ(約900円)。
ラオスの物価に比べればかなり高い。
ニューダラハット・ビラというGHに予約してあったので、
タクシーはそこまで行き、チェックイン。
まだ新しいGHで、その近辺はGHだらけだった。
7年の間に、こうも変わるのか、
かって、10年ぶりに訪ねたベトナムのホイアンを思い出し、
いくぶん暗澹として気分になる。
チェックインが既に5時になっていたので、荷物を整理し、夕食に出る。
既に、メインストリートは車の通行止め、ナイトマーケットの店が出ている。
7年前に来たときの写真を持って、店々の売り子の顔を確認していく。
おお、いたいた。間違いなく写真の子だ。
↑ 2002年7月に撮った写真
↓ 2009年6月(今回)撮った写真。
↑ 7年前ののんびりしたマーケットの雰囲気はなく、私は少し落ち込んでしまった。
写真を見せて話しかけると、間違いない。
当時13才で、モン族の広場で土産物売りの手伝いをしていた子だ。
折り紙の鶴の折り方を一番熱心に聞いていた子で、
持って行った写真を懐かしそうに見る。
写真を全部その子に預けて、写っている人に渡してもらうように頼んだ。
なお先に進んだとき、もの凄いスコールに遭い、店の軒下で2時間近く雨宿り。
私だけ目の前のネット屋でメールをチェックしている間に、
3人でレストランを見つけてきて、そこで夕食。
↑ なかなか面白いお兄ちゃんで、片言の日本語を褒められて嬉しそうだった。
ラオスの料理は、そのほとんどが日本人の口に合うと言ってよい。
それに1年ぶりのビアラオはこれまた至福の味。
雨も上がって、満ち足りた気分でナイトバザールの中、宿に帰る。
部屋のエアコンがどうも効いていない。
フロントに言って部屋を変えてもらう。
おお、こちらは快適快適。
では、Nさん、お休みなさい。
午前中は暇、ということで郊外のドイステープに観光。
私と上さんは一度来たことがあるが、Nさん夫婦は初めてということで、
ソンテウを交渉して、小雨けぶる中をドイステープへ。
↑ ドイステープ。寺への階段。
午前中に観光を終え、帰宿。
チェックアウトしたあと、荷物をホテルに預けて、昼食に。
チェンマイプラザ・ホテル前の食堂で麺を食べる。
その後しばしホテルのロビーで休憩し、
2時前に、先のソンテウの運ちゃんが、空港までの迎えに来る。
ラオス航空のプロペラ機は、メーホーソン行きのタイ航空のものより一回り小さい。
定員、60名くらいか。
かって、ラオス航空の飛行機にはできるだけ乗らないようにという、
外務省の危険情報が出ていた。
飛行機に関する危険情報は非常に希で、それだけ危ない機材だったのだろう。
これは、数年前に機材を一新したことで既に撤回されている。
↑ ラオス航空の機材。ジェット機は保有していないらしい。
約1時間のフライトで、これも結構安定していた。
ルアンパバーン空港は相変わらずのローカルで、
外に出るとタクシーカウンターがあり、そこで市内までのタクシーが7万キップ(約900円)。
ラオスの物価に比べればかなり高い。
ニューダラハット・ビラというGHに予約してあったので、
タクシーはそこまで行き、チェックイン。
まだ新しいGHで、その近辺はGHだらけだった。
7年の間に、こうも変わるのか、
かって、10年ぶりに訪ねたベトナムのホイアンを思い出し、
いくぶん暗澹として気分になる。
チェックインが既に5時になっていたので、荷物を整理し、夕食に出る。
既に、メインストリートは車の通行止め、ナイトマーケットの店が出ている。
7年前に来たときの写真を持って、店々の売り子の顔を確認していく。
おお、いたいた。間違いなく写真の子だ。
↑ 2002年7月に撮った写真
↓ 2009年6月(今回)撮った写真。
↑ 7年前ののんびりしたマーケットの雰囲気はなく、私は少し落ち込んでしまった。
写真を見せて話しかけると、間違いない。
当時13才で、モン族の広場で土産物売りの手伝いをしていた子だ。
折り紙の鶴の折り方を一番熱心に聞いていた子で、
持って行った写真を懐かしそうに見る。
写真を全部その子に預けて、写っている人に渡してもらうように頼んだ。
なお先に進んだとき、もの凄いスコールに遭い、店の軒下で2時間近く雨宿り。
私だけ目の前のネット屋でメールをチェックしている間に、
3人でレストランを見つけてきて、そこで夕食。
↑ なかなか面白いお兄ちゃんで、片言の日本語を褒められて嬉しそうだった。
ラオスの料理は、そのほとんどが日本人の口に合うと言ってよい。
それに1年ぶりのビアラオはこれまた至福の味。
雨も上がって、満ち足りた気分でナイトバザールの中、宿に帰る。
部屋のエアコンがどうも効いていない。
フロントに言って部屋を変えてもらう。
おお、こちらは快適快適。
では、Nさん、お休みなさい。