2008年10月8日 クスコ(ペルー)
6時過ぎに目覚める。早いが起きたついでに洗濯する。
クスコはとても空気が乾燥していて、洗濯物の乾きが早い。
8時にホテルの食堂で朝食。
ここの係のおじちゃんとは、なぜか初日から波長が合って、何かしら会話をする。
9時に宿を出て、12角の石が隙間なく組まれたインカ時代の石組みを見に行く。
カミソリの刃も通らないと言われるのは全くその通りで、
試しにVISAカードを差し込んだが、全く歯が立たなかった。
ここの石組みは、その巧みさもだが、美しさも備えて、まさに芸術の域にある。
↑石組みのある通り、見物のインディオの若者達がいた。
アルマス広場に出ると、カテドラルの広場でテレビの撮影をやっている。
しばらく見ていると、観光客のバッグを引ったくった犯人が、観光警察に追われて逮捕されるという内容のようだ。
観光警察のキャンペーンフィルムの作成かな。
それを見物している私に後ろから声を掛けてきた日本人のカップルがいる。
説明して一緒に見ていたら、テレビ局のADらしいのが、そのカップルに声を掛け連れて行った。
撮影の中の観光客として、エキストラ出演らしい。
3回ほどOKが出ずに、4回目にOKが出て撮影終了。
出演依頼のなかった私は、再び観光へ。
↑カテドラル。左にアルマス広場がある。
太陽の神殿を見た後、市場へ行く。
そこで2Sol(80円)のぶっかけご飯を食べるが、
高地のため米がよく煮えていない、いわゆる芯のあるゴッチン飯である。
愛想のいいおばちゃんを目の前にしては残せず、やっとの事で搔き込んだ。
↑市場の食堂のおばちゃんとその孫
休憩しているそのおばちゃんの娘と、小学生中学年くらいの孫の男の子に声を掛け、
バッグから知恵の輪を取り出し、一緒に遊ぶ。
彼らはスペイン語だけなので、ほとんど会話が成り立たない。
しかし、名前やその小学生が彼女の息子であることは分かった。
再び街の中心部に帰り、レゴシホ広場付近で、昨日マチュピチュで会った日本人ツアーを見かける。
その中の2人の青年とは少し話したので、追いかけて声を掛ける。
確か今日はプーノへ入っているはずなのに、なんでここにいるんだと聞いたら、
途中の道路がストで封鎖されて、行けなかったらしい。
まさかこのストが10日ほども続き、自分のプーノ行きも断念させられるとはこのときは思いもしなかった。
一度宿に帰り、6時過ぎに再度宿を出る。
コールショップで上さんに国際電話を掛け、日本食レストランの「金太郎」に行く。
入り口で、昼間テレビ撮影のエキストラに駆り出されたカップルと会い、一緒に食事を取る。
彼らも長期旅行をしているらしく、メキシコが大いに気に入ったなどと話していた。
ここでは野菜炒めと、ご飯に赤だし。ともかくご飯が美味く、多分圧力釜で炊いたのだろう。
クスコは高度3,400mにも及び、沸点は100℃に達しない。
そのため、しっかり煮えるようにすると、ぐちゃぐちゃになり、
逆にぐちゃぐちゃにならないようにすると、芯が残るという、結構やっかいな現象があるのだ。
9時近くになったので、急ぎ足でホテルに帰る。
クスコの人たちは結構穏やかで、親切で、それでも一応用心のため夜はあまり出歩かない。
随分貧乏な人たちがいて、貧困が犯罪を起こさせることもあるので、
旅行者は自覚して行動することが必要なのだ。
6時過ぎに目覚める。早いが起きたついでに洗濯する。
クスコはとても空気が乾燥していて、洗濯物の乾きが早い。
8時にホテルの食堂で朝食。
ここの係のおじちゃんとは、なぜか初日から波長が合って、何かしら会話をする。
9時に宿を出て、12角の石が隙間なく組まれたインカ時代の石組みを見に行く。
カミソリの刃も通らないと言われるのは全くその通りで、
試しにVISAカードを差し込んだが、全く歯が立たなかった。
ここの石組みは、その巧みさもだが、美しさも備えて、まさに芸術の域にある。
↑石組みのある通り、見物のインディオの若者達がいた。
アルマス広場に出ると、カテドラルの広場でテレビの撮影をやっている。
しばらく見ていると、観光客のバッグを引ったくった犯人が、観光警察に追われて逮捕されるという内容のようだ。
観光警察のキャンペーンフィルムの作成かな。
それを見物している私に後ろから声を掛けてきた日本人のカップルがいる。
説明して一緒に見ていたら、テレビ局のADらしいのが、そのカップルに声を掛け連れて行った。
撮影の中の観光客として、エキストラ出演らしい。
3回ほどOKが出ずに、4回目にOKが出て撮影終了。
出演依頼のなかった私は、再び観光へ。
↑カテドラル。左にアルマス広場がある。
太陽の神殿を見た後、市場へ行く。
そこで2Sol(80円)のぶっかけご飯を食べるが、
高地のため米がよく煮えていない、いわゆる芯のあるゴッチン飯である。
愛想のいいおばちゃんを目の前にしては残せず、やっとの事で搔き込んだ。
↑市場の食堂のおばちゃんとその孫
休憩しているそのおばちゃんの娘と、小学生中学年くらいの孫の男の子に声を掛け、
バッグから知恵の輪を取り出し、一緒に遊ぶ。
彼らはスペイン語だけなので、ほとんど会話が成り立たない。
しかし、名前やその小学生が彼女の息子であることは分かった。
再び街の中心部に帰り、レゴシホ広場付近で、昨日マチュピチュで会った日本人ツアーを見かける。
その中の2人の青年とは少し話したので、追いかけて声を掛ける。
確か今日はプーノへ入っているはずなのに、なんでここにいるんだと聞いたら、
途中の道路がストで封鎖されて、行けなかったらしい。
まさかこのストが10日ほども続き、自分のプーノ行きも断念させられるとはこのときは思いもしなかった。
一度宿に帰り、6時過ぎに再度宿を出る。
コールショップで上さんに国際電話を掛け、日本食レストランの「金太郎」に行く。
入り口で、昼間テレビ撮影のエキストラに駆り出されたカップルと会い、一緒に食事を取る。
彼らも長期旅行をしているらしく、メキシコが大いに気に入ったなどと話していた。
ここでは野菜炒めと、ご飯に赤だし。ともかくご飯が美味く、多分圧力釜で炊いたのだろう。
クスコは高度3,400mにも及び、沸点は100℃に達しない。
そのため、しっかり煮えるようにすると、ぐちゃぐちゃになり、
逆にぐちゃぐちゃにならないようにすると、芯が残るという、結構やっかいな現象があるのだ。
9時近くになったので、急ぎ足でホテルに帰る。
クスコの人たちは結構穏やかで、親切で、それでも一応用心のため夜はあまり出歩かない。
随分貧乏な人たちがいて、貧困が犯罪を起こさせることもあるので、
旅行者は自覚して行動することが必要なのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます