ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか ー22ー カミカゼ(下)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
菊田が美容師の和ちゃんを初めて見たのはバイトを初めて2ヶ月程経った頃、
2階にある美容室に行く和ちゃんに、階段横にある従業員更衣室から出たときぶつかりそうになったときだった。
 「あっ済みません!」
 と頭を下げる菊田に、彼女はにこりと微笑むと、
 「新しいボーイさんね」
 「いえ、もう2ヶ月になります」
 「あら、ご免なさい。でも初めてよね、よろしく。美容室の山下和美です」
 「へ~、ここって美容室があるんですか。あっ済みません、僕はボーイの菊田翔平です」  
 「学生さん?」
 「はい、K大学の5年生です」
 「大学は4年生までじゃないの?」
 「学費さえ払えば、8年生までは在学できますから。山下さんはここ長いんですか?」
 「フフッ、山下さんなんて呼ばれたの久しぶりよ。ここでは皆『和ちゃん』て呼んでるから、それでいいわよ」
 「和ちゃんさんですか・・・」
 「ぷっ、ちゃんにさんは付けないんじゃない」
 「そうでした、済みません」
 「謝ることはないわ。じゃあ頑張ってね菊田くん」
 和ちゃんの頑張れは、ボーイとしてなのか、学生としてなのか、考えている間に、彼女の姿は階段の上に消えていった。



 彼女の第一印象は、飾り気のない気さくな人柄だということもあるが、何よりも女性にしては大柄でスタイルも良く、ともかく綺麗な人だった。
 その出会いのせいか、その日の菊田は仕事中にも、そこはかとない甘やかな気持ちで過ごした。自分には関係ない人だと言い聞かせてはいたものの・・・。
 その後、店で半年になり、最も古株の一人に至るまで、和ちゃんとは何度か言葉を交わすようになったが、プライベートなことは殆ど話題にならず、せいぜい菊田が属している大学のサークルの話程度だし、和ちゃんはホステスの噂話に出てくるボーイやガイド(客を玄関から席まで案内する係)の差し障りのない話をするくらいだった。
 それも仕事前の僅かな時間や、お互いに暇な時間が重なって休憩しているときだったので、仲を深めるようなことにはならなかった。
 和ちゃんとの会話では、彼女は店の個々のホステスについては決して口にしない人で、そういったけじめのはっきりした所がママに可愛がられている理由だったろう。
 その日は少し早出で、午後5時前に店に入ると、まだホステスの姿もなく、支配人も来ていなかった。
 従業員更衣室に向かおうとすると、フロントのカウンターにいたママが、
 「翔平くん!ちょっと頼みがあるけどいいかな?」
 「はあ、いいですが、何でしょうか」
 「実は和ちゃんが具合が悪くて休むと連絡があったのよ」
 「珍しいですね、和ちゃんが休むなんて」
 「だからちょっと心配でね、翔平くんに様子を見てきて欲しいんです」
 「僕がですか!和ちゃんの住まいを知りませんけど」
 「それは私が教えるから大丈夫よ。どうやら熱があるらしいから薬を買って、それに食事も心配だから、そこのデパートの地下で弁当も買って、ほかにも飲み物やらもお願いね」
 と言って私の時給の5,6倍の札を渡された。
 私はママから渡された住所と、そこへ行く大まかな方法が書かれた紙を持って外に出た。
 まずは薬をと、アーケード街にある薬局で解熱剤を買う。次にその先の市電の通りに面したデパートの地下に行き、弁当を物色する。
 和ちゃんの好みがよく分からない。ただいつか肉はあまり食べないと言っていたような気がしたので、サラダのパックと白身魚の入った弁当を買った、
 次は飲み物かと思ったが、飲み物くらい家にあるだろうと思って、市電を降りて彼女のアパートへ行く途中にあるスーパーに寄ってカップアイスを2つ買ってアパートの部屋を訪ねた。
 ノックの音に応える和ちゃんの声は、気のせいか弱々しく聞こえた。
 「和ちゃん、菊田です。ママの使いできました」
 ドアを開けた和ちゃんはパジャマ姿で熱があるのか、少し顔が赤っぽく、辛そうだったが、それでも。
 「ありがとう、菊田くんには申し訳なかったわね」
 と詫びを言った。
 「いえいえ、たいしたことないです。こちらが解熱剤で、こっちは弁当とサラダです。ママからは飲み物を何かと言われましたが、熱があるならアイスクリームの方がいいかと思って、勝手にアイスにしました。2個あるので冷凍庫に入れておきますね」
 「嬉しい!」アイスを食べたかったのよ。やっぱり菊田くんを指名して良かった」
 「はあ、指名って何ですか?」
 「ママに電話したらね、従業員に薬やらを届けさせるからと言うので、じゃあ菊田くんに持たせて下さい、っていう指名よ」
 「ふ~ん、でもなんで僕なんですか?」
 「だってホステスさん以外で親しいのは菊田くんだけだし」
 「そうなんですか、和ちゃんはボーイ仲間では憧れの君で、結構誰とも話をしているのかと思っていました。でも、親しいって言ってくれて嬉しいです」
 「ママも知っているから、菊田くんに頼むのに抵抗がなかったのじゃない。それに菊田くんが真面目で、ホステスとの噂一つないのも信頼されているのよ」
 「それって男としてはちょっと寂しいような」
 「お客さんの殆どは女目当ての中で、菊田くんみたいに女性をあまり気にしない人は新鮮なのよ。だからホステスの中には、菊田くんに好意を持っている子もいるみたいよ」
 「まさか、そんな気配は微塵もないです」
 「フフ、鈍いのよねぇ菊田くんは。女の気持ちは分からないでしょう」
 「厨房の桝山さんみたいなことを言いますね。いいんです鈍くて。じゃあ、少しでも食べて薬を飲んで、しっかり休んで下さい。僕は仕事に行きます」
 「ありがとう、ママによろしく言っておいてね。今度お礼に何かご馳走するわ」

 「和ちゃんの部屋での話はこんなものだったような気がします」
 「それ以上のことは何もなく?」
 私が問うと、
 「ええ、ただのお使いでしたから」
 「菊田さん、やっぱり随分女性に疎かったようですね、その頃」
 
 その後、菊田さんと和ちゃんはどうなったかですって?もちろん私は聞いておりますよ。
 お知りになりたければ、名も知らぬ駅に来ませんか。
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名も知らぬ駅に来ませんか -21ー カミカゼ(上)

2025年02月10日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
「彼女の部屋に上がったことは確かなんですけどね。その後のことはあまり記憶にないんですよね」
 「本当ですか?若い男が若い女性の部屋に上がって、その後の記憶が曖昧なんて、ウ~ン信じられないなぁ」
 「本当ですって!」
 「で、彼女の部屋に行った経緯はどういうことだったんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼを一口含んで当時のことを話し始めた。
 カミカゼというカクテルはいかにも日本生まれのようだが、どうやらアメリカで考案されたようだ。

     

 ベースはウオッカで、これにホワイトキュラソーとライムを1:1:1の割合で入れてシェイクする。
 辛口且つシャープな口当たりのため、戦時の日本の空挺攻撃隊の名前を付けたと言われている。
 「その頃私は学生でね。当時流行っていたキャバレーでアルバイトをしていたんです」
 「キャバレーとは懐かしい。私がこの世界に入った頃にはもう廃れていましたが」
 「そうね、1960~1970年代が一番盛んだったかな。ホステスを侍らせて派手な遊びをする人種が少なくなるに連れて客足が減って次々と店が姿を消したようです」
 「栄枯盛衰はどんな商売にもありますからね。私の所のように小さい商売だっていつ怪しくなるかも知れません」
 「この店は心配ないよ、と私のような門外漢が気楽に言って良いことではないな」
 「いえいえ、そんなことはないです」
 「そのキャバレーは県都で一番大きな店でね。ちょっとしたステージもあって、ホステスは常時100人以上は居たかな。その店でボーイをやっていたんです。今はウェイターと呼ぶけど、当時はボーイという呼称が普通だったね。」
 「あれでしょう、ホステスさんが『ボーイさんお願い』と言って呼ぶんでしょう」
 「そうそう!声で呼ばれるのは近くにいるときだけで、広い店ではほとんどホステスが合図するマッチやライターの灯りで呼ばれていました。だからホステスから名前や顔を覚えられることは少なかったですね。謂わば、ホステスが舞台の上の役者なら、ボーイは黒子です。そこに居るけど居ない者として扱われる。別にそれが不満ではないですよ、そういうもんだと割り切って仕事をしていますから」
 「イケメンのボーイでもホステスさんにはモテなかったんですか?」
 「いやいや、イケメンどころか野暮ったい学生アルバイトですから。それに金があるわけでもないし、金銭にシビアなホステスにモテる要素は全くありませんでした」
 「じゃあ部屋に行った相手はホステスさんではなかったんですね」
 「ええ、実はそのキャバレーには美容室があって、そこの美容師なんです」
 「キャバレーに美容室を併設していたんですか。そりゃあ凄い!」
 「100人を超えるホステスがいましたからね。そこの美容室は美容院より安くて、若いホステスの利用が結構ありましたね」
 「で、あるとき・・・・・」
 と言って件の経緯を菊田さんは話し始めた。

  菊田はキャバレー「夢夜会」でアルバイトを始めて半年以上になる。最初は当座の小遣い稼ぎ程度に考え、ふた月くらいの気持ちでいたが、初めて見る夜の世界というか、キャバレーに集うホステスや客の生態とも言うべき人間模様が妙に面白くなって、それに仕事に慣れてくると特に難しくも辛くもないので、ずるずるとここまで来た気がする。
 ボーイはほとんど短期で辞めていくものが多く、3ヶ月くらいで交代するのが常態だった。その仕事は注文を訊いて、それを厨房や飲み物がある場所からテーブルへ運ぶだけの単純作業だから、出勤初日からスタッフに入ることができる。 半年以上続いているのは、12,3人いるボーイの中で菊田ともう一人だった。そういうわけで、店のママや支配人からはそれなりに頼りにされていた。
 あるとき、開店前に支配人に呼ばれた菊田は、
 「菊田くん、実は今日渋井組の組長の出所祝いをうちの店でやることになっていてね、そのテーブルを君に担当して欲しいんです」
 支配人はボーイに対してもいつものように丁寧な口調で言った。
 「えっ、渋井組ってヤーさんですよね」
 「そう、だから慣れないボーイに任せるわけにはいかないんです。お客さんは全員で10人くらいの人数になるようだけど」 
 「組長の出所祝いというと、客というのは皆ヤーさんなんでしょう」
 「菊田くん、くれぐれもヤーさんとは口にしないで下さい」
 「ええ、勿論それは分かっていますが、でも嫌だなぁ。桝山さんにやってもらえないんですか。桝山さんの方がこの店長いし」
 「それが、桝山くんは風邪を引いたみたいで、2,3日休むと連絡があったんです」
 「ウ~ン、しょうがないなぁ。分かりました。で、何時頃来るんですか、渋井組長は」
 「8時頃という話です。くれぐれも粗相がないようお願いします」
 「イチャモンをつけられないよう用心しますよ」
 その返事に支配人は苦笑して離れて行った。
 当夜の出所祝いに席は特に問題なく終わり、その様子を厨房責任者の桑原に話すと、
 「そんなもんだよ。組長を囲んだ飲み会なら、参加者はほとんど幹部連中だから無茶はしないさ。何かとイチャモンつけるのは下っ端のチンピラだけだよ」
 「桑原さんってヤーさんの世界の話に詳しいですよね。もしかして以前はその世界に・・・?」
 「ばーか、夜の世界にいると自然と詳しくなるさ。ここのママさんだって、本当はあんな連中との付き合いは御免と思っているけど、なかなか周りが許してくれないんで仕方なく今日も受け入れたんだ」
 「そうなんですね、そうですよね。ママが若いホステスに、あんなのと付き合っちゃいけないって言っていた男はいかにもチンピラ風でしたもん」
 「チンピラはまだ仕事に慣れないホステスを狙って店に来ることが多いんだ。連中の手口を知ってるか?」
 「いいえ、教えて下さい」
 「あいつらはこの店で初めてホステスになったような、謂わば初(うぶ)な女の子を狙って、ほとんど毎日のように店に来ては、そのホステスを指名して、いわゆる恩に着せるのだ。そうやってそいつの言うことを聞かざるを得ない状況に追い込むんだ。ホステスにとっては指名をもらうというのは給料にも反映するし、店での格も上がるからね」
 「汚いやり口ですね」
 「ヤーさんのやり口はそんなもんさ。そうやってホステスを自分のものにすると態度は一変。店には来ずにそのホステスのひもになって、店に来るのはその子に小遣いをせびるときだけになる」
 「可哀想に。ホステスは着飾って見栄えのいい外見だけど、見かけだけで判断してはなりませんね」
 「そうさ、菊田はボーイだけど店には長いんだから、若いホステスには気をつけてやれよ」
 「ええ、分かりました。でもボーイの言葉に耳を傾けるホステスなんていますかね」
 「菊田、おまえは気づいていないかも知れんが、おまえの名前はママや支配人からよく聞くし、ホステスもよく噂しているぞ。結構店の皆から頼りにされてんだ」
 「嘘でしょう、そんな気配は少しもありませんよ」
 「おまえが鈍いだけだよ」
 そう言い残して桑原はオーダーの入った唐揚げの揚がり具合を見に行った。

 「菊田さんとその美容師さんの馴れ初めはどうなんですか?」
 私が問うと、菊田さんはカミカゼをまた一口含んだ。
 「彼女の名前は和ちゃんと言ってね。歳は20代前半かな、背が高くてほとんどのホステスの誰よりもきれいな女(ひと)でした」
 と先の話を続けた
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5年振りにカンボジア -9-

2025年01月14日 | カンボジア2024
12月24日
宿をファングラーオの方に歩いてファングラーオ通りに出て右方向に1区画の所に朝から賑わいを見せるバインミー屋がある。
その店でバインミーを1本買ってこれを半分にカットしてもらった。
そこで会った外国のおじさんはもう30年程ホーチミンに住んでいるなどという陽気な人だったが、
そんなに昔から住んでいて何を持って生計を立てているのか少し疑問だった。

まずは宿をチェックアウトし荷物を預けて、バインミーを持ってシンツーリストの事務所7時30分に行く。
8時30分前にメコンツアーのバスは出発し、ミトーに向かう。
昨年も来ていたが回る場所は同じようなものだが、順路が異なるようだ。
小舟に乗り換えての支流のツアー、ミツバチの飼育所で蜂蜜の試飲とショッピング、
川縁のレストランでの食事、ココナツキャンデー製造所の見物とショッピング、
帰りには巨大な涅槃像などがあるお寺の見物をして帰る。


歌の演奏、なんだかよく分からなかった

ココナツキャンデーを作っている。工程はほぼ手作り

午後4時前にはシンツーリスト前に帰り着いたが、空港に行くには早すぎる。
ファングラーオ通りに面した公園の地下にあるショッピングモールに行くも、
1年前にあったクラフトビールの店はなく、チェを食べたが料金の割には美味しくなかった。


広島の友人Uさんはホーチミンの達人だが、
彼ら夫妻が常宿にしているキムホテルのオーナー(左)今度はうちに泊まれと念押しされた

結局宿のあたりをブラブラと歩いていると、朝バインミー屋で会ったおじちゃんが同じ席でビールを飲んでいる。
「やあ」と手を上げて会釈して近辺を歩き回ったが、結局昨日と同じビーサイゴンで夕食を摂り、最後のサイゴンビアを飲み、
8時前に宿に行き、タクシーを頼んでバックパックを引き取る。
宿の主人がファングラーオ通りまで一緒に来て、タクシーに乗せてくれた。

ホーチミンのタンソニャット空港も8時頃はチェックイン客は少なく、すぐにボーディングパスを発行してくれ、
乗客が少ない内にイミグレーションとセキュリティーを抜ける。
待合所のショッピングエリアでチョンコーヒー(ベトナム語でチョンは糞、いわゆるシーベットコーヒー)を見つけて手に入れる。

出発の0:30までは有り余る程の時間がある。
K氏は空港待合エリアを最後の散策をし、私は体調もありのんびりと椅子に掛けて待つ。
飛行機はほぼ定時に出発する。前回は出発して早めの食事が出たが、この便は到着1時間程前に起こされて朝食が出た。
やはりこちらも航路の変更か、5時間程かかって福岡に着く。
福岡空港は新しくなって高速バス乗り場も変更があったが問題なく熊本行きのバスに乗り、
私は植木インターチェンジで降り、K氏は熊本インターチェンジの前のバス停で降車し今回の旅行を終える。

お疲れ様でした。
海外旅行でこんなに体調を崩したのは初めてでした。もういい年なのですよ、きっと。
K氏には一人で行動させた時間が多く、しみじみと申し訳なかった。
ただ、ベトナム、カンボジアともビアホイを始め、地元の食事をそれなりに食べることはできたのではないかと思っている。
ということでご勘弁を。
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5年振りにカンボジア -8-

2025年01月13日 | カンボジア2024
12月23日
カンボジアを出て、ホーチミンへ移動する。
移動方法はやはりジャイアントアイビス社のホーチミン行きバス。
バスを利用する最大の目的は、飛行機より料金が安いということもあるが、
それよりも、日本では経験することがない陸路での国境越えをK氏に経験して欲しかったからである。


3列シートの快適なバス


この日は朝食を抜いて歩いてジャイアントアイビスの事務所に行く。
ホーチミン行きの国際バスは8時00分発で、3列シートの快適なバスである。
昔すんなり抜けられた国境はバスが何台も停まっていて、イミグレーションは混雑が酷く、
抜けるまでに1時間半以上の時間を要した。イライラ極まれり。


国境

途中昼食休憩を挟んで、ホーチミンのファングラーオ通りにあるジャイアントアイビスの事務所に着いたのは午後3時半。
宿はデタム通りの一つ先の狭い通りで、安宿や観光客向けのレストランが立ち並ぶサイゴンアミーゴホテル。
1泊して明日の夜中に出発するので、何よりもコスト重視の宿。ファングラーオからは至近。
宿に入る前にデタム通りのシンツーリストでメコンツアーの申込をする。
1997年に初めてホーチミンに来たとき、シンカフェと言って、カフェの一角でツーリスト業をやっていた。
それが今や全国に支店を置くシンツーリストとなり、ハノイには偽シンツーリストが溢れている程有名になった。


ベンタン市場の前の広場でおばさん達が写真を撮っていた

夕食はすぐそばのビーサイゴンレストランで摂ることにして、まずはベンタン市場に行く。
K氏はシーベットコーヒー(コピルアックとも言うジャコウネコの糞から出たコーヒー豆)を買いたいというので、
市場内のコーヒー売り場で値段を聞くと結構高い。
ハノイ空港内の店で見かけたのでホーチミンの空港で手に入れようと相談し、
普通のコーヒーや上さんから頼まれた味の素の大袋やその他の土産は昨年来たときに行った食品スーパーで購入する。

長期間地下鉄工事をしていたベンタン市場の前にきれいな近代的な建物があったので、行ってみると地下鉄の駅だった。
どうやら地下鉄が開通したらしい。そう言えば工事期間中にゴタゴタしていた市場前が非常にすっきりしている。
もし次回来ることがあれば是非乗ってみたいものだ。

ビーサイゴンの料理は美味く、久しぶりにビールを2本飲んで酔いそうになった。
明日は7時半にはメコンツアーに出るので今日はゆっくり寝る。
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5年振りにカンボジア -7-

2025年01月12日 | カンボジア2024
12月22日
プノンペン観光の日。
5年前に車をチャーターしたサラスに事前に連絡していたので、彼の車で回ることに。
宿の前のレストランで朝食を摂っているときに宿の前に彼のらしい車が止まる。
ロビーに戻ると、既にサラスが来ていたので、しばらく待ってもらい8時に出発する。

まずは近くの王宮の観光。
煌びやかな王宮には、ポルポトの出現で亡命することになった、かのシアヌーク殿下も住んだことがあるのだろうか。
などと想像しながらシルバーパゴダや何やらを見て回る。


5年振りですよ

民族楽器の演奏

王宮を出て、再びサラスの車でチュンエクのキリングフィールドに行く。
5年前にも行ったのだが、今回は日本語のボイスガイドを借りたのでフィールド内の各場所で説明を聞き、
そこで起こったことや、どういう場所かがよく分かって実のあるものとなった。
最後にキリングフィールドで発見された犠牲者の頭蓋骨が納められている慰霊塔に線香を上げて死者の無念を慰める。


慰霊塔

赤ん坊をぶら下げて木に打ち付けて殺したというキリングツリー

チュンエクのキリングフィールドを出て、市内のセントラルマーケットに行く、。
ここの様子を見て、マーケット内にある麺屋で昼食を摂る。
しかし私の食欲は戻らず、K氏のみ食事をし、私は何とファンタを飲む。


クイッテオを食べ終えたK氏

セントラルマーケットを後にして、トゥールスレインに行く。
ここはやはりポルポト時代に小学校を監獄に変えて、罪もない人を拷問したり牢獄に繋いだ場所である。
拷問部屋や拷問用具の展示、犠牲者となった人々の写真などを見ていると、
人間の限りない残酷さと愚かさを見せつけられ、未だに争いをやめることができない人間に希望はあるのか、
自分を大事にするように他人を慈しむことができない今という時代にただ無力さを感じるしかないのか、
そんな思いを抱えてトゥールスレインを後にした。


犠牲者の写真

独立記念塔を車中から見て、国立博物館前でサラスに料金を払って別れる。
私は体調もあり、2度程博物館は見ているのでホテルに帰ることにし、
K氏は博物館を見ていくというので、ホテルまでの帰り道を説明して別れる。


久しぶりの独立記念塔

私はホテルで熱冷ましの薬を飲んで夕方まで休み、少し回復して夕食に出る。
生ビールが少しだけ安い近くのレストランで夕食を摂る。
ここの店で、カンボジアを出国したら紙屑になるリエルの札を全部処分することにした。
会計は上手い具合に、ドルと手持ちのリエルを全部使って支払うことができた。
ドルとリエルの混在は非常に計算が面倒で、K氏が飲む生ビールをあと一杯までは大丈夫などと、
計算しいしいのビールでは彼もおちおち飲んだ気がしなかったかもしれない。

今回のカンボジア旅行で一番印象に残ったのは、この国の通貨であるリエルの普及である。
5年前までは支払いはUSドルで、釣りもドルというのが普通で、リエルを見ることはほとんどなかった。
しかし今回は、シェムリアップ市内のコンビニでドルで払ったら釣りがリエルできたので吃驚した。
この国の通貨本当はリエルなのだということを思い知らされた気がする。
最もわかりやすい計算は、1ドル=4,000リエル=160円で概算の計算方法である。
これだと1,000リエル=40円、100リエル=4円で日本円に換算した場合の認識が簡単である。

リエルが普及する要因の一つは間違いなく5年近いコロナ禍だろう。
コロナ禍で観光客が激減し、ドルを使用する人々が激減し、ドル収入が激減し、ドルの普及も激減した。
ために、やむを得ずリエルを増刷しリエルによる取引が激増したというのが本当のところだろう。
それでもシェムリアップ市内のレストランのメニューはドル表示が普通で、これは観光客が多いせいもあるだろう。
さて、これからはリエル文化になるのか、それともドルに帰依するのか、果たして?
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5年振りにカンボジア -6-

2025年01月12日 | カンボジア2024
12月21日
プノンペンへバス移動のため、朝7時30分にホテルを出て、迎えに来たトーンのトゥクトゥクでジャイアントアイビス社のバスターミナルに行く。
ここでトーンとはお別れ。
トンレサップ湖方面、サーカスの送迎、朝日鑑賞付きアンコールワット小回りコース、アプサラダンスショーの送迎、
最後のジャイアントアイビス社のバスターミナルまでのピックアップ、その総額50ドルを支払う。


トゥクトゥクドライバートーンと

8時30分に出たバスは途中昼食休憩を挟んで、約7時間弱でプノンペンに到着。
ジャイアントアイビス社の事務所前に着くが、ここはナイトマーケットに近い。
ここからシルバーマウンテンホテルまではほぼ1本道で1㎞程度なので歩いてホテルに向かう。
ホテルの場所はレストランが多くある場所で、5年前に泊まったホテルに近い。


途中のレストランでクイッテオ(麺)を食する

しばしホテルで休んで夕方ナイトマーケットに行ってみるが、たいしたものはなく、
ホテルの近くまで帰って夕食を摂る。ホテルでは2回程停電したが、昔に比べれば停電の時間は短い。


もの凄い電線の量で、私はいつも思うのだが、この中には盗電しているの絶対居るよな、と

私はまだ食欲がなく、ビールは厳しい。
移動が長かったので、早く休むことにする。
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5年振りにカンボジア -5-

2025年01月11日 | カンボジア2024
12月20日
朝5時にホテルを出て朝日鑑賞をした後にアンコールワット小回りコースに出る。
まずはチケットブースで1日鑑賞券を37$で購入する。
その後トーンのトゥクトゥクでアンコールワットに着き、朝日鑑賞のできる場所に向かう。
観光客で賑わう場所で朝日を待つが、好天の多いこの時期にしては雲が低くなかなか朝日が顔を見せない。
やっとそれなりの情景が出たので、一度トゥクトゥクに戻り朝食に行く。


朝日らしきものが見える

多分トーンが贔屓の店で簡単な朝食を摂り、私は食欲がないのでより簡単に済ませる。
その後再びアンコールワットに行くが、どうにも体調が悪く、K氏にアンコールワットの回り方を簡単に説明して、一人で送り出す。
私はと言えば、トゥクトゥクでK氏が帰るまで休ませてもらう。


アンコールワット第三回楼

その後はアンコールトムから象のテラスを2人で回って、最後にタプロームの遺跡に行く。
タプロームでも私には歩く気力がなく、K氏一人で行ってもらった。申し訳ないこと甚だし。
一応小回りコースのメイン遺跡はこの3カ所で終わりなので、ホテルに帰る。


アンコールトムの南門

バイヨン(アンコールトムの4面像)

象のテラス

タプロームの気に喰われる遺跡

昼食に出るもやはり身体が怠いが、ビールとモヒートを飲んで帰り、4時頃までホテルで休む。
私がビールを控えているせいでK氏も飲むのを抑えているのが申し訳ない。
本来なら、遺跡の話を肴に0.5ドルのドラフトビールを数杯飲んでワイワイと楽しい時間を過ごせたものを。

午後は昨日同様K氏には自由時間で行動してもらい、私は部屋で休む。
5時前に二人でランドリーやに行き、洗濯物を受け取る。非常にきれいな仕上がりで満足。
夕方6時にはトーンが迎えに来て、アマゾンアンコールレストランに行く。
今夜はアプサラダンスショーを見ながらのビュッフェスタイルの夕食である。
以前街中にあったクーレン2というレストランで2回見たダンスショーとは趣が異なったダンスが多く、結構楽しめた。
我々の近くの席はほとんど日本人の観光客で占められていた。
そう言えばハノイからの便にも結構日本人が居たのを思い出した。


ダンスショー

8時半に店を出るとトーンは既に迎えに来ていて、手を上げる。
明日はプノンペンへ移動、ホテルに帰るや早めに寝る。

※ホテルのバスタブはかなり大きくて、この中でバスジェルを使うと以上に滑りやすくなり、バスタブから出るのに苦労する。私はこのまま出られないかと非常に焦った。このとき程バスタブに浸かったのを後悔したことはない。ここのバスタブは浸かるだけ、洗うのは横のシャワーブースをお勧めする(個人的にだが)。
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5年振りにカンボジア -4-

2025年01月11日 | カンボジア2024
12月19日
午前中は観光を入れている。
シェムリアップでトゥクトゥクや車などのツアーサービスを日本語サイトで提供している
「TeamPaul」にトゥクトゥクを2日間手配してもらっていた。
TeamPaulのツアー料金は格安ではないが、良心的で信頼できる。
Paulさんの奥さんは日本人で、私は5年前に初めてお世話になった時から時々メールの遣り取りをし、
今回も快くツアーの手配をしてもらった。

1日目の今日は、トンレサップ方面へ。
途中、ロータスシルクファームに寄る。
ここではロータスつまり蓮の茎から繊維を取りだし、それで織物を作っている。
5ドルで工房の見学や蓮茶を飲ませてもらい、工房をお姉さんに案内してもらう。
スマホの翻訳ソフトで会話するのだが、スマホに話しかけるお姉さんの緊張振りが面白くて、
ついつい揶揄い気味な会話になって、お姉さんごめんなさい。
ロータスシルクファームの観光は予想外に楽しく、遺跡以外の観光地としてお勧めできる。


工房の案内を待つ間蓮茶を飲む部屋

トンレサップでは観光船には乗らず湖辺を回るだけにした。
その後、プノンクロム遺跡のある山に途中まで登る。
というのも、以前は無料で行けたプノンクロムもアンコールチケットの対象となり、
明日予定しているアンコールワット小回りコースを考えると、2日券が必要になり、
プノンクロムはそれほどの価値がある遺跡とは言えないからである。
途中の山腹から見る風景はそれだけで十分なものだった。


トンレサップ湖畔

プノンクロムの山の中腹から見る

昼にはシェムリアップ市内に帰り、オールドマーケットで降ろしてもらった。
トゥクトゥクドライバーのトーンは人のいい男で、今夜のサーカスのピックアップの時間を確認して去って行った。
しばらくオールドマーケットを見物して、ソックサン通りで再び生ビール0.5ドルを見つけて昼食にする。
私の方は食欲がなく、身体が重くビールも進まない。
宿に帰って洗濯物を持ってホテル近くのランドリー屋に持ち込む。
1㎞ドルで私は2ドル分だった。K氏は2、5ドルで、明日の夕方取りに来いと引換券をくれた。

ホテルに帰っても気分が優れず、咳が酷く微熱もある。午後の自由時間はK氏には一人で行動してもらう。
私はずっと休んでいたが、微熱だが若干熱もあるようで、夜のサーカス見物はK氏だけで行ってもらう。
本当に申し訳ないのだが、送迎はトーンがトゥクトゥクでやってくれるので心配ないからと送り出した。


シェムリアップのカンボジアサーカス

トーンには明日のアンコールワット小回りコースの朝日観光に出る時間を5時に決めて私は部屋で休む。
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5年振りにカンボジア -3-

2025年01月10日 | カンボジア2024
12月18日
シェムリアップへ移動の日だが、夕方の便なので午前中にロンビエン駅に向かう。
途中ドンスアン市場によりぐるっと一周する。
お目当てとなるようなものはなく、ロンビエン駅に行く。
フランスの植民地時代にホン河に架けられたというロンビエン橋を見る。
以前は車も通行できたらしいが、古くなって危険だということで今はバイクのみが通行できる。
ただし、北部方面へ行く列車は日に数本通行する。


ロンビエン橋は相変わらずのバイク洪水

ロンビエン駅を覗くと、ホームには30人程の乗客が列車を待っている。
しばらくすると汽笛が聞こえ、ホームに列車が入り、外国人を含めた乗客が乗り込み、橋を渡って去って行った。
帰りには6月にも寄ったCoffee Aというカフェに入り、私はマンゴースムージー、K氏はヨーグルト何ちゃらを注文。
しばしまったりして、宿に帰り空港へのバス停に向かう。

昼前には空港でのチェックインも済ませ、待合室でゆっくりすることに。
昼食をいろいろ見て回るもののやはり空港内は高い。
一番安いサンドイッチと水を手に入れ、待合室で昼食とする。

シェムリアップにはほぼ定時に着いたが、迎えに来た男がピックアップするはずの車がまだ来ていないという。
20分近く待ってやっと車が来てホテルに向かう。
以前に比べて格段に遠くなった空港からシェムリアップ市内に入ると渋滞模様。
ホテルにチェックインしたのは18時になんなんとする時刻だった。


シェムリアップのホテル

ホテルはソックサン通りに近いチーサタCTSアンコールホテルのジュニアスイート。
まずは夕食をソックサン通りの生ビール0.5ドルの店を探して摂ることに。
フレンチフライなどのつまみを取り、生ビールを数杯ずつ飲む。
締めはカンボジア料理のロックラックで、なかなか美味しゅうございました。


ロックラック(3ドル)

時間が早いので、一応パブストリートに行ってみる。
昨日の歩きすぎでやはり疲れがあり、それ以上足を伸ばせず。
今夜は広くて設備も満点の部屋でしっかり寝よう。

※カンボジアのビザは事前にE-Visaを取っていたので問題なくイミグレーションを抜けた。ただ、入国に際して9月からはE-arriveというアプリを使ってアライバルカード及び税関申告書を入力してQRコードを入手して(紙の申告書はない)これを入国の際に示すようになっていたので、K氏と2人、福岡のラウンジであ~だこ~だと言いながらやっとこさQRコードを入手したのに、実際はそれを見せる場所も機会も全くなくて、一体あの苦労は何だったんだ、といういかにもカンボジア(通達が末端まで行き届いていないという現象ではないかと想像します)という顛末がありました。
※ビザに関してはA4サイズに印刷したものを2枚持参して1枚は入国するとき、1枚は出国するときに出すと言う注意書があるが、ビザ部分だけを切り抜いて、ホチキスでパスポートに留めておくと、これだけで入出国には問題ない。
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5年振りにカンボジア -2-

2025年01月09日 | カンボジア2024
12月17日
朝食会場はホテルにはなく、ホテルが契約しているらしい別の場所にある屋上のレストランに案内された。
何ということもないコンチネンタル風の朝食を摂って宿に帰る。
8時に宿を出て、通りでタクシーを捕まえてホーチミン廟入り口まで行く。
時間が早かったせいか、行列は少なくあまり待つこともなくホーおじさんに再会した。


ホーチミン廟

遠足でしょうか?

ここで一つ吃驚したことがある。
以前は手荷物を預けて、帰りに受け取る必要があったが、
今回はセキュリティのX線装置をくぐらせて、問題がなければ手荷物はそのまま持って行けるようになっていた。
その問題がなんなのかはよく分からないが、多分カメラかな?

次に世界遺産のタンロン城遺跡に行くのだが、マップを見ると歩きでいいくらいの距離なので、マップに入力して歩き始める。
今回はペンタクトWi-Fiのアジア周遊10日間の携帯用Wi-Fiを借りてきた。
6月に持って行ったグローバルWi-Fiに比べるとかなり割安感があり、機能に問題はない。
宅配も返却も無料で、コンビニ払いで利用したが総額4,090円でとても助かった。

閑話休題

今年はタンロン城遺跡も3回目だったが、K氏は初めてなのでゆっくりと見物した。
サイゴン大教会に行くのにタクシーをと思ったが、途中の景観(鉄道沿線の店など)もK氏に見せたくて歩くことにした。


正門

の上から

遺跡を出てすぐ近くにあるカフェでカフェスア(練乳入りベトナムコーヒー)を飲む。
よく混ぜて飲むところを混ぜずに飲んだので、初めは苦く半分以降は練乳の甘さで口内がおかしくなる程だった。
何回ベトナムに来てるんじゃ!何十杯カフェスア飲んだんだ!飲み方ど忘れしてKさんゴメン!


途中で列車のレール沿いにある店を見る

大教会はクリスマスの飾り付けがしてあって、観光客で賑わっていた。

近くに最近オープンしたらしい蟹麺の店で昼食を取り、ホアンキエム湖沿いを歩いてまず宿に。


蟹麺の店は大いに賑わっていた

K氏が7階のデラックスの部屋に移り、荷物を整理して水上人形劇場に向かう。
まだ時間があるので、途中のHanoi Coffee Station という入り口が非常に分かりにくいカフェに寄り、
しばしまったりとコーヒーやシェイクなどを味わう。


こんな所にカフェが?という入り口

美味い!

ビミョ~!

観劇時間は15時だが、10分程前にはもう長蛇の列だった。
K氏が劇場に入るのを確かめて宿に帰りしばし休む。
16時前に劇場に迎えに行き、そのまま行きつけのビアホイに向かう。

半年ぶりのビアホイは開店したばっかりで、客は我々のみ。
まずはビアホイで乾杯し、茹でピーナッツやフライドトーフ等を肴に2人で15杯程飲む。
K氏は日本ではほとんど食べない茹でピーナッツが、慣れると焼いたり揚げたのに比べると、
ピーナッツの本来の味が引き立つと、なかなかの食レポ。
フライドトーフ(揚げ豆腐)も日本のとは若干食感が異なり、外はカリカリ中は豆腐が柔らかく、
これもK氏が絶賛だった。


フライドトーフは私もお気に入り

バイクを路上に停めてちょい飲みのおじさん。飲む方も飲ませる方も誰も咎めない。
イイネ!100個あげましょう

帰りにフォーボー(牛肉のフォー)の名店フォーザチュエンに寄って、夕食はフォーボータイで締めとする。
今日の万歩計は2万歩を超え、さすがに疲れた。
この疲れが身体にかなりのダメージを与えたことをこの後に思い知ることになる。
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