goo blog サービス終了のお知らせ 

Potential of aromatherapy

aromatherapy and golf and movie

長い振り返り

2008年04月29日 | 雑記
看護師になって何年になることでしょう。
振り返ると、1984年の春だった。昭和59年の春。

 なりたくてたまらなかった看護師。(その頃は看護婦だった)

できたばかりの病院だったので、誰も何も教えてくれなかった記憶が
残っています。それでもくじけずにやってきたのはどうしてでしょう。
忙しくて、日勤は22時過ぎだったから、その頃深夜勤は22時半からで、
準夜勤どころか、深夜勤のスタッフに会うこともあったほどでした。

 でも、辞めずにここまで来てしまいました。

その頃、何を悩んでいたのでしょう?
仕事を覚えるのに必死で、悩む暇はなかったように思いますが、
きっと毎日思い悩むことも多かったと思います。

健康を損なって病気になって、命だって危なくなってしまいます。
治って退院する患者さんもいますが、そうでない方もたくさんです。
様々な年齢の患者さんが、様々な人間模様で過ぎ去っていきました。

 悲しいこともたくさんありました。
 苦手なこともたくさんありました。

2年目の頃は、辞めたくてたまりませんでした。
でも、周囲の方々に支えられ、看護の勉強をもっと深められる機会に
恵まれました。
外科も整形外科も、内科病棟も経験して、学生担当になりました。
毎日多くの学生さんたちに、私の目指す看護を語っていたのだと思います。

そして、訪問看護に8年もいることになりました。
この訪問看護は、私の看護観を固めました。
人は、どんな年齢になっても、ただひとつの命だということ。
若いからとか、年をとっているからとか、そんなことじゃないということ。

外来で、300人以上の名前と接して、人と接して、誰一人
同じ人はいないということ。

自分が看護する目の前の人を、生物学的にも、社会的にも理解することが
看護には求められます。
学生時代の、看護観も影響していると思います。
病気の理解も、その人の生活全般の理解も必要だということです。

こうしなくて、ああしなくては、こんなことじゃいけない、
焦りばかりの若い頃とは、全く違う今があるのは、多くの患者さん達から
人生を学んだからなのでしょうか。

みんな悩む道のりは厳しいけれども、それを通らなければ辿り付けないから、
進むしかないということを知って欲しいと思いました。
言葉では教えられないから、ただ見守るしかありません。

私も決して、辿り付いた訳じゃないけれども、何千人もの患者さんが教えてくれた
ことはかけがえのないものです。

今は患者さんとじっくり話す仕事ではないから、じっくり話す時間を
自分から作るしかありません。
もちろん、スタッフとも、他の職種の方々とも・・・・・・・・・・・・。

今日は20年以上も前に会った医師に、一緒に逢いませんか?と
誘われ、走馬灯のように過去を振り返りました。
 「昭和の日」ですものね。

その方はしばらく日本を離れるそうなので、
新潟に、逢いに行ってこようかなって思います。昔話をするために。

  人気blogランキングへ

緩和ケアのブログへようこそ