日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

3月3日

2024-03-05 14:52:38 | 日記
創世記8:21~22,9:12~15、1コリント1:18~25ヨハネ2:13~22
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二日市教会主日礼拝説教 2024年3月3日(日)
四旬節第3主日
「ノアの洪水―その2」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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 学校で勉強する世界の古代文明にはエジプト文明とメソポタミア文明があります。この二つは、聖書と深い関係があるのですが、今考えたいのはメソポタミア文明です。メソポタミアとは二つの大きな河の間にある地域という意味で、ティグリス河とユーフラテス河を指しますが、その地域は水の恵みが豊かな土地でした。けれどもまた、その水が大洪水を引き起こすこともありました。
 さて、メソポタミア地域で最も強い国を築いたのはバビロニア帝国でした。この帝国は、最高度に発達した文明を生みましたが、有名なのは、世界最古の六法全書である『ハンムラビ法典』と、世界最古の文学作品である『ギルガメシュ叙事詩』です。これらの文書は楔形で刻まれた文字で粘土板に記されましたが、今から150年前くらい前に考古学者たちが発掘して世界中に知られることになりました。そして、『ギルガメッシュ叙事詩』のほうは、大洪水の話があることで、聖書の学者たちの多大な注目を浴びました。

 さて、この叙事詩は、アーサー王伝説に匹敵すると言われ、ギルガメシュという主人公が死の恐怖にかられて永遠の命を求め旅をするという話になっています。そして、旅の途中である人物に出会い、その人からかつて体験したという大洪水の話を聞きました。その話は、旧約聖書のノアの洪水を知っている人にとっては、とてもよく似た話なのでした。
 たとえば、ギルガメッシュの洪水でも箱舟が作られていました。ただ、その箱舟は、長さが60メートルで、幅も60メートル、高さも60メートルでした。けれども、ノアが作った箱舟は(創世記6章15節)、長さが三百アンマ、幅が五十アンマ、高さが三十アンマなのでした。このアンマは、お手元の新共同訳聖書の巻末付録の表「度量衡および通貨」にあります。それをもとに換算すると、35メートル、幅22メートル、高さ13メートルです。つまり、両者の寸法には、かなりの違いがあるのです。
 けれども、違いがあるのは当たり前で、たとえば箱舟に乗った人数や動物たちの数とかで大きさも決まるからです。(なお、ギルガメッシュの箱舟は7階建て、ノアは3階建てだった)。又は造船技術その他の違いも考慮するなら違って当然だからです。むしろ興味深いことは、どちらの箱舟の寸法も、空想上のバカバカしい数字にはなっていないことです。ギルガメッシュにしても、ノアにしても、人々の大洪水の記憶が、いかにリアルだったかを物語っているのでした。なお洪水伝説は同じ中近東には各地にまだあるので、聖書のノアの洪水も、そのような広い視野でとらえることが大事ではないかと思うのであります。
 ところで、様々な洪水伝説を調べるなら、類似点とともに相違点も色々見えてきます。そこで、旧約聖書の創世記の大洪水だけに見られる独自性は何かを調べるなら、いくつかのことが挙げられるのです。そして相違点のうちで、他の洪水物語に出てくる神々と聖書の神の違いはかなり際立っているのです。そのことがよく示されるのが、今読んだ創世記8章21節と22節なのであります。

 その前に思い出したいことは、なぜ洪水が起きたのかですが、それは地上の人間の悪に心を痛めた神の決断だったからです。この時の神の心を聖書は「心を痛めた」(6:6)と書いています。そして、そのあとが本日の8章、洪水後の話になるのですが、神の言葉はまず「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」です。ここを読んで「聖書の神は甘い」と思う人がいるかも知れませんが、神はすぐに「人が心に思うことは幼いときから悪い」とも言っています。つまり神はあくまで人間の罪を見ていたのでした。つまり、洪水後でも人間の罪深さは少しも変わっていなかったのです。ところが、変わったのは神だった。今までは、罪は厳罰に対処するのが神だったが、もうそれはしないと「心を変えた」からです。つまり、人間というものはどこまでも、どこまでも悪いという認識を、洪水のあとで持つようになったのでした。

 ところで、聖書の洪水物語は、一見めでたしで終わります。そう思わせてくれるのは9章の「祝福と契約」です。ここで神は、「滅ぼさない」という意思表明の虹を立て、証人としてその場にノア一人を招いています。このままだと、ノアは人類史上のヒーローになるところでした。
ところが、そうならなかったのは、そのあとの9章に「ノアと息子たち」の話があるからです。二つの話があります。ノアは酒を飲みすぎ泥酔し、服をまとわず裸身をさらけだして寝ていた。そこに、三人息子の一人がやってきて倫理道徳上決して息子がしてはならないことを父親に対してした。そのような話です。
事の発端は(アルコール飲料の)ぶどう酒にありました。ノアは箱舟を出ると農夫になり、ブドウ栽培を始め、大々的なブドウ園経営者になりました。古代社会ではぶどうは富の象徴でした。あの悲惨な洪水が去ると、社会は豊かになり、人々の心もたるんでいったのでした。この「ノアと息子たち」は、豊かさの中で人々が手に入れた自由から、とんでもないことが生まれたという話でした。
さて、創世記によると、アダムとエバ以来、罪を繰り返した人間への神の怒りも頂点に達し、一度絶滅を図りますが、それでも箱舟という「生き延びの道」を用意したのが神でした。ところで話は飛びますが、新約の世界になっても、人間の罪は相変わらずでした。だから、ノアの洪水に出てきた神は、新約でも同じ神なのでした。人間がどんなに罪にまみれても、今も心を痛め、生き延びる道を用意してくれる神がいる。その神こそが、イエスが「わたしの父」と呼んでいた神だったということを、改めて覚えたいのであります。
(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次回3月10日 四旬節第4主日
説教題:『バベルの塔』を考える
説教者:白髭義牧師

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