イザヤ書6:1~8 コリント115:1~11 ルカ5:1~11
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二日市教会主日礼拝説教 2025年2月9日(日)
ある宣教師―その4
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
1926年にアメリカで生まれ、神学校で学んでルーテル教会の牧師になったアンドリュー・エリスさんは、宣教師になって終戦直後の日本にきました。そして26歳だった昭和27年に、熊本担当の任命を受け大江の町の宣教師館に住み始めました。ところがその翌年の白川水害に会い、そのことが地元住民との絆を深めることになりました。
さて、エリス先生は、任務だった農村伝道と並んで、ルーテル教会が運営する九州学院中・高の英語教師も始めました。前任教師のマージョリー・ミラー先生が東京女子大の英語教師になったためでした。なおミラー先生はご成婚間もない美智子妃殿下の英語教師にもなりました。その時は宮内庁からお迎えの車が来たそうです。
ところで、エリス先生は熊本到着の時は独身でしたが、そのあと結婚しました。相手の人の名は正枝さんで、大江ルーテル教会の青年会員でした。二人は結婚後7年間に5回も引っ越しをしました。熊本にいた宣教師たちの異動と転居が相次ぎ、そのため空き家になった宣教師館に住むように言われたからでした。けれども、水前寺という町に引っ越してからは、38年間じっと動かないで、三人の子どもたちをじっくり育てることが出来たのでした。
さて、出来事は、長男が中学、長女と次女が小学校の時に起きました。大洋デパートの火災のことです。ある日、先生が家で仕事をしていると奥さんから電話がありました。受話器を取ると彼女は「今、大洋デパートが火事です。私、今、そこです」と言いました。先生が驚いてクルマで迎えに行くからと言うと、彼女は「いいえ大丈夫です。タクシーで帰ります」と言ったのでした。
先生はそのあと二階に上がり、窓から町の中心部を見ると、ものすごい黒煙が上がっていました。テレビをつけると、大洋デパートが火災で燃えている実況をやっていました。タクシーで帰ってきた正枝さんは、煙の臭いでいっぱいでした。しばらくすると、何も知らない子どもたちが学校から次々と帰ってきました。
火災が発生したのは1973年の11月29日13時15分頃でした。出火場所は従業員専用階段で、ふだんから物置がわりに使われていました。その2階と3階の中間に積まれていた段ボールから出火したのですが、たばこの火か放火かは不明でした。正枝さんは、出火直前まではデパートの中の4階にいて、8階の売り場に移動した直後に出火したのでした。火は階段から3階寝具売り場に入ってきて、3人の従業員が消火に当たりましたが、消火器から薬剤が出ませんでした。すると熱気が布団類に引火し、燃え広がりました。なお、火災情報の館内放送の役目があって電話交換室へ連絡が入りましたが、係員は上司と社長への連絡に気を取られ右往左往する内に、交換室にも黒煙が入ってきました。また、4階から上の階への火災の通報はなされないままで、煙が侵入してきて人々は気がつくありさまでした。しかし正枝さんや一緒にいた人たちは、8階からすぐ上の屋上に逃げ、工事中の隣のビルの作業員が差し伸べた長い板の上をつたい歩きして、命からがら脱出出来たのでした。
この火災で死んだのは104人でした。デパートの火災で最も有名なのは昭和7年の東京・日本橋白木屋の火事ですが、その時の死者は14人でした。また大洋デパート火災の前年には大阪・千日前デパートの火災が起きていて、死者は118人でしたが、この建物は、キャバレーや飲食店、各種小売店で構成される雑居ビルだったので、正式のデパート火災には扱われていません。
従って、大洋デパートの火災は日本で最も悲惨な火災として今も覚えられています。ところで、この火災をめぐって遺族が、損害賠償の訴訟を起こしました。火事の翌年の1974年でしたが、翌翌年の76年に和解が成立しました。このような事件の裁判は普通非常に時間がかかるのですが、異例のスピードでした。和解を勧告した糟谷忠雄裁判長は、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子裁判官と家庭裁判所の時の同僚でした。こうして和解が成立し、遺族への支払いが完了したのちに、大洋デパートは倒産したのでした。
ところで、火事の直後正枝さんの二人の叔母が訪ねて来て言いました。「あなたがたはクリスチャンだから救われたのですね」。二人はこれに対してお礼を言いましたが、内心は唖然としていました。神が災害から守ってくれるというのは本当の信仰ではないと思ったからでした。
エリス先生は、こう書いています。「神やキリストが危険や災害から守るというのは、キリスト教の信仰ではありません。どんな目にあうとしても、私たちには永遠の命があるからです。それがあるのですから、私たちは神さまにまかせるのです。死んでも終わりではありません。その先にキリストの復活の勝利があるからです。」
次週 2月16日 顕現後第6主日
説教題:ある宣教師 その5
説教者:白髭義牧師
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二日市教会主日礼拝説教 2025年2月9日(日)
ある宣教師―その4
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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1926年にアメリカで生まれ、神学校で学んでルーテル教会の牧師になったアンドリュー・エリスさんは、宣教師になって終戦直後の日本にきました。そして26歳だった昭和27年に、熊本担当の任命を受け大江の町の宣教師館に住み始めました。ところがその翌年の白川水害に会い、そのことが地元住民との絆を深めることになりました。
さて、エリス先生は、任務だった農村伝道と並んで、ルーテル教会が運営する九州学院中・高の英語教師も始めました。前任教師のマージョリー・ミラー先生が東京女子大の英語教師になったためでした。なおミラー先生はご成婚間もない美智子妃殿下の英語教師にもなりました。その時は宮内庁からお迎えの車が来たそうです。
ところで、エリス先生は熊本到着の時は独身でしたが、そのあと結婚しました。相手の人の名は正枝さんで、大江ルーテル教会の青年会員でした。二人は結婚後7年間に5回も引っ越しをしました。熊本にいた宣教師たちの異動と転居が相次ぎ、そのため空き家になった宣教師館に住むように言われたからでした。けれども、水前寺という町に引っ越してからは、38年間じっと動かないで、三人の子どもたちをじっくり育てることが出来たのでした。
さて、出来事は、長男が中学、長女と次女が小学校の時に起きました。大洋デパートの火災のことです。ある日、先生が家で仕事をしていると奥さんから電話がありました。受話器を取ると彼女は「今、大洋デパートが火事です。私、今、そこです」と言いました。先生が驚いてクルマで迎えに行くからと言うと、彼女は「いいえ大丈夫です。タクシーで帰ります」と言ったのでした。
先生はそのあと二階に上がり、窓から町の中心部を見ると、ものすごい黒煙が上がっていました。テレビをつけると、大洋デパートが火災で燃えている実況をやっていました。タクシーで帰ってきた正枝さんは、煙の臭いでいっぱいでした。しばらくすると、何も知らない子どもたちが学校から次々と帰ってきました。
火災が発生したのは1973年の11月29日13時15分頃でした。出火場所は従業員専用階段で、ふだんから物置がわりに使われていました。その2階と3階の中間に積まれていた段ボールから出火したのですが、たばこの火か放火かは不明でした。正枝さんは、出火直前まではデパートの中の4階にいて、8階の売り場に移動した直後に出火したのでした。火は階段から3階寝具売り場に入ってきて、3人の従業員が消火に当たりましたが、消火器から薬剤が出ませんでした。すると熱気が布団類に引火し、燃え広がりました。なお、火災情報の館内放送の役目があって電話交換室へ連絡が入りましたが、係員は上司と社長への連絡に気を取られ右往左往する内に、交換室にも黒煙が入ってきました。また、4階から上の階への火災の通報はなされないままで、煙が侵入してきて人々は気がつくありさまでした。しかし正枝さんや一緒にいた人たちは、8階からすぐ上の屋上に逃げ、工事中の隣のビルの作業員が差し伸べた長い板の上をつたい歩きして、命からがら脱出出来たのでした。
この火災で死んだのは104人でした。デパートの火災で最も有名なのは昭和7年の東京・日本橋白木屋の火事ですが、その時の死者は14人でした。また大洋デパート火災の前年には大阪・千日前デパートの火災が起きていて、死者は118人でしたが、この建物は、キャバレーや飲食店、各種小売店で構成される雑居ビルだったので、正式のデパート火災には扱われていません。
従って、大洋デパートの火災は日本で最も悲惨な火災として今も覚えられています。ところで、この火災をめぐって遺族が、損害賠償の訴訟を起こしました。火事の翌年の1974年でしたが、翌翌年の76年に和解が成立しました。このような事件の裁判は普通非常に時間がかかるのですが、異例のスピードでした。和解を勧告した糟谷忠雄裁判長は、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデルとなった三淵嘉子裁判官と家庭裁判所の時の同僚でした。こうして和解が成立し、遺族への支払いが完了したのちに、大洋デパートは倒産したのでした。
ところで、火事の直後正枝さんの二人の叔母が訪ねて来て言いました。「あなたがたはクリスチャンだから救われたのですね」。二人はこれに対してお礼を言いましたが、内心は唖然としていました。神が災害から守ってくれるというのは本当の信仰ではないと思ったからでした。
エリス先生は、こう書いています。「神やキリストが危険や災害から守るというのは、キリスト教の信仰ではありません。どんな目にあうとしても、私たちには永遠の命があるからです。それがあるのですから、私たちは神さまにまかせるのです。死んでも終わりではありません。その先にキリストの復活の勝利があるからです。」
次週 2月16日 顕現後第6主日
説教題:ある宣教師 その5
説教者:白髭義牧師
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