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音曲日誌「一日一曲」#459 カール・ウェザーズビー「Travelin’ Man」(Bearpath)

2024-07-08 08:20:00 | Weblog
2024年7月8日(月)

#459 カール・ウェザーズビー「Travelin’ Man」(Bearpath)




カール・ウェザーズビー、2019年リリースのライブ・アルバム「Live At Rosa’s Lounge」からの一曲。アルバート・キングの作品。オソ・ブルースによるプロデュース。

米国のブルースマン、カール・ウェザーズビーことカールトン・ウェザーズビーは1953年2月、ミシシッピ州ジャクスン生まれ。幼少期は同ミードヴィルで過ごし、8歳の時に家族とともにインディアナ州イーストシカゴに移住している。

60年代後半、10代になったウェザーズビーは、ギターを弾き始める。アルバート・キングを愛聴していた彼は、そのシングル・ヒット曲「Crosscut Saw」(66年リリース)をコピーして何度も練習した成果を父親に聴かせる。

たまたまその場に居合わせた父の友人、ディーゼル整備士だという男性が「おい、この曲はそういう風には弾かないよ、俺の弾き方とは違う」と言った。

そう言った男は、なんとアルバート・キング本人だったのである。ウェザーズビーは、キングから直接ギターの手ほどきを受ける。そして、キングはウェザーズビーの熱意に深く感銘を受ける。

これがきっかけで、のちにキングはウェザーズビーを雇って、コンサートツアーでリズムギターを弾かせることになるのである。

このエピソードを聴いて驚いたのは、レコードもリリースしてヒット、知名度もそこそこあったアルバート・キングほどのミュージシャンでも、けっして音楽だけでは食べていけなかった時期があったいう事実だ。

実際、多くの有名なブルース・ミュージシャンは、レコードを出せるようになっても、何かしら兼業しないと生活を維持出来なかったケースが大半であったようだ。ブルースは他のポピュラー・ミュージック、白人系のポップスなどに比べると、なかなか商業的に大きな利益を出しにくいジャンルなのだった。

さて、ウェザーズビーも多くの例に漏れず、プロミュージシャンへの道は平坦なものではなかった。学校を卒業したのちは製鉄所の労働者、刑務所の看守、警察官など、さまざまな職業につく。また、ベトナム戦争中の1971年から77年までは、米国陸軍で兵役についていた。

戦争終了による復員後、ウェザーズビーはようやくプロミュージシャンの道を歩み出す。前述のようにキングからの引きで、彼のロードトリップに同行できるようになり、リズムギタリストとしてステージ出演する。

1979年から81年にかけてのこの経験により、ウェザーズビーはブルース・ミュージシャンとしての己れをついに確立したのである。

80年代、ウェザーズビーはほぼ同年代のブルース・ハーピスト/シンガー、ビリー・ブランチ(1951年10月イリノイ州グレートレイクス生まれ)と知り合う。ブランチはすでにサンズ・オブ・ブルース(SOB)というバンドで高い評価を得ていた。

同グループは初代のルーリー・ベル、そして二人目のカルロス・ジョンスンという優れたギタリストを擁していたが、ジョンスンが割とむらっ気なところがあり、仕事に穴を開けることもあったことで、次第にその代役がウェザーズビーに回って来るようになる。

最終的にSOBはウェザーズビーを正式のメンバーとして迎える。以来、ウェザーズビーはおよそ15年にわたってSOBに在籍することになり、ブルースミュージシャンとしての評価を大いに高めたのだ。

SOB時代の作品としては85年リリースのアルバム「Romancing the Blue Stone」、92年の「Mississippi Flashback」があり、その後2003年に「Blues Reference;As the Years Go Passing By」にも参加している。また、同時期のビリー・ブランチの何枚かのアルバムにもゲスト参加している。

歌も含めたソロでの音楽活動を強く望むようになったウェザーズビー は95年、SOBを離れて新しい道へと一歩踏み出す。時に42歳の決断であった。

エビデンスレーベルから初のソロアルバム「Don’t Lay Your Blues On Me」を96年リリースする。

以降、年に1枚程度のペースでアルバムリリースが続く。ブルース・ナンバーだけでなく、ソウルタッチのもの、バラードも含む幅広い作風でアルバムを構成しており、単にブルース一辺倒なミュージシャンではないところを見せている。これはブルース専門ではないことをアピールする、セールス面での対策だったのかもしれない。

エビデンスでのリリースは、2003年の「Best of Carl Weathersby」で終わる。翌2004年には初のソロ・ライブ・アルバム「In the House」をリリースしている。これはスイスのルツェルン・ブルース・フェスティバルでのレコーディングであり、盟友ブランチも参加している。SOB脱退後も、ブランチとの強い絆は続いており、それが2003年のSOBのアルバム参加にも表れている。

その後ウェザーズビーは、アルバムリリースごとにレーベルを変えていく。2005年にはレッドホットレーベルより「Hold On」をリリース。2009年にはマグノリアレーベルより「I’m Still Standing Here」をリリース。

それらの内容は、ブルース中心というよりは、彼のソウル系のオリジナル曲がメインで、ゴリゴリのブルースマニアなリスナー、つまり筆者などにはいささか物足りないものがあった。

もちろん、ソウル系の曲でも彼の見事にテクニカルなギターが十分聴けることには違いないのだが、SOB時代などの、かつてのダイナミックで熱いブルースギター・プレイを知っているファンにすれば、歯がゆい思いは残った。

そんなアルバムの中で、時折りブルース・ナンバーが挟まっていると、「おお!」と心躍らせてしまう。それが「I’m Still Standing Here」に収録されていた「Travelin’ Man」であった。

この曲はアルバート・キングが1973年リリースしたアルバム「I Wanna Get Funky」に収められていた一曲のカバー。元曲は、わりと軽いタッチのファンク・ブルース・ナンバーだ。

テーマは旅回りのブルースマン、つまりキング自身の日常である。彼にしては珍しく、ストラトキャスターを弾いているのが印象的だ。

ウェザーズビーはこの曲を、気合いを入れてよりホットに歌い、プレイしている。もちろん、キングが多用するスクィーズ・フレーズもしっかりと再現して、師匠へのリスペクトを隠さない。

これがライブだったら、さらに最高だろうなと感じさせる出来だった。しかし、なかなか来日のチャンスもなく、10年の日々が過ぎた。

2019年、ウェザーズビーの、なんと10年ぶりのニュー・アルバムがリリースされる。タイトルは「Live At Rosa’s Lounge」。来日とはさすがにいかなかったが、待望のライブ・アルバム(15年ぶり)である。そして、内容ももちろんブルースがメインだ。

シカゴの西部にあるブルースクラブ、ローザズ・ラウンジにて収録。プロデュース担当はテキサスで活躍する若手白人ブルースマン、オソ・ブルース。

そのオープニング・ナンバーにこの「Travelin’ Man」が選ばれ、演奏された。まことに嬉しい限りであった。

アルバート・キングという先達がいなければ、自分はプロミュージシャンになっていたかも分からない。いって見れば、ブルースマン・ウェザーズビーの運命を決めた存在であるキングの曲をトップに持ってきたのは、必然であったと言えよう。

アルバム全体は、アッパーな曲あり、静かな曲あり、ヘビーな曲あり、非ブルース的な曲ありと、バラエティ豊かではあるが、どの曲にもウェザーズビーのブルース、そして音楽への愛が満ちあふれている。

66歳という年齢のミュージシャンでなくては出せない、味わい深い歌と気合いに満ちたギタープレイが、聴く者を心の底から感動させるのだ。

ウェザーズビーがブルースという自らの原点を確認した一曲、ぜひ耳を傾けていただきたい。
Carl Weathersby - I'm Still Standing Here (2009) chờ chạy lần 2

Carl Weathersby - I'm Still Standing Here (2009) chờ chạy lần 2

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