奥嵯峨は風情のある建物が軒を連ねる景観美観地区
雰囲気のある街並みを眺めながら歩いているうちに、あだし野念仏寺へと到着
歴史 伝承によれば弘仁2年(811年)
弘法大師空海が当地に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して
供養のために1,000体の石仏を埋め、五智如来の石仏を建て
五智山如来寺(ごちざんにょらいじ)を建立したのに始まるとされる
境内の約8,000体という夥しい数の石仏・石塔は1903年(明治36年)頃に
化野(あだしの)に散在していた多くの無縁仏を掘り出して、祀られるようになりました
古くから鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)とともに葬地として知られ
風葬する習慣があり、後に土葬にかわり
人々が石仏を立て、永遠の別れを惜しんだと伝えられています
「化野(あだしの)」の「あだし」とは
古語で「はかない・悲しみ」の意味で「化野」という
この世に再び生まれ変わることや、極楽浄土に往生する願いなどを意味します
西行の和歌
誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露
西院の河原
小倉山の麓、あだし野にある、大古の無縁仏の石塔、石仏を
極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀しています
「賽の河原」と同じように見えることから
この場所は「西院(さい)の河原」と呼ばれるようになったそうです
冥土の三途の川にある、賽(さい)の河原
る西院の河原内に撮影禁止があります
西院の河原内はこの世でない、いわゆるあの世です
もし、足を踏み入れたものは、心の中で念仏を唱え、この世の魂を真摯に供養する
、賽(さい)の河原
西院の河原 入口
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延命地蔵
晩秋の陽射しは、なぜかもの悲しさを感じます
撮影した石塔、石仏は、西院の河原外から撮ったものですが
気持ち的には、これでいいのかしら・・・と
「南無阿弥陀仏」と唱えて帰りました
参照 ■あだし野念仏寺公式サイト
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