エッツィは約5200年前、ヨーロッパアルプスで生活していた。
1991年9月19日、ドイツ人の登山者によって、自然環境下でミイラ化した遺体が発見された。
(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
=興味のある方はご覧ください=
5年前、北イタリアの ボルツァーノ県立考古学博物館に行って見学していた
アイスマン記事が、Yahoo! JAPANに掲載され何々と興味をもった
記事のソース元はナショナル ジオグラフィック日本版から
見学時も展示品、説明を詳しく見たが、また新しい発見でもあったのかしら・・・
5300年前の凍結ミイラ「アイスマン」
「エッツィ」の愛称で知られ
1991年の発見以降、科学者たちがその死の謎を解き明かそうとしている
ドロミテ街道ボルツァーノ市に行った記事中
抜粋し再掲載いたします
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ボルツァーノ県立考古学博物館
(Museo archeologico provinciale di Bolzano)
5200年前に死亡し、そのまま氷河に閉じ込められて冷凍ミイラになったアイスマンを展示
受付を済ませ荷物はロッカーに(有料)、取り出す時お金は戻ってきます
【経緯】
1991年9月19日、アルプス登山のルートから外れた場所を歩いていた
ニュルンベルクからの観光客、ヘルムートとエリカのジモン夫妻は
溶けた雪の下からミイラ化した遺体を発見した
当初それは通常の遭難者の遺体として処理されていたが
彼の周囲から見つかった物品が現代では見慣れない物だったため
司法解剖の前にインスブルック大学の考古学者に見せたところ
これらはヨーロッパの青銅器時代前期の物であることが判明した
(展示パネルを撮影、リアルです)
【特徴 】
2012年に初めて実施された解凍調査の結果、
瞳、髪の色は茶色、肌の色は白色、身長160cm、体重50kg
骨からのデータにより年齢47才前後、筋肉質な体型だと解明された
血液型はO型、乳糖不耐症の因子を持ち牛乳が苦手だった可能性が高い
(そもそも、古代人の多くは乳糖不耐症の因子を持っており、
ヨーロッパにおいて乳製品の飲食が広まったのは古代ローマ時代以降である)
腰椎すべり症を患っており、腰痛持ちであった事が考えられる
背後や脚に刺青の跡があり、オーストリアのドルファー博士の調査では
その位置は胃腧、三焦腧、腎腧、崑崙など、腰痛に効果のある現代のツボの位置と一致して
おりつぼ治療をした痕と推測されている
これは5300年前にヨーロッパのアルプス山脈付近に高度な医療技術があったことを示唆している
ソース元Wikipedia 興味のある方はどうぞ こちら
アイスマン「エッツィ」の復元像
エッツィは約5200年前、ヨーロッパアルプスで生活していた
1991年9月19日、ドイツ人の登山者によって、自然環境下でミイラ化した遺体が発見された
当時食べていた植物
<サヤエンドウ>
<イタリアンパセリ>
<シシウドのよう?>
アイスマン考古博物館から出ると小雨が降っていた
雨宿りに屋台のホットドッグ屋へ
☆ドロミテ山塊周遊の拠点:ボルツァーノ(Bolzano)
Yahoo! JAPAN より転載
5000年以上前の男性はどこから来た?年齢は?死の瞬間は?
今から30年前の1991年9月、オーストリアとイタリアの国境の山岳地帯で、ヨーロッパで最も有名なミイラが発見された。5000年以上前の凍結ミイラ「アイスマン」だ。 ギャラリー:「アイスマン」はこんなふうに氷の中から見つかった、ほか写真7点 標高約3200メートルの湖のそばの氷原で、うつぶせの状態で横たわっていたこのミイラは、発見地エッツタール・アルプスから「エッツィ」と名付けられ、たちまち世界の注目を集めた。新石器時代のヨーロッパを生きた彼の生活や壮絶な最期は、数々の本やドキュメンタリーに描かれ、長編映画まで制作された。 エッツィは現在、イタリア、ボルツァーノの南チロル考古学博物館で、研究者たちによって注意深く管理されている。干からびた体は、マイナス6℃に保たれた特製の冷凍室に保存されている。年に4、5回、滅菌水をエッツィに散布して、ミイラを保護する氷の膜を作る。これは、「ウェットミイラ」(乾燥した場所ではなく湿気のある環境で自然に保存されてきたミイラ)の状態を維持するためだ。 毎年、平均で約30万人がボルツァーノを訪れ、冷凍室の分厚いガラス窓越しに見るアイスマンの姿に驚嘆する。ヨーロッパ最古の都市の誕生やエジプト最初のピラミッド建設よりもずっと以前に生き、驚くほど良好な状態で保存されているミイラは、貴重な研究の機会となるため、多くの研究者をひきつけている。 「私の知る限り、エッツィは、今までに世界で最も綿密に調査された人体です」。ドイツ、ミュンヘンを拠点とする法医学者でエッツィ保存の責任者、オリバー・ペシェル氏はこう話している。 このアイスマンの生と死について30年間の研究でわかったこと、そして、この驚異のミイラに期待される今後の研究について紹介しよう。
年齢、利き手、血液型は
エッツィは、やせて小柄(160センチほど)な男性で、死亡時の年齢は約46歳。左利きで、靴のサイズは26センチ。眼窩に残っていた眼球から瞳の色は青とされてきたが、ゲノム解析によって、そうではないことがわかった。「瞳は茶色、髪は濃い茶色です。皮膚は地中海人種に典型的な色です」と話すのは、エッツィの主要な研究の多くを手がけてきたボルツァーノのEURACミイラ研究所所長、アルベルト・ジンク氏だ。 血液型はO型で、乳糖不耐症だった。また、珍しい遺伝子異常によって第12肋骨が形成不全になっている。虫歯、腸内寄生虫、ライム病に悩まされ、膝、腰、肩、背中に痛みを抱えていた。彼の体には61の入れ墨があったが、それは損傷がある骨と関節の位置を示していた(現在のはり治療のツボとも一致している)。 また、エッツィは複数の肋骨と鼻を骨折したことがある。指の爪に水平に刻まれた溝は、死の数カ月前に幾度となく肉体的ストレスを受けたしるしで、おそらく低栄養状態がもたらしたものだろう。さらに、動脈硬化になりやすい遺伝的素地があり、CTスキャンによって、世界最古の心疾患例であることが確認されている。 放射性炭素年代測定の結果、エッツィが生きていたのは、およそ5200年前(紀元前3350年~3110年)とされている。
エッツィの遺伝子を残す人々
DNAの特徴から、エッツィは、新石器時代の農民であることがわかっている。8000年から6000年前にかけてアナトリア(現代のトルコ)から移住し、ヨーロッパにいった狩猟採集民にとってかわった人々だ。エッツィの母系遺伝子は途絶えたが、父系の遺伝子は、現在もイタリア、サルデーニャ島をはじめとする地中海の島々の住民の一部に受け継がれている。
エッツィの着衣
発見当時、エッツィは片方の靴しか履いていなかったが、その後、発見場所の周囲で多くの遺留品が回収された。タイツとコート類(薄手のコートと厚手のコート)は、その地方のヒツジやヤギの皮をつなぎ合わせたものだった。干し草が詰められた靴には、ウシの皮が使用されていた。ヒグマの毛皮の帽子も見つかっている。
エッツィの所持品
エッツィは、木枠のあるリュックサックとシカ皮の矢筒を背負って、エッツタール・アルプスを歩いた。矢筒に収められた20本の矢のうち、矢じりがついているのは2本だけだった。石(フリント)の刃がついた短刀は、シナノキを用いた道具と焼いて硬くしたシカの角で研がれていた。この地方で現在も作られているものに似たシラカバの樹皮でできた入れ物には、カエデの葉で包まれた火の燃えさしが入っていた。この炭で、手早く火を起こすことができたのだろう。 最も重要な遺留品のひとつが、見事な銅製の斧だ。イチイの柄に牛皮とシラカバの樹脂で固定された刃は、純度99.7%の銅から鋳造されたものだ。当時としては非常に貴重な道具であり、この発見によって、ヨーロッパの銅器時代の始まりが1000年もさかのぼることになった。
最後の食事
死の数時間前、エッツィは、ヒトツブコムギ、アカシカ、アイベックス(野生のヤギ)などをたらふく食べていた。胃は、通常なら肺の下部がある肋骨の下に移動していたため、2009年にCTスキャンで胃を特定するまでに18年を要した。
エッツィの死
右手の親指と人差し指の間にある傷から、彼が死の数日前に刺されたことがわかっている。おそらく、相手の刃物をつかもうとして防御創を受けたのだろう。その後、今度は左肩の後ろの動脈を矢で刺された時、この防御創はまだ癒えていなかった。矢を引き抜こうと腰をおろす時間はあったかもしれないが、出血のため数分で絶命したので、実際に矢を引き抜く時間はなかっただろう。 また、エッツィは、重度の脳出血を起こしていたが、その原因について専門家の意見は分かれている。誰かがエッツィの頭にとどめの一撃を加えたのか、それとも倒れて岩で頭を強打したのか。どちらの説明にも十分な証拠はないとペシェル氏は言う。
自然にミイラ化したわけは
エッツィが残した花粉とカエデの葉を分析した結果、死亡したのは初夏だったことがわかっている。そのため、夏の温かい風が遺体を乾燥させたとする説がある。だが、ペシェル氏は、このアイスマンの保存を可能にしたのは、高山の極寒の気温に違いないと言う。通常ならば死後数日で他の臓器とともに液状化する脳が、急速に凍結して、乾燥状態で保存されたのだろう。
エッツィの胃腸は何を語る
エッツィについては数百件の研究が行われてきたが、さらに多くの研究が進められている。ゲノム解析を行ったミイラ研究所では、腸内微生物叢の遺伝的分析を行っているところだ。 イタリアのトレント大学がエッツィと6500人の現代人を対象に進めている研究では、エッツィの腸には、プレボテラ・コプリ(Prevotella copri)という細菌の4つの株のうち3つが確認された。世界各地の先住民の腸には、この細菌のさまざまな株が存在するが、現代の欧米人の3割にはプレボテラ・コプリの1つの株しか存在せず、この傾向は多様性の低下につながる。 もうひとつの発見は、エッツィがピロリ菌(Helicobacter pylori)に感染していたことだ。現代では、世界の人々の半数がピロリ菌に感染しており、私たちの約10%の健康に重大な、または致命的な影響をもたらしている。現代ヨーロッパに存在するピロリ菌株は、アジア株とアフリカ株が混ざり合ったものだ。 エッツィのピロリ菌株は、ほぼ純粋なアジア株だったことから、アフリカ株は、彼の死後にヨーロッパに入ってきたと考えられる。これは、ピロリ菌が胃の微生物叢として自然な存在なのか、それとも、発見したらただちに抗生物質で除菌すべき存在なのかという議論に示唆を与えるものだ。
より優れた、より環境に配慮した保存へ
ボルツァーノ市は、数年以内に新しい考古学博物館を建設して、ここにエッツィを保管するだけでなく、チロル地方の工芸品の所蔵も充実させる計画だ。また、エッツィの冷凍室が設置から22年経過したことを受け、そのエネルギー効率を改善させることも検討している(使用中の冷凍室が故障した場合に備え、予備の冷凍室も準備されている)。
自然を再現する
ミイラ研究所では、エッツィを5000年以上も保存することができた自然のプロセス、特に自然環境要因と微生物の作用をもっと深く理解するため、エッツィが発見された地域で2020年夏に見つかったシャモア(ヤギ亜科の動物)の死骸を分析している。このシャモアも、数百年前に自然に保存されたものだ。
2050年の研究はどうなる
エッツィの秘密をさらに解き明かすためには、技術の進歩がカギとなるが、その実現は期待できそうだ。 将来の研究は、組織から採取したたんぱく質、脂質、酵素など、エッツィの体の機能性が中心となる見通しだ。この研究で、エッツィの免疫系についての情報が得られるかもしれない。だが、今のところ、古代のサンプルの分析は非常に手間がかかる。 その一方で、エッツィの管理をする担当者たちは、ミイラを研究に使用できるようにすること、過度に侵襲的あるいは頻繁な研究を控えること、この2点を慎重に両立させる必要がある。 「2050年にはどのような研究方法が生まれているのか、想像もつきませんが」とペシェル氏は話す。「20年後、30年後の研究に向けて、エッツィを最良の状態で保存しておくことが重要です」
文=JENNIFER PINKOWSKI/訳=稲永浩子
アイスマンをめぐる5つの意外な事実
アイスマンと遺伝子上のつながりを持つ近縁者がいることが、新たなDNA調査により明らかになった。アイスマンの男性性染色体の異常マーカーに注目して研究を行っているグループの報告によると、オーストリアのチロル地方にエッツィの遺伝子上の近縁者が少なくとも19人いることが分かったという。
オーストリア、インスブルック医科大学のウォルター・パーソン(Walther Parson)氏が主導する調査の中で、3700人の匿名の供血者のサンプルを使って遺伝子の照合が行われた。19人の血液からは、アイスマンから見つかったのと同じG-L91と呼ばれる極めて珍しい突然変異株が確認された。「アイスマンと19人は共通の先祖を持ち、それはおそらく1万~1万2000年前に生きていた人類ではないかと思われる」とパーソン氏は話す。
◆2. アイスマンは体の不調に悩まされていた
20年以上前にアルプスの氷河で発見されて以来、エッツィの健康状態を隈なくチェックする調査が行われてきた。結果はあまり健康とは言えないものだ。40余りの病状が記載された一覧には関節の摩耗、動脈硬化、胆石、足の小指の腫瘍(凍傷によるものと思われる)などが含まれている。
腸からは寄生虫の卵も見つかった。またライム病にかかっていたと思われるほか、体内のヒ素量が危険なレベルに達していたことも分かっている(金属鉱石や銅鉱石に日常的に触っていたことが原因と思われる)。どうやら歯の治療を受ける必要もあったようだ。詳細な調査の結果、重い歯周病と虫歯に悩まされていた痕跡が発見された。
このように多くの疾患を抱え、肩には受けたばかりと思われる矢の傷もあったものの、頭部への一撃が致命傷となり、エッツィは命を落としたようだ。
◆3. 解剖学的異常も確認
肉体的疾患に加え、アイスマンにはいくつかの解剖学的な異常があった。親知らずが2本ともなく、12番目の肋骨が欠けている。また2本の前歯の間に隙間がある“正中離開”と呼ばれる異常も見受けられる。これが女性に好印象を与えていたかどうかは議論の別れるところだ。研究者の間には、エッツィは性的に不能だったのではないかとの見方もある。
◆4. アイスマンの入れ墨
エッツィの凍りついたミイラには、銅器時代の入れ墨が良好な状態で残っている。合計50片を超える入れ墨が頭から足先まで全身を覆いつくすように刻まれている。これらは針を使って彫られたのではなく、皮膚に細かな傷をつけ、そこに炭を擦り込むことで描かれたものだ。線や十字の形をした入れ墨は、関節痛や腰痛などの傷害や痛みが起こりやすい箇所に集中している。このことから、一部の研究者は鍼治療のツボの目印として入れ墨を入れたのではないかと見ている。
これが事実だとすれば、エッツは体のあちこちの治療を必要としていたことになるが、彼の年齢と持病の多さを考えると、それほど驚くべきことではない。エッツの入れ墨は、これまでの定説よりも少なくとも2000年ほど早い時代に鍼治療が行われていたことを示す、最古の証拠と言える。
◆5. アイスマンは植物の花粉とヤギを食べていた
アイスマンの最後の食事に関する情報は、学者たちに最高のごちそうをもたらした。胃の内容物からは30種類の花粉が発見された。花粉の分析結果はエッツィが春か初夏に死亡したことを示している。さらに、分析結果をもとに、死の直前に山々を移動していたらしい彼の足取りを辿ることもできる。完全に消化されていない胃の残留物は、エッツィが無残な死を遂げる2時間前に最後の食事を取ったであろうことを伝えている。食事の内容は穀物とアイベックスの肉。アイベックスは足の速い野生のヤギの一種だ。
Photograph by Robert Clark, National Geographic
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