西壁女子群像
(昭和47年刊行「壁画古墳 高松塚」)
高松塚古墳は
藤原京期(694~710年)に築造された終末期古墳
墳丘の大きさ(下段)直径23m、(上段)17.7m、高さ5mの二段築成の円墳
石室内の大きさ 奥行265cm、横幅103cm、高さ113cm
1972年に極彩色の壁画が発見され、一躍注目されるようになりました
昭和47年3月21日
わが国初の極彩色古墳壁画発見 ⇒ 文化財指定
古墳全体を ⇒ 特別史跡に指定
昭和49年4月17日
壁画を ⇒ 国宝に指定
出土品を ⇒ 重要文化財に指定
それでは高松塚古墳へ歩いてみましょう
駐車場から案内通り進みます
歩いている(手前の)山道と、向かいの小高い丘の間には
何かの遺跡?があったのでしょうか、そこを横切り
階段を上がると高松塚古墳
被葬者 は特定されていないが、天武天皇のゆかりの地から
天武天皇につながる皇子のひとりが有力視されています
キトラ古墳の、倍近い大きさ
↓ フォトは説明パネルを撮影したもの
見づらいですが、参考までにどうぞ☆
発掘が始まったきっかけは
1970年の10月ごろ、村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ
穴の奥に、古い切石が見つかったことから
発掘前の高松塚古墳 ↓
高松塚古墳の名前の由来は
江戸時代末に描かれた絵図には古墳の上に、大きな松が描かれていた
このため「高松塚」と呼ばれるようになったようです
墳丘から下ってスイセンを撮ったのですが、背景は高松塚古墳の向かいの丘
周辺は整備され、歴史は静かに時を重ねています
帰路は、右の山側から展望台へと進む
※参考資料 時事オピニオン情報・知識&オピニオンimidas もご覧ください
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壁画について、発掘当初から高句麗古墳群(世界遺産)と比較する研究がなされている
四神(朱雀、青龍、玄武、白虎)は、そもそも高句麗様式の古墳に特徴的なモチーフであるが
高松塚古墳およびキトラ古墳では、高句麗の画風とは異なった日本独自の画風で、
四神図が描かれていることが指摘されている一方で、
天空図に関しては、高句麗から伝来した原図を用いた可能性が指摘されている
また、女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と
相似することが指摘されている
まったく、記事と関係ないが
約8年前、まだ隣国と友好的だったころ(+o+)
一度だけ韓国旅行に行って、はしゃいだことが・・・
☆韓国 古墳公園
韓国東南部の慶州(キョンジュ)は、紀元前57年から紀元935年まで1000年にわたって新羅の都でした
新羅が676年に百済、高句麗を滅ぼし三国統一をなし遂げると
その都である慶州は朝鮮半島の政治・文化の中心地として繁栄を極めました
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