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☆飛鳥美人の壁画が出土した * 高松塚古墳

2020-03-14 | ♥京都・奈良の旅

西壁女子群像
(昭和47年刊行「壁画古墳 高松塚」)

 

高松塚古墳は

藤原京期(694~710年)に築造された終末期古墳

墳丘の大きさ(下段)直径23m、(上段)17.7m、高さ5mの二段築成の円墳

石室内の大きさ 奥行265cm、横幅103cm、高さ113cm

1972年に極彩色の壁画が発見され、一躍注目されるようになりました

 

 昭和47年3月21日 

 わが国初の極彩色古墳壁画発見  文化財指定

           古墳全体を ⇒ 特別史跡に指定

昭和49年4月17日

           壁画を ⇒ 国宝に指定

             出土品を ⇒ 重要文化財に指定



それでは高松塚古墳へ歩いてみましょう

駐車場から案内通り進みます

 

 

歩いている(手前の)山道と、向かいの小高い丘の間には

何かの遺跡?があったのでしょうか、そこを横切り

 

階段を上がると高松塚古墳

 

 

 

被葬者 は特定されていないが、天武天皇のゆかりの地から

天武天皇につながる皇子のひとりが有力視されています

 

 

キトラ古墳の、倍近い大きさ

 

 

 

 

 

 

↓ フォトは説明パネルを撮影したもの

見づらいですが、参考までにどうぞ☆

 

発掘が始まったきっかけは

1970年の10月ごろ、村人がショウガを貯蔵しようと穴を掘ったところ

穴の奥に、古い切石が見つかったことから

 

発掘前の高松塚古墳 ↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高松塚壁画館

 

 

 

高松塚古墳の名前の由来

江戸時代末に描かれた絵図には古墳の上に、大きな松が描かれていた

このため「高松塚」と呼ばれるようになったようです

 

 

墳丘から下ってスイセンを撮ったのですが、背景は高松塚古墳の向かいの丘

周辺は整備され、歴史は静かに時を重ねています

 

 

帰路は、右の山側から展望台へと進む

 

 

 

※参考資料 時事オピニオン情報・知識&オピニオンimidas もご覧ください

 

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壁画について、発掘当初から高句麗古墳群(世界遺産と比較する研究がなされている

四神(朱雀、青龍、玄武、白虎)は、そもそも高句麗様式の古墳に特徴的なモチーフであるが

高松塚古墳およびキトラ古墳では、高句麗の画風とは異なった日本独自の画風で、

四神図が描かれていることが指摘されている一方で、

天空図に関しては、高句麗から伝来した原図を用いた可能性が指摘されている

また、女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と

相似することが指摘されている

 

 

まったく、記事と関係ないが

約8年前、まだ隣国と友好的だったころ(+o+)

一度だけ韓国旅行に行って、はしゃいだことが・・・

 

☆韓国 古墳公園

韓国東南部の慶州(キョンジュ)は、紀元前57年から紀元935年まで1000年にわたって新羅の都でした

新羅が676年に百済、高句麗を滅ぼし三国統一をなし遂げると

その都である慶州は朝鮮半島の政治・文化の中心地として繁栄を極めました

 

 

 


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