12/24(金)は「らくらく育児クラス」
の予定だったが…
希望者が少なく、次回に来てもらうことして
午前午後とも施術とした。
ところが、決定が遅かったのと
昨日に予約が集中したせいか
何と!
予約数がゼロになってしまった😲
それなら、半端に少ないよりもいい。
25(土)も施術なので
かねてから行きたいと思っていた
大阪府高槻市にある
今城塚古墳に行くことにした。
京都駅からJR新快速で高槻
各停で1駅、摂津富田で降車。
駅前からバスに乗る予定だったのに
乗り場を間違えて乗れず…😥
バスの本数も少なく、かなり不便だし
徒歩30分かからないようなので
歩き続けたところ、ちゃんと着いた。
今城塚古墳(いましろづかこふん)は
6世紀前半に造営された
前方後円墳としては最大級。
ここから1kmあまり西にある
太田茶臼山古墳が
第26代継体天皇陵とされているが
時代が合わず、研究者の間では
こちらが本物の継体天皇陵
との意見が有力なのだと。
国の史跡に指定されているが
宮内庁の治定は受けていないため
発掘調査が可能で
墳墓の上をパンピーが歩けるという
日本で唯一の天皇陵。
円筒埴輪がきれいに並べられているのは
解説の陶板によると
「ここより内側は聖域ですよ」
ということを示す結界なのだと。
保渡田古墳にも
書いてあったのかも知れないが
見た記憶がない。
前方部だけ水のある堀になっていて
これより後ろは空堀。
この外側に
埴輪祭りのステージが
再現されている。
動物・兵士
水鳥・馬が多い中、牛の埴輪も2体 ↓
鶏・力士・建物
建物の埴輪は、日本で最大級なのだと。
盾や巫女の埴輪も ↓
よくわからないが、高い円筒形の埴輪が
後方部にもたくさん並んでいる。
ギザギザ屋根の建物? や、
トナカイの角のような装飾を屋根に乗せた埴輪も。 ↑
埴輪を見終えて歩いていくと
この解説陶板。
身分の高そうな人は棒を持ち
振り上げている人も。↓
働いている人達のおびえたような表情。↑
本当にそうだったのだろうか?
継体天皇は即位前から
馬飼いの集団と強く結びついて
物資輸送力や
情報収集・伝達力を持っていた
当時としては最新最強の経営者。
ピラミッドを作ったのは奴隷ではなく
日給として食料をもらっていた
労働者だと言われているのに…。
庶民にとっては
現人神のような天皇ではなく
庶民に近い生活を
57年間も続けた人なのだから
親近感があったであろうし…。
この絵を見てなんだか
気分が悪くなっていたところに
70歳くらいの男性ガイドさんが
近づいて来られ
20分ほど歴史談義をしてしまった。
別れてから墳墓に上がり
一通り歩いてから戻り
古代史料館に向かっている途中
桜の花が咲いている大木。
狂い咲かと思ったら、冬桜なのだと。
古代資料館に入り
ロビーに展示されている
周辺の古墳群から
発掘された破片で復元した
円筒埴輪などを見て
展示室に。
西暦200年(この図の下部)
~700年(この図の上部)の
作られた時代と、地域の一覧表。↓
膨大な数の古墳があることに驚き👀‼️
外に展示されている埴輪は
レプリカだが
館内のは全て
発掘された破片をつなぎ合わせ
不足部位を作って復元したもの。
力士も巫女も神様にお願いをする
高貴な職業人。
鶏も同様に復元。
土器なども、保存状態が良くて👀‼️
優美な曲線を持つ器が
たくさん展示されている。
石積みの様子のジオラマや ↓
石室基盤工石も。 ↓
石棺自体は地震でバラバラになって
破片が転がっていたそうだが
復元された3つの石棺が展示。
真ん中の紫がかった桃色の石棺が ↑
継体天皇の石棺で
その中に人形が横たわっている。 ↓
85歳くらいまで長生きされたそうなので
当時としては仙人クラス?!
継体天皇の石棺に使われたのは
阿蘇のピンク石。
はるばる阿蘇から瀬戸内海を渡って運んだのだと👀‼️
6世紀には太鼓がすでにあったことを示す ↑
太鼓の埴輪と、太鼓を持つ人の埴輪。
写真だけで、実物が見られず残念。
太田茶臼山古墳などにも
行ってみたいと思いつつも
歩き疲れてダメ…😓
少し歩いた氷室バス停から上手くバスに乗れ
順調に京都トコ会館へと戻った。
温暖な天候に恵まれ
古代へ想像が膨らんだ、いい1日だった。
の予定だったが…
希望者が少なく、次回に来てもらうことして
午前午後とも施術とした。
ところが、決定が遅かったのと
昨日に予約が集中したせいか
何と!
予約数がゼロになってしまった😲
それなら、半端に少ないよりもいい。
25(土)も施術なので
かねてから行きたいと思っていた
大阪府高槻市にある
今城塚古墳に行くことにした。
京都駅からJR新快速で高槻
各停で1駅、摂津富田で降車。
駅前からバスに乗る予定だったのに
乗り場を間違えて乗れず…😥
バスの本数も少なく、かなり不便だし
徒歩30分かからないようなので
歩き続けたところ、ちゃんと着いた。
今城塚古墳(いましろづかこふん)は
6世紀前半に造営された
前方後円墳としては最大級。
ここから1kmあまり西にある
太田茶臼山古墳が
第26代継体天皇陵とされているが
時代が合わず、研究者の間では
こちらが本物の継体天皇陵
との意見が有力なのだと。
国の史跡に指定されているが
宮内庁の治定は受けていないため
発掘調査が可能で
墳墓の上をパンピーが歩けるという
日本で唯一の天皇陵。
円筒埴輪がきれいに並べられているのは
解説の陶板によると
「ここより内側は聖域ですよ」
ということを示す結界なのだと。
保渡田古墳にも
書いてあったのかも知れないが
見た記憶がない。
前方部だけ水のある堀になっていて
これより後ろは空堀。
この外側に
埴輪祭りのステージが
再現されている。
動物・兵士
水鳥・馬が多い中、牛の埴輪も2体 ↓
鶏・力士・建物
建物の埴輪は、日本で最大級なのだと。
盾や巫女の埴輪も ↓
よくわからないが、高い円筒形の埴輪が
後方部にもたくさん並んでいる。
ギザギザ屋根の建物? や、
トナカイの角のような装飾を屋根に乗せた埴輪も。 ↑
埴輪を見終えて歩いていくと
この解説陶板。
身分の高そうな人は棒を持ち
振り上げている人も。↓
働いている人達のおびえたような表情。↑
本当にそうだったのだろうか?
継体天皇は即位前から
馬飼いの集団と強く結びついて
物資輸送力や
情報収集・伝達力を持っていた
当時としては最新最強の経営者。
ピラミッドを作ったのは奴隷ではなく
日給として食料をもらっていた
労働者だと言われているのに…。
庶民にとっては
現人神のような天皇ではなく
庶民に近い生活を
57年間も続けた人なのだから
親近感があったであろうし…。
この絵を見てなんだか
気分が悪くなっていたところに
70歳くらいの男性ガイドさんが
近づいて来られ
20分ほど歴史談義をしてしまった。
別れてから墳墓に上がり
一通り歩いてから戻り
古代史料館に向かっている途中
桜の花が咲いている大木。
狂い咲かと思ったら、冬桜なのだと。
古代資料館に入り
ロビーに展示されている
周辺の古墳群から
発掘された破片で復元した
円筒埴輪などを見て
展示室に。
西暦200年(この図の下部)
~700年(この図の上部)の
作られた時代と、地域の一覧表。↓
膨大な数の古墳があることに驚き👀‼️
外に展示されている埴輪は
レプリカだが
館内のは全て
発掘された破片をつなぎ合わせ
不足部位を作って復元したもの。
力士も巫女も神様にお願いをする
高貴な職業人。
鶏も同様に復元。
土器なども、保存状態が良くて👀‼️
優美な曲線を持つ器が
たくさん展示されている。
石積みの様子のジオラマや ↓
石室基盤工石も。 ↓
石棺自体は地震でバラバラになって
破片が転がっていたそうだが
復元された3つの石棺が展示。
真ん中の紫がかった桃色の石棺が ↑
継体天皇の石棺で
その中に人形が横たわっている。 ↓
85歳くらいまで長生きされたそうなので
当時としては仙人クラス?!
継体天皇の石棺に使われたのは
阿蘇のピンク石。
はるばる阿蘇から瀬戸内海を渡って運んだのだと👀‼️
6世紀には太鼓がすでにあったことを示す ↑
太鼓の埴輪と、太鼓を持つ人の埴輪。
写真だけで、実物が見られず残念。
太田茶臼山古墳などにも
行ってみたいと思いつつも
歩き疲れてダメ…😓
少し歩いた氷室バス停から上手くバスに乗れ
順調に京都トコ会館へと戻った。
温暖な天候に恵まれ
古代へ想像が膨らんだ、いい1日だった。
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