魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

小浜で20年ぶりに再会

2018-04-30 | ファミリー
4/30(月)は6時半頃に起き、少し遅れて起きた長男が
こだわって淹れてくれたコーヒーをいただき、

オレンジピールを陽のあたる縁側に並べ
私と夫は一足先に出発。

集合場所の道の駅「朽木新本陣」



ここで買い物中に長男家族も到着。
一緒に買い物をし終えて、出発

途中で釣りショップに立ち寄り、10時に到着。

大高丸船長でビワマス漁師の
ししゆず親父こと、大野啓介氏と
約20年ぶりの再会を果たした。 



そもそも、釣りをしない私が
「釣りに付いて行こう」と決めたのは
長男から
「4/30は大野さんと一緒に釣りに行く」と聞いたため。

大野さんと我々が初めて出会ったのは
今から28年前、スタジオZEROで。

20年あまり前に閉鎖されてしまったが
当時は日本の最先端を行くエアロビクススタジオだった。

そこの事務長が大野さんで
彼と長男と私は似た者同士。

好きなことは何よりも優先して
絶対に諦めることなく突き進む、
「夢見る夢男(子)」タイプ。

それ以後、長男とはずーっと
濃厚なお付き合いが続いている。

一昨年の9月には
ビワマス漁を楽しんだり
・・・私は参加できず(:へ;)

魚屋で働く彼に魚を届けてもらったり
魚の調理法を教えてもらったり…

しかし、私は20年ほど会っていない。

SNSで彼の楽しげな日常を知るにつけ
生の大野さんに会ってみたいとの気持ちを
抑えられず、付いて来た。

奥さんと息子さん2人とも会え、
皆が元気で楽しく生きていることを
お互いに讃えあった。

釣りの邪魔をしてはいけないので、
わずかしか喋らなったったが、
課題を一つ片づけたかのように安堵した。

 長男が15歳のときにZEROに行くともなく
 メインインストラクターの野町先生や
 ダンサーでもある和山先生や、大野さんに
 出会っていなかったとしたら…、

 長男は運動生理学・ダンスなどに
 興味を持つことも遅かっただろうし、
 整体を生業としていたかどうかも疑問である。

釣りをしない私は暇つぶしと、清潔なトイレを…と
周囲を見渡しながら少し歩くと、これが見えた。



中に入ると若狭カレイ・サバ・ヘシコ
などの郷土料理についての展示や、



子ども料理教室が開かれていたり、
小浜と京都を結ぶ「鯖街道」の解説・展示。



18里(70Kmあまり)、
標高800mの峠を3つも越えて
このような荷物を担いで、
小浜から京都まで一晩で歩いたそうな。

足元のプレート書かれている
「京は遠ても18里」と
親しみを込めて(合言葉に?)。

現代人の体力では考えられない。

『解体新書』『蘭学事始』の翻訳・著書で有名な
杉田玄白は、小浜藩の藩医の子息だった
とのことで、たくさんの展示が。


  ↑
ここに書かれている養生七不可
ネットで調べて、私なりに簡単明瞭にすると

一.昨日の失敗を悔やむな
一.明日のことは過度に心配するな
一.暴飲暴食は慎め
一.得体の知れないものは食べるな
一.楽を求めて運動を怠るな
一.元気だからといい気になるな
一.必要もないのに薬を飲むな

こんな感じらしい。

毛筆で書かれた現代版養生七不可
これは、小浜市が募った入選作のようだ



  

こうして市民の健康意識・地元の誇り向上を
目指す取り組みがされていることは、素晴らしい。

我々老夫婦は、13時半頃に出発し、
綾部・大山崎経由で生駒に。

長男家族は…、facebookへの釣果の投稿を見ると



暗くならないうちに、帰宅したようだ。

「もう2度と小浜で釣りをすることはない」と
夫は思っていたようだが、
孫と釣りを楽しめて、たいそう満足げな様子。

私も大野さんと再会でき、
ゆったりと海や田圃を眺め、
助手席で演歌を歌いながら、
のんびり。いいGW前半だった。

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