1/22(火)は東京でのカイロプラクティックセミナー第6課程。
第6課程の講師は山崎昇先生に、いつも来ていただいている。
↓
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この日は怪しげな白ぶち眼鏡。でも、技は鮮やかで人柄も良好
山崎先生は私が基礎整体・オステオパシー・カイロプラクティック
を学んだ先生で、
今は日本カイロプラクティック推進協同組合の
専務理事を務めておられる。
私と山崎先生の出会いは、タウンページ。
今から16年あまり前、
「整体・カイロプラクティックをしっかり勉強したい」と考えた私は、
タウンページ「整体・カイロプラクティック」のページをめくっていた。
すると、4cm×1.5cmほどの、小さな広告が目に入った↓
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「えっ、こんな小さい広告? 信用できない!」と思った私は、
「アメリカのカイロプラクティック学校を卒業」
などと書かれている1/2ページの大きな広告の電話番号を見ながら、
何か所か電話した。
ところが、どこも「うちでは教えていません」との返事。
仕方なく、小さな広告の中の電話番号に電話すると
「教えるよ~。いつでも来てや~」との返事。
なんとなく怪しげなオッサンっぽさを感じた私は
とても行ってみようとの気にならず
居間で昼寝をしていた大学生の次男を起こし
「今すぐ、ここに行って来て!」と、
お金と地図を持たせた。
小学校3年生から野球のピッチャーを続けていた次男は、
肩や腕、腰などが痛むため、
鍼灸・指圧などの治療院にしばしば通わせていた。
それに、次男の第二胸椎は、右にずれていて、
そのせいか、しょっちゅう咳払いをしていた。
それも私は気になっていた。
バイクで出かけた次男は、2時間時間足らずで帰って来た。
「どうやった?」と私が問いかけると
「すごかったで~」と言うので、
背中を見ると、第二胸椎が直っている!
今までどこに通っても直らなかったのに~。
「どんなんして直してもらったん?」と尋ねると
次男は、自分がとったポーズを再現しながら
「一瞬やったで~」と。
「すごい、こんな技を身につけたい!」と思った私は
次男に「どんな先生やった?」と尋ねると
「普通のオッサンや」と。
それから、再度電話し、本格的に学ぶこととした。
16年間師事し「少し山崎先生に近付けたかな?」
と思えるようになったが、
毎回、山崎先生の鮮やかな技を見るたび
「あぁ、私もまだまだ」と思う。
お金はあの世には持っていけないが、残せる。
技術はもちろん、あの世に持って行けない。
人に伝え、その人ができるようになって、伝承されなければ残らない。
あまりに急激な日本人の体力の低下、
育児能力などの心身の能力の低下。
まだまだ大したことのない私の技だが、
これでも、一人でも多くの人に伝承してもらわなければ、
日本人の体・医療・社会の崩壊に、歯止めをかける力が育たない。
この頃、かなり焦り気味の私である。
第6課程の講師は山崎昇先生に、いつも来ていただいている。
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この日は怪しげな白ぶち眼鏡。でも、技は鮮やかで人柄も良好
山崎先生は私が基礎整体・オステオパシー・カイロプラクティック
を学んだ先生で、
今は日本カイロプラクティック推進協同組合の
専務理事を務めておられる。
私と山崎先生の出会いは、タウンページ。
今から16年あまり前、
「整体・カイロプラクティックをしっかり勉強したい」と考えた私は、
タウンページ「整体・カイロプラクティック」のページをめくっていた。
すると、4cm×1.5cmほどの、小さな広告が目に入った↓
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「えっ、こんな小さい広告? 信用できない!」と思った私は、
「アメリカのカイロプラクティック学校を卒業」
などと書かれている1/2ページの大きな広告の電話番号を見ながら、
何か所か電話した。
ところが、どこも「うちでは教えていません」との返事。
仕方なく、小さな広告の中の電話番号に電話すると
「教えるよ~。いつでも来てや~」との返事。
なんとなく怪しげなオッサンっぽさを感じた私は
とても行ってみようとの気にならず
居間で昼寝をしていた大学生の次男を起こし
「今すぐ、ここに行って来て!」と、
お金と地図を持たせた。
小学校3年生から野球のピッチャーを続けていた次男は、
肩や腕、腰などが痛むため、
鍼灸・指圧などの治療院にしばしば通わせていた。
それに、次男の第二胸椎は、右にずれていて、
そのせいか、しょっちゅう咳払いをしていた。
それも私は気になっていた。
バイクで出かけた次男は、2時間時間足らずで帰って来た。
「どうやった?」と私が問いかけると
「すごかったで~」と言うので、
背中を見ると、第二胸椎が直っている!
今までどこに通っても直らなかったのに~。
「どんなんして直してもらったん?」と尋ねると
次男は、自分がとったポーズを再現しながら
「一瞬やったで~」と。
「すごい、こんな技を身につけたい!」と思った私は
次男に「どんな先生やった?」と尋ねると
「普通のオッサンや」と。
それから、再度電話し、本格的に学ぶこととした。
16年間師事し「少し山崎先生に近付けたかな?」
と思えるようになったが、
毎回、山崎先生の鮮やかな技を見るたび
「あぁ、私もまだまだ」と思う。
お金はあの世には持っていけないが、残せる。
技術はもちろん、あの世に持って行けない。
人に伝え、その人ができるようになって、伝承されなければ残らない。
あまりに急激な日本人の体力の低下、
育児能力などの心身の能力の低下。
まだまだ大したことのない私の技だが、
これでも、一人でも多くの人に伝承してもらわなければ、
日本人の体・医療・社会の崩壊に、歯止めをかける力が育たない。
この頃、かなり焦り気味の私である。
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