魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

高取城址

2019-04-28 | 史跡
10連休は夫婦一緒に旅する予定はなし。
私はうち5日間は施術。

夫は北陸街道を歩く予定だったのに
宿が取れず、湖北で小鮎釣りのみだと。

4/28(日) 1人で高取城址へ、行くことにした。
夫は27(土)に近鉄電車で行って来たとのことで。

橿原神宮駅で吉野行きに乗り換え、
壺阪山駅で降り、奈良交通バスに乗り換え、
壺坂寺で降り、入山料600円を支払い、



お寺巡りは下山後として、



駐車場の奥から坂道を歩き始めたのが11:30。
巨大な石仏を眺めながら、



かなりきつい勾配の舗装道路を
城址までの2.8kmり道のりを進む。



ここから土の山道に変わり、



「毒蛇の発生に注意せよ」などと!
毒蛇は“発生”するもの?



すぐに石垣が見え始め、



「日本最強の城」と書かれた幟旗が
駅からずーっと、あちこちに立っている。


           ↑
本丸に近付くと「芙蓉姫」と名付けられた、
途中から二股になっている御神木の杉の大木。
     ↓


いくつもの石垣の間を歩いて行き



本丸跡の広場に着いた。南の十津川方面 ↓



一番高い天守台跡(?)から ↓



夫は「ほとんど人はいなかった」と言っていたが、
今日はかなりの人出。夫は朝早くに登ったためかも?


       ↑
帰り道の途中、この看板の前で記念自撮り
           ↓
 

三大天空の城(備中松山城・竹田城越前大野城)には登ったが、
三大山城には、美濃岩村城があげられている。

天空の城と山城はどう違うの?

どちらにも入っている備中松山城は
急峻な山の上で、建物も残っていて、
見ごたえは抜群だった。

まだ行ったことがない美濃岩村城にも行ってみたい。



こんな写真も掲示されていたが、
明治20年に建物はすべて取り壊されたとのこと。



                  この本には ↑


        ↑
このような写真も載っているが、
これだけの大規模な、最強の山城を
作らねばならなかった理由は?



秀吉が吉野の杉を手中に収め、
熊野・伊勢に睨みをきかせるため?



道中、スミレ色の小さな花々を撮影。



夫はバスに乗らず、壺阪山駅から歩き、
私とは違う登山道を歩き、
壺坂寺には参詣していないとのことだが…、

そんな長時間、歩くのは嫌や。
一人だと自分のペースで進めるのがいいね。

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