11/8(月)は午後になると
降水確率が上がる予報>
降り始める前にと
7:35高崎駅前発のバスに乗車。
「秋葉前」で降りて帰りのバスを
確認したところ、14:06までない!
ちゃんと調べて来なかったことを反省😥
6時間もここで過ごすの?
とにかく
「かみつけの里博物館」に向かって歩き
9時からしか
博物館は開かないし
八幡塚古墳の石室も見られないので
↓
その前を素通りし、まずは
二子山古墳へと進んだ。
墳墓へ上がる途中
中島といわれる所に立ち寄った。
前方後円墳の周囲に4つ
ある丸い部分で
祭祀が行われていた所らしい。
上に上がって下を見ると ↑
中島がきれいに見え
周囲にはコスモスの花がきれい。
前方から後円を見ると ↓
そこで散歩している
私くらいの女性2人と遭遇。
地元の女性で、散歩中とのこと。
高崎駅に帰るバス停は
他にないのかと尋ねると
どうも難しいらしく
ゆっくり時間をかけて
廻れるコースを紹介してくださり
私も一緒に散歩についていくことにした。
「もう少し早かったら、
コスモスがきれいだったのにねぇ」と。
いや…、今も十分きれいだと思うけど…
もっときれいだったのだと。
そこから「なりもりぼえん」という
武田軍に敗れて
首を落とされた殿様を祀る墓苑に。
これが首塚 ↓
このあたりの歴史の説明がとても上手で
まるで無料のガイドさんに出会ったみたい。
周囲には赤いルコウソウやヒルガオが
きれいに咲いている。
若いころ、京都の家で
ルコウソウを植えていたので
懐かしくて
「良く熟した種があっら持って帰るのに…」と
言ったところ
「とんでない! これはとても厄介な雑草で
コスモスに巻きついて大変なんだから」と。
確かに、ここではそのようだけど
鉢植えで朝顔のように育てれば
とても可愛い。所変われば…である。
10分も歩かないうちに
西光寺(薬師塚古墳跡)に到着。↑
少し離れたところに立っていたこのお寺を
ここに移築するために整地していた時に
石棺が発見されたのだと。
この本堂の前を右に曲がると
赤い屋根のお堂に向かう階段があり
お堂の右側に石棺が置かれている。
こんな貴重な文化財を
こんな無防備な所に置いて
夜中にいたずらでもされたら大変なのに…
と、心配しながら参拝。
こちらが高くて、後円部なので
この下に石棺が安置されていた。
本堂のある方が低くて、前方部。
これがきっかけとなり
八幡塚古墳・双子山古墳が
整備されることになったそうな。
本堂の方に戻り、直進すると
いにしえのお寺の瓦が飾られていて
さらにその向こうに
巨大な切り株。イチョウなのだと。
鎌倉の大イチョウに並ぶ大きさだったが
内部が朽ちて、鎌倉の木のように
倒れては大変と、切られてしまった。
お2人の解説のおかげで
いろいろと学べてありがたい。
60代に見えたのに
お2人とも私より年上👀‼️
3分ほど歩くと
土屋文明記念文学館の
西側階段の下に到着
この中見て、昼食を摂り
八幡塚古墳・博物館の見学をすれば
14時のバスに乗るのに
ちょうどいい時間になるだろうと聞き
ここでお2人と別れた。
おおきにm(_ _)m 助かりました。
文学館の玄関に着くと
「わらう! 太宰治」の
特別展をしている!
先に常設展を見学。
文学に疎い私なので
「土屋文明の作品って?」
というくらいの認識レベルだったが
・ここ保渡田で生まれ育った人
・万葉集の歌をたくさん解説した人
というくらいはわかった。
と同時に
明治・大正・昭和・平成の文人諸氏の
師弟関係や
お互いが密接に関わり合い
刺激し合っていたことなどが
少しばかり分かった。
その後、2階のカフェでブランチを摂り
午後は雨になるかもしれないので
室内で見られるものは午後にして
八幡塚古墳を先に見ることにした。
その前に、土屋文明氏が
晩年を過ごした東京青山の庭の木々を
ここまで運んで植えた「方竹の庭」を見学。
この庭の向こうが
八幡塚古墳公園となっている。
後円部の上から見える中島。↓
中島は内堀にあり
まさしく島だったのだろう。
前方部に降りる手前に
石棺が保管されている地下室に
降りる階段があり
そちらを見学。↓
さっき薬師塚の石棺を見たせいか
あたちの石棺の方が立派に感じた。
降りて下から見上げると、まるで城郭。
同じ場所から下を見ると
埴輪がたくさん並んでいるのが見え ↑
それを見に行き ↓
そこで本日の記念自撮り。
遠征に出るときは
荷物を少なくするために
仕事でも外でも着られる服を
持って出るので
こんな格好になってしまう。
円筒埴輪には作成者と年月日が
刻まれているのが、よく見える。
数年経つと色が濃くななり
ヒビが入り、割れる。
盾を持つ人の埴輪の
新しいのはこれ
↓
数年たったと思われるのがこれ
↓
常に作り替え続けなければ
この景観を保てないことがわかる。
今日はたくさん歩こうと思って
ここまで来たので
古墳公園以外の周囲の地域まで
足を伸ばし、戻って来て
オヤツに群馬県民が
こよなく愛するという
「焼きまんじゅう」を1本買い
4つのうち2つ食べたところ
中はスポンジのように
フワフワなのに満腹になってしまった。
その後、博物館内を見学。
王をはじめ様々な人々の役割や
衣装などが解説されている。
力士がシコを踏むとは
「大地の魔物を追い出し
豊作を祈願する」
という意味であることを知った。
私はここに書いたように四股は当て字で
漢字で書くなら醜(シコ)が正しいとの説に
賛成なのでシコと書く。
円筒埴輪は2つ使って
棺として使われていたとは! ↓
いろんな埴輪が展示されている中に
巫女の埴輪もあり
巫女の衣装や装飾品の絵を見ても
王に次ぐ(いや、王以上の?)地位
だったのだとわかる。
保渡田の3つの古墳では
二子山古墳が最も大きい。
昭和55年頃の八幡塚古墳が
こんなに荒れ果てていたとは👀‼️
どう見ても古墳なのに
整備保存されていなかったことが
信じられないが
近畿でも破壊されてしまった古墳が
いくつもあるらしい。
これ以上破壊されないうちに
再建できて良かったね。
最後に「わらう! 太宰治」を見て
苦悩している太宰だけではなく
こんなにユーモアあふれる一面が
あったことを初めて知った。
なのに何度も自殺未遂をし
38歳の若さで本当に死んでしまうなんて
文学に疎い私には全くわからない。
写真は「土屋文明記念文学館」のリーフレットより。
バスの時間が近づき
余裕をもって15分前には出たのに
公園を出て、どちらに向かって歩けば
バス停があるのかわからなくなり、ウロウロ。
何とか思い出し
4分遅れで到着したバスに
無事乗車。焦った~っ😩
雨が降り始める前に
ホテルに帰れてよかった。
降水確率が上がる予報>
降り始める前にと
7:35高崎駅前発のバスに乗車。
「秋葉前」で降りて帰りのバスを
確認したところ、14:06までない!
ちゃんと調べて来なかったことを反省😥
6時間もここで過ごすの?
とにかく
「かみつけの里博物館」に向かって歩き
9時からしか
博物館は開かないし
八幡塚古墳の石室も見られないので
↓
その前を素通りし、まずは
二子山古墳へと進んだ。
墳墓へ上がる途中
中島といわれる所に立ち寄った。
前方後円墳の周囲に4つ
ある丸い部分で
祭祀が行われていた所らしい。
上に上がって下を見ると ↑
中島がきれいに見え
周囲にはコスモスの花がきれい。
前方から後円を見ると ↓
そこで散歩している
私くらいの女性2人と遭遇。
地元の女性で、散歩中とのこと。
高崎駅に帰るバス停は
他にないのかと尋ねると
どうも難しいらしく
ゆっくり時間をかけて
廻れるコースを紹介してくださり
私も一緒に散歩についていくことにした。
「もう少し早かったら、
コスモスがきれいだったのにねぇ」と。
いや…、今も十分きれいだと思うけど…
もっときれいだったのだと。
そこから「なりもりぼえん」という
武田軍に敗れて
首を落とされた殿様を祀る墓苑に。
これが首塚 ↓
このあたりの歴史の説明がとても上手で
まるで無料のガイドさんに出会ったみたい。
周囲には赤いルコウソウやヒルガオが
きれいに咲いている。
若いころ、京都の家で
ルコウソウを植えていたので
懐かしくて
「良く熟した種があっら持って帰るのに…」と
言ったところ
「とんでない! これはとても厄介な雑草で
コスモスに巻きついて大変なんだから」と。
確かに、ここではそのようだけど
鉢植えで朝顔のように育てれば
とても可愛い。所変われば…である。
10分も歩かないうちに
西光寺(薬師塚古墳跡)に到着。↑
少し離れたところに立っていたこのお寺を
ここに移築するために整地していた時に
石棺が発見されたのだと。
この本堂の前を右に曲がると
赤い屋根のお堂に向かう階段があり
お堂の右側に石棺が置かれている。
こんな貴重な文化財を
こんな無防備な所に置いて
夜中にいたずらでもされたら大変なのに…
と、心配しながら参拝。
こちらが高くて、後円部なので
この下に石棺が安置されていた。
本堂のある方が低くて、前方部。
これがきっかけとなり
八幡塚古墳・双子山古墳が
整備されることになったそうな。
本堂の方に戻り、直進すると
いにしえのお寺の瓦が飾られていて
さらにその向こうに
巨大な切り株。イチョウなのだと。
鎌倉の大イチョウに並ぶ大きさだったが
内部が朽ちて、鎌倉の木のように
倒れては大変と、切られてしまった。
お2人の解説のおかげで
いろいろと学べてありがたい。
60代に見えたのに
お2人とも私より年上👀‼️
3分ほど歩くと
土屋文明記念文学館の
西側階段の下に到着
この中見て、昼食を摂り
八幡塚古墳・博物館の見学をすれば
14時のバスに乗るのに
ちょうどいい時間になるだろうと聞き
ここでお2人と別れた。
おおきにm(_ _)m 助かりました。
文学館の玄関に着くと
「わらう! 太宰治」の
特別展をしている!
先に常設展を見学。
文学に疎い私なので
「土屋文明の作品って?」
というくらいの認識レベルだったが
・ここ保渡田で生まれ育った人
・万葉集の歌をたくさん解説した人
というくらいはわかった。
と同時に
明治・大正・昭和・平成の文人諸氏の
師弟関係や
お互いが密接に関わり合い
刺激し合っていたことなどが
少しばかり分かった。
その後、2階のカフェでブランチを摂り
午後は雨になるかもしれないので
室内で見られるものは午後にして
八幡塚古墳を先に見ることにした。
その前に、土屋文明氏が
晩年を過ごした東京青山の庭の木々を
ここまで運んで植えた「方竹の庭」を見学。
この庭の向こうが
八幡塚古墳公園となっている。
後円部の上から見える中島。↓
中島は内堀にあり
まさしく島だったのだろう。
前方部に降りる手前に
石棺が保管されている地下室に
降りる階段があり
そちらを見学。↓
さっき薬師塚の石棺を見たせいか
あたちの石棺の方が立派に感じた。
降りて下から見上げると、まるで城郭。
同じ場所から下を見ると
埴輪がたくさん並んでいるのが見え ↑
それを見に行き ↓
そこで本日の記念自撮り。
遠征に出るときは
荷物を少なくするために
仕事でも外でも着られる服を
持って出るので
こんな格好になってしまう。
円筒埴輪には作成者と年月日が
刻まれているのが、よく見える。
数年経つと色が濃くななり
ヒビが入り、割れる。
盾を持つ人の埴輪の
新しいのはこれ
↓
数年たったと思われるのがこれ
↓
常に作り替え続けなければ
この景観を保てないことがわかる。
今日はたくさん歩こうと思って
ここまで来たので
古墳公園以外の周囲の地域まで
足を伸ばし、戻って来て
オヤツに群馬県民が
こよなく愛するという
「焼きまんじゅう」を1本買い
4つのうち2つ食べたところ
中はスポンジのように
フワフワなのに満腹になってしまった。
その後、博物館内を見学。
王をはじめ様々な人々の役割や
衣装などが解説されている。
力士がシコを踏むとは
「大地の魔物を追い出し
豊作を祈願する」
という意味であることを知った。
私はここに書いたように四股は当て字で
漢字で書くなら醜(シコ)が正しいとの説に
賛成なのでシコと書く。
円筒埴輪は2つ使って
棺として使われていたとは! ↓
いろんな埴輪が展示されている中に
巫女の埴輪もあり
巫女の衣装や装飾品の絵を見ても
王に次ぐ(いや、王以上の?)地位
だったのだとわかる。
保渡田の3つの古墳では
二子山古墳が最も大きい。
昭和55年頃の八幡塚古墳が
こんなに荒れ果てていたとは👀‼️
どう見ても古墳なのに
整備保存されていなかったことが
信じられないが
近畿でも破壊されてしまった古墳が
いくつもあるらしい。
これ以上破壊されないうちに
再建できて良かったね。
最後に「わらう! 太宰治」を見て
苦悩している太宰だけではなく
こんなにユーモアあふれる一面が
あったことを初めて知った。
なのに何度も自殺未遂をし
38歳の若さで本当に死んでしまうなんて
文学に疎い私には全くわからない。
写真は「土屋文明記念文学館」のリーフレットより。
バスの時間が近づき
余裕をもって15分前には出たのに
公園を出て、どちらに向かって歩けば
バス停があるのかわからなくなり、ウロウロ。
何とか思い出し
4分遅れで到着したバスに
無事乗車。焦った~っ😩
雨が降り始める前に
ホテルに帰れてよかった。
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