魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

保渡田古墳群

2021-11-08 | 史跡
11/8(月)は午後になると
降水確率が上がる予報>

降り始める前にと
7:35高崎駅前発のバスに乗車。



「秋葉前」で降りて帰りのバスを
確認したところ、14:06までない!

ちゃんと調べて来なかったことを反省😥



6時間もここで過ごすの?
とにかく
「かみつけの里博物館」に向かって歩き



9時からしか
博物館は開かないし
八幡塚古墳の石室も見られないので
  ↓


その前を素通りし、まずは
二子山古墳へと進んだ。

墳墓へ上がる途中
中島といわれる所に立ち寄った。



前方後円墳の周囲に4つ
ある丸い部分で
祭祀が行われていた所らしい。



上に上がって下を見ると ↑
中島がきれいに見え
周囲にはコスモスの花がきれい。

前方から後円を見ると ↓



そこで散歩している
私くらいの女性2人と遭遇。

地元の女性で、散歩中とのこと。

高崎駅に帰るバス停は
他にないのかと尋ねると
どうも難しいらしく

ゆっくり時間をかけて
廻れるコースを紹介してくださり
私も一緒に散歩についていくことにした。



「もう少し早かったら、
 コスモスがきれいだったのにねぇ」と。

いや…、今も十分きれいだと思うけど…
もっときれいだったのだと。

そこから「なりもりぼえん」という
武田軍に敗れて
首を落とされた殿様を祀る墓苑に。



これが首塚 ↓



このあたりの歴史の説明がとても上手で
まるで無料のガイドさんに出会ったみたい。

周囲には赤いルコウソウやヒルガオが
きれいに咲いている。



若いころ、京都の家で
ルコウソウを植えていたので
懐かしくて
「良く熟した種があっら持って帰るのに…」と
言ったところ

「とんでない! これはとても厄介な雑草で
 コスモスに巻きついて大変なんだから」と。

確かに、ここではそのようだけど
鉢植えで朝顔のように育てれば
とても可愛い。所変われば…である。



10分も歩かないうちに
西光寺(薬師塚古墳跡)に到着。↑

少し離れたところに立っていたこのお寺を
ここに移築するために整地していた時に
石棺が発見されたのだと。



この本堂の前を右に曲がると



赤い屋根のお堂に向かう階段があり



お堂の右側に石棺が置かれている。

こんな貴重な文化財を
こんな無防備な所に置いて
夜中にいたずらでもされたら大変なのに…

と、心配しながら参拝。

こちらが高くて、後円部なので
この下に石棺が安置されていた。

本堂のある方が低くて、前方部。

これがきっかけとなり
八幡塚古墳・双子山古墳が
整備されることになったそうな。

本堂の方に戻り、直進すると
いにしえのお寺の瓦が飾られていて



さらにその向こうに
巨大な切り株。イチョウなのだと。

鎌倉の大イチョウに並ぶ大きさだったが
内部が朽ちて、鎌倉の木のように
倒れては大変と、切られてしまった。



お2人の解説のおかげで
いろいろと学べてありがたい。

60代に見えたのに
お2人とも私より年上👀‼️

3分ほど歩くと
土屋文明記念文学館の
西側階段の下に到着



この中見て、昼食を摂り
八幡塚古墳・博物館の見学をすれば
14時のバスに乗るのに
ちょうどいい時間になるだろうと聞き
ここでお2人と別れた。

おおきにm(_ _)m 助かりました。

文学館の玄関に着くと
「わらう! 太宰治」の
特別展をしている!



先に常設展を見学。
文学に疎い私なので

「土屋文明の作品って?」

というくらいの認識レベルだったが
・ここ保渡田で生まれ育った人
・万葉集の歌をたくさん解説した人

というくらいはわかった。
と同時に
明治・大正・昭和・平成の文人諸氏の
師弟関係や
お互いが密接に関わり合い
刺激し合っていたことなどが
少しばかり分かった。

その後、2階のカフェでブランチを摂り
午後は雨になるかもしれないので
室内で見られるものは午後にして
八幡塚古墳を先に見ることにした。

その前に、土屋文明氏が
晩年を過ごした東京青山の庭の木々を
ここまで運んで植えた「方竹の庭」を見学。



この庭の向こうが
八幡塚古墳公園となっている。



後円部の上から見える中島。↓



中島は内堀にあり
まさしく島だったのだろう。

前方部に降りる手前に
石棺が保管されている地下室に
降りる階段があり
そちらを見学。↓



さっき薬師塚の石棺を見たせいか
あたちの石棺の方が立派に感じた。



降りて下から見上げると、まるで城郭。



同じ場所から下を見ると
埴輪がたくさん並んでいるのが見え  ↑

それを見に行き ↓



そこで本日の記念自撮り。



遠征に出るときは
荷物を少なくするために
仕事でも外でも着られる服を
持って出るので
こんな格好になってしまう。

円筒埴輪には作成者と年月日が
刻まれているのが、よく見える。

数年経つと色が濃くななり
ヒビが入り、割れる。

盾を持つ人の埴輪の
新しいのはこれ
  ↓


数年たったと思われるのがこれ
  ↓


常に作り替え続けなければ
この景観を保てないことがわかる。

今日はたくさん歩こうと思って
ここまで来たので
古墳公園以外の周囲の地域まで
足を伸ばし、戻って来て

オヤツに群馬県民が
こよなく愛するという
「焼きまんじゅう」を1本買い
4つのうち2つ食べたところ



中はスポンジのように
フワフワなのに満腹になってしまった。

その後、博物館内を見学。



王をはじめ様々な人々の役割や
衣装などが解説されている。



力士がシコを踏むとは
「大地の魔物を追い出し
 豊作を祈願する」

という意味であることを知った。

私はここに書いたように四股は当て字で
漢字で書くなら醜(シコ)が正しいとの説に
賛成なのでシコと書く。

円筒埴輪は2つ使って
棺として使われていたとは! ↓



いろんな埴輪が展示されている中に
巫女の埴輪もあり



巫女の衣装や装飾品の絵を見ても
王に次ぐ(いや、王以上の?)地位
だったのだとわかる。



保渡田の3つの古墳では
二子山古墳が最も大きい。



昭和55年頃の八幡塚古墳が
こんなに荒れ果てていたとは👀‼️



どう見ても古墳なのに
整備保存されていなかったことが
信じられないが
近畿でも破壊されてしまった古墳が
いくつもあるらしい。

これ以上破壊されないうちに
再建できて良かったね。

最後に「わらう! 太宰治」を見て



苦悩している太宰だけではなく
こんなにユーモアあふれる一面が
あったことを初めて知った。

なのに何度も自殺未遂をし
38歳の若さで本当に死んでしまうなんて
文学に疎い私には全くわからない。



 写真は「土屋文明記念文学館」のリーフレットより。

バスの時間が近づき
余裕をもって15分前には出たのに

公園を出て、どちらに向かって歩けば
バス停があるのかわからなくなり、ウロウロ。

何とか思い出し
4分遅れで到着したバスに
無事乗車。焦った~っ😩

雨が降り始める前に
ホテルに帰れてよかった。

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