聖書では、私たちクリスチャンは、日々キリストに似た者となるとありますが、現実は、どこが似ているのだろうかと思うことばかりです。
もともと人間は罪の性質を持っているから仕方がありません。
でも、神様に従って歩んでいく時、肉の欲望ではなく神様が持っておられるご性質に似たものとなっていくのです。
それは、一歩一歩遅い歩みであり、時には落ちてしまうことすらありますが、失敗したら悔い改めて、そこからやりなおせば良いのです。
また、それぞれが持っている傷がいろんな働きの妨害になっていることがありますが、傷のない人間はいません。
その傷は、神様によってしかいやされることはありません。
私は、前に「どうしてこんなことが許されたのですか?傷をいやしてください。」と、真剣に祈った時、いやしを求めるのではなくそれを許された神の主権を認め感謝しなさい。そうすれがいやされます。」と示されたので、感謝して行きました。
その結果、いつの間にか傷がいやされていたことに気づいたのです。
だから、傷をそのままほっておかないで、傷ついたことや傷つけた人のことを感謝して行き、自分自身の内側を整えて行きましょう。
そうでないと、これから日本に信仰復興であるリバイバルが来た時、人々を受け入れる私たちの内側が荒れていては、折角来た方々を跳ね飛ばしてしまうことになりかねないからです。