3時ころ、食事をしにあるお店に行ったらお客は、私一人でした。
注文すると、すぐにレジの所に、救急隊員が一人来て「OO病院に・・・。」と言う話をしていました。
その方がいなくなると、今度は警察官が4人やってきて、監視カメラに写っているので確認したと言う話をしていました。 「何の事件?」と帰る時店員に聞くと、店員の一人が間違えてトン汁をお客に出したら、「こんなものを頼んでいない。」と言って顔にかけられ、やけどをしたと言う内容でした。
こんなに大げさになるなんて思ってもいなかったと言っていましたが、傷害事件になるのでしょう。電車でも、物騒な事件が多くなっているので、巻き込まれないように日々祈ることが大切ですね。
ユダヤ人たちは、バビロンの捕虜となって暮らしていましたが、神様の約束の70年が過ぎたので、ペルシャネの王クロスによって、エルサレムへ帰還することが許されました。
そこに城壁を作り、神殿や町の再建に取りかかろうとしましたが、いろいろ妨害いが入りました。70年の捕囚の時代に大人たちのほとんどは死んでしまい、当時10歳だとしても、帰還した時は80歳になっています。
外部からの妨害もありましたが、内部の腐敗や不一致との戦いもありました。
これは、神の働きなので、内部の清めがまず必要でした。
そして、神様の掟に従っていない部分の調整がいたるところでなされたのです。
こんな中、同じように帰還したのに、非協力的な者たちもいたのです。ネヘミヤ3:5「その次に、テコア人たちが修理したが、そのすぐれた人たちは彼らの工事に協力しなかった。」
すぐれた人たちとあるので、家系がすぐれていたのかどうかは分かりませんが、とにかくリーダーのネヘミヤに従わない者たちがいたのです。神の働きをする時、一致が必要であり、神の力によって必ず計画は進んでいきます。
しかし、不一致の者たちは、表面的には同じ恵みを受けたとしても、一致して働いたものしか受けることのできない祝福にあずかることはできないのです。どんなに、目立たない働きであったとしても、神様のご計画に参加できることは、素晴らしいことです。
神様による一致を祈りつつ24日の「GOSPEL in Christmas」に臨みたいものです。
クリスチャンになって、嬉しいことは、罪がすべて許され肉体が死んでも、永遠の命が与えられ、天国に入れることです。
天国は現実ですが、日々の生活の中ではあまり関係のないことです。
それでは、日々の生活の中でなにが嬉しいかというと、生きた神様が共におられると言うことです。 えクリスチャンになった頃、私の信仰は頭だけの哲学的なものでしたが、今は祈れば答えてくださる神様が共におられると言う実感があります。
その神様は、すべてをご存じだと言うことが、最高に嬉しいのです。
私たちの生活の中には、理不尽だと言うことがたくさんあり、ある場合は、ぬれ衣を着せられることすらあります。誰からも信じてもらえないことすらありますが、神様はすべてをご存じなのです。
そのことを考えると、他では得ることのない安心感があり、クリスチャンになって本当に良かったと思うのです。