まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

ブラジルの警察官

2009年12月29日 | Weblog

この間、世界のびっくりニュースを見ましたが、その中にブラジルの警察官の話が出てきました。
路上にたくさんの孤児たちがいて、犯罪が多いので、住民が警察官に頼んでお金を渡して孤児たちを殺させていたというものです。
本当に考えられないニュースですが、数年前に公になり大問題になったそうです。
その他、死刑がないので、犯罪を犯した者が刑務所から出て来たとき、復讐されるのが怖いので、警察官に頼んで殺してもらうと言う話を読んだこともありました。
日本にいると、考えられない話が、世界のいたるところにありますね。
私たちの教会では、孤児院を作るために、ブラジルに2人の宣教師を送っています。
詳しくは、礎の石孤児院のHPを読んでくださいね。

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石田三成の人情

2009年12月29日 | Weblog

今日は久しぶりのお休みなので、朝から掃除洗濯と忙しく働いています。
ずっと締め切りに追われたいたので、仕事の部屋がものすごく汚くなってしまいました。
前に、下のリビングに洋服がたくさんかかっていて、机の上にも色々のっていたたとき、友人が立ち寄って「相変わらずきれいにしてるね。」と言われたことがありました。
私としては、「かたずかないなー!」と思っていた時なので、冗談かと思いましたが、農家で子供が3人もいる彼女の家から見たらきれいなのかもしれ無いと思いました。
ところで、夕べ夜中に戦国武将の友情秘話をTVで見ましたが、石田三成と大谷吉継のお話には感動しました。
ともに豊臣秀吉の子飼いの武将で熱い友情で結ばれていましたが、大谷吉継は、重い皮膚病に罹り全身から膿が出るようになります。
ある日の茶会で、大谷の所にお茶が回ってきた時、彼は飲むのをためらっていました。
自分が口をつけた時、後に回された人に申し訳ないと考えていると、顔の膿が茶碗の中に落ちてしまったのです。
それを見た、人々は息を物ましたが、三成はとっさに「のどが渇いたから早く回せ。」と言って他の人を押しのけて自分が全部飲んでしまったのです。
その後、家康が、秀吉の遺言をことごとく破棄して、自分が天下を取ろうとしたので、石田三成が豊臣家のために、家康を討とうとしました。
大谷吉継は関ヶ原の戦いのとき、初めは家康につくつもりでしたが、負けると分かっていても先の、恩と友情のために三成側について死んでしまいました。
石田三成は、26聖人が京で捕まった時、戻り橋のたもとで、鼻と耳をそぎ落とすという秀吉の命令を退けて、耳たぶを少しだけ切るように命令した人です。
そして、最後まで、何とか処刑を免れさせようとした人です。
人情に厚い方だったのですね。

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