詩編20:5a「私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。」
詩編121:5a「主は、あなたを守る方。」
ゼカリヤ4:6「すると彼は、私に答えてこう言った。『これは、ゼルバベルへの主のことばだ。【権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって】と万軍の主は仰せられる。」
上記の御言葉は、ジョージ・ミュラーが、本国と外国のための聖書知識協会を、29歳で作った時の土台となったものです。
今日は、「ヤベツとエノクのQ&A」が終わり、「ブリストルの風」の仕上げに取りかかりました。
今朝、与えられた詩編20:5が出てきたので、びっくりしました。私たちは、神の兵士ですが、万軍の主であるイエス・キリストが将として共におられ守られています。
だから、私たちの能力ではなく、神の力と方法で戦うのですが、すでに勝利の御旗が降られているのです。明日の24日文京シビックホールでのGOSPEL in Christmasにも、すでに勝利の御旗が振られています。
昨日は、ゴミの日だったので、庭に積んである枯れ枝を少しごみの袋に入れました。
ところが、ザクロの枝がたくさんあったのでそのとげが、指の根元に刺さってしまいました。
ザクロには、左右対になった小枝の先にとげがついているので、一本の枝にたくさんのとげとげがあるので、イエス様がかぶらされた茨のとげの冠を思いだします。
イエス様は、私たち一人一人の罪の身代わりになって、茨の冠をかぶらされ十字架にかかって死ぬために、この地上に来られました。
罪人の身代わりとなる者は、罪のない者しかなれません。
だから何の罪のない神の子が、人となってこの地上に来られ、十字架で死んでくださったのですが、復活して死を打ち破られたのです。
それで、イエス様が自分の罪の身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったことを信じ、そのイエス様を主と告白した者は、みんな死んでから天国に入ることができるようになったのです。イエス様のお誕生日は、もっと暖かい5月ごろではないかと言われていますが、ローマ時代この時期にお祝いするようになりました。
このクリスマスムードを味わうために、明日の24日、文京シビックセンターで7時から行われる、GOSPEL in Christmasにいらっしゃいませんか?
詩編20:4~5「主があなたの願いどおりにしてくださいますように
あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。
私たちは、勝利を喜び歌いましょう。
私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。
主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。」神様は、私たちと深く交わり、私たちの願いを聞き遂げたいと思っていらっしゃいます。
私たちは、神様にどんなことでも願い祈ることができるのですが、祈りが聞かれないほうが良い場合は、それが答えられないことがあります。
しかし、本当に必要なことは、時が来れば必ず聞いて下さるのです。神様は私たちを愛し、最善を与えようとしておられるので、遠慮しないでどんどん願い事を祈りましょう。
そして、多くの恵みをいただく者になりましょう。
マリアは、14歳くらいのごく普通の女の子でした。
婚約者のヨセフは王家の末裔でしたが、大工で、二人とも田舎に住んでいました。ユダヤ人の女の子は、14~5歳で結婚しますが、婚約は法的には妻になります。
マリアは、天使が現れ、聖霊なる神様によって救い主イエスを身ごもると言うお告げを聞きます。
まだ、正式な結婚をしていないのに子供ができると言うことは、当時では石打ちの刑で殺されなければなりません。
しかも、その子が救い主であり、自分を通して何百年と語り継がれた預言が成就すると言うのを、マリアはとまどいながら受け入れます。
ルカ1:38「ほんとうに、私は主のはしためです。あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言いました。
はしためとは、めし使いとかしもべのことです。
私たちは、いつも神様の前に出た時、このマリアのような姿勢が大切です。
子供だった預言者サムエルはサムエル第一 3:10「お話しください。しもべは聞いております。」と神様の語りかけに耳を澄ましました。
一方的に、自分の要求を言いまくる祈りではなく、神様のみ声に心を傾け、御心が自分になりますようにと言う祈りを常にしたいものです