日々の幸せを育んで

ワンちゃん達がいて、孫達がいる日々の生活。小さな幸せのある暮らしを綴っています。

弟(アトムのパパさん)のお誕生日

2022年04月10日 12時15分00秒 | 日々の暮らし

夏がすぐにやって来そうな・・・暑く感じる日が始まりました。

桜が終り・・・若葉が輝く季節です。

          

8日は、弟(故アトム のパパさん)のお誕生日でした。

娘としょうちゃんと3人で、たくさんのプレゼントを持って弟宅に行ってきました。
行きの電車の中で、しょうちゃんがクリスマスソングを歌っています。

「しょうちゃん、違うよ。」
「ちいおじちゃんのお誕生日だよ。」
「ハッピーバースディを歌ってあげて。」って娘。

そんな事を言いながら、片道1時間半掛かって、弟宅に着きました。

大阪と奈良との境にある田舎町です。
のんびりとした、心が落ち着く空気が漂っています。
信貴山の山々に、ちらほら桜が見えます。

          

弟宅を訪ねると、毎回ドアを開けた時の弟が満面の笑みなので・・・それを見るだけで、私は嬉しいです。

弟は1月の末に右肘を粉砕骨折して、手術をしました。
お医者さんが驚くほど、骨が細かく砕けているそうです。

夜、開いていた駐車場を通り抜けようとした時、下りていた錆びた鎖にロードバイクが引っ掛かって、転倒したそうです。
3ヶ所の病院に運ばれて診てもらったみたいですが、手術が必要だという事で、大きな病院に運ばれたそうです。

すぐには手術できないので、弟は1度帰宅して手術日前日に入院しました。
自宅待機している弟に会いに行った時、まだ右指は少し動かせるので、何とか生活ができていました。
(コロナの影響で、病院での付き添いは一切できません。)

          

退院の日、「退院祝い」に弟宅に行った私達3人。
弟の右手は、見るのが怖いほど指の先まで青紫色に腫れあがってしまい、指も腕もまったく動かせなくなっていました。
週に2回娘としょうちゃんと3人(主人はえいちゃんとバニーと3人でお留守番です)で、たくさんのお料理を作って弟宅を訪ね、娘と私にできる家事はしてあげていました。

弟は、とっても前向きで努力家なので、リハビリに通いながら、家でもリハビリに励んでいました。
少し腫れが引いても、なかなか青紫色の手は元には戻らず、腫れたままです。

左手では鋏が切り難いので、左手でも切り易い鋏を探したり・・・左手で包丁を使う時に、滑らないまな板を探したり・・・ネットでいろいろ調べていて、
『利き手が使えない時に、反対の手で便利に使えるものって、こんなにないんだ・・・。』
って事に驚きました。

それでもいろいろ考えて、便利だろうと思うものは、届けました。

          

ザラが我が家に来る日が近づいた頃、弟は何とか自分でお料理ができる様になっていました。

「新しいワンちゃんが来るから、少しの間来れなくなるかもしれないけど、大丈夫?」って私。

「お母さんが、家でしょうちゃんとバニーとザラとでお留守番で、お父さんとえいちゃんと私で来るよ。」って娘。

「ううん。次は、誕生日でいいぞ。」って弟。

で、弟のお誕生日に行く事に決まりました。

8日、久しぶり会った弟の顔は、驚くほど元気になっていました。

          

娘が、お掃除とか夕飯の盛り付けとか弟の為に何でもしてくれるので、私が助けられています。
娘が本当に優しいので、助けられている事が多くあります。

弟と娘がずっと話続けているのを聞いていると、面白くて・・・私はしょうちゃんと遊びながら、ずっと笑っています。

右手が使えないので、密封袋に入れて持って行ったお料理を、タッパーに移し替えたりしてから・・・みんなでお昼ご飯を食べて・・・ハッピーバースディを歌ってケーキを食べて・・・お喋りして・・・笑顔の弟に見送られて、帰って来ました。

          

随分と腫れが引いていましたが、まだ手は青紫色で、手は上げられません。

いくら心配しても、何にもしてあげられないのが辛いです。

『もう少し近くに住んでいれば、できる事はもっとあるんだろうに・・・。』

          

末の弟は、上の私達3人よりも少し歳が離れているので・・・何かにつけ、いつも気になる存在です。

弟は、京都の大学に行っている時、京都の松ヶ崎に下宿していました。
1ヶ月に1度くらい、実家には帰って来ていました。

帰って来ると、お台所でお手伝いさんに手伝ってもらいながら、家族みんなの夕食を作っている私(その頃は、まだ独身の私)の後をついて歩いて、
「ちっちゃねえちゃん(私の呼び名)、面白い話聞きたくないか?」
って言うのが、弟のお決まり文句でした。

「そんなの聞きたくない。」って私。

「ほんまに面白いけど、聞かなくていいのか?」ってしつこく言い続ける弟。

「話したければ、話せばいいよ。」って言う私。

で、弟は話し続けるので、聞いてあげます。

          

そして帰って来ると必ず、
「明日、梅田に買い物に行きたくないか?」
「買いたいものがあるけど。」
って言います。

「梅田? 行きたくない!」
「買いたいものないもん。」って私。

それもお決まり事でした。
梅田にお買い物に行って、弟の望んでいる昼食を食べて・・・欲しい物を買ってあげて・・・帰って来ていました。

帰って来る度に、毎回の様に同じ決まり事を言いながら、私の後ろにくっついて歩いていた弟です。

梅田で、弟のお友達3人に出会った時、
「M(苗字)、それ彼女か?」
って聞かれて、私の前に立ちはだかって私を自分の身体で隠しながら、
「違うぞ! 何でこんな不細工なのが俺の彼女やねん!」
って答えた弟。

そんな失礼な事を言う弟なのですが・・・許してしまう私がいます。

          

弟との思い出は一杯あります。

弟の運転する車で、2人で軽井沢に行った事・・・弟が大学を卒業してから毎週日曜日に2人で、テニススクールに通っていた事・・・春には毎年2人で、スキーに行っていた事・・・本当に仲のいい姉弟だと思います。

上の弟(アトムパパの兄)が、
「姉弟2人で行って、何が楽しくて面白い・・・?」
って言っていたのを思い出します。

末っ子に生まれて、上の私達姉兄を見ながら、いい所悪い所をきちんと見極めて、姉弟の中で一番しっかりとしたいい大人になったと思います。

          

今、プレートで肘の骨を固定しているので、それを取る手術をしないといけません。

腕が完全に動く様になるまでは、大好きなロードバイクも登山もできないのが可哀想ですが、もうしばらくの辛抱だと思っています。
『プレートを取れば、腕の可動域も広がるんだろう。』
って思います。

それまで、私達にできる手助けはして行くつもりです。

          

人生は、望む事も望まない事も、いろんな事が起こって進んで行きます。

いろんな出来事を、どんな風に捉えて生きて行くのかが、その人の人となりだと思っています。

いつも前向きに、しっかりと地面に足をつけて、自分の人生を自分の意志でいい方向に向けながら、人生を歩んで行きたいと思っています。

弟も同じ考えを持っているから、きっと仲がいいのだと思います。