
ミーシャが筋向かいのお宅の猫だとわかったのは、飼い主(その家の主人)とお話する機会があったからである。
僕が用事があってお尋ねすると家からミーシャが飛び出してきた。おい、おい、お前はここの飼い猫だったのね。
特にニャンコの話をするために行った訳ではないのだが、ちょうど家から出てこられて、先方から猫の話をしだしたのである。
それまで、僕は来会者たち(猫)がどこのものかなど考えてもいなかったら、その話の内容は、やはり僕が不安に思っていたことがあったんだな、と言い分を聞いていた。
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こんな話だった。
(指示向かいのご主人):自分が猫を飼っていることは知られているんだけれどね。飼っているのは1匹だけなんだけど(勝手にミーシャと僕が名付けた品のいい猫)、筋向かいのお宅から(こんどは相手から見ると僕の2けん隣の家)、そこの一人も身の叔母さんが、猫が庭を荒らして困ると文句が来てるんだ、と。
地面に穴を掘ったり鉢植えをひっくり返した、花鉢を倒したり、ウンチやおしっこをしていくので困る なんとかならないだろうか、と。
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僕は、黙って聞いていた。
うちにも来てますよ、などとは言わない。多少、猫などは外をほっつき歩いて、ご飯を主人(飼い主)のところに帰えって来るのが自由で、気ままでいいなぁ、などと思っていたから。
猫は、自分で地面に穴を掘ることはないと思う。穴はモグラでしょう、と僕がいう。(実際、モグラのモグチャンは、猫らがうろついてから、僕の庭からいなくなったので少し助かった。)
そのご主人は、猫もウンチをした後に犬が後始末を後ろ足で土をかける仕草をして穴ができる、とそのまねまでしてくれたんだけれど。ニャンコのその仕草は僕は見たことがないけれど。
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ご近所の皆さんは、草花を趣味されているくらいとても庭木が手入れされている。町内会では何がしかの草花が、玄関やお庭を飾っている。緑に様々な色の花の色がちりばめられる5、6月ころは僕の庭にも様々な花が咲いて楽しませてくれる。
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それで、今回のお話で書きたかったことは、そのご主人が飼っている猫(ミーシャ)について話してくれたことだ。
この話は子猫らが庭に現れるは前のことの話である。
それは、飼い猫 (ミーシャのこと)が車庫の2階で数匹、子猫を産んでねぇ。あのときは困ったねぇ。まだ目が開いてなかったんで保健所に持って行ってもらったんだ。(僕は数まで聞かなかった。)
そういうこともあったんで、この辺では、猫の飼い主が私と裏の○○さんち。あそこは首輪をかけて家の中で飼っているね。で、うちに苦情がくるんだな。
というのもそのご主人は町内会長でもあったんで、たまたまなのか、苦情引受人で文句が来ているというわけだった。
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ミーシャが庭に子猫を連れてご飯を食べにくる、子猫らも母親のようにミーシャについて回り、ご飯の時もミーシャがいると安心するのか逃げたりしない。
まったく母親だと思っている。食べた後は無邪気に遊びまわる。
ミーシャも自分が産んだ子供たちが戻って来たととても喜んでいる(顔を見ても分からんけれど)。
ミーシャは、ご飯をむしゃむしゃ一緒に食べたり、子猫らがじゃれ合って遊ぶのをじっと見ている。こ猫らは暑くなると小屋の下に潜り込んで休んでいる。
ここまでが物語 その7 のお話です。・・・続く
人であるなら決して公にできないなぁ。公然わいせつ罪だな冒頭の写真。
雄トラがミーシャ(初めはトラの仕草に受け入れる様子も見せないし、まったく動じないのでマダムと名前にしたけど)に マウンテングしようとする写真。
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僕が初めてリコと名付けたニャンコが縁側にきちんと座って、引き戸のこちらを見ていたのは良かったのだけれど、相方を連れてくるようになったのは年度はじめころ。
後でこれが茶色で雄だとわかったのでトラと名付けた訳。
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お話がそろそろ さよならなので出演者?の写真を掲載したい。
◆1人目(正しくは1匹目~以下同じ)
リコです。利口なので雌です。年度初めに初めて現れた。頻度はすくなくなったが、今でも毎朝にトラと共に現れる。彼女は賢い。僕がそう思っているだけなのか、一人で来たとき必ず餌を少し残すのです。
誰かに(他の猫に)食べ物あったよ、あのおじさん又、出してくれてるよ、と どこかに知らせに行くのだろうか。
しばらくすると、決まって他のニャンコがそれを(残したものを)食べに来るのです。
ある時は相棒のトラであったり、しばらく後に子猫連れで現れるミーシャだったり。
◆2人目
相方のトラです。雄の茶色で一応いさましく名付けた。猫パンチ得意? 繁殖時期になり行動大胆に。
リコとトラは兄弟なのか、夫婦なのか未だわからない。
初めはリコだけで、来てましたが、いつも殆ど一緒に行動しているようですが、それぞれ単独で来る時もある。
◆3人目
やはり品がいい、飼い猫。筋向かいの家の猫と分かりましたが、こちらに来たときは勝手にミーシャという名前。
雄のトラが周りで発情してうろうろしても何ら動ぜず、受け入れもせず。それで初めマダムと付けたんだけど、ちょっと品良くミーシャとした。
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初めのころミーシャは後発来会者なので、先人?のお二人の食事の終わるのをいつもじっと待っていたのだ。
確認の後、数日後子猫を食べさせる為に連れてきたのだった。
◆4人目
謎の白猫***
その後、ある日、その日1日だけだったけれどミーシャだけで来ていた時に彼女(ミーシャ)が小屋の視覚から外れた処をず~と見つめていた。
そこにその後一度だけしか見ることができなかった白猫が座ってミーシャの方を眺めていたのだ。
どんな会話をしたんだろうか。
このとき以降、白猫をみることはなかった。
日にちは前後するが、この白猫以降だったと思う。ミーシャが子猫を引き連れて現われ始めたのは。
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いよいよ、お話は終わりに近づきましたが、ニャンコのお話 その6 はここまでです。・・・続く
返信をいただき、大変恐縮しております。人生の先輩に何をかいわんやですが、少しく返答させていただければと思います。何も口論して争いをしようとするものではありません。小生、学生時代からの疑問であったのです。知人には資本論の全集を揃えていた者もおり、いろいろ話を聞かされたこともありました。それで、メールは決して激論を交わすようなお尋ねではないことをご了承願えればと思います。
K様にもお話しましたように長年の疑問だったのが(1)にまとめていただいた疑問でした。ありがとうございます。故人となりましたが、かなり前にキリスト教会に属し、県南から共産党から立候補された方がおられた方も知っております。残念ながら当選はしませんでしたが、キリスト教と共産党の考えはかなり近いものがありますね。
このメールは(1)にまとめていただいた質問の返答を再度、お尋ねしたいためですのでご了解ください。
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お手紙にあります(3)マルクス・エンゲルスについて 「二人は資本主義を徹底的に調査・分析し、資本主義の現実と闘い人々の解放を願い、問題の本質を深く考え、解決の方向を明らかにする態度を一貫してとっています。」 とありますが
これは、当時の時代においてということでいいのでのでしょうか、いや、そうではなく最近の斎藤幸平の著作にもあるように遺された膨大なノートからは現代、から将来まで見据えた考えがあったということでよろしでしょうか。小生はそうだと思いますが・・・。
理屈抜きで「共産党はダメ」というのは、小生は全く逆で、しかし理屈で考えるといろいろ疑問に思うところがあるのです。普遍的な真理のような思想を読みこもうとすると、どうも分からなくなるところがあるのです。
①彼らの思想を読み、まったくそのまま受け止めてしまえば不幸な国の体制が出来てしまうこともあるから、そうではなく彼らの思想から「科学の目」と「変革の精神」を吸収すべく、日本のように学び続けるべきである、ということが正しい読み方であるのだ、ということでいいでしょうか。
それは、彼らの思想からそのまま突き詰めれば、
②共産主義思想をとる北朝鮮や中国のような政治体制が出て来ているということは、二人の思想の学び方の間違いだ、ということになるのでしょうか? あるいは、国の体制や時代によって、様々な異なる行動基点ともなる思想でもある、ということなのでしょうか? 資本主義体制を経過していないから、まだ駄目なのだ、ということなのでしょうか。
③彼らの著作の中には、かなり過激な文書もあるが、その行動のエネルギーも「資本の現実と闘い、人々の解放を願い、問題の本質を深く考え、解決の方向を明らかにする態度を一貫して取っています」の、結論としての行動なのでしょうか?
「この科学的社会主義の基礎理論を学ぶうえで大切なことは、二人(マルクス・エンゲルス)の個々の言説を絶対化するのではなく、この「科学の目」と「変革の精神」を吸収することです。」 と書かれていますが、これは小生も賛同致します。
④すると、課題は彼らの思想をどう読むべきである、という前提があっての 二人の思想ではないかと思われますがいかがでしょう。小生はそう思いますが。(6)に書かれた二つの保障からはそのように読み取れますが。
⑤つまり、他の国では不幸があるが、日本共産党では、そういう読み方も実践もしない。しかし、民衆も貧しく、学問も貧しく時代的に今だ進んでいない国では、ラジカルな行動を起こす二人の思想の解釈もそういうとらえ方も時には必要である、ということなのでしょうか。あるいはそうではなく、まだ資本主義を経過していない国は、その思想に適さない、ということなのでしょうか?
⑥もし、そうだとすれば(4)の「共産党はいつの時代でも資本家・権力者の目の敵であった。」とあるように「共産党」は、現状の経済的体制により、あるいは時代により、国によりとらえ方の思想行動の起こし方の相違があってしかるべきで、発達した資本主義での社会変革でなしえるものだから、そういう経過をへていない国の体制には、そもそも合わないものである、ということでいいでしょうか?
⑦それは(7)の③にもありますように「日本共産党」は不破哲三さんが『資本論』はじめ古典と言われる著書のすべてを研究し、その成果を日本社会に当てはめて新しい論建てをしているのです。」とありますように、その国々に当てはめてその国の真摯な党員がおればですが、その方が自国に当てはめて彼らの言ったことをそのままの絶対化ではなく言わんとすることを吸収し論建てすることが大切なことである、という結論になりますが、いかがでしょうか?
以上、まとまらないところがありますが、日本共産党に対する偏見を取り除くためにもこの点を明確にしていただければ、小生も長年のもやもやが解消できると思いますので、K様の①~⑦までの項目にご返答くだされば、心からの喜びとするところです。
そこで、今回、大変、ぶしつけなメールをしてしまいましたのは、新年号からいきなりマルクス・エンゲルスの個々の言説を絶対化のような記事が出て来ましたので、それは大いに偏見を巻き起こし逆効果ではないかと思った次第でした。会員の方しか読まないからそもそもそういう偏見は起きないでしょうけれども。
日本共産党員の方の行動のバイタリティーには、「マルクス主義とキリスト教」を書いた矢内原も敬服している文面が読み取れます。キリスト教は、唯物史観ではなく霊の救済という別次元のものですが、行動力に大いに学べと・・・。
小生は夏の豪雨災害に床上浸水の被害宅の被災家財の運び出しや、被災施設の床下の泥かきなどの奉仕をしました。募金も致しました。ウクライナ支援募金も行いました。ガザの被災者救援募金も行いました。そして、能登半島地震緊急支援募金も行いました。この募金はまだまだ継続中です。
大変失礼な、やりとりを始めてしまいましたことをお許しください。
永年活動されてきたK様とこのようにやり取りができますことを嬉しく思います。
K様のバイタリティーに学ばなければなりません。大変な年の始まりとなりました。
K様の健康が守られますよう。 2024年1月15日 Yより
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※これに対する返事は来ていません。たまたまでしょうけど、一昨日、委員長が志位さんから田村さんに代わる組織替えがありました。しかし、これほど与党がダメになったことに驚きを隠せません。
昔、恩恵を与えてくれたアメリカからの今の悪影響というしがらみを排除すべくは、日本の神道が太刀打ちできなとすれば、それらと闘うために、まさにすべてのしがらみから離れて真にキリストを研究し学んで受け入れ、悪魔と対抗すべきではないだろうかとしきりに思わされています。
写真は信仰により闘うパウロ像。