marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その26)狭き門には意味があった?!とても無理、理解不能の彼の言葉の意味は・・・

2025-03-01 22:17:23 | 日記

 初めての方が、魂が引き剥がされるように不快に思わされてしまう彼の言葉をあげておく。この言葉に触れて、もう読めないと思われる方が起こらないために。

何の介在物も入れず聖書を読むこと、を心がけると述べてきた。無論、理解しやすい読む順番はあると思うが。解説書でも、信仰問答でも、学者さんや牧師や司祭さんの著作でも、そう・・・、優先すべき順番は、自分の思いの中に読んで何のことと疑問が出てきてそれから彼に問うという順番。

彼に聞け、聖霊は教えてくれるであろう、と書かれているではないか。

よって、もう沢山ありすぎるほど本はあるが、疑問の参考程度に、次にそれを読むことを心がけるという順番。何であれ介在物(指導書など)が優先されている宗教には気をつけなければいけない。

『聖書の疑問は聖書に問う、聖書にその答えを探す。』と、このことは間違いではないが、先に述べた団体のように、勝手に解釈の翻訳自体が間違っていれば、これは完全にカルト。

イエスの深い意味の言葉も、決して自分を見失う言葉ではない。この不快な疑問の言葉も。むしろその逆で、ピュアな本来の自己に出会い、発見し、潔めつつ人生を歩むことに他ならないことが理解されるであろう。後のパウロは自己省察でこのことの意味合いを、イエスと自分の係わりとして手紙に書いたものだと思われる。

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イエスの聖書のもっとも大切な教えとして『神を第一に愛し、第ニは。自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。』と述べた、その後半の『愛する自分』(真の自分)となることである。

真の自分とは、地上での他者との肉体なつながり(親や子、伴侶者)あるいは、身体肉体成長に関わる古来からの風習(いわれ)や伝統に、我らの霊魂は何らかの影響を受けて生きているものであるから、次の世界に純粋で潔められた自分で帰還するために、全ての自己の不純物を捨てて(自分に死んで)私(イエス)に従いなさい、つまり肉体にまとわりつく霊的障害をもたらす肉を十字架で完全に消滅させる私(イエス)従いなさい、と述べた言葉なのである。これが僕の解釈である。

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それで、イエスが述べた不可解な言葉とは、もろもろイエスが語る、全部捨てて私に従いなさい、というその言葉。

その恐れの原因は、今までの自分らの生涯にまとわりつく、自己を阻害している気がつかぬ雑音~来るものなのであって、実はまったく本来のピュアーなる本当の自分になる言葉のなのであって、誰でもが今生に於いて自分の生において彼、イエスと対話する今生における常なる緊張をもたらす会話の始まりの前振りとなっているのである。。

阻害するあなたの罪を私は担うから、来なさい、と。

新約のパウロの手紙には、我々は彼にあって、自分の肉において死んだのである、と時折見られる彼の言葉はこのことを言っているのである。

天地創造来、隠され彼を信じた者には開示されるその秘儀とは、この霊的に全うした実態として次の永遠の世界への招かれるのである。・・・