伊藤さんは真面目な人柄です。控え目と言いますか大人しい性格が地味な風貌と合わせて 目立たない存在となっていました。 容姿は普通…コツコツやる頑張り屋さんでした。
これは結果論でしたが、田川部長はオーソドックスにアタックしていたら多分願望を達していたのじゃあないでしょうか。
その証拠に同僚の女性社員からの話ですと、伊藤さんは田川部長に少し気があったように見えたそうです。
そうとも知らない田川部長は【策士、策におぼれる】を地で行ったのでありました。これが△△課長なら空気を読んで作戦を切り替え普通にアタックして成就していたでしょうね。要は経験・センスの差がでました。
ある日伊藤さんは些細なチェック項目を確認せずに事務処理を行いました。このレベルは以前田川部長に確認した時に
『伊藤さんが判断して下さい』と了承を取っていたからです。
しかし事は意外と大きかったのでした。
つまり納期遅れを招いたのでした。 発注数量の間違いでした。問題となった製品は二か月の時間を要します。発覚した時には既に二週間しかありませんでした。お得意先は前述のM電器です。部内は騒然としました。部内の売り上げの比率が取り引き開始以来猛烈に上がっていて今期の業績を左右しかねないくらいになっていたからです。田川部長は早速荏原へと走りました。
ミスとは言えないくらいの事が甚大な損害になりそうな雰囲気でした。当然伊藤さんは蒼然とするしかありません。泣くにも何がなんだか判らなかったのでしょう。幸いな事に部内では伊藤さんを責める雰囲気は全くありませんでした。むしろ『どうしてこんな騒動になったのかな?』 と皆首をひねっていました。
この業界では発注は三重(さんじゅう)に行うのが常識化されていました。つまり誤発注や見落としを未然に防ぐ為でした。それが今回に限り一度きりだったのでした。
それでもやはりお客様第一ですから表立てて言う者はいませんでした。 新しいお得意でしたから誰も詳しいことが判らなかったのでしょう。
翌々日田川部長が帰社しました。
納期は何とか間に合う事で治まった様子でした。
別の工場に無理を言って間に合わせたのでした。
これにて一件落着♪
…ここで何もなかったら『さすが田川部長!』となったのでしょう(笑)しかし田川部長は次の作戦に移っていたのでした。
ちょうどM電器の購買課の担当者が京都に来ました。 あまりの好タイミング…こりゃ△△課長の差しがねでしょうね(笑)
田川部長は担当者に会いに行く準備を済ませ、いよいよ作戦実行です。 『伊藤さんちょっと…』
『はい』
予め同行を指示されていた伊藤さんは席を立ちました。スラリとした後ろ姿が田川部長の席まで進みました。
『じゃあ行こうか!』さすがの田川部長も伊藤さんの顔を正面には見られませんでした。 その時『部長、円山本部長がお呼びですが…』
『えっ!』
円山本部長は田川部長の上司、次期役員と周知の認める切れ者…高辻役員の懐刀です。
『はは~ん今夜のM電器の件だな』田川部長は思いました。納期のトラブルは回避できた が今後の事もあるのでその点の注意かな?
あるいは円山本部長も顔を出すと言うつもりなのかな。
『ちょっと待っていてね』伊藤さんに告げると田川部長は本部長室へと向かいました。
『失礼します』
『はい!どうぞ』 本部長室は六畳くらいの役員室の隣りにありました。 円山本部長は最近役員待遇に昇格していましたから狭くても個室となります。
部屋には大きな机がひとつあるだけ…鞄や書類が無造作におかれていました。
その真ん中に円山本部長は書類に目を通していました。
『あの田川ですが…』
『ああちょっとまってや』関西出身円山本部長は人懐っこい笑顔と柔らかな関西弁が部下からも慕われている好人物でした。 しかしこの場合は違いました。 普段ならこんな時も『ごめんやで』と笑顔で答えるのが、素面です。
沈黙が部屋に流れます…
何か言おうとした時でした。『コンコン♪』外からノックです。
『ああ悪いけど後にして…』ドア越しに円山本部長は返事しました。
『はい!』聞き覚えのある声が去って行きました。
『今の誰だっただろ…』ぼんやり考えていたら、円山本部長の声がしました、
『待たせたね』
いつになく険しい顔つきで円山本部長は言いました。 どうしたんだろう?
『田川部長今夜のM電器の件やけど藤沢課長と亀山部長に行ってもらうよ』
『えっ』何を言われているのかわかりません。 M電器は自分の担当なのだ。藤沢はその下だからまだしも亀山なんか関係ないだろ!
『田川部長…』
言葉を切った円山本部長はじっと見詰めました。
何なんだ…何なんだよ!叫びたいくらい円山本部長からプレッシャーが掛かってきました。
『明日から東京に行ってもらうで』『とうきょう?』反芻する田川部長を無視したように円山本部長は続けます。
『全部バレてるから言い訳は利かんよ』
『一体何が…』つぶやくのが精一杯だった。顔から冷たい汗が吹き出していました。それを見た 円山本部長は顔を歪ませ…
『あほしたな! △△さんが一昨日馘になったんやぜ』田川部長の顔から吹き出した汗が流れ落ちました。
『すみません~』
情けない声が一筋出たのが田川部長の最後でした。
M電器の納期トラブルは内密に調査されていたのです。相手先には高辻役員が、急ぎを受けた工場には円山本部長かそれぞれに赴き事情を調べたのでした。 それで△△課長と田川部長の出来レースと判明したのです。工場はなんと二月前から依頼を受けていたのも判りました。
ただ何の目的でこんな納期遅れを捻出したのか始めは見当がつきませんでした。ところがその前に△△課長の社内不倫が露呈しました。解雇を自己退社にするのを条件にM電器の役員が問詰めたところ田川部長からの依頼と判明し連絡を貰って驚いた高辻役員が円山本部長と相談役した結果
未遂と終わった田川部長は左遷、代わりに亀山部長を引き継がせたのでした。
田川部長は肩を落として…それは傍目に見ても気の毒なくらいの落ち込み様でした。
待たされていた伊藤さんはまさか自分を罠に掛けようとした悪人とは知らずに田川部長に
『大丈夫ですか』 と気遣っていたそうです。
田川部長は願望よりいつの間にか途中のプロセスに酔ってしまったのではないでしょうか。だって①のところでアタックしていたらまぁ男の願望を達していたかもね…
田川部長はその夜最終の新幹線で東京へと帰るつもりで駅に来ました…
驚いたことにその上りホームに伊藤さんが来ていたのです。 田川部長がその姿を見つける伊藤さんが笑顔で会釈しました。なんてことなんだ。田川部長は無性に涙が出て来ました。『ありがとう、ありがとう、ありがとう』田川部長は何度も繰り返しお礼を言いました。『お元気で…』伊藤さんもいつの間にか涙声に変わっていました…
これは結果論でしたが、田川部長はオーソドックスにアタックしていたら多分願望を達していたのじゃあないでしょうか。
その証拠に同僚の女性社員からの話ですと、伊藤さんは田川部長に少し気があったように見えたそうです。
そうとも知らない田川部長は【策士、策におぼれる】を地で行ったのでありました。これが△△課長なら空気を読んで作戦を切り替え普通にアタックして成就していたでしょうね。要は経験・センスの差がでました。
ある日伊藤さんは些細なチェック項目を確認せずに事務処理を行いました。このレベルは以前田川部長に確認した時に
『伊藤さんが判断して下さい』と了承を取っていたからです。
しかし事は意外と大きかったのでした。
つまり納期遅れを招いたのでした。 発注数量の間違いでした。問題となった製品は二か月の時間を要します。発覚した時には既に二週間しかありませんでした。お得意先は前述のM電器です。部内は騒然としました。部内の売り上げの比率が取り引き開始以来猛烈に上がっていて今期の業績を左右しかねないくらいになっていたからです。田川部長は早速荏原へと走りました。
ミスとは言えないくらいの事が甚大な損害になりそうな雰囲気でした。当然伊藤さんは蒼然とするしかありません。泣くにも何がなんだか判らなかったのでしょう。幸いな事に部内では伊藤さんを責める雰囲気は全くありませんでした。むしろ『どうしてこんな騒動になったのかな?』 と皆首をひねっていました。
この業界では発注は三重(さんじゅう)に行うのが常識化されていました。つまり誤発注や見落としを未然に防ぐ為でした。それが今回に限り一度きりだったのでした。
それでもやはりお客様第一ですから表立てて言う者はいませんでした。 新しいお得意でしたから誰も詳しいことが判らなかったのでしょう。
翌々日田川部長が帰社しました。
納期は何とか間に合う事で治まった様子でした。
別の工場に無理を言って間に合わせたのでした。
これにて一件落着♪
…ここで何もなかったら『さすが田川部長!』となったのでしょう(笑)しかし田川部長は次の作戦に移っていたのでした。
ちょうどM電器の購買課の担当者が京都に来ました。 あまりの好タイミング…こりゃ△△課長の差しがねでしょうね(笑)
田川部長は担当者に会いに行く準備を済ませ、いよいよ作戦実行です。 『伊藤さんちょっと…』
『はい』
予め同行を指示されていた伊藤さんは席を立ちました。スラリとした後ろ姿が田川部長の席まで進みました。
『じゃあ行こうか!』さすがの田川部長も伊藤さんの顔を正面には見られませんでした。 その時『部長、円山本部長がお呼びですが…』
『えっ!』
円山本部長は田川部長の上司、次期役員と周知の認める切れ者…高辻役員の懐刀です。
『はは~ん今夜のM電器の件だな』田川部長は思いました。納期のトラブルは回避できた が今後の事もあるのでその点の注意かな?
あるいは円山本部長も顔を出すと言うつもりなのかな。
『ちょっと待っていてね』伊藤さんに告げると田川部長は本部長室へと向かいました。
『失礼します』
『はい!どうぞ』 本部長室は六畳くらいの役員室の隣りにありました。 円山本部長は最近役員待遇に昇格していましたから狭くても個室となります。
部屋には大きな机がひとつあるだけ…鞄や書類が無造作におかれていました。
その真ん中に円山本部長は書類に目を通していました。
『あの田川ですが…』
『ああちょっとまってや』関西出身円山本部長は人懐っこい笑顔と柔らかな関西弁が部下からも慕われている好人物でした。 しかしこの場合は違いました。 普段ならこんな時も『ごめんやで』と笑顔で答えるのが、素面です。
沈黙が部屋に流れます…
何か言おうとした時でした。『コンコン♪』外からノックです。
『ああ悪いけど後にして…』ドア越しに円山本部長は返事しました。
『はい!』聞き覚えのある声が去って行きました。
『今の誰だっただろ…』ぼんやり考えていたら、円山本部長の声がしました、
『待たせたね』
いつになく険しい顔つきで円山本部長は言いました。 どうしたんだろう?
『田川部長今夜のM電器の件やけど藤沢課長と亀山部長に行ってもらうよ』
『えっ』何を言われているのかわかりません。 M電器は自分の担当なのだ。藤沢はその下だからまだしも亀山なんか関係ないだろ!
『田川部長…』
言葉を切った円山本部長はじっと見詰めました。
何なんだ…何なんだよ!叫びたいくらい円山本部長からプレッシャーが掛かってきました。
『明日から東京に行ってもらうで』『とうきょう?』反芻する田川部長を無視したように円山本部長は続けます。
『全部バレてるから言い訳は利かんよ』
『一体何が…』つぶやくのが精一杯だった。顔から冷たい汗が吹き出していました。それを見た 円山本部長は顔を歪ませ…
『あほしたな! △△さんが一昨日馘になったんやぜ』田川部長の顔から吹き出した汗が流れ落ちました。
『すみません~』
情けない声が一筋出たのが田川部長の最後でした。
M電器の納期トラブルは内密に調査されていたのです。相手先には高辻役員が、急ぎを受けた工場には円山本部長かそれぞれに赴き事情を調べたのでした。 それで△△課長と田川部長の出来レースと判明したのです。工場はなんと二月前から依頼を受けていたのも判りました。
ただ何の目的でこんな納期遅れを捻出したのか始めは見当がつきませんでした。ところがその前に△△課長の社内不倫が露呈しました。解雇を自己退社にするのを条件にM電器の役員が問詰めたところ田川部長からの依頼と判明し連絡を貰って驚いた高辻役員が円山本部長と相談役した結果
未遂と終わった田川部長は左遷、代わりに亀山部長を引き継がせたのでした。
田川部長は肩を落として…それは傍目に見ても気の毒なくらいの落ち込み様でした。
待たされていた伊藤さんはまさか自分を罠に掛けようとした悪人とは知らずに田川部長に
『大丈夫ですか』 と気遣っていたそうです。
田川部長は願望よりいつの間にか途中のプロセスに酔ってしまったのではないでしょうか。だって①のところでアタックしていたらまぁ男の願望を達していたかもね…
田川部長はその夜最終の新幹線で東京へと帰るつもりで駅に来ました…
驚いたことにその上りホームに伊藤さんが来ていたのです。 田川部長がその姿を見つける伊藤さんが笑顔で会釈しました。なんてことなんだ。田川部長は無性に涙が出て来ました。『ありがとう、ありがとう、ありがとう』田川部長は何度も繰り返しお礼を言いました。『お元気で…』伊藤さんもいつの間にか涙声に変わっていました…