九月に入っても暑さは相変わらずの一日でした。兵庫工場から車で三十分程度に藤岡専務の実家はありました。田舎の典型的な集落の道筋にグリーン色の立て看板がずらりと並んでいました。 そう樒(しきみ)です。 午後一時出棺に合わせた大勢の人達が喪服で集まっていました。
藤岡専務…本社の本部長を昨年役停で終わられ傍系の専務に収まったところでした。
*役停…役職定年です。58才までに取締役又は取締役心得に昇進しなければ本社の役職から外れて子会社等の役員に転進します。つまり出世レースはここまでです(涙)
役停を過ぎたとは言え現職の強みですね。会社は勿論取引先関係者が引きも切らないほど集まっていました。実母の葬儀で忙しくしながらも、参列者の顔触れを眺めていて、『やっぱり現役じゃあないからなぁ』横で律義に畏まる妻に愚痴るのでした。 表の樒の膨大な列や供養品のおびただしさを見るにつけ夫の愚痴る意味がわかりませんでした。
『こんなに来てますよ…』妻は驚きました。
『だって私これだけのお葬式見た事無いわ…』
道路を挟んだ樒の列は百メートルは優にありましたから…
妻はその供養品に興奮気味でした。
何を驚いているんだよ。藤岡専務には過去に参列した同クラスの葬儀を思い返していました。
一流企業の本部長クラスなら、これ位、取締役ならこの規模、肉親の葬儀はある意味自分の社内の格付けでしたから。
数年前同僚の本部長の実父の葬儀がありました。規模としては似たり寄ったりでしたが、肝心なところが違いました。
当時小雪ちらつく田舎町に川中専務(当時)が黒塗りのクラウンで参列に来たのには驚きました。
会社の上司が部下の葬儀に来る、当たり前のようでも、こと専務となれば別でした。
しかもこんな不便な田舎まで…
参列者は皆一様に驚きました。そしてその本部長の社内の地位をグッと上げたのでした。 専務となれば自分が動けばどうなるのか、全て計算に建って動かれていますから、このパフォーマンスは予想通りの効果がありました。
自分だって…当時品質管理本部長だった藤岡専務はそう思いました。
それが幸か不幸か現役には葬儀を営むことはありませんでした。
そして今日、この葬儀…
弔辞に訪れる人達に追われながらも考えてしまうものがありました。
本社からは上役は来ず、同僚だった本部長クラスさえ弔電だけでした。喧騒の葬儀が終わり一息ついた藤岡専務は弔電を眺めていました。
『こんなの白々しいんだよ…』
弔電を投げ出すとコップのビールを飲み干しました。
『お母ちゃん…』 遺影に向かって見ても笑顔の母は何も言いません。
大正生まれの母は幼い時に両親に死に別れて成人になるまでは親戚のお手伝いを兼ねた奉公で過ごしました。成人となった時やはり貧困な家庭て育った親父と結婚しました。
藤岡専務は麦飯と白菜の煮物だけの食卓を今でも夢に見るそうです。
それでも頭の良かった父親は小学校だけの学歴を努力のかいあって会社に勤めるました。合間には小作を手伝いながら少しずつ田畑を買い足しました。頭が良く人望にも優れた父親は壮年期には村会議員の話もあったのですが、『わしみたいな家ではとてもお引き受けすることはできません』村には各家の格式が暗黙でありました。それで頑に拒んだようです。当時中学生だった藤岡少年はそれを障子一枚隔てた隣りで聴いていたのを鮮明に覚えているそうです。
藤岡専務…本社の本部長を昨年役停で終わられ傍系の専務に収まったところでした。
*役停…役職定年です。58才までに取締役又は取締役心得に昇進しなければ本社の役職から外れて子会社等の役員に転進します。つまり出世レースはここまでです(涙)
役停を過ぎたとは言え現職の強みですね。会社は勿論取引先関係者が引きも切らないほど集まっていました。実母の葬儀で忙しくしながらも、参列者の顔触れを眺めていて、『やっぱり現役じゃあないからなぁ』横で律義に畏まる妻に愚痴るのでした。 表の樒の膨大な列や供養品のおびただしさを見るにつけ夫の愚痴る意味がわかりませんでした。
『こんなに来てますよ…』妻は驚きました。
『だって私これだけのお葬式見た事無いわ…』
道路を挟んだ樒の列は百メートルは優にありましたから…
妻はその供養品に興奮気味でした。
何を驚いているんだよ。藤岡専務には過去に参列した同クラスの葬儀を思い返していました。
一流企業の本部長クラスなら、これ位、取締役ならこの規模、肉親の葬儀はある意味自分の社内の格付けでしたから。
数年前同僚の本部長の実父の葬儀がありました。規模としては似たり寄ったりでしたが、肝心なところが違いました。
当時小雪ちらつく田舎町に川中専務(当時)が黒塗りのクラウンで参列に来たのには驚きました。
会社の上司が部下の葬儀に来る、当たり前のようでも、こと専務となれば別でした。
しかもこんな不便な田舎まで…
参列者は皆一様に驚きました。そしてその本部長の社内の地位をグッと上げたのでした。 専務となれば自分が動けばどうなるのか、全て計算に建って動かれていますから、このパフォーマンスは予想通りの効果がありました。
自分だって…当時品質管理本部長だった藤岡専務はそう思いました。
それが幸か不幸か現役には葬儀を営むことはありませんでした。
そして今日、この葬儀…
弔辞に訪れる人達に追われながらも考えてしまうものがありました。
本社からは上役は来ず、同僚だった本部長クラスさえ弔電だけでした。喧騒の葬儀が終わり一息ついた藤岡専務は弔電を眺めていました。
『こんなの白々しいんだよ…』
弔電を投げ出すとコップのビールを飲み干しました。
『お母ちゃん…』 遺影に向かって見ても笑顔の母は何も言いません。
大正生まれの母は幼い時に両親に死に別れて成人になるまでは親戚のお手伝いを兼ねた奉公で過ごしました。成人となった時やはり貧困な家庭て育った親父と結婚しました。
藤岡専務は麦飯と白菜の煮物だけの食卓を今でも夢に見るそうです。
それでも頭の良かった父親は小学校だけの学歴を努力のかいあって会社に勤めるました。合間には小作を手伝いながら少しずつ田畑を買い足しました。頭が良く人望にも優れた父親は壮年期には村会議員の話もあったのですが、『わしみたいな家ではとてもお引き受けすることはできません』村には各家の格式が暗黙でありました。それで頑に拒んだようです。当時中学生だった藤岡少年はそれを障子一枚隔てた隣りで聴いていたのを鮮明に覚えているそうです。