藤岡部長の絶好調は続きました。昨日お話ししました後藤係長が人事部に抗議しましたが、人事部も実績が群を抜いた藤岡部長では強くは言えません。おまけにバックにはあの永田専務がついています。【虎の威を借りたキツネ】正に藤岡部長はそんな感じでした。そして営業で名を上げた藤岡さんは新潟工場長として永田専務からご指名を受けました。 たぶんこの辺りが絶絶頂期でした。
この時代は永田派であらずんば人であらず!それくらい一世を風靡していました。藤岡部長はその後新潟工場長として管理職に治まりました。これは次のステップに繋がる人事でした。つまりうちの会社(製造業)ですが営業もさる事ながらやはり工場の管理職が出世の道です。現場も知らずに経営が出来るか…これがこの会社の暗黙のルールでした。この新潟工場は最新の設備に受注が好調でした。その結果事業部全体の売り上げの二十%を上げていました。
…ここをうまく乗り継いでいけば、取締役つまり役員の席までいけるのです。
長い社歴の中で高校卒の役員誕生も目前となりました。
一方プレッシャーのキツい営業を離れて藤岡工場長はのびのびしてきました。元々工場育ちの藤岡工場長は現場の空気が性に合っていたのでしょうか。
周りのスタッフも本社の営業部長時代の噂を聞いていたので最初は戦々恐々としていました。ところが本来の人懐っこさが受けて直ぐに工場に打ち解けてしまいました。
…営業時代は大卒者から軽んじられないように背伸びしていたのでしょうか。言葉の端々にも行動にもピリピリしたものがありました。
『大卒に舐められてたまるか』
これが藤岡部長の口癖でした。
分からない専門用語は密かに勉強をしたといいますから…
大卒者もそんな藤岡部長を冷ややかな視線で見ていたのでそれに気がついた藤岡部長は開き直ったような振る舞いにでたのでした。
変わって新潟工場…
今も仲良く付き合っている社員や業者もほとんどがこの新潟工場時代の人達でしたから、本当に過ごしやすかったのでしょう(笑)
*新潟と言えば米所ですね(笑)お酒も美味い地酒があるし日本海からは海の幸また山の幸と美味しい物に恵まれた地域です。
衣食を足りて礼節を知る…
この新潟で藤岡工場長は人間的にも大きく成長しました。
…これは恐らく永田専務の配慮ではなかったでしょうか。
工場の運営を一通りマスターした藤岡工場長はそのあとは技術系の部長などにお任せしていました。
じょあ本人は? そうです。事業部の三割の売り上げを製造していましたから、従業員も二千人近くおりました。その関係で事故防止や福利に力を注いだのでした。
『この工場で働く者は皆家族なんだ』
豪快に見える藤岡工場長は実にきめ細かく社員の面倒を見ていきました。無論下請け(協力工場)にも手厚く対処したのは言うまでもありませんでした。
こうして鬼の藤岡は仏の藤岡と変わっていきました…
この時代は永田派であらずんば人であらず!それくらい一世を風靡していました。藤岡部長はその後新潟工場長として管理職に治まりました。これは次のステップに繋がる人事でした。つまりうちの会社(製造業)ですが営業もさる事ながらやはり工場の管理職が出世の道です。現場も知らずに経営が出来るか…これがこの会社の暗黙のルールでした。この新潟工場は最新の設備に受注が好調でした。その結果事業部全体の売り上げの二十%を上げていました。
…ここをうまく乗り継いでいけば、取締役つまり役員の席までいけるのです。
長い社歴の中で高校卒の役員誕生も目前となりました。
一方プレッシャーのキツい営業を離れて藤岡工場長はのびのびしてきました。元々工場育ちの藤岡工場長は現場の空気が性に合っていたのでしょうか。
周りのスタッフも本社の営業部長時代の噂を聞いていたので最初は戦々恐々としていました。ところが本来の人懐っこさが受けて直ぐに工場に打ち解けてしまいました。
…営業時代は大卒者から軽んじられないように背伸びしていたのでしょうか。言葉の端々にも行動にもピリピリしたものがありました。
『大卒に舐められてたまるか』
これが藤岡部長の口癖でした。
分からない専門用語は密かに勉強をしたといいますから…
大卒者もそんな藤岡部長を冷ややかな視線で見ていたのでそれに気がついた藤岡部長は開き直ったような振る舞いにでたのでした。
変わって新潟工場…
今も仲良く付き合っている社員や業者もほとんどがこの新潟工場時代の人達でしたから、本当に過ごしやすかったのでしょう(笑)
*新潟と言えば米所ですね(笑)お酒も美味い地酒があるし日本海からは海の幸また山の幸と美味しい物に恵まれた地域です。
衣食を足りて礼節を知る…
この新潟で藤岡工場長は人間的にも大きく成長しました。
…これは恐らく永田専務の配慮ではなかったでしょうか。
工場の運営を一通りマスターした藤岡工場長はそのあとは技術系の部長などにお任せしていました。
じょあ本人は? そうです。事業部の三割の売り上げを製造していましたから、従業員も二千人近くおりました。その関係で事故防止や福利に力を注いだのでした。
『この工場で働く者は皆家族なんだ』
豪快に見える藤岡工場長は実にきめ細かく社員の面倒を見ていきました。無論下請け(協力工場)にも手厚く対処したのは言うまでもありませんでした。
こうして鬼の藤岡は仏の藤岡と変わっていきました…