寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

選ばれし者(六)

2010年09月24日 10時24分07秒 | 日記
周りが苦労して通した課長職…藤岡課長はそんなことも気がつかず有頂天になっていました(笑)
地方工場で採用試験を受けた者は一生涯掛かかって係長まで到達するのが精一杯でした。 普通は班長や組長が関の山でしょう。それが四十代での課長です。天狗にならない方が不思議なくらいです。元来鼻っ柱の強かった藤岡課長は、事あるごとにその低い鼻を蠢かしては『大卒なんてたいしたことないじゃあないか』と嘯(うそぶ)いていました。
確かにこの年代で大卒者ですら課長は余程の優秀者でした。それが地方採用(つまり高校卒)が課長ですから(笑) 会社始まって以来の快挙(愚挙)でした。
大卒の部下を手足の様に使い回して彼は意気揚々としていました。
当時業界は右肩上がりで彼の業績は時運にも乗って益々好調でした。
たぶん彼の生涯で一番輝いていたのではないでしょうか。
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選ばれし者(五)

2010年09月23日 16時24分33秒 | 日記
課長昇級試験の結果を審議会で議論となりました。
普段実績抜群な藤岡係長は苦手な論文で足を掬われました。
それはお話にならないくらいの幼稚な文書でした。
これが永田本部長の肝煎りじゃあ無かったら簡単に落ちたことでしょうね。
審議官たちは自分の保身と兼ね合わせて考えていました。
悩んだ挙句一人の審議官が出した案は妙案と言いますか…実にバカバカしい提案でした。 『期限つき!』
『そうです。三日間の期限を設けるのです』
試験は当日時間を決めてやるものです。それを家に持って帰ってやりなさい…とは…
あまりの破天荒な話しに全員があんぐりしてしまいました。
『こんなの試験じゃあないぜ』一人がせせら笑いながら言いました。
確かに他の人に知られたらどうするんでしょうか(笑) 『じゃあ他にあるのかい?』提案した審議官はなじるように言い放ちました。
これには他の四人はダンマリです。 嗚呼(ああ)こうして厳正な?昇級試験は八百長試験と成り下がりました。
おまけに『いいか!この話はこの場限りだからな』
一人が念を押すまでも無く特例として処理することになりました。
一人の審議官がつぶやきました…『こんな事恥ずかしくて話せるものか!』こんな具合で藤岡係長は見事課長に昇級したのでありました(笑)
それから数年後部長に昇級する機会があった時には又々すったもんだがありましたが、それはさておいて…
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選ばれし者(三)

2010年09月22日 07時14分36秒 | 日記
役職の昇級試験は面接と筆記ですね。これを聴いて藤岡係長(当時)は顔をしかめました(笑)
『大体課長にしてやる、と言いながら試験とは何ごとだ!』顔を真っ赤にして怒ったそうです。 ただし誰もいない場所で…(笑)
彼が怒るのも無理のない話しで、この筆記試験で彼は再試験となったのでした。
元々試験とは名ばかりで形式的なものでした。つまりあるテーマについて論文形式で記述(作文です)します。それも予めテーマは決まっています。おまけにテーマを題材にした講習がありました。
講習を聴いて丸写し(笑)でもいいし、アレンジして書けば充分でした。 *一流企業として社会的に見劣りしないような管理職 を作っている…
一種の自負と気位の高さを感じますね(笑)なんか無駄とも思えますが…笑)
そもそも藤岡さんみたいなタイプは中小企業の営業部長がお似合いだったのかも知れませんね(笑) 理屈じゃあないよ、これだよ、これ!…腕を擦る仕草が似合う人でした。
小柄でもガッチリした身体中から漲(みなぎ)るパワーを発散さていましたから(笑)
それが机の前に畏(かしこ)まって座った姿は皆の失笑をかっていました…
再試験になった経緯は、誤字脱字、文法の間違い…等々幼稚園児が書いたかと思うような字体云々…
審査をした担当者が唖然としたのは言うまでもありませんでした。
本来なら形だけの 審査会が二時間以上掛かりました。 *普通なら三十分程度でお開きになるのです(笑)
審査会は審議に二時間も掛けたのは何と言ってもあの永田本部長の肝煎りの藤岡係長だったからです。
『おい、どうする?』『どうするって…』『どう見てもだめだぜ(笑)』 『話にならんなぁ』『そうだよな…』 5人の審査官は皆駄目だよ。と思っていました。
『しかしなぁ…』 一人が溜め息を吐きながらいいますと、一同言葉がありません。
永田本部長は来月から取締役に昇進が決まっていました。草深い地方工場から見出だされた藤岡係長は正に永田本部長の子飼いの部下でした。人一倍好き嫌いの激しい永田本部長にこれだけ目を掛けられた人もいないくらいに藤岡班長は可愛がられたのでした。そして藤岡係長は見事期待に応えて実績を上げて行きました。 来月の永田本部長の取締役昇進と藤岡係長の課長昇級をダブル昇進としたかったのでしょう、今回の課長昇級は永田本部長からの直々の推薦がありました。
…そんな曰(いわ)く付きの懸案でした。
審査会は続きました。問題は審査会の誰が不合格と申渡すか… いやその前に誰が永田本部長に報告をするか、でした。審査会のメンバーは皆が定年前の役停者でした。これは大きな問題です。あと数年すれば迎える定年後の事を考えなければなりません。つまり定年六十才で終わるか会社が必要とすれば延長も有ります、お情けで関連会社への移籍もあるからです。
全ては今後の働き次第(働きの査定は永田取締役)となっていました。
つまりこれは藤岡係長が課長に相応(ふさわ)しいかどうかよりも各自身の将来の問題に変わっていたからです。
長い沈黙と吐息の後に誰かがふと手を叩きました。
皆が顔を上げるとその審査官の一人は言いました。
『再試験だ ♪』
『?』四人の視線が集まる中でその男は言いました。 試験の論文は昇級資料として残るのです。勿論審査官の氏名も残ります。
後日役職者として問題があった場合さかのぼって昇級資料が問われる事も可能性としてはあるのです。
もし…藤岡課長に問題あり、となった時このままの昇級試験の論文が資料として残ってはまずいのです。
永田本部長の顔を潰さず、審査会の面目も保つ、おまけに審査官の身も守る、そう♪再試験しかありません。
『この際藤岡君にもう一度受けてもらおう』
『またかよ…』 『仕方ないじゃあないか、他によい方法があるのかい』『…いや』
『しかし再試験はよいとしてもあれじゃあ…』
再試験を言い出した審査官はこう説得しました。
『皆さん藤岡君は営業面では問題が無いことはご理解頂けると思います。』
皆はうなずくだけでした。
何か再試験での妙案があるのでしょう。
その審査官は他の審査官を見渡しながらこう言いました…
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選ばれし者(二)

2010年09月21日 12時18分54秒 | 日記
兵庫の山中にこの工場はありました。従業員五百人(関連会社、派遣含む)は中規模で藤岡専務の初めて勤めた思いでの工場です。
四十年前この地方は全く働く場所がありませんでした。幸いにも工場誘致がうまく行き工業高校を出た藤岡少年は迷わずこの工場に就職しました。
出来たての工場で彼は持ち前の明るさと積極性で頭角を現しました。
*出世に努力や頭の良さは勿論ですが、大事なのは積極性ですよ
タダの工員が努力したって班長が精々です。
課長や部長に認められたところで係長くらいでしょう。何百人居る中で目立たなきゃあ、だめでしょう(笑) 年に一二回来る役員にアピールしてこそ世界が広がってくるのですよ♪…
藤岡班長が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった永田本部長に見出だされたのは工場視察の時でした。 大学卒業のインテリ技術系を尻目に持ち前の積極性を出してアピールしましたところ、『元気で面白い奴だ』と取り上げられたのがきっかけでした。
『本社に来いよ』の一言が出世の糸口でした。
東京の本社で彼は慣れない営業に配属されました。
今でこそ大卒しか営業職は採用しませんが、当時はまだ高卒者の営業がいたのです…
工場よりも営業だー
永田本部長の目に狂いはありませんでした。
明るさと積極性を兼ね備えた藤岡はグングン成績を上げました。
主任(班長)→係長→課長→部長と見る見る出世をしていきました。
無論も永田本部長→取締役→専務とうなぎ登りでした。
勝馬に乗る!とはこんな具合ですね(笑)
事業部第三部営業部長これが藤岡さんの自慢できる役職でした。部下は全員大卒でした。『大学なんてたいしたことないよ』常々藤岡部長が口にしていた台詞でした。事実同期入社の中でもトップクラスの昇級でした。ただ難を言えば昇級試験でした。課長、部長と上がるにつけ試験が待っていたのでした。試験?皆さんは不思議に思われるでしょうが……試験には面接と筆記があります。面接は兎も角も、問題は筆記試験でした。
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選ばれし者…

2010年09月20日 11時39分39秒 | 日記
九月に入っても暑さは相変わらずの一日でした。兵庫工場から車で三十分程度に藤岡専務の実家はありました。田舎の典型的な集落の道筋にグリーン色の立て看板がずらりと並んでいました。 そう樒(しきみ)です。 午後一時出棺に合わせた大勢の人達が喪服で集まっていました。
藤岡専務…本社の本部長を昨年役停で終わられ傍系の専務に収まったところでした。
*役停…役職定年です。58才までに取締役又は取締役心得に昇進しなければ本社の役職から外れて子会社等の役員に転進します。つまり出世レースはここまでです(涙)
役停を過ぎたとは言え現職の強みですね。会社は勿論取引先関係者が引きも切らないほど集まっていました。実母の葬儀で忙しくしながらも、参列者の顔触れを眺めていて、『やっぱり現役じゃあないからなぁ』横で律義に畏まる妻に愚痴るのでした。 表の樒の膨大な列や供養品のおびただしさを見るにつけ夫の愚痴る意味がわかりませんでした。
『こんなに来てますよ…』妻は驚きました。
『だって私これだけのお葬式見た事無いわ…』
道路を挟んだ樒の列は百メートルは優にありましたから…
妻はその供養品に興奮気味でした。
何を驚いているんだよ。藤岡専務には過去に参列した同クラスの葬儀を思い返していました。
一流企業の本部長クラスなら、これ位、取締役ならこの規模、肉親の葬儀はある意味自分の社内の格付けでしたから。
数年前同僚の本部長の実父の葬儀がありました。規模としては似たり寄ったりでしたが、肝心なところが違いました。
当時小雪ちらつく田舎町に川中専務(当時)が黒塗りのクラウンで参列に来たのには驚きました。
会社の上司が部下の葬儀に来る、当たり前のようでも、こと専務となれば別でした。
しかもこんな不便な田舎まで…
参列者は皆一様に驚きました。そしてその本部長の社内の地位をグッと上げたのでした。 専務となれば自分が動けばどうなるのか、全て計算に建って動かれていますから、このパフォーマンスは予想通りの効果がありました。
自分だって…当時品質管理本部長だった藤岡専務はそう思いました。
それが幸か不幸か現役には葬儀を営むことはありませんでした。
そして今日、この葬儀…
弔辞に訪れる人達に追われながらも考えてしまうものがありました。
本社からは上役は来ず、同僚だった本部長クラスさえ弔電だけでした。喧騒の葬儀が終わり一息ついた藤岡専務は弔電を眺めていました。
『こんなの白々しいんだよ…』
弔電を投げ出すとコップのビールを飲み干しました。
『お母ちゃん…』 遺影に向かって見ても笑顔の母は何も言いません。
大正生まれの母は幼い時に両親に死に別れて成人になるまでは親戚のお手伝いを兼ねた奉公で過ごしました。成人となった時やはり貧困な家庭て育った親父と結婚しました。
藤岡専務は麦飯と白菜の煮物だけの食卓を今でも夢に見るそうです。
それでも頭の良かった父親は小学校だけの学歴を努力のかいあって会社に勤めるました。合間には小作を手伝いながら少しずつ田畑を買い足しました。頭が良く人望にも優れた父親は壮年期には村会議員の話もあったのですが、『わしみたいな家ではとてもお引き受けすることはできません』村には各家の格式が暗黙でありました。それで頑に拒んだようです。当時中学生だった藤岡少年はそれを障子一枚隔てた隣りで聴いていたのを鮮明に覚えているそうです。
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