私が搭乗する訳ではありません。海外在住の日本人を捜して旅する例の番組(注)の録画を昨晩再生しましたが、女性タレントが上画像の空路(直行便)ではなく現地人の言うままにバスで目的地に向かおうとしているシーンに「ああ、またか」と思ってしまったのでした。(注:最近は月1の3時間スペシャルとして放送されていますが、4ヶ国全部はしんどいし寝る時間がなくなるので「らく早見」(CMカット&1.3倍速) 再生に加えて中南米ともう1ヶ国だけにしています。とくに傍若無人ぶりが目に余る男が登場するアフリカ編は迷わず飛ばします。)たぶんこのルートだったのでしょう。
ただしメデジン(Medellin)は以前何かの番組で観たことがありますが大都会(コロンビア第2の都市、人口は先週訪れた名古屋以上)。空路で行けないはずがない。それどころか、国際空港があり上のようにボゴタを経由せずに入ることだって可能。NYからも直行便が飛んでいるようです。(どの国であれ首都から撮影を始めるのが暗黙のルールなんでしょうね。)一緒に観ていたLindaは "Ridículo."(馬鹿げてる)と一言。(たぶんラパス→サンタクルスの陸路移動を想像して反射的に「アホちゃうか」と思ったのでしょう。余談ながら私が大昔にボリビアとエクアドルを旅した時の国内移動は全て飛行機でした。もちろん時間節約になるし、そんなに高くありませんでしたから。)
これが陸路交通網の整備された日本ならもちろん話は違います。東京→大阪を新幹線か高速バスで移動するのも十分アリでしょう。しかし、誰かが外国人旅行者に国道1号線その他を教えたとしたらそれは噴飯ものです。(これレンタカーなら可能でも路線バスじゃ繋がらないかも。達人の太川さんでも無理?)件のルートはさらに条件が悪い。山越えのクネクネ道に加え、深夜の到着は危険ということで途中の街で1泊していました。(この執筆中、あの番組でパラグアイがペルーや隣国ボリビアと比べて採り上げられる回数が圧倒的に少ない理由は「首都アスンシオンから地方都市へのバス移動に全くといっていいほどスリリングなところがない」からではないかと思い当たりました。)まあタレントさんももっとラクな交通手段の存在は知りながら(あるいは薄々感じていても)「これが仕事だから」と割り切っているんでしょうね。サブタイトルの「地獄のロードスペシャル」にも「わざわざ自分らでそういう状況を作り出しておいて何を・・・・」と言いたい気分でした。(ただし、同じ日のミャンマー編で結果的にそうなったことは認めます。)
ちなみに過去放送されたペルー(アマゾン)編では洪水で橋が落ちたため陸路が不通となり、その時はしっかり空路移動していました。つまり空路はあくまで他に選択肢がない(さもないと収録が中止になる)場合の「非常手段」「最終手段」ということです。別にそれでも構いませんが、もし制作者が「どうせ視聴者にはわからないから」と思っているなら舐められたもんだし、たとえ一部でも視聴者に「○○○では大都市間を移動するにも未だこんな方法しかないんだ」と誤解されてしまうとしたら、その国の人にとっても不本意でしょう。(間接的に侮辱しているのでは?)それでも重大事故が発生して打ち切りになるまではあれを続けるんでしょうね(溜息)。
あともう一つ、人口250万人の大都市で「知り合いが日本人(しかもそれが捜している当の人物)と同じ所に住んでいる」という人間に公園で「たまたま」出会うというのは今年29連勝の偉業を達成した藤井聡太四段も真っ青の「僥倖」ではないでしょうか? というか、私の目には「限りなく怪しい」としか映りませんが・・・・(コロンビアでは9月現在で青年海外協力隊員とシニア海外ボランティアを合わせて45人のJICAボランティアが活動しており、おそらくメデジンにも何人か入っているはず。予備知識なしの聞き込みなら確率的にはそちらの情報を教えられる方が高そうに思えてなりません。)とはいえ証拠はありませんから、体当たりロケで一躍有名になった某局ディレクターT氏のように速攻で「はい、ヤラセ認定」と決め付けることは控えておきましょうか。
それにしても毎回観ていながらこれほど文句の多い人間もそうはいないだろうと自分でも思います(苦笑)。
昨日編集画面に入ってビックリ。言うまでもなく27日のアクセスの多さにです。これまで閲覧数(PV)が4桁に乗ったことは一度もなし。それどころか2桁止まりの日が圧倒的に多く、3桁到達は稀でした。(最多でも300ちょっとだったっけ?)ブログ開設から一昨日まで(809日間)の1日平均を計算してみたら約56.3PVでしたので、1583というのは28日分に相当します。アクセス解析の無料お試し期間がまだ残っているのでブラウザリストを見たところ・・・・・
これまではクローラー(ロボット型検索エンジン)のBingbotとGooglebotのどちらかが1位になることがほとんどでしたが、ブラウザのChromeがデスクトップ、モバイルともに(クローラーを除いて)2/3を占めてダントツとは! 訳が解りません。またクローラーのうちBingbotは前日(26日)の48PVから微減ですが、Googlebotは8PVからの大激増。突如としてこんな頻繁に出入りするようになったのはなぜ? ちょっと気持ち悪いです。
追記
今見たところ翌28日は3桁に戻っています。平常通りと言うべきか。ただしブラウザ別比率(クローラー除く)はInternet Explorerの6.xと11.xを合わせてデスクトップが72%、モバイルが92%と大きく様変わり。何なんでしょうか?(なお無料お試し期間は今日までなので、これ以上の追跡調査は不可能です。どうでもいいことですけど。)
没必至
2017-09-22 | 番外
職場自室のドアに貼っているパラグアイの地図です。2年半ほど暮らしていた先住民の村の位置に蛍光緑色のピンを刺しています。
私が住んでいた家のあった場所はここですが、Googleマップ上にマチャレティ(Macharety)という村の名前はなし。上の紙の地図にも載っていません。50世帯程度の小さな集落ですから無理もありません。(ところで本ブログでは地図上の位置を示す際のリンクとして短縮URLを使っていますが、大丈夫なのでしょうか? 先日ニュースで知った短縮URLサービスの終了によるリンク切れはGoogleマップとは別件のようですが。)
実は海外に住む日本人を訪ねる例のテレビ番組を観ていた時、「もし当時この番組があったとして(あるいは今私があそこに住んでいるとして)日本から来たタレントは自分の家までちゃんと辿り着けるだろうか?」と想像してちょっと笑ってしまったのでした。
首都アスンシオンと村の位置関係を改めて示すとこんな感じ(北東に約500km)です。成田空港から2〜3箇所を乗り継ぎながら40時間前後かけてアスンシオンに降り立ったタレントさんは、まず人通りの多い場所(市場や中心街)で「マチャレティってどこにありますか?」と訪ねることになるでしょう。が、おそらくは誰も彼も「知らないね」で先に進めないはずです。
なぜなら面積的に60%を占めるパラグアイ西部(チャコ地方)は人口比率では2%にも満たない超過疎地域。その事情に詳しい(地図に載ってない村の存在まで知っている)人間に首都で出会える確率は極めて低いからです。(あっさり判ってしまうようなら躊躇なく「ヤラセ」と認定させてもらいます。)
もし「マチャレティなら知ってるよ」という人が現れても要注意。ボリビア東部にある同名の(ただし綴りは少し異なる)村を教えられる可能性が高いです。そちらの方がずっと大きな村で紙の地図の端っこにも載っています(下画像)。位置関係はこうですが、パラグアイの方と同じく首都から北西方向にあるのが厄介。間違ってそっちへ行ってしまったらえらいことです。ちなみに今はボリビアまで抜けられる長距離バスも走っているようなので(ガチンコ番組なら)絶対にそうならないとは断言できません。(なおパラグアイのマチャレティに住んでいた人もルーツはボリビアにあると聞きました。彼らがラグナ・ネグラ (黒い沼) という名前の土地に移り住んだ際、先祖代々の村名をそのままサブタイトルに採用したとのことですが、どういう訳か語尾が“i”から“y”に変わってしまったようです。)
ここでスタッフが助け船を出して近くのフィラデルフィア(ドイツ系居住地)までは来られたとしましょう。(首都のバスターミナルから夜行バスで6時間です。)が、そこから村まで(片道約50km)の足がありません。徒歩だと10時間ほどかかるため論外。
村とフィラデルフィアの間には週に一往復(金曜夜村を出て月曜朝にフィラデルフィアを出発)のトラクター便があり、私も買い出しのためそれを利用していました。が、運良く日が合ったとしても大きな荷台に山ほど積まれた日用品や村人達とともに埃まみれになりながら片道3時間強の旅を耐えられるようなタレントがいるとは思われません。(万一いたら頭を垂れて最敬礼します。)
ならば再び夜行バスに乗って次の大きな町(軍の基地の所在地)に向かう国道(Ruta Transchaco)の途中で降ろしてもらい、そこから約7kmを歩くというのはどうか?(Googleマップのデータには家の前の道は登録されていないらしく、途中までしか経路が表示できませんね。)ですが、毒蛇やジャガーと遭遇する恐れもある夜道を歩くのは到底お勧めできません。(満月の夜ならアリかも。私が一度だけ歩いた日がそうでしたが、その月の明るかったこと!)今は昼もバスが走っているかもしれませんが、乾期には軽く40℃を超える炎天下の徒歩も危険。
ということで車をチャーターして来る他ないでしょう(注)。1時間あれば余裕です。そして村に入ったら私を知らない人間はいないので1分足らずで家の前まで送り届けてもらって終わり。(敷地内まで車は入れます。)これでは映像になりませんね。ということで、せっかく撮影をしてもお蔵入りは必至。いや、それ以前にオファーすら来ることはないというのが今回の結論でした。(注:ここで思い出しましたが、フィラデルフィアでは1台もタクシーは走っていませんでしたし、レンタカー会社も見ませんでした。観光地ではありませんからね。となるとヒッチハイクで国道との分岐点まで連れて来てもらい、あとは先述のバスと同じく歩きというのがまだしも現実的ではないかという気がしてきました。ただし、あの町のドイツ系住民は宗教上の理由で迫害されて南米の僻地に流れ着いた連中ゆえ性格は超閉鎖的。頼んでも同乗させてくれる可能性は低かったはずです。そして先住民はバイク所有がやっとで車はほとんど誰も持っていませんでした。それから上の画像はJICA専門家御一行が物見遊山で来た時のものですが、彼らはアスンシオンで車を手配していました。バックパッカーでない限りは当然そうしますわな。ますますダメだこりゃ。)
もしLindaと私が海外のどこかに居を構えたとしたら番組として十分成立するであろうことは請け負いますが・・・・その日まであの番組はきっと持たないでしょうね。ネタが尽きるか、それともヤラセがバレて突如打ち切りになるかして(おいおい)。
おまけ
私と同じく元JICAボランティアで現在ボリビア在住の方が先日ご自身のフェイスブックに「『こんな所に』は協力隊は外したほうがいいね。ただの2年の短期駐在だし…。」と書かれていたので、「まさに我が意を得たり」と思った私はコメントを書き込みました。(今回も使い回しさせてもらいますが、ボリビアでその方と面会した時の日記でも件の番組にイチャモンを付けていました。ついこの前もそうでしたが、空路で楽に行ける場所なのにわざわざ陸路を使わせる(注)という「水増し商法」など過剰演出の数々には感心できませんねぇ。(注:自腹で旅しているのでなければ真っ先に空路移動を考えます。私に限らずそれが分別のある人間のすることでしょう。)「タレントの珍道中を見て笑うための番組なんだから」と言われてしまえばそれまでですけど。)今週放送分でも現役隊員さん(ソロモン諸島派遣の女性)が紹介されていましたが、タレントが出会ったばかりの若者(私はだいたい途中で協力隊員と判ってしまいます)に「どうしてこんな所に来たの?」と訊いているのを見たら興醒めせずにはいられません。彼/彼女らは決して自分達が望んだからではなく「あなたはここへ行きなさい」と命令されて来たに過ぎないのですから。青年海外協力隊を志望する者は基本的に(ごく少数の例外を除いて)任地はおろか派遣国も選べません。願書に希望だけは書けますけど。ちなみに私は同じ職種(食用作物)の中で最も興味があったネパールを記入しましたが、見事無視されました。そして南米希望者がネパールへ行くことになったと後で知りました。何ともイケズな真似を!(真偽不明ですが、希望国をわざと外すことで候補者の「本気度」を見ようとしている、という話を聞いたことがあります。)まあ、そのお陰で今こうしてLindaと暮らすことになっている訳ですが。
おまけ2(しつこい)
アスンシオンからサンタクルスまで直通バスが走っていますから、途中下車してボリビアの元祖マチャレティを訪れることは可能でしょう。ただしGoogleマップの推定所要時間18 時間 34 分(マチャレティまでなら12 時間 49分)は絶対に信じてはなりません。この逆ルートについて過去の日記に書いたことがありますが、大遅延の憂き目にあった旅行者が複数いるようですから。また昨年乗車された方のブログには「南米一の悪路」とまで書かれていました。(ついでながら「南米一(世界一?)危険な道」についてはこちらで触れています。アフリカでは文句ばっかり垂れているあの男も以前そこを通るバスに乗ったと先日知り、少し見直しました。さすがにこの前のボリビア編に登場した女優さんは回避して空路移動でしたが賢明です。)もっともテレビ的にはその方が盛り上がるんでしょうけどね。行き先間違えるは酷い目に遭うはとなったら。
先週土曜日に録画しておいたメイドインジャパンという番組(再放送)を一昨日再生したのですが、最後まで観ることは不可能でした。日本製品(電動アシスト自転車、マッサージチェア、シャワートイレ、他にお菓子などお土産の数々)を贈られた現地の人達が揃いも揃って「日本(の製品・技術)はすごい(わ)ねぇ」と誉め称えるのを耳にして、もちろん悪い気はしなかったものの、あまりに大袈裟な礼賛コメントの連発には恥ずかしさと気持ち悪さをこらえることができなかったからです。
ここからは先月ブックオフで買った鴻上尚史著「クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン」(講談社現代新書)を引きながら話を進めてみます。著者はNHK-BS1で2006年から放送されている "COOL JAPAN" の司会者を番組開始から続けています。
本のプロローグ(まえがき)には "COOL JAPAN" の司会を鴻上氏が引き受けることになった動機が書かれていました。
自分の生まれた国を全面否定する人と前面肯定する人が対立していましたが、どちらも現実を具体的に見ていないような気がしました。前面肯定と全面否定は、結局はコインと裏表で、抽象的な議論だけに終わっているんじゃないかと思ったのです。日本の良いところと悪いところを、日本人が願望や感情で決めるのではなく、外国人の具体的な言葉で知りたいと思いました。
相手を知り、自分の国のことを具体的に知ることは、やがて自分自身を知ることにつながるんじゃないかと思います。世界にはこんな見方があり、こんな考え方がある。多様であることを楽しむことは、きっと自分自身の人生も豊かにし、深くすることになるのです。
その番組については既に一昨年の日記で触れていました。ちなみにそちらには「普段は全くといっていいほど観ない」と書きましたが、Lindaの来日後は毎週のように (少女漫画とかアニメとかフィギュアなどの回はスキップしましたが) 二人で観ています。もっともあの番組で日本のことをすっかり分かった気になられても困るとは思っていますけど。)リンク先の過去の日記で取り上げた回に限らず、テーマによってはゲストの外国人から「理解できない」「ちっともクールじゃない」とボロクソに言われたりすることもありますが、賛辞一辺倒の番組よりははるかに健全でしょう。(本では農業高校の女子生徒たちが2年間手塩に育てた牛を出荷する前に記念撮影をしたりして別れを惜しんでいるビデオを観て、ゲストの外国人の多くは爆笑する、困惑する等の反応を示したというエピソードが紹介されていましたが、宗教が違うのですから我々としても「しゃーない」としか言いようがないでしょうね。「おまえらには慈悲というものがないのか!」などと文句を言うのは野暮というものです。)
今度はさらに長文引用で恐縮ですが、以下はエピローグ(あとがき)から。
「無気力肯定ビジネス」という言い方があります。「今のままでいい」「がんばらなくていいんだよ」「ありのままの自分を愛する」というようなタイトルの本と周辺の展開のことです。つまりは「あなたはあなたのままで素晴らしい」とささやくものすべてです。
この言葉は疲れた人の心に麻薬のように沁み込むでしょう。なにもしなくても素晴らしいということは、自分はそのままで最高だということです。こんなに感動的なことはありません。
じつは「日本人として誇りを持てた」という感覚は、この無気力肯定ビジネスに近いと僕は思っています。日本人であるということだけで、無条件で素晴らしいのなら、自分はなにもしなくてもよくなります。それはなんと甘美な状態でしょうか。けれど、少し考えれば、それはおかしなことだと気づくはずです。
世界はどんどんギスギスと不寛容になっていると書きました。不安が増してくると、自分が日本人である、ということだけでなにか素晴らしい存在になったと思い込みたくなるものです。
(この件に関して別ブログのコメント欄にもいろいろ書いていたのを思い出しました。そちらで引用させてもらった人(お坊さん)も鴻上氏と同じ意見をお持ちのようです。)
先に槍玉に挙げた番組のサブタイトルは「日本を誇りに思えるSP!」でした。なので日本製品を褒めちぎってもらわないことには話にならないと制作者は考えたのかもしれませんが、明らかに度が過ぎていました。もしあのような悪趣味な映像を観て「どーだ、やっぱり日本はすごい国だろう」と悦に入っている視聴者が大勢いたとしたら・・・・と想像して薄ら寒さを感じてしまった次第です。
そもそも誰かに褒めてもらわないと持てないような「誇り」なんて所詮はメッキでしょう。(もし貶されたら途端に自信喪失する、あるいは逆切れするのでしょうか?)そのネーミング自体があの番組の敗因ではないかとすら思いました。
もっとも件の番組に対しては昨年4月の初回放送時から批判も多かったようなので少しホッとしました。またネットのあちこちで見かけた「ヤラセ」「捏造」疑惑については確証がないため態度保留としておきますが、外国人の発言を忠実に訳しているかについては大いに疑問を抱きました。ついでながら以下は先週観た他局の番組の話ですが、外国人女性が一度も使っていない「大和撫子」が何度も字幕に出てくるのを目にして「どういう神経をしてるんだ?」と首を傾げずにはいられませんでした。こんな体たらくでは民放地上波が流すこの手の番組はどれもこれも底が浅いという印象を受けてしまうのも無理からぬところ。番組そのものだけでなく出演者の軽薄コメントが輪をかけているのですが・・・・・それに対してこの番組(BS放送)は結構気に入っており、昨夜の放送(ドイツ人のパン職人)も堪能しました。Lindaもあと10年ぐらい経って日本語が流暢になったらあるいは?(それまで番組が続いてないと思うけど。いや、その頃には移住してるか?)
本気?
2017-08-08 | 番外
これまで当ブログで何度か仄めかしていた日本からの逃亡&ボリビアへの移住ですが、かなり本気で書いていました。当然ながらLindaは祖国で家族と暮らしたいだろうし、私も状況次第では早期退職も辞さず、と思っていましたから。(もしそうなっても物価は日本よりかなり安いはずだから何とかなるさ、と楽天的に考えています。それゆえ毎年4月の新入生オリエンテーションでは自己紹介時に「私は将来南米に移住するつもりなので、皆さんが卒業する頃にはいないかもしれません」と言って笑いを取ってきました。それを聞いて同僚達は半分冗談と受け取りつつも「あの人のことだから、もしかして・・・・」と思ったことでしょう。なので、私が定年までここにいたら「行く行く詐欺」の誹りからは免れないでしょうね。)ところがところが、最近になって雲行きが怪しくなってきました。
コチャバンバでの結婚式(religión)のため2015〜16年の年末年始に滞在した際、寝泊まりしていたのはLindaと彼女の一番上のお姉さんの持ち家(ただし未完成)でした。(詳しくは訊いていませんが、もうすぐ85歳になるお父さんのいわば「生前贈与」のようです。)たしか1階は家族みんなでパーティーなどをするためのスペースで2階と3階がお姉さんの持ち物(居住空間)。その3階を私達は貸してもらっていました。
正確には思い出せませんが、中央の大広間がリビングと食堂で、それを囲むようにして夫婦の部屋、子供部屋(複数)およびゲストハウス(それぞれにトイレとシャワーが併設)、そしてキッチンがありました。
Lindaに与えられたのはその上で、4階の間取りはほぼ同じ。さらに少し狭いものの屋根裏もありました。一家が暮らすには十二分な広さといえます。(その家全体の写真も載せたかったのですが見つからず。で思い返してみれば、あまりに大きすぎてスマホのカメラでは収まらなかったため撮影を断念したのでした。地震がない所なので高い建物も結構簡単にできてしまうらしく、近所のあちこちで建築中の家屋を見ました。)
要は住むべき家も土地も既に確保されているということです。それも日本人の感覚からすると紛れもない「豪邸」が。(プールこそなかったものの、そこそこ大きな庭もあって果樹がたくさん植えられていました。)内装に多少お金がかかるでしょうけど大きな問題ではありません。しかしながら・・・・・
日本在住が1年を過ぎた頃からLindaはボリビアには住みたくないと言い出したのです。その訳を尋ねてみたところ「ニューヨークでの生活にすっかり慣れてしまったため、久しぶり(約15年ぶり)に帰国しても自分の故郷という感じが全くしなかった」と「日本と比べたら治安がはるかに悪い」という二つが返ってきました。さらに現政権が社会主義的政策を推し進めているため、中産階級に属する彼女の一族がいろいろ不愉快な思いをさせられていることも少なからず影を落としているようです。それを聞いて私も考え込んでしまいました。ボリビアよりも一足先にそちらへと舵を切ったベネズエラでは大統領と議会の対立によって政治は機能不全に陥り、国民は食料品や医薬品など物資の窮乏に喘いでいます。あの国もいつかそうならないという保証はどこにもない。(ベネズエラ同様、憲法改正によって大統領の権限がどんどん強くなっているのが気懸かり。)
ということで他を探すとしたらスペインかな、とまず思い付きました。(かつて2年半過ごしたパラグアイ西部の村に戻るのは私の望むところですが、電気、ガス、水道なしの生活にLindaが耐えられないでしょう。私も今はしんどいかな?)バレンシアには彼女の甥一家が住んでいますし。が、どうせなら少し足を伸ばしてポルトガルはどうだろう、と考えました。物価はEU諸国の中でも屈指の安さという話ですし、たった3日の滞在(スペイン旅行のついで)や何度か観たテレビ番組からの印象ながら、気候も人々も穏やかそのもの(ネットには「スペインとは対照的」といった記載も)で住み心地は悪くなさそう。ついでながら同国の音楽も私の好み。もちろん言葉は覚えないといけませんが、当方は現時点でも一対一ならブラジル人と何とかコミュニケーションは取れますし、Lindaにとっても日本語よりは断然ラクでしょう。
とはいえ、彼女がいつか引っ越したいと言っているのも要は当地長浜の冬の寒さからの逃避が最大の理由なので、移住先が海外である必然性はなし。最近は「日本国内でも全然OK」と言っています。そうなると黒潮の影響で冬もそれなりに暖かそうな静岡、和歌山、高知、宮崎、鹿児島あたりが浮かんだのですが、それでも寒い時は寒いでしょうね。ならば残るは・・・・・
ということで来月早々に2人で現地視察へと赴くことになりました。(本気にしないで下さい。)
コチャバンバでの結婚式(religión)のため2015〜16年の年末年始に滞在した際、寝泊まりしていたのはLindaと彼女の一番上のお姉さんの持ち家(ただし未完成)でした。(詳しくは訊いていませんが、もうすぐ85歳になるお父さんのいわば「生前贈与」のようです。)たしか1階は家族みんなでパーティーなどをするためのスペースで2階と3階がお姉さんの持ち物(居住空間)。その3階を私達は貸してもらっていました。
正確には思い出せませんが、中央の大広間がリビングと食堂で、それを囲むようにして夫婦の部屋、子供部屋(複数)およびゲストハウス(それぞれにトイレとシャワーが併設)、そしてキッチンがありました。
Lindaに与えられたのはその上で、4階の間取りはほぼ同じ。さらに少し狭いものの屋根裏もありました。一家が暮らすには十二分な広さといえます。(その家全体の写真も載せたかったのですが見つからず。で思い返してみれば、あまりに大きすぎてスマホのカメラでは収まらなかったため撮影を断念したのでした。地震がない所なので高い建物も結構簡単にできてしまうらしく、近所のあちこちで建築中の家屋を見ました。)
要は住むべき家も土地も既に確保されているということです。それも日本人の感覚からすると紛れもない「豪邸」が。(プールこそなかったものの、そこそこ大きな庭もあって果樹がたくさん植えられていました。)内装に多少お金がかかるでしょうけど大きな問題ではありません。しかしながら・・・・・
日本在住が1年を過ぎた頃からLindaはボリビアには住みたくないと言い出したのです。その訳を尋ねてみたところ「ニューヨークでの生活にすっかり慣れてしまったため、久しぶり(約15年ぶり)に帰国しても自分の故郷という感じが全くしなかった」と「日本と比べたら治安がはるかに悪い」という二つが返ってきました。さらに現政権が社会主義的政策を推し進めているため、中産階級に属する彼女の一族がいろいろ不愉快な思いをさせられていることも少なからず影を落としているようです。それを聞いて私も考え込んでしまいました。ボリビアよりも一足先にそちらへと舵を切ったベネズエラでは大統領と議会の対立によって政治は機能不全に陥り、国民は食料品や医薬品など物資の窮乏に喘いでいます。あの国もいつかそうならないという保証はどこにもない。(ベネズエラ同様、憲法改正によって大統領の権限がどんどん強くなっているのが気懸かり。)
ということで他を探すとしたらスペインかな、とまず思い付きました。(かつて2年半過ごしたパラグアイ西部の村に戻るのは私の望むところですが、電気、ガス、水道なしの生活にLindaが耐えられないでしょう。私も今はしんどいかな?)バレンシアには彼女の甥一家が住んでいますし。が、どうせなら少し足を伸ばしてポルトガルはどうだろう、と考えました。物価はEU諸国の中でも屈指の安さという話ですし、たった3日の滞在(スペイン旅行のついで)や何度か観たテレビ番組からの印象ながら、気候も人々も穏やかそのもの(ネットには「スペインとは対照的」といった記載も)で住み心地は悪くなさそう。ついでながら同国の音楽も私の好み。もちろん言葉は覚えないといけませんが、当方は現時点でも一対一ならブラジル人と何とかコミュニケーションは取れますし、Lindaにとっても日本語よりは断然ラクでしょう。
とはいえ、彼女がいつか引っ越したいと言っているのも要は当地長浜の冬の寒さからの逃避が最大の理由なので、移住先が海外である必然性はなし。最近は「日本国内でも全然OK」と言っています。そうなると黒潮の影響で冬もそれなりに暖かそうな静岡、和歌山、高知、宮崎、鹿児島あたりが浮かんだのですが、それでも寒い時は寒いでしょうね。ならば残るは・・・・・
ということで来月早々に2人で現地視察へと赴くことになりました。(本気にしないで下さい。)
前にも書きましたが、今年2月から町の自治会役員(広報委員)をしています。業務は月2回発行の「広報ながはま」の配付(組長さんの家に必要部数を持って行く)で、その仕事自体は大したことがないものの、日曜夜に役員総会や評議委員会がしょっちゅう開催されるのには参ります。そのため南米礼拝に顔を出す回数も激減し、月1〜2度に留まっています。が、その数少ない参列機会における私の関わり方も以前とは違っています。
当初は聖書を持って行って該当ページを開いたりしていましたが、とくに心に訴えかけてくるような話は聴けなかったので、そのうちに止めました。また説教の通訳をされていた方が多忙のため来られなくなってからは、毎回何かのテーマについて母国語の異なるグループ(西語、英語、日本語)に分かれて議論するというスタイルに変わりましたが、これも最初の数回こそ西語グループの会話を聴いていたものの、やはりつまらないので抜けました。(今はその間持ち込んだ文庫本を読んでいます。)ここで開き直りですが、説教にしても議論にしても結局は「中にいる人」しか相手にしていないのだから、「部外者」の私が退屈と感じるのはむしろ当然ではないかと思うのです。
ということで、最近の礼拝では皆が祈っている時に自分も何かお願いしたくなったら心の中でこう言っています。
「Lindaが信じているらしい神様、もしいらっしゃるならどうか彼女をお守り下さい。」
(間違っても自分のことで頼み事はしません。曲がりなりにも仏教者ですから。)
ついでながら、私は少し前(数年前)からこんなことを考えるようになりました。(長いことああでもないこうでもないと考えた末でのことです。)
「自分は神(絶対者)がいてもいなくてもどっちでもいいような生き方をしよう」と。
後になって「神がいたからこうなってしまった」とか「神がいなかったからこうなってしまった」などと愚痴をこぼすような真似だけはすまい、とも思います。要は「自分の人生は自分で責任を取る」ということです。(月並みですが。)
これはドストエフスキーの小説(とくに後期の長篇)を読んで朧気ながら感じてきたことです。その登場人物のうち滅びへと向かっていったのは例外なく「どちらかに徹しきれなかった人間」と思われてなりませんでした。あと大きいのは同じくGooブログを運営されているお坊さん(禅宗)の影響でしょうね。(前にも何か書いていたなと思い当たって探してみたら2年前の同じく「番外」のコメント欄でした。なお明日も番外ですが、内容は全然違います。)
当初は聖書を持って行って該当ページを開いたりしていましたが、とくに心に訴えかけてくるような話は聴けなかったので、そのうちに止めました。また説教の通訳をされていた方が多忙のため来られなくなってからは、毎回何かのテーマについて母国語の異なるグループ(西語、英語、日本語)に分かれて議論するというスタイルに変わりましたが、これも最初の数回こそ西語グループの会話を聴いていたものの、やはりつまらないので抜けました。(今はその間持ち込んだ文庫本を読んでいます。)ここで開き直りですが、説教にしても議論にしても結局は「中にいる人」しか相手にしていないのだから、「部外者」の私が退屈と感じるのはむしろ当然ではないかと思うのです。
ということで、最近の礼拝では皆が祈っている時に自分も何かお願いしたくなったら心の中でこう言っています。
「Lindaが信じているらしい神様、もしいらっしゃるならどうか彼女をお守り下さい。」
(間違っても自分のことで頼み事はしません。曲がりなりにも仏教者ですから。)
ついでながら、私は少し前(数年前)からこんなことを考えるようになりました。(長いことああでもないこうでもないと考えた末でのことです。)
「自分は神(絶対者)がいてもいなくてもどっちでもいいような生き方をしよう」と。
後になって「神がいたからこうなってしまった」とか「神がいなかったからこうなってしまった」などと愚痴をこぼすような真似だけはすまい、とも思います。要は「自分の人生は自分で責任を取る」ということです。(月並みですが。)
これはドストエフスキーの小説(とくに後期の長篇)を読んで朧気ながら感じてきたことです。その登場人物のうち滅びへと向かっていったのは例外なく「どちらかに徹しきれなかった人間」と思われてなりませんでした。あと大きいのは同じくGooブログを運営されているお坊さん(禅宗)の影響でしょうね。(前にも何か書いていたなと思い当たって探してみたら2年前の同じく「番外」のコメント欄でした。なお明日も番外ですが、内容は全然違います。)
雑談
2016-09-16 | 番外
Lindaが来日してから3回ほど口喧嘩をしています。今のところはその日のうちに関係修復できていますが・・・・・ところで運悪くそうなってしまった場合、私は自分の考えを丁寧に説明しようして意識的に、時には無意識的に英語で話しています。以前Skypeでの会話で起こったCariño事件のように自分の不十分な西語力のせいで誤解を生じるのが恐いからですが、理由はもう一つあります。
かつてセッセと更新していた音楽関係のウェブサイトに書いたことですが、母国語の異なる二者が議論する際にいずれかの母国語を使用すれば、どちらの言い分に理があるかではなく言語を駆使する能力によって勝敗が決してしまう可能性があるからです。それは絶対にフェアではない。ですから少々の不便を感じても第三言語の使用を私は選びたいです。その点、会話力はLindaの方がかなり上ですが語彙は私の方が少し多いと思うので、英語はまあ理想的と言えるでしょう。もっと不便になるでしょうが、ポルトガル語もたぶんアリです。
かつてセッセと更新していた音楽関係のウェブサイトに書いたことですが、母国語の異なる二者が議論する際にいずれかの母国語を使用すれば、どちらの言い分に理があるかではなく言語を駆使する能力によって勝敗が決してしまう可能性があるからです。それは絶対にフェアではない。ですから少々の不便を感じても第三言語の使用を私は選びたいです。その点、会話力はLindaの方がかなり上ですが語彙は私の方が少し多いと思うので、英語はまあ理想的と言えるでしょう。もっと不便になるでしょうが、ポルトガル語もたぶんアリです。
お知らせ
2016-08-31 | 番外
これまで私とLindaがスマホで撮影した画像は自動的にOnedriveにアップロードされていました。ところが7月28日に容量が25GB(無料プランの10GB+カメラロールのボーナス15GB)から5GBへといきなり削減。1月末までに手続きすればこれまで通りの容量が使えたらしいのですが、ニュースが流れただけでメールなどによる通知は一切なし。このような対応には不満が噴出し抗議が殺到したようですが、Microsoftはダンマリを決め込んだ様子で私も愛想が尽きました。(「神対応」という言葉があるみたいですが、これは紛れもなく「糞対応」であるとしか言いようがありません。)
何にしても既に容量オーバーで自動アップロードされなくなってしまっていたため、他所へ引っ越すことに決定。先日スマホの全画像をいったんパソコンのハードディスクに移し、それからGoogleフォトに保存しました。(オリジナル画像と比べれば解像度は低いものの高画質でのバックアップなら容量無制限というのは嬉しい。)非公開にして以来ほとんど更新していなかった本ブログですが、これを機に撮り溜めてあった写真を日記の形でご紹介させていただくことにしました。(公開は8月31日をもって終了しました。)
何にしても既に容量オーバーで自動アップロードされなくなってしまっていたため、他所へ引っ越すことに決定。先日スマホの全画像をいったんパソコンのハードディスクに移し、それからGoogleフォトに保存しました。(オリジナル画像と比べれば解像度は低いものの高画質でのバックアップなら容量無制限というのは嬉しい。)非公開にして以来ほとんど更新していなかった本ブログですが、これを機に撮り溜めてあった写真を日記の形でご紹介させていただくことにしました。(公開は8月31日をもって終了しました。)